さて、イスラム国での人質事件、期限を大きく過ぎた今日も特段の進展が報じられないまま、一日が過ぎて行きました。一方で、ヨルダンでは死刑囚釈放検討に対して世論が硬化し、王宮前でデモも行われているのだとか。我々日本人のためにヨルダン国内が割れるというのは実に遺憾なことで、大迷惑をかけていることを意識した報道なり外交なりが行われて欲しいと切に願います。後藤氏が無事に帰ってくるのは望ましい展開には違いありませんが、そのことでヨルダンに余計な負担や軋轢が生じるのは問題です。そんなことなら、いっそ日本人のことは二の次において、ついでに可能なら助けてもらうくらいの扱いにしてもらうようにお願い出来たらと思うばかりです。
それにしても、これまで脅迫が通じなければサクッと人質を斬首していたイスラム国が、後藤氏に限って妙に引っ張りますね。それのせいでイスラム国とのグル説など結構様々な陰謀論が語られたりもしていますが、ひょっとしたら、例えば日本における世論のあり方に戸惑っていたりするんではないか、と素人目には感じます。 例えば韓国の反日の様子は、韓国政府の発言・行動、主要マスコミの報道内容、ネット上での書き込み、これらがほとんど一致しており、日本人からは、韓国全体が反日に染まっていると判断できます。ところが日本の場合は、大手マスコミの報じる論調や雰囲気と、ネット上で拡散している論調・雰囲気はまるで違います。政府についても、イスラム国にどのような顔を見せているのかまではわかりかねますが、国民に向けている顔からすると、報道やネット上の世論とは少しズレが有るようにも感じます。これは一体どれがが本当の日本人の真意なのか、外から観ている分には図りかねるところがあったりするのではないかと思ったりしたのです。それに、主にネット上で、自己責任論で憎むべき犯人であるイスラム国に倍する非難を拉致された同胞に浴びせたり、同胞が殺害されたという写真を平然と遊び道具にしてフランスの風刺画に勝るとも劣らぬコラージュを作って公開するような国民性も、理解に苦しむ要素になっていたりするのかもしれません。
こちらには、イスラム過激派という人々の考えはなかなか理解できませんが、イスラムや欧米からすれば信じがたいほど宗教にルーズな日本人のことも、理解されにくいんじゃなかろうかとも思います。
人質の件はそれはそれとして大事な話ではありますが、もっと基本的な理解を互いに進めないと、交渉事はまとまるものもまとまらないのではなかろうか、という気がします。