歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

湯島天神で菅原道真と!婦系図で!お蔦と主税に!想いを馳せ!懐メロを聴く!

2019年03月16日 | 東京の風景

前回、3月6日の続きで、湯島天神のお話です。

本日は、始めに、歴史のお勉強です。

正式名称は、湯島天満宮だそうです。

天満宮と云えば、かの”太宰府天満宮”が有名です。

太宰府は、平安時代、権力闘争に敗れた”菅原道真”(845年~903年)が左遷され、没した地です。

道真が亡くなった後、平安京では、疾病、天変地異が相次ぎ、これは、きっと、道真の祟りとして、道真を祀り、祟りを鎮めるために、太宰府天満宮が創建されたそうです。

神社仏閣の起源には、祟りを鎮めるための創建が、かなりあるようです。

権力闘争は、それなりに、謀略、策略と、血なまぐさい闘いですから、勝った側としては、負けた側の、恨み辛みを、それなりに恐れるのです。

それで、湯島天神ですが、太宰府天満宮とは直接的に関係は無いようです。

社伝によれば、雄略天皇の頃(458年)、天之手力雄命(あめのたぢからをのみこと)を祀る神社として創建されたそうです。

その後、1355年に住民の請願により菅原道真を合祀し、湯島天満宮となったようです。江戸時代に、富くじが盛んになり、江戸の三富の一つになり、庶民に親しまれたのでした。

それで、”道真”と”梅”の関係ですが、梅にまつわる歌を多く残しており、梅を愛した人物として有名だったそうです。昔は、花見と云えば”梅”だったそうです。

天神様で、学問の神で、東大に近くて、もしかして、受験に御利益?、となり、いまや、受験の神様で、合格祈願で大繁盛。

でも、しかし、湯島天神を有名にしたのは、なんといっても、明治から昭和にかけてベストセラーとなった、泉鏡花の小説「婦系図」でしょう。

戦前から戦後にかけて、何度も映画化され(62年が最後)、芝居にもなり、大ヒット、テレビドラマ化(73年が最後)も何度もされています。

『婦系図 湯島の白梅』

♪ 湯島通れば ~ 思い出す ~ お蔦 主税の・・・・・・

冒頭は、私でも知っています。調べたらこの曲は、戦前の昭和17年(1942年)ビクターから発売、歌が「小畑実」、 作詞が「佐伯孝夫」、 作曲が「清水 保雄」でした。

長くなりました。歴史?のお勉強は、これでおしまい。

それで、こちらの紅毛碧眼の女性も合格祈願?でも、表情に切実感は無く、単なる参拝記念の絵馬?

それにしても、もの凄い量の合格祈願の絵馬です。絵馬を括り付けるのも大変そう、失敗して絵馬を落としたら、と考えると手が震えたりして。 

この日は、境内でいろいろな催し物が行われていました。こちらは、福島県の物産展。帽子の方は、ミス何とか? タスキの文字が見えません。 

福島県は天栄村から来られたようです。いまいち興味をそそられる物産はありませんでした。

境内の裏手に仮設舞台。

こちらにも梅の花。 

休憩時間? 

このしだれ梅は、なかなか見事。 

懐かしの昭和歌謡が流れて来ました。 

お年寄りがほとんど、でも、流れて来たのは戦前の流行歌、リアルタイムで聞いた方は、多分皆無。それでも、戦後生まれの私としても、それなりに懐かしいのです。 

歌手のお兄さん?おじさん?

衣装もそれなりに決まっています。髪型も、眼鏡も、顔つきも、とても、とても懐かしい昭和レトロ。

ドラムのおじさんの服装からプロではなさそう。歌手の方だけは、それなりに寄席で通用しそうです。もしかしてプロかも? 

当然!『湯島の白梅』も歌われるのです。 

狭い境内の裏手でも、こんなのとか、

 こんなのとか、

こんなのとか、

 いろいろ売られていました。しかし、店の前に立ち止まる客はいません。

そろそろランチタイム、流れる懐メロを聴きながら、湯島天神を後にします。

事前に調べていた、ファミレスに向かいます。

そして、ランチタイム後は、実は、実は、本日の本命! 旧岩崎邸の見学がひかえているのです。

それでは、また。

 

コメント (1)
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