かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

JR西日本桜井線の畝傍駅なんて読めるヒトも少なそうなローカル駅ですが、かつては天皇陛下御用達の由緒ある駅だったのが驚きです

2024-08-22 20:11:22 | Weblog
 今朝の奈良市の最低気温は26.2℃、昼の最高気温は37.5℃、五條市の今朝の最低気温は23.8℃、昼の最高気温は37.1℃でした。今日は朝からよく晴れて、久しぶりに群青色の真夏の青空を仰ぎました。朝のうちは雲がほとんど無く、苛烈な日射が降り注いでこれも久しぶりに発熱温度まで気温が上昇しましたが、午後には雄大な入道雲が湧き上がり、各地で短時間ながら強烈な豪雨が降り注ぎました。その雨が降ったところはたちまち空気も冷えて過ごしやすくなったでしょうが、残念ながら私の住居周辺はその雨の範囲からわずかにズレており、一発落雷の衝撃音が鳴り響いてバラバラバラっと大粒の雨が落ちてくる音がほんの数十秒耳にしただけで終わりました。全く蒸し暑さを増しただけ、これなら降らないほうがまだマシだったという困った夕立でした。天気予報では明日も同じ様に暑い一日になりそうという予報ですが、その後は土曜日が曇り、日曜日以降はずっと雨の予報になっています。台風10号接近に伴い空気が不安定になってくる模様ですが、最短27日火曜日に届くかもしれない台風10号が果たしてどちらに向かってくるか、現時点での27日の予報円は、西が高知の西端足摺岬、東が伊豆半島の東側とざっと直径600キロにも及ぶ大きなものになっているので、もうちょっと近づいてこないと絞りきれないでしょう。ただ、我が紀伊半島が中心線上にあるのがなんとも不気味ではあります。他所の地域のヒトには申し訳ないですが、西か東、できればなるべく東の方へ進路がズレて行ってくれることを望みたいです。

 さて、昭和15年の建国2600年記念式典で建築された、JR西日本の畝傍駅について、地元橿原市が、JRによる建て替え検討に対してを覆し、駅舎の保存と民間活用を目指すとして、事業案の提案受け入れをはじめました。元々JR から橿原市へ無償提供の打診があったそうですが、コロナ禍の影響で断念していた経緯がありました。それを亀田忠彦市長が「なんとしても残したい」と強い意向を示し、今回の提案募集となったとのことです。畝傍駅は今見ると妙に間口が広いものの全体像としては単なる田舎の無人駅でしか無く、ここを通る桜井線(愛称は万葉まほろば線)は全線単線で電化されているが不思議なくらいのローカル線でしかありませんが、この畝傍駅には、建設当時設営された皇室の方々が休憩される貴賓室が今も当時のまま残されており、上皇陛下ご夫妻も皇太子時代に利用されたことがあります。維持費に年間2億円もかかるそうで、一時はやっぱり取り壊して貴賓室に似せた施設を作っておこうというような、聞く人が聞いたら目をむくような計画が立てられたこともあったそうですが、市長の熱意が保存・活用の方向へ舵を切らせたという感じです。
 畝傍駅は青春18切符で旅立つ時によく使いました。これで奈良まで行って関西本線で名古屋に出るか京都に出るか、時に応じて使い分けていましたが、早朝5時すぎ、いかにも旅立ちの時という雰囲気が醸し出される田舎の駅の風情は悪くなかったです。もっとも無人駅なので、本来なら駅の改札で切符に捺印してもらうのを電車に乗ってから車掌さんの手すきを狙いお願いして捺して貰わねばならなかったり、それを逃して京都駅などで頭を下げつつ捺してもらったり下のは、今となっては良い思い出ですね。その駅舎が保存されるというのなら、かつてよく利用した橿原市民として賛成したいです。
コメント (1)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 東海道新幹線や山手線を小一... | トップ | あとからパイプに通すのなら... »
最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (HIde -ハイド-)
2024-08-23 07:55:30
畝傍と聞くと、日清戦争直前に行方不明になった
防護巡洋艦を思い浮かべました(^^
奈良県の畝傍山から取られていることを初めて知りました(^^;
返信する

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事