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かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

10.ナノモレキュラーサイエンティフィック その2

2007-12-02 22:45:57 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「このバッチをよく見えるところに付けて、正面入り口手前の来客用駐車場にお回り下さい。バッチはお帰りのさい、こちらに返却願います」
 榊は礼を言って、相談・6と記された縁色の丸いバッチを受け取った。クリップを襟に止め、車に戻る。門の前の二人の警備員が左右に下がり、ついで黒光りする鋼鉄製の門が、観音開きに左右へと道を開けた。榊はまだこちらを見つめ続ける三人の視線を意識しながら、言われた通り建物前のロータリーに侵入し、来客用駐車場に足を降ろした。
(なかなか物々しいな)
 榊は、更に建物前に陣取っている二人の警備員に気づいた。背格好がさっきの三人とほぼ同じくらいで、制服の下の分厚い胸板が、居丈高に榊を睨み付けているようだ。榊は車をロックすると、警戒の視線を浴びつつ、正面の自動ドアに歩み寄った。すると、ガラス越しにひょろりとした白衣の姿が見えた。年は若い。恐らく鬼童とそう変わらないだろう。ただ銀縁眼鏡の奥に光る目は、鬼童と違った意味で一種の危なさを覚えさせた。
「初めまして、榊警部。私がこのナノモレキュラーサイエンティフィックの社長をしております吉住です」
 この若者が?! 榊は少し面食らって、握手の手をさしのべる青年の顔を凝視した。
「驚かれましたか? まあうちのようなベンチャーの社長は大抵私くらいの若造ですよ。さあこちらへ」
 榊は握手もそこそこに気持ちを引き締め直すと、先に立つ吉住の後を追って建物内部に侵入した。
 内部は吹き抜けのように天井が高く、大きく取られたガラス窓が壁面を埋め、ちょっとしたホテルのような雰囲気のあるフロアである。吉住は奥の窓際に並べられた応接セットに榊を招き、改めて名刺を差し出した。ナノモレキュラーサイエンティフィック代表取締役社長 博士(工学)吉住明。丸みを帯びた文字が横書きに並び、左肩に色とりどりの小さなボールが幾つも繋がった、二センチ角位のイラストが描かれている。その下に丸く切り抜かれた吉住の顔写真が、微笑み未満の表情でこちらを見つめいていた。榊は目の前のガラステーブルに名刺を置くと、早速警察手帳を取りだした。
「今日はお忙しいところを申し訳ありません。来訪の主旨は簡単に電話で申し上げた通りですが、もう少し詳しく伺いたく・・・」
「お知りになりたいのは、糖で出来た小さな針、でしたね」
「ええ。事件現場の遺留品なんですが、鑑識から非常に微細な針だ、と連絡がありましてね、そこで色々調べてみましたら、御社の開発されているものに近いのではないか、と思われたのですよ」
「ものは見せていただけますか?」
「いや、今のところはまだ鑑識で検査中ですので。何やら針の中に残留物があるらしく、それを解析する積もりらしいのですよ」
 しゃべりながら榊は、相手の様子をじっと観察していた。だが、若いくせに相当肝が据わっているのか、あるいは本当に無関係なのか、ともかく今のところは榊の眼力を持ってしても、その態度に変わったところは見受けられない。
「それで、その針の大きさは?」
「長さが約一・二ミリメートル、太さが五から一〇ミクロン程度だそうです」
 榊が警察手帳を見ながら答えた。もちろん数字は、警視庁の誇る鑑識のデータではなく、鬼童海丸が実測したものである。すると吉住は、なるほど、と言いながら腕を組んだ。
「確かにマイクロニードルのようですね。ですが、恐らくうちのものではないでしょう。きっと京都で作られたものではないですか?」
 榊は、そう来たか、と鬼童の助言を思い出した。
「それは、京都の私大工学部と組んだベンチャー企業のことをおっしゃっているんですね、吉住さん」
 すると今度は吉住も軽く目を見張って驚いて見せた。
「よくご存じですね、警部のおっしゃるとおりですよ」
「そちらの方は、京都府警を通じて照会を掛けているところです。それより、御社じゃない理由を伺いたいのですが」
「それは、うちはまだ開発に成功したばかりで、商品化まで至ってないからですよ。太さ八・五マイクロメートル、人の髪の毛の半分以下の太さでマイクロニードルの量産に成功したのは京都が最初ですからね。とはいえ今はまだ一本百円もする超高級針です。そこでうちは、あっちとは違う工程で、より効率よく作ることを目指しているんですよ。ただ、まだ開発途中で、うちには商品と言えるものがありません」
「試作品ならあるんじゃないですか?」
「それはもちろんありますよ。でもうちでは一番の極秘物件です。この建物から出る事は絶対あり得ません」
 吉住の口調が少し早口になった。態度は相変わらず落ち着いて見えるが、内心少し興奮しているらしい。ただ、事件への関与と結びつけるほどの手応えは、榊には感じられなかった。これははずしたかも、と内心の落胆を顔に出さぬよう注意しながら、
榊が時間稼ぎに目の前のコーヒーに手を伸ばしたとき、突然、吉住が腕時計に目を落として言った。
「も、申し訳ないです。少し人を待たせておりまして、取りあえず今日のところはお引き取り願えませんか?」


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10.ナノモレキュラーサイエンティフィック その1

2007-12-01 23:29:41 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 「こういうのは専門外なんだがな・・・」
 そればかりか管轄外でもある。
 常磐道を降りてから約三〇分、こわばった首を回しながら、榊はようやく車を降りて、『茨城県先端科学技術工業団地』、と仰々しく太ゴシック体で書かれた看板と、碁盤目に細分化された地図を見上げた。
 周囲は緑なす山々が取り囲む、ハイキングならお似合いの山間地だ。だが、目的とする目の前の山だけ少し様子が異なっていた。遠くから見ると、ふもとのあたりは周りの山とさして変わらないのだが、上半分がざっくりとえぐり取られたように平らにならされており、上部の斜面も芝と思われる背の低い草で覆われている。その山へ登っていく一本きりの道は、緑深い山の中に伸びていく様に見えてはなはだ心許ない。榊はいつもながらのくたびれたコートのポケットに右手を突っ込み、くしゃくしゃになりかけのラークの箱を取り出しながら、目的の社名をその地図に探した。更に一〇〇円ライターを胸ポケットから捜し出し、くわえ煙草に火を付けた辺りで、ようやく地図の左端上方に、その名前を見つけることが出来た。
「ナノモレキュラーサイエンティフィック、か」
 呟いてはみたものの、何をする会社か榊にはさっぱり判らなかった。ベンチャー企業の一つで、鬼童によると途轍もなく小さな針を作る技術を開発しているところだそうだが、そこに一体どんな手がかりがあるのか、ここまで来ても榊にはまるで見当が付かない。
「それにしても、がら空きだな、ここは」
 ざっと見渡した地図には、企業の名前が入っていない土地が大半を占めていた。出来て間もない工業団地というせいもあるのだろうが、昨今の不景気で、思うように企業が集まらないのだろう。めぼしい企業というと、目的の会社のすぐ脇に、「ドリームジェノミクス社」と書いてあるくらいだ。榊は取りあえず場所を確認したところで、ライターとラークの箱を再び乱暴にコートのポケットに突っ込んだ。道は、地図によると、いったん山に登った後、更に一番端までぐるりと一本道を行かねばならないことになる。
「さて、と。もうひとがんばりだな」
 再び車の運転席に戻った榊は、たばこを一旦車の灰皿に押し込み、エンジンを始動した。
 
 しばらくは藪の中をただひたすら走り続け、ぐるりと山を巡るようにしてカーブを切ったところで、目的の工業団地が目に入った。
 団地は全体として全くの平面というわけではなく、幾つかの大まかな区画が、段々畑のように別れて山の斜面に沿って並んでいる。その斜面だけはきれいに植裁された背の低い草で覆われており、赤や白の可憐な花がそこここで咲いているのが見えた。一方、分譲用の土地はお世辞にもきれいとは言えなかった。ふもとの地図は正しかったようで、榊の見るところ、ほとんどの土地が、むき出しになった赤土の原野に、所々思い出したようにかすれたような緑を点じる、背丈の低い雑草が生えているばかりの裸地であった。そんな殺風景な景色の中を、ま新しいアスファルトをしいた立派な道路が伸びていく。本来ならこの団地を行き来する車で賑わう道なのだろうが、今ここを走るのは、ただ榊の車ばかりであった。
 しばらく走って造成地の丘を一つ越えたところで、目的の建物が見えてきた。赤茶と緑で埋め尽くされた中に並び立つ、二つの白色の建物が、まるで浮き上がっているかのようにはっきり見えた。特にちょうど太陽の角度がいいと見えて、壁面を埋め尽くすガラスの反射がまぶしく、一種の神々しささえ覚えかねない景色だ。下の地図によれば、あの位置はドリーム何とか社と目的のナノモレキュラーサイエンティフィックということだろう。
 榊は更に団地内道路を飛ばし、程なくナノモレキュラーサイエンティフィックの正門に辿り着いた。もう一つの建物はちょうど手前の建物と重なって、ここからは半分しか見えない。一旦車を止めて外に出た榊は、途端に両脇から投げかけられた物々しい視線を意識した。見ると陸自か機動隊で鍛え上げたような屈強の偉丈夫が二人、一昔前の警官のような警備員ルックに身を固めて、じっとこっちを見据えている。ただの警備員にしては眼光が鋭すぎる。警戒というよりはほとんど敵意に近いんじゃないか? と榊はその視線を受け止めながら、ぴたりと閉じた門の右外れに建っている、警備員の詰め所に歩み寄った。窓口にも同じ格好の警備員がおり、胡散臭そうな目つきで榊をじろじろと見ながら、口調だけは丁寧に記帳簿とペンを榊に差し出した。
「そこに名前と御社の名称、弊社の誰にアポを取っていらっしゃるか、来訪の目的を記入して下さい」
 真新しい記帳簿に並ぶのは、筑波大学や城西大学、精密工学系の大企業の関係者であり、中にはマスコミの名前も散見された。その最下段の空いている一行に、独特の力強い字で自分の名前と、「警視庁」、の一言を書き付ける。アポイントは鬼童の研究所を出る前にここの社長に取ってあるので、それをそのまま記載する。すると、警備員は即座に電話の受話器を上げ、内線を繋いで確認を入れた。
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9.疑惑 その3

2007-11-30 22:14:54 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
『実はこの会社、ベンチャー企業なんだけど、資金の出所が良く判らないのよ』
『資金?』
『ええ。ベンチャー企業って信用がないから、普通銀行もお金を貸さないの。先端技術って成功すると収益も大きいけど、開発に巨額の資金が必要だし、失敗するリスクも高いからね。だから、ベンチャーキャピタルって言うベンチャー企業専門の投資家達から資金の融資を受けることが多いんだけど、この会社はどこからも資金融資を受けていない。全くの個人資産で運営されているのよ』
『ソレハ別ニ不思議デハナイデショウ。海外デハ大富豪ノ財団ガヨク研究助成シテマスシ』
 ハンスの言葉に蘭は一応頷きながら、更に言葉を継いだ。
『確かにそんな例もあるわね。でも、この会社を運営している個人資産家が、実は実在しない架空の人だとしたら、どう?』
『架空? ドウイウコトデスソレハ』
『言葉通りよ。私達の脳味噌を計っている機械はどれも億単位のお金が必要な超高級品ばかり。私、そんなお金をぽんと出す大富豪だったら、何かいいものも持ってるかも知れないと思ってそれも調べてみたの。ところがどっこい、一応それらしい名前はあるんだけど、詳しく調べてみれば全くの赤の他人で、この会社とは何の関係もない事が判ったの。これって、充分怪しいと思わない?』
『で、でも、私会いました。嶋田輝っていうおじさんに』
 美奈の驚きに蘭も頷いて見せた。
『私も会ったわよ。妙に甲高い声で話しかけてきたと思ったらお尻を触ろうとしたから、思い切り頭を張り飛ばしてやったけど』
 思わずその光景が浮かんで美奈とハンスが吹き出した。が、蘭の眼差しは、二人の笑いを抑え込んだ。
『でも、嶋田輝氏は架空の人物だわ。偽名を使って巨額のお金を出すだなんて、どう考えても不自然よ』
 お金のことはよく判らないが、財布を持っている人が実は偽物というのは確かにおかしい。美奈とハンスがその疑問に頭をひねるうちに、蘭はもう一つの興味深いことを語りだした。
『もう一つは高原博士の話よ。博士は遺伝子工学の専門家で、特に大脳関連の遺伝子情報の解析に力を入れている研究者なんだけど、何年か前に、夢に関して興味深いことを言っているの。夢というのは睡眠中に生じるノイズに過ぎず、進化の過程で生まれた無用の長物で、いずれ見なくて済むようになる時が訪れるだろう、って。その発言を巡って一時大脳生理学関係の学会で、夢は必要だという心理学系の学者と随分派手に論戦したらしいわ』
 美奈は、高原の夢の中でした話を思い出した。夢とは何だと思うか、と言う問いに答えた美奈へ、高原ははっきり、夢は幻覚に過ぎないと言い切った。自分はそれに反発を覚えたのだが、その言葉は高原にとって数年来の信念らしい。でも、それならどうしてあんな恐ろしい夢を、あんなに執拗に記憶し続けようとするのだろう。それに自身恐らく麗夢さんに匹敵するほどの力を持っているのに、日頃みんなの大事な夢を守りたい、と言う麗夢さんとはまるで正反対ではないか。
『それなら、どうして私たちの力を高めようとしているの?』
 美奈の当然過ぎる疑問に、蘭は言った。
『正直判らないわ。あれから考えが変わって夢を大事だ、と思うようになったのかも知れないけど・・・』
 それはない、と美奈は確信した。あの夜、高原ははっきり言ったのだから。その考えに変わりはないはずだ。
『とにかく、あの高原って奴は何か隠しているわ。私はこれを見つけて、そのことを確信したの。ここを見て』
 それは、これまでと代わり映えしない実験室の一つに見えた。美奈とハンスは、ドアの大きめの窓から恐る恐る中を覗いてしばらく視線を彷徨わせていたが、やがて部屋の隅に置かれたガラスケースの中身を見て、思わず声を上げそうになるほど驚愕した。
『あ、あれは、アルファとベータ!』
 それは、掌に乗りそうな大きさの可愛らしいぬいぐるみに見えた。だが、その姿、毛並みは間違いなく麗夢のお供の子猫と子犬、アルファ、ベータに違いない。二匹はガラスケースの中で、頭にケーブルが束になって繋げられたヘルメットを被せられ、体中に色々なチューブやケーブルを絡みつかせながら仰向けに寝ていた。良く見ると手足やお腹の上にベルトが掛けられ、動けないように固定されているらしい。
『やっぱりね。私一人じゃちょっと確信もてなかったから二人にも見て貰いたかったんだけど、どうやら他人の空似というわけでもなさそうだわ』
『でもどうして? どうやってここに来たの?』
『来たんじゃなくて、つい最近連れてこられたのよ。私達みたいに』
 美奈とハンスの疑問に、蘭は相変わらず厳しい表情で答えた。
『ここの研究員の立ち話を聞いたわ。奴ら、やっと実験動物が手に入ったって喜んでいたけど、間違いなくこのおちびちゃん達の事ね』
 実験動物! 
 美奈は、そのおぞましい響きにぶるっと身を震わせた。一体アルファとベータに何をしようと言うのだ?
『まあ私たちも言ってみれば実験動物同然なんだけど、人だというおかげで一応それなりに扱って貰っているわ。でも、あの子達はこれからどんな目に遭うか判らない。なにせ、脳の研究は直接脳へ電極を刺したりするのがちょっと前までの主要な実験手段だったし』
『解剖サレチャウノデスカ!』
『可能性は大ありね。何せ実験動物だから』
『何とかして助けてあげないと! このドア開けられないの? 夢見さん!』
 美奈の必死の願いにも、蘭は難しい顔を崩さなかった。
『もちろんこのカードで開けられるけど、今は駄目。仮に助けてもその後どうすることもできないから、すぐに捕まるわ。そして逃亡するくらいなら、っていきなりバラバラにされちゃうかも知れない。ここは慎重にしないと』
『デモ、コノママデハイズレ同ジ運命デス』
『いざというときは出たとこ勝負で動きましょう。そのために二人にもこの場所を見て貰ったんだし。でも今はとにかく待って。賭になっちゃうけど、一応の仕掛けはしておいたから、その賭が当たるかどうか、見極める時間が欲しいの。さあ、そろそろ戻りましょう』
 ええ、と返事をしてもと来た道に振り向いた三人は、そこにありうべからざる姿を見て、賭が裏目に出たことを悟った。高原研一が、白衣のポケットに両手を突っ込みながら、仁王立ちに帰り道を塞いでいたのである。
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9.疑惑 その2

2007-11-25 20:35:08 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 こうして何度目かの突撃を敢行した二人は、またも高原の鉄壁その物な防御結界に行く手を阻まれ、虚しくはじき返されてしまった。あいたたた、と身体のあちこちに出来た打ち身に顔をしかめつつ二人がもう一度立ち上がったとき、高原はようやく終了を告げて三人に夢から出るように合図した。やっと休める、と溜息をついた三人が覚醒すると、既に高原は数人の助手を交えて、データの検討を始めていた。そして、三人がリクライニングシートに上体を起こしたところで、微笑みを浮かべながら振り返った。
「どうやらまずまずの反応が得られたようだ。次もこのフォーメーションで行くとしよう」
 まだやるの? と蘭が口をへの字に曲げてシートに再び仰向けになり、ハンスもげっそりとした顔でうなだれた。美奈もさすがに疲労を覚えて高原を見た。だが、高原は容赦なく始めるぞ、と三人に呼びかけ、自分のシートに足を向けた。
「博士、ちょっと」
 高原の足を、白衣の若い男が止めた。
「何かね?」
「吉住博士から連絡が入っています。とにかく緊急だそうです」
「全く、この実験の最中は手を離せないとあれほど言ってあるのに・・・」
 高原は、しょうがないな、と首を振って、三人に言った。
「ちょっと急用のようだ。夕食には少し早いが、お茶でも飲んで休んでくれ。今日はここまでにしよう」
 そう言い残した高原は、引っ張られるようにして白衣の男と共に研究室を出ていった。きょとん、として見送った美奈、蘭、ハンスの3名は、当面厳しい訓練が遠のいたことに安堵の溜息をついた。
「ふぁーっ! これでやっと一息つけそうね」
 大きく腕を大の字に広げて伸びをした蘭は、揃えた足を軽く上げると、反動を付けてえいやっ、とシートから起きあがった。
「さあ、折角だからティータイムと行きましょ!」
「ハイ・・・」
 先に立って実験室を出ていく蘭に続いて、ハンスと美奈もシートから降りた。それにしても一体何があったのだろう? あの高原が実験を中止して出ていくなんて。


 着替えを済ませ、レストハウスに移動したはずの三人は、そのまま目的の場所には入らなかった。実験室を出て間もなく、ふっと人気が途絶えたのを見計らったように、蘭が美奈とハンスに呼びかけたのである。
「夕食にはまだ早いわ。それよりもちょっと面白いものを見つけたの。見に行ってみない?」
 ウインクする蘭に驚く間もなく、二人は半ば強引に手を引く蘭に連れられて、レストハウスと反対の方向に歩いていった。どこまで行くのか、と問いかけようとした美奈に、しっと蘭が人差し指を口の前に立てた。と同時に、頭の中に蘭の声が響いてきた。びっくりして目を丸くした二人に、蘭はもう一度繰り返し「話し」かけた。
『二人とも聞こえる? 聞こえたら頭の中で答えて』
『夢見さん、これは一体?』
『博士の研究の副作用と言った所かしら? まあこうして盗聴の心配なく話が出来るのは重宝するわ』
『盗聴? ドウイウコトデスカ?』
『いいから黙ってついてきて』
 さっきまでとはうって代わった蘭の真剣な眼差しに制せられ、二人は開きかけた口を閉じた。やがて三人は、仰々しく関係者以外立入禁止、と赤字で書き付けられた扉の前にやって来た。
『ちょ、ちょっとここって、夢見さん!』
『五秒だけ黙ってて』
 美奈の制止を振り切って、蘭は胸ポケットから一枚のカードを取り出し、扉の右側の壁に取り付けられた読み取り装置の溝に、そのカードを走らせた。途端に、装置の上で赤く点灯していたLEDが青に変わり、扉が静かにスライドして、奥へ続く道を三人に提供した。
『イ、イッタイドウシタンデスカ、ソノカード?』
 ハンスも驚いて目を白黒させている。蘭は振り返ってウインクしながら、さらりと言った。
『盗人のたしなみよ。さあ、早く来て』
『こんなことして、大丈夫なんですか?』
『大丈夫よ。ここのセキュリティー結構厳しそうに見えるけど、所詮運用するのは人だからね。あの先生はともかく、他の人はみんなシステムに頼りきりでもう油断しまくりなのよ』
 そんなものか、と思いつつ、美奈は恐る恐る禁断の扉の向こうに足を降ろした。続いてハンスも、おっかなびっくりついて来る。そんな二人に、蘭は言った。
『ねえ、二人ともあの高原研一って人、どう思う?』
 急にそんなことを聞かれても、と美奈は困った。確かに自分の正義を信じる強烈な意志や、目的のためには手段を選びそうにない様子が、どこか不安を覚えさせる人ではある。だが、悪人と言う訳でもなさそうだ。答えあぐねている二人に、蘭は言葉を継いだ。
『実はね、私、ここに来る前にあの人とこのドリームジェノミクス社について少し調べたことがあるの』
『調ベタッテ、一体ナンノタメデス?』
『もちろん「お仕事」のためよ』
『お仕事って、夢見小僧の?』
『そうよ。名前からしても私の欲しいものがありそうな気がしたし、確かにちょっと興味をそそられたわ。夢の遺伝子なんて、私の目指すドリームアイランドに相応しいじゃない。次の次の次、位のつもりで、下調べしていたのよ』
 なるほど、と美奈は思った。麗夢に聞きかじった話であるが、夢見小僧こと白川蘭が、夢の遊園地を作るため、夢に関係する様々な品物を収集しているとのことだった。ではこれもその仕事の一環なんだろうか? すると自分達は共犯と言うことに・・・。
『大丈夫よ美奈ちゃん。私、仕事は一人でやる主義だから。それよりも聞いて欲しいのは、その時調べたこの会社のことと、高原博士の評判の方なの』
『?』
 話が見えない、と首を傾げるハンスに、蘭は心の中で頷いて見せた。』
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9.疑惑 その1

2007-11-24 23:20:21 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「やーっ!」
「てぇい!」
「きゃー!」
 勇ましいだけのかけ声とあられもない悲鳴が交錯する高原の夢の中。夢見小僧こと白川蘭と美奈は、必死に念を込めたそれぞれの武器を改めて握り直すと、目の前の高原に撃ちかかった。
「駄目だ! もっと集中して見せろ! 今の君達なら出来るはずだぞ!」
 高原の叱咤が鞭のように二人を襲う。蘭は、もう! と膨れて後ろを振り返ると、そこで両手を前に出して必死の形相で目をつむっている紺のジャージ姿の美青年を怒鳴りつけた。
「ハンスったら! もっとしっかり念を送ってよ!」
「ゴ、ゴメンナサイデス。デモ、コレデセイイッパイデ・・・。」
 歯ぎしりを交えたたどたどしい日本語に、ちっと蘭も思わず舌打ちした。全く、この高原という男は何てパワーの持ち主なの? 私達だって、ものすごく強くなっているはずなのに・・・。
「たあーっ!」
 蘭の目の前で、再び美奈が高原に撃ちかかった。手にする武器は諸刃の剣だ。夢魔の女王を刺したときの麗夢の剣に比べれば、細身でやや短い。高原によると、もっと真剣に念じればより強力な武器になるはずだというのだが、今の美奈にはこれが精一杯だった。
「駄目よ美奈ちゃん!」
 思わず蘭が叫ぶ甲斐もなく、強烈な反動で美奈の小さな身体が蘭の足元まで吹っ飛ばされた。
「大丈夫? 美奈ちゃん?」
 紺のジャージにアメリカンフットボールのような防具をくっつけた、一種異様なトレーニング用のスーツを見下ろし、蘭は手をさしのべた。美奈は、顔をしかめながらも自分と同じ格好をしている年上の女性の手を取った。
「あ、ありがとう、夢見さん・・・」
 蘭は苦笑して美奈が立ち上がるのを手助けした。蘭でいい、と言っているのに、この子は未だに夢見さん、と通り名の方で呼びかけてくる。理由を問うと、「麗夢さんがそう呼んでいたから」ともじもじして答えてみせた。なるほど、麗夢ちゃんの影響か、と理解はしたが、出来れば他人行儀な表看板ではなく、本名で呼んで欲しいと願う蘭である。
 (まあ、いずれそのうち、ね)
 蘭は苦笑を収めると、当面の課題に改めて頭を切り換えた。とにかく、目の前の高原から一本取るか、高原から終了を言い出さない限り、このトレーニングは終わらないのである。
「さあ、今度こそ当てるわよ! いい、美奈ちゃん!」
「はい!」
「ハンスも頑張りなさいよ!」
「ハ、ハイ」
 三人は何度やったかもう数える気もしなくなった儀式を、改めて繰り返した。1、2の3! で呼吸を合わせ、自分達の力をシンクロさせるのだ。
「ようし、行くわよぉ!」
 全身に力を込めた蘭は、同じようにエネルギーの塊と化した美奈と共に、もう一度高原に撃ちかかっていった。
 三人のこのハードトレーニングは、既に5日目を迎えている。美奈を加えて必要なデータを揃えた高原が、いよいよドリームガーディアン遺伝子の高発現因子開発に乗り出したのだ。数日前、そのプロトタイプを与えられた三人は、日常の夢見状態における各種測定を皮切りに、人の夢に直接入る訓練や、その中で自由に振る舞うコツを得るべく、トレーニングを始めていた。
 もっとも美奈は、もともと天性の力を持つため、この訓練は不要である。従って、当初の美奈の役割は、二人を高原の夢に連れ出す事だった。ハンスはもともと人の夢を渡り歩いていた経験を持つだけに飲み込みも早く、三度目にはもう美奈の助けは不要になっていた。従って、美奈はほぼ付きっきりで蘭の介添えを務め、二日前にようやくその役目を卒業したところであった。
 次に高原が要求したのが、夢の中での戦闘である。DGジーンの働きを最大限に発揮し、ドリームガーディアンとして覚醒すること。それには、夢の中で闘いを経験し、眠っている力を呼び覚ますのがもっとも効率がいい。ただ、今の段階ではまだ一人一人の力はたかが知れている。そこで高原は、三人が同じ気を練り上げ、三位一体となって互いに力を高め合うように指導した。一人が一人をサポートする方法や、二人を後方に置き、一人を前に置くやり方、そして今日のように一人が後方から力を送り、二人がそれを受けて闘うやり方。三人同時も含めて計一三通りの組み合わせを試みる。もちろんこれは、ドリームガーディアンとしての訓練の一環であると共に、DGジーンの働きを測定する重要な検証実験でもある。4台据えられた測定用リクライニングシートと各種測定機器が、今もリアルタイムで4人の脳の活動を記録すると同時に、血液を採取して活動している遺伝子の情報を取得するため、フル稼働しているのだ。そうして得られたデータを元に、高原は事前に想定した通りDGジーンの高発現因子が有効に機能しているかどうかを検証する。その結果を踏まえて、再び専門スタッフに向けて、より効率のいい因子の試作指示を出すのである。
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8.能力喪失・・・ その3

2007-11-23 21:11:00 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「何? 今のは。何がどうなったの?」
「拙僧には、何か人の姿が見えたように感じたが・・・」
 円光の言葉に、鬼童はにっこりと微笑んだ。
「さすがは円光さんだ。あの瞬間の映像を見切るなんて。では、少し戻して今度はスローで動かしてみましょう」
 鬼童がキーボードに指を滑らせ、再び再生のキーを押した。今度はゆっくり映像が動いているらしい。ただ、動きのない映像のため、さっきと何が違うのか、にわかには判らなかった。しかし・・・。
「あっ!」
「こ、これは!」
 二人が叫ぶと同時に、鬼童は映像を一時停止した。そこには、ついさっきまでいなかった一人の男が映っていた。それも麗夢の傍らである。男の姿はぶれてはっきりとしなかったが、それでも右手を麗夢の手に伸ばしているのは充分に見て取れた。
「どうです麗夢さん? 見覚えありませんか?」
「見覚えも何も、この映像じゃ判らないわ」
 麗夢が言うのも無理はなかった。その静止映像はチューニングが不完全なテレビ映像のようにゆがんでぶれ、男のようだ、と言う以外に判別するのは極めて困難だったからだ。
「やはり無理ですか・・・。ではもう少し時間を下さい。画像処理してもっとはっきり見えるように工夫してみます」
「それより、どうしてこの一瞬しか映ってないの?」
 麗夢は、より根本的な疑問を口にした。この男は、まるで心霊写真のように、あの一瞬だけ突然麗夢の傍らに現れて、その前後にはまるで姿が見えないのである。これについては、鬼童も一応は答えを用意していた。
「恐らくこの身元不明の男は、僕の夢を媒介して侵入し、また夢に去ったとしか考えられません。まるで死夢羅のように夢を自由に出入りできるのでしょう。その時、よほど強烈な思念波が発生したに違いありませんよ。うちの電子機器にはそれなりに僕自身も工夫してシールドしてあるんですが、それでもこんなに映像をゆがめるほど影響するなんて、ちょっと空恐ろしい気がします」
 夢を自由に行き来する・・・。麗夢は数日前の鬼童の夢の中での出来事を想起して、思わず身震いした。やはりあれは死夢羅だったのだろうか? でも、死夢羅なら何故幻覚だけで実際に鬼童を殺害しようとしなかったのだろう? それにこの男の姿、これは、いくらゆがんだ映像と行っても死夢羅でないことくらいは見て取れる。結局謎ばかりが深まる中、麗夢はもう一つ、未解決の謎が残されていることを思い出した。
「そうそう、鬼童さん、あの時私の手に刺さっていた小さな針はどうしたの?」
「あ、あれですね! 実はあれも興味深いものだったんですよ。ちょっと待ってください!」
 鬼童は三度キーボードを操作して謎の男の映像を消すと、新たに一枚の画像をモニターに映し出した。
「あの針の顕微鏡写真です。本当に極細の針ですが、麗夢さん、これ、何でできていると思います?」
 麗夢と円光は、画面の中に浮かぶ真っ白な針を凝視した。だが、写真で見ただけで材質まで読みとるのは不可能である。二人は結局、針なら多分金属だろう、と常識的な答えを返すしかなかった。ところが、鬼童の答えはおよそ二人の常識の埒外にあった。
「じつはこれ、糖で出来ているんですよ」
「トウ? なにそれ」
「ほら、砂糖とかグラニュー糖とかの糖ですよ。これは、その糖の一種で出来ているんです」
 もう一度麗夢と円光は目を丸くしてその画像を見つめた。頭には上白糖と赤い字で記された一キログラム入りの白い粉や、コーヒーに入れる茶褐色の砂粒のような結晶が浮かび上がるが、どれもこの針と上手くマッチさせることが出来ない。驚くばかりな二人に、鬼童は最新技術の一つですが、と前置きしながら二人に話した。
「実は注射針の研究で出来るだけ細くする、と言うのがあるんです。蚊に刺されても痛くないでしょう? あれは、蚊の唾液が麻酔効果を持つだけでなく、蚊の口が非常に細いため、人に痛みを感じさせずに血管まで刺すことができるんですよ。これを応用すれば、例えば糖尿病でインスリンを定期的に注射しないといけない人に、痛みのない注射が可能になるんです。ところが金属を使うと、万一折れたときに非常に危険です。どんなに小さい針でも、それが脳の毛細血管につまったり心臓壁に刺さったりしたら命に関わることになりかねないですからね。そこで開発が進められたのが、糖を針に仕立てる研究なんです。糖なら万一血管に入り込んでも、血液で溶けちゃいますからね。きっとこの謎の男は、この糖の結晶でできた針を使って、麗夢さんに何かを注入し、夢に入る力を奪ったんです」
「毒か!」
 円光が気色ばんで鬼童に振り返った。だが、鬼童は冷静に首を横に振った。
「僕も色々脳に影響を与える薬物を研究してきたが、この針で与えられる程の少量で、夢だけに作用するような薬物は見たことがない。それに、麗夢さんの能力はこの数日で少しずつ削がれていった様だ。注入された直後ならともかく、そんなに遅延して効果を発揮するなんて、ちょっと思いつかないな」
「おのれ・・・、一体誰が、どんな妖しの技を麗夢殿にかけたのだ!」
 円光は怒りにまかせて拳を握りしめた。麗夢も画面の針を見つめながら、重苦しい気分に落ち込んでいた。結局謎はほとんど解けていない。ただ、自分の力が完璧に失われたと言うことが、確実になっただけだ。そんな見るからに打ち萎れている麗夢に鬼童は言った。
「実は一つだけ、手がかりになりそうなことがあって、既に榊警部に連絡して、調べて貰っているんです。この針に関することなんですが・・・」
 麗夢と円光は、つかみかからぬばかりな勢いで、同時に鬼童に振り向いた。
「それは何 (なんだ )鬼童さん!(殿!)」
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8.能力喪失・・・ その2

2007-11-18 22:34:54 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「・・・おかしいな・・・」
 解析用PCの画面を見ていた鬼童は、すぐに麗夢の方へ現れた異常なデータに目を奪われた。装置の不具合かもと幾つかの自己診断テストを試みたが、そのテスト信号に対しては正常な値が返ってくる。円光の方はと見れば、全く問題ない夢見状態を示すデータが、画像処理された映像となってモニターに表示されている。つまりこれは機器の不具合ではなく、明らかに麗夢の脳に何らかの異常が生じている事を示している。
 三〇分後、一通りの測定を終了した鬼童は、二人を起こした。
「あれ? 実験、もう終わったの?」
「ええ。開始から三〇分経過しました」
「三〇分? そんなに?」
 目覚めた麗夢は、初めきょとん、とした表情で鬼童を見つめていた。が、すぐにその情報の重要性に気がつき、悲痛な面もちで鬼童に言った。
「夢に入れない・・・いえ、眠った途端意識も何もなくなって・・・こ、こんな事、初めてだわ・・・」
 続けて起きた円光も、夢の中で麗夢の気が全く感じられず、小半時ただじっと待つばかりであったと証言した。
「鬼童殿、一体麗夢殿に何が起こっているのだ?」
 それこそ麗夢も聞きたい事柄であった。鬼童は逸る二人をシートから立たせると、さっきまで自分が見ていたモニターの前に引っ張ってきた。
「見て下さい。これは、今睡眠中に取った二人の脳活動領域データです」
 画面には二枚の脳の3D画像が並んでいた。
「実験開始直前の映像です。こっちが麗夢さん。それからこっちが円光さん」
 鬼童が左右の脳の画像を指し示した。それぞれの脳には、あちこち黄色や赤の縞模様が描かれ、活発に活動している様子が手に取るように理解できた。
「これから時間を進めていきます。いいですか、この部分を注目していて下さいよ」
 鬼童が画面上の脳の一部を指差しながら、キーを一つ押した。途端に画面右下隅の八つの0のうち、一番右端がめまぐるしく変化しだした。一瞬遅れて、その左となりの0が、1、2、3と順々に変化していく。その変化が15を刻んだとき、鬼童が指さしていた円光の脳領域に、初めの変化が現れた。まずそれは、緑色の光点で現れ、次第に黄色から赤へと移っていった。そこで、鬼童はキーを押して映像を止め、二人に言った。
「ここ見て下さい。緑色から赤い色に変化したでしょう? これは、円光さんの脳のこの領域が夢を見ることによって活発に活動を始めているということを示しています。でも、こちらの同じ部分を見ると、麗夢さんのは全く動いていません」
 確かに鬼童の言うとおり、二人のその領域には、明瞭な差が生じていた。円光が鮮やかな虹色を示しているのに対して、麗夢のその部分は真っ黒のままなのだ。
「これはどういう意味なの?」
 不安に声が震えそうな麗夢の質問に、鬼童は答えた。
「夢を見ていない、と言うことですよ、麗夢さん」
「夢を見ていない?」
「どう言うことだ、鬼童殿!」
 驚く二人に鬼童は言った。
「今話した通りだ。他にもチェックするポイントが幾つかあるが、麗夢さんのそれはほとんど皆ブラックアウトしている。実際、麗夢さんは三〇分の時間経過を全く認識していない。まるで電気のスイッチをパチン、と切ったみたいに寝て、またスイッチが入ったように起きた。この記録は、その事をはっきり示しているんだ」
 鬼童は更にキーを押して今度は時間を早めた。今までは律儀に1秒ずつ刻まれていた二桁目の二つの数字が、さっきまでの右隣に匹敵するスピードで動き始め、それと共に、円光の脳画像には、色とりどりな虹の模様が描かれていった。だが、麗夢の方はと言うと非常に暗いまま、時折そこここで緑の光が瞬くだけだ。そして三桁目の数字が30を示したところで、突然幾つかの領域に明るい黄や赤がきらめいた。
「目をさましたところですよ」
 鬼童の説明を待つまでもなく、それが目覚めの時だと麗夢と円光にも理解できた。一番初めに見た寝る直前の状態と、その映像がほぼ同じ状態だったからだ。
「・・・どうして。何故私、急にこんなことになっちゃったの?」
 初めに円光へ振り向いたが、円光は黙って目をつむるばかりであった。ついで視線を向けた鬼童も首を横に振ったが、その後には続きがあった。
「原因は不明です、ですが、可能性、と言う意味で、麗夢さんに見て貰いたい映像があります。ちょっと待ってください」
 鬼童は、言いながら再びキーボードを操作し始めた。
「何を始めるのだ? 鬼童殿」
「まあちょっと待って・・・。よし」
 鬼童が改めて二人に画面がよく見えるようにモニターを動かすと、その画面の中央に真っ黒な横長の長方形が一つ、映っていた。二人が怪訝な顔で画面を見ていると、鬼童はおもむろにキーを一つ押した。
「いいですか、良く見ていてくださいよ」
 突然、黒い画面が切り替わり、一つの映像が現れた。
「これって、この部屋じゃない・・・」
「それに映っているのは、麗夢殿と鬼童殿だ・・・」
 確かにそれは、さっきまで二人が眠りについていたリクライニングシートを、斜め前から映した映像であった。但し、円光がついていた席に、白衣の鬼童が収まっている。
「これは、先日麗夢さんが僕の夢を借りにいらしたときの記録映像ですよ。いいですか? もうすぐです・・・ここだ!」
 鬼童が叫んだ瞬間、画面がぶるっと震えてまた元の状態に戻った。鬼童はキーを押してその映像を一旦停止させた。
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8.能力喪失・・・ その1

2007-11-16 22:53:28 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 程なく到着した研究所で、鬼童は満面の笑みで二人を出迎えた。
「円光さんも一緒か。さあ、どうぞ」
「お邪魔いたす」
 麗夢を巡って熾烈なライバル争いを演じている二人ではあるが、当の本人の前ではあくまで紳士的に振る舞う事を互いに約している。ただ、笑顔の割に二人の眼光は鋭く、自分の頭上で見えない火花の一つや二つ飛び散ったのは間違いないと、麗夢は思った。
「あれ? 今日はアルファとベータはご一緒じゃないんですか?」
 二人を通した鬼童は、その足元にいつもの可愛らしい毛玉が二つ、ついてきてないことに気がついた。
「あの子達には、続けて美奈ちゃん達を探して貰っているの。それより鬼童さん、大変なのよ」
 麗夢の真剣な眼差しに、鬼童も頭に浮かんだ(これで円光がいなければ完璧なのに・・・)、と言う思いを慌ててかき消した。
「こちらもちょっと面白いことを発見しましたよ」
 鬼童はあらかじめ用意して置いた和風のティーセットを運んでくると、二人に熱いお茶を淹れ、残りを自分専用の湯飲みについで席についた。
「さて、まずは大変って、一体どうしたんです? 麗夢さん」
「それが、私の力が弱くなっているの」
「麗夢さんの力?」
「そうだ。麗夢殿の、人の夢に入って超常の力を発揮する、あの力だ。拙僧は麗夢殿の気がここ数日著しく弱くなっていることに気づき、こうして同道して参った」
「そうそう! おかげで危ういところを助けて貰ったの。でも、今までこんな事なかったのに、どうしてなのか、鬼童さんなら何か判るかも知れないと思って・・・」
「うーん、もう少し詳しく教えてくれませんか? その、危ういところって、何です?」
 鬼童は、麗夢の危険を察知して助けることができる円光の能力に、いつもながらの軽い嫉妬を覚えた。麗夢はそんな鬼童の複雑な思いを知ってか知らずか、促されるままにさっきの危うかった夢魔退治の一件を詳しく話した。円光も、夢の外からの様子をできる限り詳しく説明し、その嫉妬心を煽りながらも、貴重なデータを鬼童に示した。
「・・・なるほど、で、確認しますけど、その夢魔が実は死夢羅級の大物が化けていた、とか、そう言うことはないんですね」
「うむ。外から見た限りでは、麗夢殿の力を掣肘するような結界も張られている様子はなかった」
「そうよ。私も夢に入るまでは、こんな雑魚すぐに片付けちゃおうと本気で思っていたんだから」
 鬼童は顎に手を当ててしばしの沈黙を保った。二人の期待の視線が集中する中、やがて鬼童はがたりとイスを引いて立ち上がった。
「とにかく一度検証してみましょう。麗夢さん」
「検証?」
「ええ。残念ながら僕にも今のところ漠然とした仮説以上の事は思いつきません。ですから、麗夢さんの力が本当に弱くなっているのか、弱くなっているとしたらどれくらい弱まっているのか、はっきり計測してみたいんですよ」
 麗夢と円光は、その「漠然とした仮説」だけでも聞きたいと思ったが、「速断は禁物です」と釘を差され、鬼童について睡眠実験室へ入った。
「この間は僕の夢に入って貰いましたが、今日は円光さんの夢にしましょう。万一のことがあっても、君なら大丈夫だな、円光さん」
「・・・心得た」
 『この間』の出来事を知らない円光は、腑に落ちない顔のまま、実験用リクライニングシートに収まった。隣のシートには麗夢が座り、手早く鬼童が、その頭にフレキシブルアームの先についた大きな筒状の装置をセットした。ちょっと見には昔の美容院を思わせる光景だが、もちろんこれはパーマをかけるための機械ではない。筒には液晶表示パネルと幾つかのLED、タッチパネル方式のキーボードが備わっており、何本ものケーブルがあちこちから生え、フレキシブルアームを伝わって計測機器類まで伸びている。夢の研究で大脳の状態を調べるために鬼童がアレンジした測定装置である。内部には百を超えるセンサーが設置され、近赤外線を照射して内部の血流を捉える装置や脳波計などにより、脳の活動領域を観察できる仕組みになっている。鬼童は慎重に麗夢の頭と装置のセッティングを調整すると、次に円光のものも入念に調整を施した。
「では始めて下さい」
 装置のセットと機器の調整が済んだところで、鬼童は二人に眠りに入るよう合図した。麗夢と円光はそっと目をつむり、夢の世界へと旅立っていった。
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7.高原の夢 その5

2007-11-11 07:56:25 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「今、このRNAが核から出てきただろう? これはRNAのなかでも特にメッセンジャーRNAと飛ばれているもので、DNAの設計図を読みに行く役割を持っている。そして、設計図の情報をリボゾームに持って行く。さあ、別の方向から違うRNAが来たぞ。これはトランスファーRNAと言って、材料を運ぶ運送業者みたいなものだ。ここで言う材料は、色んな種類のアミノ酸と言う物質だ。このアミノ酸をリボゾームに持ち込み、メッセンジャーRNAが読みとってきた設計図通りに組み立てると、色々な働きをするタンパク質が生まれる。例えば病気にかかったとするだろう? すると、遺伝子がそれに対抗するために動き出し、最終的に、身体に侵入してきた病原体をやっつけるタンパク質を作り出して体の中に放出する。よく言う免疫というのがそれだ」
「じゃあ、私たちが夢の中で自由に動き回ったりするのも、その、DNAの設計図に書いてあるからなの?」
 美奈が初めて口を挟むと、高原は美奈が思わずのけぞるほど喜びを全身で表して立ち上がった。
「そうだ! なかなか筋がいいぞ、君は。まさにその通り。我々のDNAには、夢を見るための設計図と共に、その中で自由に振る舞うための設計図も入っている。それこそが、私が発見したドリームガーディアン遺伝子、通称DGジーンだ。ただ、夢を見るだけの普通の人間と、我々夢を自由に出来る者のDGジーンは、塩基の構成が少し違う。薬を飲んだときに、人によって効果の高い人とあまり効かない人がいるだろう? それから、副作用も、強く出る人とあまり出ない人がいる。これは、それぞれ関係する遺伝子の構成が少しだけ異なっているからなんだ。専門的には遺伝的多型と呼ぶのだが、まあそれと同じで、我々と普通の人とでは、少しだけDGジーンに描かれた設計図の中身が違う。実は、我々同士でもほんの少しだけだが、違う部分がある。せいぜい塩基一個か二個の違いなんだが、その違いのおかげで、能力の差が生じていると考えられる。私の研究は、その遺伝的多型の相違を調べ、最強のドリームガーディアン遺伝子を構成する塩基の配列を探すことなんだ。それが判れば、後は遺伝子治療で全ての人に最強のDGジーンを持たせることが可能になる。そうなれば、全ての人が我々と同等、あるいはそれ以上のドリームガーディアン能力に目覚め、もはや夢魔など恐れるに足りないものに成り下がる、と言うわけだ」
 脳の次は遺伝子か・・・。美奈は、何でもそう割り切ってしまう高原の語り口に、どうしようもない違和感を覚えた。確かに、なるほどそうかなとも思う話だ。でも、心とか魂というのは、そんな単純に割り切れる事とは美奈にはどうしても思えなかった。それと夢魔の話はまだ出ていない。美奈は言った。
「お話は良く判りましたけど、私の初めの質問にはまだ答えて貰っていません。夢魔って何なんですか?」
 すると高原は、今にも大笑いしそうだった笑顔をすっと潜め、美奈を見つめて言った。
「実は、判らない」
 美奈は、危うくイスからずり落ちそうになった。が、高原はそんな美奈の様子を無視して、話を続けた。
「残念ながら正体は不明だ。私は何らかの電磁波の一種だと思っているが、それを証明したわけではない。ただ一つ判っているのは、夢魔がどうやって人に悪影響を及ぼすかと言うことだけだ」
 高原はまた人差し指を振った。すると今度は、人の模型が現れた。いかにも作り物めいた3Dの人形だ。高原はその頭の方を指さした。
「夢魔は、夢を媒介して人の脳に影響を与える。恐らく夢を見ているとき、脳の中で働いている遺伝子が、受容体という夢魔をキャッチするアンテナの様なものを生み出しているのだろう。私はその遺伝子を悪夢遺伝子、すなわちナイトメアジーン、通称NMジーンと呼んでいる。まだ、アンテナの方の特定までは進んでいないが、恐らくドーパミン系の受容体の一種だろうと見当を付けている」
 拳くらいの大きさをした黒い綿状の夢魔が、コミカルな表情を見せながら人形の頭に侵入した。
「夢魔の電磁波が脳内に達すると、NMジーンが活性化し、次々と興奮作用や鎮静作用を持つ化学物質を合成して放出していく。ほとんどは遺伝子を傷つけたり、細胞を自殺に追い込むような働きをする有害物質だ。レム睡眠が体温など身体の健康維持に重要な役割を果たしている事はさっき話したね。夢魔遺伝子は、その健康を維持する身体のシステムを狂わせてしまうんだ。その影響力はまさに強烈な放射線に匹敵する。放射線は体内の水に作用し、活性酸素という有害物質を大量に作り出して、人をガンにしたり免疫機能を弱めたりするんだが、夢魔も基本的には同じような振る舞いをする。そのため、夢魔に取り付かれた人は急激に健康を損ない、様々な合併症を併発して、ついに命を奪われると言うわけだ」
 頭の中の夢魔から、マンガの雷のようなものが次々と閃いた。すると、夢魔を中心に頭が赤く染まり、小刻みに震えだした。続けてその赤い信号が脊髄を通って全身へと伝わっていき、身体のあちこちが赤く腫れて、最後には全身が波に洗われる砂山のように、崩れてしまった。高原は満足そうに、驚いた美奈が口に手をやるのを見ていた。
「少し難しかったかも知れないが、大体判ってもらえたかね?」
 美奈は少し躊躇ってから口を開いた。
「でも、それなら夢魔の遺伝子だけ抑えたらいいんじゃないんですか?」
 すると高原は、にやっと笑みを漏らすと、美奈に言った。
「私もそれは考えている。だが、まだ夢魔遺伝子にはまだ良く判らない部分が多い。それに、DGジーンを活性化させる事で、NMジーンの活動を抑えられることは推測できる。だから、今はまず判っているDGジーンの研究を進めるのが一番早道なんだ・・・。さて、そろそろ時間だ。君にはどうやら素質があるから、もう少し勉強してもらいたいものだな。目を醒ましたら、幾つか初心者向けの本でも探してみよう。では、今日の講義はこれまで」
 高原がすっくと立ち上がった。途端に、美奈の視界がぼやけ、高原の夢から自分の夢に帰っていくのを美奈は感じ取った。美奈は、ほっと溜息をつきながら、高原の言葉に納得できないでいる自分を発見していた。
(それならなぜ真っ先に麗夢さんへ協力をお願いしないんだろう?)
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7.高原の夢 その4

2007-11-10 06:40:52 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 美奈は初めて高原の言葉に反発した。熱を帯びてきた高原の心に共振したのかも知れない。美奈自身は言い切ってから、はっとその言い過ぎを後悔したが、高原は心からうれしそうにその言葉を受け止めた。
「夢魔か! いい質問だ。我々の究極の目標のために、いずれ君にも理解して貰わねばならない事だからな。いい機会だからついでに話をしておこう。が、その前に一つ確かめておきたいことがある。君は、遺伝子についてどれだけ知っているかね?」
 遺伝子? そう言えば朝食を食べているときも、確かそんなことを言っていた。が、実のところその時、美奈にはそれが何のことか良く判らなかった。遺伝子組み替え食品などをちょっと聞きかじったことはあるが、それがなんなのか改めて問われるとちゃんと答えられないだろう。何か、ちょっと気持ち悪い、良くないことのように思えるぐらいだ。するとまたも高原は美奈の思考を読みとったのか、あからさまに顔をしかめて美奈に言った。
「ほとんど知らないようだな。『メンデルの法則』も聞いたことはないかね?」
 美奈は首を横に振った。
「全く、中学生が『メンデルの法則』も知らないとはな。国の教育方針がいかに誤っているかという見事な証明だな・・・。しかし、困ったな。遺伝子を知らない人間にどうやって説明しようか・・・」
 高原は少し頭をひねっていたが、やがて右手人差し指で目の前の空中を指さした。途端にその空間に、直径六〇センチはありそうな白い球体が現れた。球はゆっくり回転しながら次第に透明度を増し、その中心に赤、青、黄色など原色鮮やかな梯子を浮かべて見せた。梯子は奇妙に捻れており、良く見ると梯子の段に当たる横棒が、中央からきれいに色分けされている。ちょうど左右から二色の棒を継ぎ足したような形だ。色は四色使われているが、まだ美奈は、赤と黄色、青と緑が一対になっていて、それぞれがけして交じり合ったりしないと言うことまでは気づかなかった。それよりも、荘重な室内にプラスチックで出来たようなけばけばしい3D模型がくるくる回りながら浮かぶ様が、見るからに不自然に見えた。
「これがDNAだ。日本語で言うとデオキシリボ核酸というんだが、今時わざわざそんな名前で呼ぶ者はいない。で、これが何かというと、一口に言うと、生物の設計図と考えるといい。二つの捻れた柱の間に、梯子のように連なったものがあるだろう? 分かりやすいように色分けしたが、これらが、アデニン、チミン、グアニン、シトシンという塩基と呼ばれる物質で、設計図を内包した暗号の役割を果たしている。それぞれが特異的な組み合わせや繰り返しを構成することで、たくさんの複雑な性質を表しているんだ。その数は、人ならざっと二万種類ある」
 高原は指を軽く払って、DNAの模型映像を消した。次に現れたのは、巨大な四角いワラビ餅のような姿をした、細胞の模型だった。中に球状のものや細かい粒状のものなどが浮いている。
「遺伝子は、染色体というものの中に収まっている。染色体は、この細胞核の中にある」
 高原が、ワラビ餅の中央付近に浮かぶ大きな球を指さした。
「遺伝子が設計図だと言うことをこの模型で少し説明しよう。地球上の生物の身体は、こんな風な細胞で構成されている。細胞は生きていくために色々な仕事をしているのだが、例えばこのワラジ虫みたいなのはミトコンドリアだ。これは、言ってみれば発電所のようなものだ。細胞、ひいては生物が生きていくために必要なエネルギーを、酸素をつかって生み出すのが役目だ。このミトコンドリアというのは面白い器官で、実はもともと生物に備わった器官ではなく、何億年も昔に寄生した、全く別種の生き物だった。こいつに寄生されたおかげで、我々生物は酸素を利用して莫大なエネルギーを使うことが出来るようになり、今日の繁栄を築いたわけだ。同じ様な役割を持つものに、植物が持つ葉緑体がある。葉緑体は光のエネルギーを利用して、水と二酸化炭素から栄養素の炭水化物を作り出すものだ。こっちの小さな粒子は、リボゾームという。これは細胞の工場と考えてくれ。例えば病気の元が入ってきたとき、それに対抗する免疫物質などを合成する場所だ。この細いのはRNAというヌクレオチドだ。DNAとよく似ており、やはり四種類の塩基で出来ている。DNAと違うのは、チミンの変わりにウラシルという塩基が入っていることと、DNAがさっきの梯子のように二本絡み合って、いわゆる二重螺旋構造で出来ているのに対し、基本的にRNAは一本で出来ていることだ」
 高原は時々美奈が話に付いてきているか確かめるように視線を送りながら、更に講義を進めた。
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7.高原の夢 その3

2007-11-09 05:10:47 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
「ええと、そうだな、君にはまだ私の実験の目的を、ちゃんと話してなかったから、その話でもしよう。君は、夢とは何だと思う? もちろん今見ているこの夢のことだが」
「夢、ですか?」
 美奈は以前麗夢達とおしゃべりしたときのことを思い出した。
「良く判りませんけど、きっと生きていくのにとても大事な役割があるんだと思います」
 すると高原は、ふふん、と軽く鼻で笑って、美奈に言った。
「例えば?」
 あまりに早く返されて、美奈はまた考えに沈んだ。
「例えば・・・、えーと、例えば、記憶の整理とか・・・」
「模範的解答だな。それは君の考えかね?」
「い、いえ。麗夢さんから教えて貰って、そうなのかな、と思って・・・」
 すると高原は、再び微かに嘲りの色を浮かべて微笑んだ。
「なるほど、な。まあいい。確かに睡眠、特にレム睡眠には記憶の強化という側面があることは証明されている。だが、レム睡眠と夢とは違う。その事は知っているかね?」
 美奈はきょとん、として首を横に振った。
「レム睡眠って、夢を見るときに起きるんじゃなかったんですか?」
「違うな。REM睡眠は、睡眠中に脳のある特定の部分が活性化する現象だ。今言った記憶の強化や、恒温動物が体温を保つなどの体の機能維持に重要な役割を果たしている。恐らく、消耗した維持機能をリセットし、目覚めた後再びちゃんと活動できるようにするためなのだろう。だが、夢は別にREM睡眠でなくても見ることは普通にある。REM睡眠中に多いのは事実だが、それを考慮しても、夢が重要だと言うのは間違いだ」
「間違い、ですか」
「そうだ。夢というのは、睡眠中に活性化する脳の中で生じる、一種の幻覚に過ぎない」
「幻覚・・・」
「頭の中だけで繰り広げられる、脈絡のない架空の物語。誤解を恐れずに言うなら、人は毎夜生命維持のために働く脳によって、一時的に正気を失う。一種の副作用のようなもので、それ自体に大した意味はないと言うのが、私の夢の解釈だ」
 高原の断定に、美奈は反発を覚えた。では、この夢はどうなのか。脈絡が無いどころか、ちゃんと筋道立ててこうして話をしているではないか。高原は、再びふふん、と笑みを漏らすと、美奈の考えを読みとったように話を続けた。
「普通、人は夢の中でそれを夢と気づくことはない。どんなに突拍子のないことが起きても、例えば登場人物が入れ替わったり、全然違う場所なのに、それが自分の良く知っている場所だと誤解したり、はたまた道具も無しに空を飛んでみたり、とんでもない怪物に襲われてみたり。数え上げればきりがないほどだが、そんなファンタジックな状態に置かれているのに、夢の中で人はまず間違いなくそれが夢だと気づくことはない。それは判るね?」
 美奈はこくりと頷いた。自分が覗いてきた数々の夢で、美奈の存在に気づいたのはこれまでただ二人がいるに過ぎない。目の前の男と、麗夢だけである。高原は指を解いて、おでこを指さしながら言った。
「何故そうなるのか。難しいことを言い出せばきりがないが、要するに夢を見ている時は、理性的に判断したり、おかしいぞ? と感じる脳の部分、例えば前頭前野背外側部などの活動が低下する一方で、感情や感覚の部分、例えば大脳辺縁系などの活動が高まる。だから、とんでもない非現実的な世界を、非常にリアルに感じて疑うこともできないわけだ」
「でも、私や麗夢さんは違う・・・」
「そうだ。私や君たち、さっきの二人もそうだが、我々は普通の人達と違い、これが夢であることを理解し、こうして自由に思考し、理性的にふるまうことが出来る。これは、大脳辺縁系が活発化すると同時に、前頭前野背外側部も活動を停止することなく、動いていると言うことだ。今、計測している君の脳も、ちゃんとその通り記録されているはずだ。ただ、夢の中で、それが夢だ、と理性的に判断し、自由に行動する能力は、普通の人間でも訓練次第で身につけることが出来る。対して我々は、更に他人の夢に入って、その中で自由に振る舞うという特殊な能力を持っている点が特殊な訳だ。今、まさにその能力を発揮している君の脳を計測しているんだよ。既に私自身の夢見時の脳活動域は計測済みだから、目覚めの後、君と私のデータを比較し、共通に活性化している部位を探り当てることで、我々が他人の夢に入るとき、脳のどの部分が働いているのかが解ける訳だ」
 高原は再びテーブルにひじをついて指を組んだ。美奈は難しい理屈はさておいて、とにかく目の前の科学者が、互いの夢を見ているときの頭の中の状態を比べたいと思っていることは理解した。そして、それが自分達の持つ特別な力の源に繋がる、と言うことも。ただ美奈にとって腑に落ちないのは、高原がそんな能力を全て脳の問題だと考えている点だった。もっと魂というか、心の問題というのは関係ないのだろうか? すると、高原は言った。
「君は心と脳は別のものだと考えているのかね? まあ君はまだ中学生だからそう考えるのも無理はないが、もしそう信じているのなら認識を改めたまえ。我々の思考、感情、自分が自分であるという認識、これらいわゆる心を構成するものは、全てこの頭の中にある。大脳を構成する一千億のニューロン細胞とそのネットワークにあるんだ」
「じゃ、じゃあ夢魔って何なんです? 夢魔の女王って、どうやって私や麗夢さんを襲ってきたんですか」
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7.高原の夢 その2

2007-11-08 00:39:18 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 美奈は、さっきと打って変わって、驚くほどスムーズに夢の世界に降り立つことが出来た。
(あのおじさんの夢は・・・)
 美奈は、まだ形をなさない自分の夢空間で、出口を求めて左右を見回した。普段なら、あちこちに出口に当たる穴や扉が浮かび、美奈の到来を誘っているはずだ。ところが今は、それがたった一つの扉しか見つけることが出来なかった。まるで門のように頑丈そうな、観音開きの分厚い扉である。そういえば半年前に初めてこの男の夢を見たときも、欧州の教会の入り口のように、古色蒼然とした扉の装飾に好奇心を刺激されたのがきっかけだった。この男に目をつけられたきっかけを思い出して軽く息をつくと、美奈は思い切ってその凝った作りの取っ手に手をかけた。扉は、その外観からすれば思いの外軽く、禁断の入り口を開けた。
(こ、この夢は!)
 美奈は、扉を開けたことを心底後悔した。あの、忌まわしき悪夢が再び目の前に現れたからだ。暗く、じめじめした地下牢のような空間。左側に、危険な光を跳ねる長大な鎌を携えた、黒づくめの男。シルクハットからはみ出した銀髪。人を射るように突き出した鷲鼻。醜悪な頭蓋骨を露出する半面と、闇の瞳孔に宿る妖しの光。その影の如き死神の前に据えられた、跪く一人の女性。すらりとした白く輝く背中に、濡れたような漆黒の髪をはらりと打ちかけ、ただ黙って頭を垂れている。右側には、無音の絶叫を止むことなく上げ続けている男、高原の姿がある。西洋鎧のようないでたちで、死神につかみかかろうと両手を前に伸ばしながら固まっている。ただ、顔に溢れる脂汗と、両目に溢れる熱い涙だけは止めどなく流れ落ち、宙に浮いた高原の足下に水たまりを生み出していた。
 やがて、死神が鎌を大きく振り上げ、黒髪の女性目がけて無造作に振り下ろした。鮮やかな赤が鮮烈な彩りを地下牢に描き出し、女の頭が、白い顔と黒い髪を交互に見せつけながら、くるくると高原の足元まで転がり落ちた。
「キャーッ!」
 美奈は思わず声を振り絞って悲鳴を上げた。途端に地下牢は弾けるように消え、驚いたことに、瞬きする間もなく、空間が暖かな西洋風の居間へと変化した。
「今度は随分早かったな」
 高原は、いつの間にか王侯貴族がまとうような豪奢なローブに身を包み、暖炉の前に置かれた革張りのアンティークなソファに身を沈めていた。煉瓦造りの暖炉から漏れる炎の明かりを受けて、半身が赤く染まっている。
「こっちに来たまえ」 
 高原は立ち上がると、手前のテーブルに美奈を招いた。綿密に彫刻を施した大きなテーブルには花差しと燭台が置かれ、それぞれ数輪の可憐なコスモスと、大きな蝋燭が立てられている。一歩踏み出して毛並みの深い絨毯に気づいた美奈は、目の端に入った姿見に映る自分の姿の場違いぶりに赤面した。美奈は、朝から着ているただのパジャマ姿だったのである。
「そうだった、女の子はやはりそれらしくしないとな」
 高原が呟いた途端、美奈の衣装が一瞬にして水色の半袖パジャマから今まで着たこともないあでやかなピンクのドレスに変化した。レースがふんだんに使われたフレアスカートと、大胆に肩を露出し、肘まである手袋を付けたデザインが、愛らしくもちょっと小悪魔的な雰囲気を醸し出す外観である。
「さあ」
 高原はきちんと美奈の後ろに付いてイスを引き、美奈に座るよう促した。
「あ、ありがとう・・・」
 戸惑いを隠せない美奈が椅子に納まると、高原は対面になる奥のイスに移動しながら美奈に言った。
「何か飲むかね?」
 美奈は、まださっきの光景が目に焼き付いていて、それどころではなかった。素早く首を横に振った美奈は、震える口で辛うじて声を出した。
「あ、あの、さっきの夢、あれは・・・」
 すると、高原はそのままイスに座り、両肘をテーブルに付けて、手で顎を支えながら美奈に言った。
「ああ、さっきは済まなかった。驚かすつもりはなかったんだがね。私の夢の日課だよ」
「夢の日課?」
「ああ、ああして夢を見るときにはいつも再現するようにしているんだ。あの忌まわしい記憶を、怒りと恨みをけして忘れてしまわないようにするためにね」
 忘れないために自分で見ている? 美奈は絶句して言葉を出すことが出来なかった。あんな夢をわざわざ自分から見ているというのか。もし自分だったら、一晩見ただけで二度と眠りたくなくなるだろう。だが、高原はそんな美奈の驚愕を無視して、話を続けた。
「さて、外では計測器が勝手にデータを取ってくれているから、取りあえずやることはここではない。実験のため君をこの夢に招待はしたが、さて、何をしたものかな?」
 美奈は席についたものの、まだ動悸が収まらないまま、慣れない雰囲気に居心地の悪い思いを募らせていた。できるならいっそのこと早く目を醒ましたい。そんなことを考え始めたとき、慌てたように高原が言った。
「待ちたまえ。今夢から覚めてもらっては折角のデータを取り損ねる。もう少しここにいてくれ」
 美奈は、意外な思いで高原を見た。常に上からの視線で威風堂々と美奈に対していた高原が、口調はともかく美奈にお願いをしたのだ。美奈は浮きかけたお尻を今一度ゆっくりとイスに沈めた。ようやくさっきの衝撃が和らぎ、美奈はまともに高原の顔を見ることが出来るようになった。
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7.高原の夢 その1

2007-11-06 20:43:27 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 その日から早速実験が始まった。とは言っても、美奈がやることは、ただ眠って夢を見ること、そして、夢見中に外へ出るように努力するという、いつもやっていることの再現だけだった。ただし、眠る場所は睡眠実験室、と名前の付いている部屋にしつらえられたベットであり、中央に頭がすっぽり入るほどの穴が空いた、人の背丈ほどもある巨大な四角い装置に頭だけ差し込むように寝かされるのが普段と違う点である。更に、頭が動かないようにプラスチックの拘束具で鼻の上からしっかり固定された上、右腕に点滴の針を入れられるのも、もちろん普段の眠りとはまるで違う条件である。装置の名前は陽電子放出型断層撮影装置、通称PETと言われる身体内部のイメージング装置である。腕の静脈から入れられた、放射性物質で標識を付けたブドウ糖の動きをこの装置で追いかける仕組みになっている。脳は特にブドウ糖の消費が多い器官であるが、消費が盛んなところにこの標識付きのブドウ糖が集まり、その箇所が現在活発に活動していることを教えてくれる。つまり、夢見中に活発に活動している脳の領域を、この装置は手に取るように示してくれるのである。
 実験開始前、その様に高原から説明を受けた美奈だったが、この装置を使って夢を見ているときの脳の状態を計る、という目的以外、残念ながら機械のことは理解できなかった。 また、あるときは違う装置のベットに身体を横たえることもあった。
 これはさっきのPETよりもさらに巨大な装置で、同じように身体が入るくらいの穴が中央に空いている。機能的磁気共鳴断層撮影装置、通称fーMRIと言うこの機械は、強力な磁場を発生させ、脳内の水素分子に影響を与えて、その変化の様子で内部の活動を計測する装置である。高原の研究所の装置はドイツ製の最新機種で、三ステラという世界最高水準の磁場を発生させ、一ミリ単位で脳を測定し、画像化することができるそうだ。
 これについても美奈には理解を絶する説明がしばし繰り返された後、困惑する美奈をベットに縛り付けて、およそ一時間程度かかった。更に通常の脳波測定や睡眠中の各種身体機能測定なども合わせ、それが終わる頃には、すっかりお昼を回っていた。
「良し、これぐらいにしよう」
 美奈は、ようやく終わった各種実験に、ほっと安堵の溜息をついた。美奈はただ眠っているだけで何をすると言うわけでもなかったのだが、やはりこのような普通ではない雰囲気の中で眠るというのはただならぬ緊張と疲労を覚えさせるものがあった。対する高原は、そんな美奈の心情など気づかぬそぶりで、難しい顔つきでベットから降りた美奈に言った。
「まだかなり緊張が残っているようだな。君ほどの力があれば眠るのも起きるのも自在にコントロールできると思うのだが、これまでのところ、測定中に感知出来た睡眠は、ごくわずかしかなかった」
「・・・ごめんなさい」
 咎めるような口調に、美奈は思わず返事してしまった。すると高原は、口調はそのままに美奈に言った。
「いや、謝るようなことではない。まあいきなりこんなところに連れてこられて慣れない生活をしているのだ。これからは、もう少し夢が見やすくなるよう考慮しよう。さあ、来たまえ」
 謝ることではない、とは言うものの、美奈はどうしても引け目を覚えずにはいられなかった。
 翌日、美奈は再び睡眠実験室に入った。
「もう一度同じ実験を繰り返そう。ただし、夢を見やすくするため、ちょっとだけ薬を使わせて貰うよ」
 高原は、点滴パックに小さな注射器で何かの液体を注入しながら美奈に言った。
「これは、アセチルコリンという化学物質の分解酵素の働きを阻害する薬品だ。これで脳のケミカルバランスを調整し、レム睡眠を誘発する。本当は薬に頼らないで君の能力を見てみたかったのだがね。後でひょっとしたら気分が憂鬱になるかも知れないが、それ以外の副作用は無いので安心しなさい」
 憂鬱というなら今も充分憂鬱なのだが、と思いながらも、美奈は従順に頷いて見せた。高原の言う薬品の名前や作用など、聞いてもほとんど理解できないから、美奈としては頷くしかない。こうして注入を終えた高原は、少し離れたところにあるリクライニング・シートに納まり、美奈に言った。
「やはり対象があった方がやりやすいだろう。私の夢に入ってくれたまえ」
 高原は、たくさんのケーブルが繋がったフルフェイスタイプのヘルメットのような機械をかぶり、シートに横たわった。美奈は少し慌てたが、どうやら機械はプログラム済みで勝手に動くらしい。美奈は一つ小さく溜息をつくと、午前中同様身体を固定されたまま眠りについた。
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6.異変 その3

2007-11-04 23:04:38 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 アルファ、ベータの励ましの顔が浮かぶ。美奈、夢見小僧、ハンスの失われた笑顔が目の前に浮かんでくる。榊の、哀魅の、鬼童の顔が浮かんでは消える。そして剃髪美形の僧侶の姿、円光の像が目の前に浮かんだ。幽かにその声も聞こえてくるようだ。最後の瞬間に円光さんの声が聞こえるなんて・・・。鬼童さんに言ったら何て言うかしら・・・。麗夢は意識を失いつつも、そんな空想に口元をほころばせた。
『麗夢殿! お気を確かに! 今、拙僧がお助けいたしますぞ!』
 ふふ、まだ聞こえる。本当に円光さんったら・・・。
『麗夢殿! しっかりなされよ!』
 ふっと麗夢は閉じかけた目を見開いた。夢魔の握力が随分弱く感じられる。そして、耳に届く独特の節回し。それは、円光が唱える般若心経の一節ではないか。一節ごとに強烈な念が込められた円光の読経は、夢魔の動きを抑え込み、麗夢に新たな力を注ぎ込んだ。
「円光さん!」
『おお、お気をつかれましたな! さあ、拙僧が抑えている内に早くこの夢魔を退治なされよ!』
「ありがとう!」
 麗夢はやっとの思いでのっぺらぼうの手から逃れ出ると、はね飛ばされた剣まで走り、その柄を取った。
 重い。
 いつになく愛用の剣が重く感じられる。恐らく耐えられるのは一撃だろう。麗夢は円光の送ってくる念を受け止め、残る気力を振り絞って、剣に力を注ぎ込んだ。
「行くわよ!」
 腰ダメに剣を構えた麗夢は、力の限り夢魔に駆け寄った。夢魔は振り返ろうともがいたが、外からくわえられる呪縛が強烈で、身じろぎ一つできないでいる。その胴体に、麗夢はありったけの力を込めて剣を突き込んだ。同時に円光の不動明王真言が高らかに夢へ鳴り響き、劇的に高まった法力が、麗夢を通じて夢魔に注ぎ込まれた。
「ぎゃあぁあっ!」
 見えない口から断末魔の悲鳴が上がり、夢魔は瞬く間に爆裂して夢から消えた。麗夢はまた急に重くなった剣を杖代わりにやっとの思いで立つと、ようやくその夢から抜け出した。
 
 夢から覚めた麗夢は、起きあがろうとして全身を襲う痛みに思わず固まった。体中が冷や汗と脂汗にまみれて寒気に震え、節々が猛烈に痛む。特に胸を襲う苦痛は、ひょっとしたらあばらにヒビでも入っているかも知れないと思われた。
「大事ないか、麗夢殿!」
 倒れそうになる麗夢の背中を、大きな手がふわりと支えた。途端に掌から暖かな安らぎを覚える気が伝わり、麗夢の苦痛を和らげた。
「・・・大丈夫よ、円光さん。ありがとう」
 麗夢はまだ気遣わしげに手を添える円光に礼を言うと、その手を頼りにようやくの思いで立ち上がった。喜びのあまりしきりに礼を述べるクライアントに別れを告げた麗夢は、円光を助手席に乗せ、何とか運転席でハンドルを握りしめた。
 いつもなら思い切りよく吹かすエンジンを、控えめにアクセルを踏んで軽く動かす。そのままそっとクラッチを繋いだ麗夢は、震動を少しでも抑えられるように、恐る恐る車を幹線道路に向けて走らせた。
「それにしても、良くここが判ったわね、円光さん」
 どうやら思ったほど身体は痛んでないらしい。あるいは、円光の法力が怪我の治癒スピードを加速させたのか。いずれにせよ夢から抜け出たときよりは遙かに元気を取り戻した麗夢は、豊かな髪を靡かせながら隣の円光に話しかけた。円光は少し小難しげな表情で、麗夢に言った。
「四、五日前より麗夢殿の気がことのほか小さく感じられるようになり、もしや何かと案じており申した。だが、本当に間に合って良かった」
「ええ、今日は助かったわ。雑魚相手だと油断しちゃった。私もまだまだね」
 笑顔で自分の頭に拳をこつん、と当てる麗夢に、円光は表情を崩さぬまま、麗夢に言った。
「それなんだが麗夢殿、どうしてあれくらいの夢魔に苦戦されたのだ? あれなら拙僧でも外からの念で難なく調伏できる程度の夢魔だ。麗夢殿ならもっと簡単に倒して不思議はない。それにその身体。夢魔の攻撃が肉体にも影響を及ぼすなんて、これまでの麗夢殿にはなかったはず。一体何があったのだ?」
「え? じゃやっぱりさっきの夢魔、大したことなかったの?」
「油断は禁物、というのは大事だが、それでも手こずる相手ではないと存ずるが・・・」
 円光の疑問は、麗夢のそれでもあった。確かに腑に落ちないことが多すぎる。夢魔の強弱はともかく、妙に夢の中で体が重かったし、衝撃ももろに全身に響いた。しかも、今まで夢の中ならどんなひどい目に遭おうともけしてくじけたりはしなかったのに、今日に限って危うく弱気になってやられるところだった。全く、円光の到着があと三〇秒遅れていたら、麗夢はこの世の人ではなくなっていたかも知れない。本当に円光にはいくら感謝してもしたらないと思う麗夢であった。だが、普段の調子ならけして円光の手を煩わすことなく、最初の一撃で決めることができたはずだ。それがどうしてあんな苦戦になってしまったのか。その上悪夢の影響が実際の体にも響いてくるなんて。ただ、どうやらそれは今急に始まったわけではなく、円光の言葉を借りれば、ここ数日で少しずつ進行していた事のようだ。麗夢は今日の戦闘を振り返って、考えざるを得ない事実に向き合った。
「私にも何故か判らないけど、どうやらドリームガーディアンの力が弱くなっているらしいわ」
「麗夢殿の力が?」
「とにかく鬼童さんのところに行ってみましょう。鬼童さんなら、この異変の原因について、何か判るかも知れない」
「鬼童殿、か。では、拙僧もお供しよう」
 円光は少し眉を顰めたが、確かにこういうときには鬼童の方が頼りになる。何といっても、自分には麗夢の気が弱くなっているのは判るが、それが何らかの邪気によるものならともかく、そうとは見えない以上原因までは判らない。対して鬼童なら、科学とやらの力でその辺りに何か自分には判らない物を見つけだすかも知れない。円光は間一髪で麗夢を助けることができたことに満足し、恋敵の力に素直に頼る気持ちを奮い起こした。
「ありがとう。円光さんにいてもらえると心強いわ。じゃあ、飛ばすわよ!」
 麗夢の一言に、円光も会心の笑みを浮かべた。自分も麗夢の役に立っている。そう思うことが、円光には何よりも貴重な喜びを生み出すのだ。
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6.異変 その2

2007-11-02 23:45:28 | 麗夢小説『ドリームジェノミクス』
 何とも腑に落ちない鬼童実験室での出来事から一週間。相変わらず麗夢とアルファ、ベータは美奈達の足取りを追って手を尽くしていたが、これと言って芳しい成果も出ないまま日を過ごしていた。もちろんもう一度夢から探索する手も考えはしたが、どうも麗夢の脳裏に転がり落ちた鬼童の首が引っかかり、その手を使うことを躊躇わせた。
 それにしてもあれは一体何だったんだろう? 翌日、改めて連絡を取ったときも、別にいつもと変わりない快活な声が返って来るばかり。少なくとも、確かに本人が言うとおり、鬼童には死夢羅の痕跡は微塵も残っていなかった。だが、あの強さと残忍な手口。あれは間違いなく死夢羅としか思えないものだ。結局、どんな方法を使ったのかすら判らないが、自分が一種の幻覚で翻弄されたのは確かなようだった。何故ただあざけるだけで鬼童を殺すこともなく立ち去るのか。死夢羅の狙いも、そして美奈達の居場所も、結局未だ判らずじまいなのだ。
 どうも手詰まりになりつつある状況ではあったが、日々の営みは変わらず続けなくてはいけない。今日は別件の仕事で、ある富豪から夢魔退治を依頼されていた。美奈達の行方は気にかかるが、その仕事もほうっておけない。
「じゃあ行って来るわ。アルファ、ベータ、美奈ちゃん達をお願いね」
 麗夢はその日、夢魔退治にもっとも頼りになるパートナーを残していった。常人のクライアントからすれば、それは恐ろしい相手には違いないが、相談内容を吟味するに、どうやら大した相手ではなさそうに判断されたからだ。夢に入ればそれこそ一撃でけりが付く、そんな下級夢魔らしい。それなら、膠着状態にある人捜しへ充分に人手ならぬ猫の目犬の鼻をかけるのは当然なように麗夢には思えた。
 その思いは、指定された郊外の別荘まで愛車を走らせ、豪徳寺氏より紹介を受けたそのクライアントの夢に入った瞬間まで、微塵も揺らぐことはなかった。
(あれ?)
 麗夢は、いつになく重い体にふと違和感を覚えた。夢魔の女王との一戦以来ダイエットなどしていない麗夢だったが、このところの失踪事件に奔走して、「太る」などという暇はなかったはずだ。いや、ここが夢の中である以上、現実の体重はまず関係ない。とすれば一体この「重さ」は何なのだろうか? ええい、ここはさくっと片付けて、早く東京に戻らなくちゃ。麗夢は身にまとわりつく違和感をかなぐり捨てるように、夢魔を求めて夢の中を降りていった。
 敵は、程なく麗夢の視界に入った。身の丈五メートルはありそうな巨大な白いのっぺらぼうが、クライアントである富豪の老人を踏みつぶそうとして追い回している。麗夢は焦りに促されるかのように、その場で直ちに夢の戦士へと変身した。
 たちまち悪夢を白色に染める光が天から降り注いだのを見て、のっぺらぼうと老人が上空を見上げた。そして、やがて薄れゆく光の中からにじむように躍り出た、妖艶な一人の戦士に息を呑んだ。腰まで届く豊かな碧の黒髪を軽やかにはためかせながら、際どいビキニスタイルに身を包んだ少女が文字通りまっ逆さまに落ちて来る。手にする剣が青白い光を刀身に宿らせ、のっぺらぼうの脳天に振り下ろされた。
「きゃあ!」
 思いの外強い衝撃が、剣から腕に伝わってきた。と同時に、麗夢の身体がはじかれるように地面へ堕ちた。
「あいたたた、もう、なんて固い頭してるのよ!」
 全く受身すらままならず、したたかに打ったお尻に手をやりながら、何とか麗夢は立ち上がった。そこへ、ぶぅん! と風切る音を奏でつつ、夢魔の腕が横殴りに麗夢を襲った。麗夢は咄嗟に剣を立ててその平手を受け止めたが、強烈な衝撃を覚えたと思う間もなく吹っ飛ばされた。腕のしびれが抜けないまま受けた一発の張り手に、頼みの剣が弾け飛んだ。麗夢は肺から一切の空気を強制的に吐き出すほどに背中を打ち、そのままゴロゴロと転がってうつ伏せに倒れ込んだ。
(っつ! い、一体どうなっているの? 全然力が出ない・・・)
 ぜいぜいと苦しい息を切らせながら、麗夢は何とか上体を起こした。が、夢魔は麗夢の回復を待ってはくれなかった。夢魔は、今度はその巨大な手で麗夢の身体を鷲掴みにして、空中高く持ち上げたのである。
「くっ は、放して!」
 夢魔の強烈な握力に、麗夢は息もできずにうめいた。いくら力を入れても全く歯が立たない。全身の骨がきしみを上げて、今にも握りつぶされてしまいそうだ。
(こ、このままじゃやられちゃう・・・。逃げなきゃ)
 麗夢は一旦退却することを決意した。原因は分からないが、とにかくまるで歯が立たない。一人でも楽勝だと思い上がっていた自分が本当に情けなくなってくる。こんな強力な夢魔だと判っていたなら、アルファとベータを置いてきたりはしなかっただろうに・・・。麗夢は夢から抜け出るべく、意識を集中した。だが・・・
「ど、どうして脱出できないの? 一体どうなっているのよ!」 
 途端に夢魔の握力が一段と増し、麗夢は、あぁっと小さく悲鳴を上げた。次第に視界がぼやけ、意識も曖昧になっていく。
「・・・も、もう駄目・・・」

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