今日は阪神中日戦、お昼にやっていたのですね。たまたま行きつけの床屋に散髪に行きましたら、控え席備え付けのテレビでゲーム中継を映しておりました。残念ながら阪神負けてしまったようですが、ひょっとしたらコレは、野球の神様が今年最大のドラマを用意するために、今日の敗北を演出されたのかもと妄想してみました。どうやら明日は雨らしいですから、多分明日のゲームは中止になり、その試合が公式日程の最終日に移動いたします。そして、来週から中日に異変が生じて負けが込み、阪神がまた死力を尽くして残りの試合を全勝して、最期の直接対決で勝った方が優勝、という文字通りの天王山を迎えるのです。その時の中日の先発はもちろんノーヒットノーランをやられた山本昌! 3度目の正直でついに雪辱を果たすか、それとも2度ある事は3度あって結局返り討ちにされるのか、などという試合にでもなれば、これはもう野球ファンならずとも固唾を呑んでこのゲームを見守るに違いありません。まあ明日雨が降らなかったりしたらそれまでの妄想ですし、雨になったとしても、興業成績のためだけに八百長なんてあった日には本末転倒もいいところなのですけど、エンターテイメントとしてはそれくらいの演出はして欲しいと思わないでもないですね。
岐阜県の裏金作り事件をはじめとして公務員の不祥事が連日マスコミをにぎわせておりますが、それ自体は悪い事でもないと思うのですが、どうも財政再建のために公務員給与に大なたをふるいたい政府側の情報操作に、マスコミがしっぽを振っているのではあるまいか、という疑問がなきにしもあらずな気がします。といっても何の根拠もないのですが。もちろん公務員の倫理は大変重要な課題だと思いますし、公僕という意識を常に忘れないで欲しいとは思いますが、公務員とてその肩書きをはずせば我々と同じ人間ですし、疲弊した官僚組織の中で、判っていても出来ないでいる連中も数多いのではないかと思います。岐阜県の裏金にしても、多分最初は使いやすいお金を手元に幾ばくか持っていたかった、というような話から始まったのではないでしょうか? 何となれば役所のお金というのは予算に縛られ、たとえお金が余ったりあるいは不足したりしても、それを途中で使い道を変更したり出来ず、年度末に万一あまりでもしたら、余った分を翌年に回して使う事も出来ず、その分予算から削られていくだけというカタチになっています。続出した大学の先生方の研究費不正も、政府が支出する研究予算が研究現場を知らない官僚どもの机上の空論でガチガチに固められており、しかもそのお金が使えるようになるのは諸手続が済んでからということで数ヶ月待たされる事もあり、その間無一文で何も出来ないというような事情もあって、それを少しでも補うために仕方なく始めた必要悪の部分が大きかったと思われます。ところがそれが常態化し、既得権益化した事で腐敗が進行し、当初の目的を大きく逸脱して必要悪から絶対悪に堕落してしまったというのが今噴出している問題でしょう。つまり、処罰を厳しくして倫理を追求するだけでは問題は収まらないはずです。予算制度そのものを見直して状況の変化に柔軟に対応できるようにしないといけないでしょうし、既得権益化しないようにヒトの入れ替えや組織的慣習を大いに見直すべきでもありましょう。それと公務員倫理がセットになって、はじめてこの種の問題は刷新されるのではないでしょうか。どうもこのところの報道は、そういう背景や本質を抜きにして関わりを持ったヒトだけを処罰すればよし、とする、江戸時代以来変わらぬ日本人の通弊が透けて見えるようで、もっと掘り下げてものを観て報じて欲しいと願わずにはいられません。
岐阜県の裏金作り事件をはじめとして公務員の不祥事が連日マスコミをにぎわせておりますが、それ自体は悪い事でもないと思うのですが、どうも財政再建のために公務員給与に大なたをふるいたい政府側の情報操作に、マスコミがしっぽを振っているのではあるまいか、という疑問がなきにしもあらずな気がします。といっても何の根拠もないのですが。もちろん公務員の倫理は大変重要な課題だと思いますし、公僕という意識を常に忘れないで欲しいとは思いますが、公務員とてその肩書きをはずせば我々と同じ人間ですし、疲弊した官僚組織の中で、判っていても出来ないでいる連中も数多いのではないかと思います。岐阜県の裏金にしても、多分最初は使いやすいお金を手元に幾ばくか持っていたかった、というような話から始まったのではないでしょうか? 何となれば役所のお金というのは予算に縛られ、たとえお金が余ったりあるいは不足したりしても、それを途中で使い道を変更したり出来ず、年度末に万一あまりでもしたら、余った分を翌年に回して使う事も出来ず、その分予算から削られていくだけというカタチになっています。続出した大学の先生方の研究費不正も、政府が支出する研究予算が研究現場を知らない官僚どもの机上の空論でガチガチに固められており、しかもそのお金が使えるようになるのは諸手続が済んでからということで数ヶ月待たされる事もあり、その間無一文で何も出来ないというような事情もあって、それを少しでも補うために仕方なく始めた必要悪の部分が大きかったと思われます。ところがそれが常態化し、既得権益化した事で腐敗が進行し、当初の目的を大きく逸脱して必要悪から絶対悪に堕落してしまったというのが今噴出している問題でしょう。つまり、処罰を厳しくして倫理を追求するだけでは問題は収まらないはずです。予算制度そのものを見直して状況の変化に柔軟に対応できるようにしないといけないでしょうし、既得権益化しないようにヒトの入れ替えや組織的慣習を大いに見直すべきでもありましょう。それと公務員倫理がセットになって、はじめてこの種の問題は刷新されるのではないでしょうか。どうもこのところの報道は、そういう背景や本質を抜きにして関わりを持ったヒトだけを処罰すればよし、とする、江戸時代以来変わらぬ日本人の通弊が透けて見えるようで、もっと掘り下げてものを観て報じて欲しいと願わずにはいられません。