かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

既刊一挙掲載最後の1編をアップします。

2008-04-27 20:43:40 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 かっこうの長編8冊目は2004年の夏コミに出したもので、CDドラマ「南麻布魔法倶楽部」の続編、原日本人の悪夢はまだ終わっていなかった、という話で考えました。更に、今回は特に我が地元で麗夢ちゃんに活躍してもらおうと趣向を凝らすことにしました。おかげで今回のお話の舞台はすべてバイクで走り回れるところでしたし、それ以外にも、いくつかお話には使えませんでしたが、いくつか取材した先も、作品の雰囲気の味付けには十分役立ってくれたと思います。
 次の作品「ドリームジェノミクス」の舞台も関東にはなっていますが、基本的に自分の日ごろ見慣れた風景を茨城県に移しただけですし、その次は完全に関西が舞台ということで、まあようするにあんまり遠くは大変だ、ということが大きかったのですが、作品のための現地取材をしない場合でも、よく行く所や過去の記憶に基づくものと、全く見たこともないところとでは、単にネット検索するにしてもその理解度が変わります。やっぱりよく知るところほど肌に合う、というか、自然に情景が思い浮かんで、そういう点では描きやすくなるんじゃないか、と思うのです。

 さて、今回の重要な「主役」である「百足」ですが、長い身体、もぞもぞと奇怪に動くたくさんの足、そして強烈な毒牙、私はこの虫が大嫌いなのですが、調べてみるとこれをわざわざペットにしているヒトがいるのだとか。それも、日本産のだけじゃなく、熱帯亜熱帯のもっと巨大なやつを飼ってたりするそうです。あのメカニカルな姿がかえって好事家の食指をそそるのでしょうか? 好みは人それぞれとはいいますが、その趣味を理解するのは今でも難しいと感じます。
 ところで、このお話のそもそもの発端は、オフィシャルサイトの掲示板でネタ振りした「自分達の地元に麗夢ちゃんを呼ぶための話の種を出してみよう」という内容をベースに膨らませたものなのです。あの時は、役行者によって葛城山に封じられた悪霊が開放され、奈良の大仏に乗り移って怪獣さながらに街を破壊しながら南へ進撃、麗夢達が大和三山に配置した三種の神器で倒す、という話でした。おおよそはその通りの展開で話を作ってあるわけですが、さらに一工夫とばかりに、考古学会の手を拒む天皇陵の話とか、都としては不思議な形をしている藤原京の話を盛り込んでみたわけです。ちょうど大和三山は藤原京の中心部を囲む形ですし、うまい具合にパズルがはまった、と描きながら感じました。
 一つ今でも誤算、というか、ちょっと気になるのが、円光が十津川村玉置山で十種の神宝を入手するくだりです。十種の神宝というのは、物部氏の祖先神とされる饒速日命(にぎはやひのみこと)が伝えたとされるもので、奈良県天理市にある石上神宮(いそのかみじんぐう)という、物部氏ゆかりの神社に伝えられている宝物です。石上神宮の御祭神は布留御魂神(ふるのみたま)とおっしゃるのですが、この神様自体が十種神宝そのものである、という伝承もあります。ほかにも、我が国最古クラスの神社として、石上神宮には他の神社にはない、独特の祓詞や祭事があって、それらをうまく組み合わせて話を作るつもりで、神宮に取材も行きましたし、話も書き始めておりました。ただ、円光がこの神社に来る理由をうまくつけることができなかったこと、熊野の奥の院とされる玉置神社にも、十種の神宝伝承があることなどを勘案し、修験道の熊野のほうが円光を配置しやすい、ということで、話をここに定めました。
今回改めて読み返して、その判断は間違ってなかった、とは思うのですが、石上神宮やその隣の市桜井市に鎮座まします日本最古の神社三輪明神などを絡めてお話ができなかったのが、やっぱり惜しいと思うのです。

 まあそんなわけで、一本調子なほどお話としてはほとんどひねりがありませんが、その分麗夢ちゃんや夢御前様に智盛まで動員しての活劇仕立てになっていますので、巨大怪獣対麗夢ちゃんの戦いを楽しんでいただけたら、と思います。

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人物紹介

2008-04-27 20:43:33 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
綾小路麗夢(あやのこうじれむ)
主人公。「怪奇よろず相談」の看板を掲げる美少女探偵。古代原日本人夢守の民の子孫で、ドリームハンターとして人の夢に入り、悪夢の源、夢魔を退治する仕事を続けている。

アルファ、ベータ
幼時に麗夢に拾われ、以来かけがえのないパートナーである子猫と子犬。麗夢同様人の夢の中に入ることができ、獰猛な巨獣に変化して夢魔を食らう能力がある。

円光(えんこう)
密教系をベースにした独自の宗教を実践する、眉目秀麗な謎の僧侶。麗夢に懸想しており、そのピンチには必ず駆け付けて強力な法力で助力する。

榊真一郎(さかきしんいちろう
初老の警視庁警部。警視庁きっての荒武者と評される暴れん坊の敏腕警察官。

鬼童海丸(きどうかいまる)
元城西大助教授。超心理物理学の研究者。円光に匹敵する長身美形の若者だが、少々行動が極端で女子高生には人気がない。親友で南麻布女子学園物理教師の松尾亨の自殺に疑問を持ち、麗夢と共に事件を解決するも、悪夢はまだ醒めていなかった。

加茂野美里(かものみさと)
宮内庁特別陵墓監督官の肩書きを持ち、蛇を式神として使う古への陰陽師。松尾亨の元フィアンセで、その死の原因の一つに鬼童海丸の身勝手さがある、と思いこんでいる。天皇陵に隠された秘密を守る為に奔走している。

松尾亨(まつおとおる)
南麻布女子学園物理教師。女子高生に大人気の美形。「闇の皇帝」を巡る事件で原日本人の巫女「あっぱれ四人組」によって死に追いやられるが、闇の皇帝復活の際に甦り、自ら原日本人の真の王を名乗って、かつて夢守の民によって封印された自らの力を取り戻そうとする。
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1.南麻布女学園 その1

2008-04-27 20:43:17 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 「闇の皇帝」を巡る一連の事件から一週間。鬼童海丸は、まだ私立南麻布女子学園にいた。既に辞表を学園理事長宛に提出し、学園を去る準備を進めていたが、書類を提出してはいさようなら、と出来るほど手続きは簡単ではない。更に面倒なことに、後任の教師が決まるまで何とかいて欲しい、という懇願を振り切って、辞めると言い張ることもはばかられる。そのために鬼童は、早々に「転校届け」を提出して学園を去った綾小路麗夢と違い、いつ辞められるという当てもないまま、学園に留まっていた。だが、今となっては残っていて正解だったかも知れない、と鬼童は考え直していた。いつまでも偽りの教師を続けるわけにも行かないが、ここには、あの「闇の皇帝」に関する様々な秘密が残っていることが判ってきたのである。特に昨日は、今は亡き親友、松尾亨が残していった膨大なデータを、古代史研究部の部室から発見したばかりだった。
「さて、今日は奥の棚を当たってみるか……」
 鬼童は、人気のないがらんとした部室で、
目当ての戸棚の方に歩み寄った。ほんの一週間前までは、あのあっぱれ4人組、すなわちかつて、大和民族に亡ぼされた原日本人の末裔であり、「闇の皇帝」に仕える巫女の生まれ変わりと名乗っていた、4人の女子高校生達の嬌声が充満していたはずなのに、今はその痕跡すら窺えない。早くもうっすらとほこりをかぶりつつある部室で、
「おや? この写真……」
 鬼童は、うっすらとほこりをかぶった写真立てを見つけた。 眞脇由香里が「しょーゆ顔の超いけてる」と評した精悍な美形を中心に、あの四人の笑顔が輝いている。
「松尾の回りにあっぱれ四人組か。本当に、このころはこんなことになるなんて、彼も全く意識していなかっただろうに」
 鬼童は苦笑いしながら松尾から視線を離さなかった。鬼童はこの男ほど能力と人格に優れた研究者を見たことがなかった。それがどうして理不尽な死を強制されてしまったのか。何かもっと他に、自分には出来ることがなかったのか。敵討ちを果たしてからのこの数日間と言うもの、鬼童の心に去来する想いは、ただその事ばかりであった。
「本当に惜しいよ松尾。できればもう一度君と熱い議論を闘わせたかった」
 鬼童は、雑然と積み上げられた記録ノートやフロッピーの山を仕分けながら、しみじみと想い出に浸たりこんだ。まだ、頑迷固陋な学会に対し、敢然と立ち向かっていた青年時代の一コマ一コマが、走馬燈のように脳裏に浮かんでは消える。舌鋒鋭く議論を闘わせ、遂にほとんどつかみ合い寸前までやったことや、一週間連続で徹夜して実験を続け、ようやく取れた満足すべきデータを前に、握手しながら同時に気を失ったこと。二人して担当教官にこっぴどく怒鳴りつけられたこともあったし、何の屈託もなく、心の底から笑いあったこともあった。
(もう一度会うことが叶うのなら、僕は心から君に詫びねばならない。君が大学を去ることを決意したとき、それを引き留めることが出来なかった自分の不甲斐なさを)
 松尾がこの私立南麻布女子学園に物理学教師として赴任することが決まったときのことを、鬼童は今でも科白の一つ一つまで鮮明に記憶に留めている。あの時、確かに自分は大学当局に掛け合い、松尾を研究室の助手に採用するよう働きかけた。だが、当時鬼童はまだなりたてほやほやの助手の一人に過ぎず、研究室に助手の空きは無かった。大学、という組織は、たとえ城西大のような私立の法人でも、一つ中に入れば規則や教授会方針を縦軸に、情実、しがらみを横軸として組織が複雑に絡み合う硬直化した世界を構成している。鬼童如き若造がいかに一人で騒いでみたところで、一研究室の教官をおいそれと一人増やすなどと言うようなことが、通る道理もなかったのだ。だが、それでも一つだけ何とかする方法がなかったわけではない。確かにあの時点で大学教官の定員に空きは無かった。だが、自分があの時助手を辞め、後任に松尾を推薦していればどうであっただろうか。空きが出来れば話はまた違ってくる。大体自分が研究室に残ってその後どうなったかというと、夢見人形を巡る一連の事件の責任をとって、大学を辞める羽目になっている。つまり、あの時点で松尾に席を譲っていたとしても、今の自分には何の変わりもなかった。もちろんそんなことをしても、松尾はけして受けなかっただろうと鬼童も思う。それでも鬼童はそう夢想せざるを得ない。歴史に名を刻むに足る偉大な研究者の卵を、自分は為す術もなく葬ってしまったのではないか、と。
 鬼童はしばし目を瞑り、右手人差し指と親指で、両目の目頭を軽く押さえ、あふれ出た激情を鎮めた。恐らく消えることはないだろう。自分は松尾の遺産を受け継いで研究の道を歩み続け、その間ずっと、自責の念で自分を灼き続けるのだ。そんなことで償いになるとは思えないが、自分に出来るのはもうそれだけしかないと、鬼童は感じていた。
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1.南麻布女学園 その2

2008-04-27 20:43:11 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「とにかく、今やるべきことに全力で立ち向かうだけだ。松尾もそれを望んでいるだろう」
 鬼童は、戸棚から出てきたフロッピーディスクの箱を手に、パソコンへと向き合った。
 箱を開けて再び鬼童はけして取り戻せないことが判っているもの悲しい懐かしさに胸を一杯にした。箱の中に収まる一〇枚の大きなディスケット。艶消しの黒いプラスチックに包まれた、薄っぺらい正方形の板のそれは、今時見ることさえ珍しくなった、5インチのフロッピーディスクである。
『他のメディアは脆すぎる。こいつの方が信頼できるのさ』
 真顔でお前も使って見ろよ、と意見した松尾の顔が鬼童の目に浮かぶ。鬼童は慎重に一枚取り出すと、大きく空いた読み取り窓に茶褐色のメディアが露出した、あまりに頼りないぺらぺらのそれを、これも年代物のパソコンにセットした。がちゃん、と仰々しい音と共に、読み取り装置のレバーを九〇度回転させる。たちまちシュルシュルとメディアが回転して読み取りヘッドとこすれ合う音が聞こえてくる。鬼童はそれを確認すると、キーボードからディレクトリを読み出すコマンドを打ち込んだ。がちゃんがちゃんと大仰な機械音と共に、ファイル名の末尾に「.txt」と並ぶファイルがずらりと画面に並んだ。ファイル名は、数字やアルファベットが組み合わされた、八文字の暗号である。鬼童は適当な一つを選ぶと、再びキーボードにその中身を表示するコマンドを打ち込んだ。現れたそれに目を通した鬼童は、それがどうやら実験日誌であることを読みとった。
「なるほど、さすが松尾だ。かなり綿密に実験や調査の記録が取ってある。ひょっとしたら「闇の皇帝」の研究データも、このフロッピーの中にあるかも知れん」
 鬼童は軽やかにキーボード上に指を走らせると、次々とファイルを開いては流し読みした。そして、ディレクトリ一覧の最後にあったテキストファイルを選んだところで、ふと手が止まった。
「これは?」
 ディスプレイには、四桁と五桁と六桁の数字が一つづつ組になってずらっと並んでいる。
「ううむ……、ちょっと待てよ?!」
 スクロールを続けていた鬼童は、数字の羅列が終わったあとに、「霊的磁場異常地点」と記してあることに気が付いた。
「なるほど、緯度と経度か」
 数字を見つめること数秒、鬼童はようやく手がかりらしきものをつかんだ。データの四桁の数字と五桁の数字は、まず間違いなく緯度と経度を分単位まで示している。それぞれが小さい数字から大きい数字に順序よく並べられているところからして、北から南、東から西に並んでいるある地点を指しているに違いない。では、その後ろの六桁の数字はなんだろう?
 鬼童は小首を傾げて数字の羅列をもう一度細かく見てみた。一番小さな数字と大きな数字では、一〇〇倍以上の差がある。しかもそれがランダムに並んでいて、何かの数値という以外には読みとれることはない。だが、最後に書いてあった一言、霊的磁場異常地点と言う言葉が気になる。ひょっとして、磁場の異常値を示すのだろうか……。
 鬼童はふと思いついて、その羅列の中にある数字がないか調べてみた。そして、それは確かにあった。
「あった! やはりそうか……」
 鬼童の探していた数字は、全体のやや上辺りにあった。夢隠村の緯度と経度にピッタリの数字だ。そこは、永らく封印されていた平安時代末期の怨霊、平智盛と、ついこの間、凄絶なバトルを繰り広げたばかりの場所なのである。 
「智盛の数値は、ざっと七万程か。もしこれが異常値の大きさだとすると、この中では中の上くらいと言ったところだな。あ、こっちは南麻布女子学園の緯度経度だ。こっちは、五万五千程か……」
 太古の昔、この島国を牛耳っていた「闇の皇帝」よりも、八〇〇年前の怨霊の方がエネルギーレベルが高い可能性がある。つまり、精神エネルギーも、放射性同位体のように時間と共に減衰するものなのかも知れない。つまり、初めのエネルギー量はどうあれ、智盛の方が時代が新しい分残存レベルも高いのだろう。そう言えば、と鬼童は一人の研究仲間の顔を思い浮かべた。精神エネルギーの半減期を計測しようと試みていた奴が一人いた。そいつにこのデーターを見せれば、何か有益な意見を得られるかも知れない……。そんな思いを弄びながら数字を眺めていた鬼童は、その中にある空恐ろしい数値に思わず寒気を覚えていた。鬼童の視線の先には、あの智盛や闇の皇帝の値の十倍以上の数値が記載されていたのである。しかもそれが、ある範囲に集中的に存在しているのだ。
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1.南麻布女学園 その3

2008-04-27 20:43:05 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「もしこれが霊的磁場の異常値、つまりそこに瞑る力の大きさを示すのだとすれば、まさに空前絶後だ……」
 これがもし智盛や闇の皇帝のように開放されたとすれば、へたをすれば地軸を曲げ、日本列島そのものに壊滅的打撃を与えかねないかもしれない。だが、今のところ数値の読み方は想像に過ぎない。もう一度松尾の遺した資料を洗い直して、この数値の持つ意味を確かめてみないと。
 鬼童が再び部屋の隅々に目を配り、どこから手を付けた物か腕組みをした、そのときである。背中を向けていた出入り口の引き戸が、がしゃんと乱暴な音を立てて全開にされた。何事か、と振り返った鬼童の目に、黒いスーツに同色のスラックスを身につけた、すらりとした黒眼鏡の女性が入ってくるのが映った。
「一体何だ、随分乱暴だな」
 鬼童はせっかくの松尾との共有空間を汚された思いがして、あからさまに眉をしかめた。すると女性はつかつかと鬼童に歩み寄った。
「貴方は誰? ここで何をしているの?」
 きつい言葉が鬼童の顔に突き刺さった。見た目は恐らく自分と変わらない年齢であろう。鼻筋が通った細面は充分美人と言うに足るが、全身から沸き立つあからさまな敵意が、そんな印象を一切拒んでいるかのように見える。
「僕はここの教師だ。それより僕が先に聞いているんだ。ちゃんと答えてから質問してもらおうか」
 すると女性はサングラスを取り、強烈な視線を鬼童の顔に突き立てた。
「……これは失礼。私は宮内庁書陵部特別陵墓監督室主任、加茂野美里といいます。貴方は?」
「僕はこの学園の物理学教師、鬼童海丸だ。この古代史研究部の顧問を任されている」
 微妙に加茂野の眉が吊り上がり、視線に再び強い敵意が漲った。何故この女はこうもあからさまに敵意を叩き付けてくるのか。男性社会に切り込んだキャリアウーマンが自分の矜持を保つため、周りの男性に対して敵対的な態度をとることはままあることだ。だが、鬼童は彼女の同僚でもなければ上司でもない。単に出来る女性が見知らぬ男性に見せる態度としては、少々疑問を抱かせる姿勢である。加茂野と名乗った女性は、そんな観察などお構いなしにつかつかと部室に踏み込むと、松尾の写真たてを手にとりながら鬼童に言った。
「ではここの管理は今は貴方が担当者という訳ね」
「そう言ったはずだ」
「では申します。即刻この部屋を出て下さい。この部屋の一切は、宮内庁が差し押さえいたします」
 相手の敵意に呼応するように不快感のボルテージを上げていた鬼童は、珍しくこの言葉に興味よりもまず感情を爆発させた。
「何だと? 一体何の権利があってそんな馬鹿なことを!」
 すると加茂野は、あくまで事務的に一枚の書類をスーツの内ポケットから取り出した。
「この通り、この部屋の全て、特に松尾博士の研究成果の帰属権は、我々宮内庁にあります。松尾博士が亡くなった以上、その資料は宮内庁の物です。ご理解いただけたかしら?」
「見せてくれ!」
 鬼童は相手の掲げる書類を、ひったくるように手に取った。委託研究契約と記されたその書類は、松尾が宮内庁の費用で研究を続けたことを示していた。そしてその成果の帰属権が宮内庁にあると明記されている。偽物?と言う疑いもあったが、書類そのものはちゃんとした公文書の体裁を取っている。それでも鬼童は、精一杯の抵抗を示した。
「身分証を拝見させてもらえるか?」
「どうぞ」
 加茂野は慣れているのか、素早くパスケースを取り出して鬼童に見せた。あまり上等とは言えない厚紙に、証明写真付きで加茂野美里の名前と所属が明記されている。鬼童は委託契約書と身分証明書をあわせて加茂野に返した。
「貴女の言うことは理解した。だが、せめて教えてくれ。松尾は、いや松尾博士は宮内庁と一体何の共同研究をしていたんだ?」
「それは、守秘義務上お答えできません」
「まさか、『闇の皇帝』関係の話か?」
「お答えできないと言ったはずです。さあ、時間がもったいないわ。そろそろ出て下さらないと、公務執行妨害で強制的に排除させていただきますよ」
「宮内庁にそんな権限があるのか?」
「ありますとも。我々の課には特別にね」
 扉の向こうで、中の様子をうかがうように佇む数人の男達の姿が鬼童の目にも入ってきた。加茂野と同じ黒づくめの姿をしている。鬼童はどうやらこの場は勝ち目が無いらしいことを理解せざるを得なかった。
「……判った。どうやら退散するしかないようだな」
 鬼童は押さえきれない腹立ちで足音高く出口に向かおうとした、そのとき。
「貴様、何だ!」
「ま、待て! ぐわっ!」
 突然部室のすぐ外でただならぬ喧噪がわき起こり、二人の黒づくめが開け放たれた扉の向こうで、右から左に吹っ飛んでいくのが目に入った。その二人の肉体が壁に激突したのであろう。ガラスの割れ砕ける悲鳴が派手に鳴り響き、そして唐突に辺りは静けさを取り戻した。
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1.南麻布女学園 その4

2008-04-27 20:42:59 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「い、一体どうしたの?」
 鬼童はもちろん、加茂野もこの事態は想定していなかったのだろう。隙なく固めたその姿が、狼狽のあまり色を失っている。だが、数秒後、出入り口に現れたその姿を見た二人は、まさしく驚愕のあまり言葉を失った。
「ま、まさか……」
「……う、嘘だ……」
 二人の視線の先に、同校の生徒達に「超かっこいい」と評された長身で端正なマスクの男が、微笑みを浮かべて立っていた。
「おい、久しぶりの再会だというのに、何て顔をしてるんだ」
 にやっとほころばせた口元から、真っ白な歯がきらりと光る。鬼童にはおなじみの、松尾亨その人の笑顔だ。
「松尾、松尾なのか? 本当に?」
「何当たり前のことを言ってるんだ、鬼童」あの笑顔、あの姿勢。それは間違うこと無き在りし日の親友の姿だ。だが、確かに松尾は死んだ。二ヶ月前、自ら命を絶ったその無惨な姿を目にして絶句したのは、他ならぬ鬼童海丸自身なのだ。だが、今目の前に立っているのも、松尾以外の何者でもない。混乱のまま思考停止した鬼童は、よろめくように不確かな足取りで、恐る恐る松尾に近づいていった。その足が、鋭い言葉でその場に打ち付けられた。
「待って! この男は亨じゃないわ!」
 すると、松尾が鬼童の背中越しに、加茂野の方へ視線を向けた。
「おや? 美里じゃないか。そんなところに隠れていないで、こっちにおいで」
 松尾の顔が何人も魅了されずにはいられない人なつこい笑みを浮かべた。鬼童は一旦止めた足を再び動かしそうになる。
「止まりなさい鬼童海丸!」
 加茂野の言葉が、再び鞭のように鬼童の背中を打ち据えた。びくっとして鬼童の足がその場に釘付けになる。
「亨を騙るなんて悪趣味もいいところだわ。正体を現しなさい!」
 加茂野は懐に手を伸ばすと、一丁の拳銃を取り出してまっすぐ松尾に銃口を向けた。
「只の拳銃と甘く見ない方がいいわよ。呪術を施された銃弾は、貴方にも充分効果があるはずだから」
「おいおい、いい加減にしてくれ。美里、俺が判らないのか?」
「判っているわよ。亨の姿を騙る根の国の住人。闇の皇帝の力で起き出してくるなんて、出番が遅すぎたわね」
 苦笑して軽く両手を挙げた松尾に、加茂野は冷たく言い放った。すると松尾はにわかに苦笑を納め、その両手を降ろした。
「さすがに宮の護りを司る賀茂の眷属か。この姿なら間違いなく虜に出来ると踏んだが、少々甘かったようだな」
「き、君は、松尾じゃ、無いのか……」
 鬼童がわななく声で松尾に言った。すると松尾は、さっきと同じ爽やかな笑顔を鬼童に見せた。
「松尾であって松尾ではない、と言うのが正しい。あの男の記憶はすっかり受け継いでいるが、灰になった肉体は別物だ。だが、真の力を得たら、根の国から肉体も全て復活させることが出来る。この国を再び支配する原日本人松尾亨の再生の日が、すぐそこに来ているのだよ、鬼童」
「な、何を言っているんだ?」
 鬼童は自分の耳が信じられなかった。原日本人? 松尾もまた、あの「あっぱれ四人組」と同じ悪夢に囚われているのか?
「たわごとはそれくらいにして、さっさと闇の世界に戻りなさい。その姿をこれ以上汚すのは、許さないわ!」
 凛とした加茂野の声が、松尾の笑顔に叩き付けられる。だが、松尾はまるで答えていない様子で加茂野に視線を向け直した。
「ふふふ、それくらいの言霊では言うことを聞いてやるわけにはいかないな。さあ、死にたくなかったら早々に立ち去るがいい」
 松尾が掌を加茂野に向けて、ゆっくりと上げた。
「何をするつもりなの?!」
「知れたこと。我らの事を知りすぎた私の記録を、全て抹消する」
「危ない!」
 呆然と立ちつくしていた鬼童の身体が、突然床へうつ伏せに引き倒された。その一瞬後に、鬼童の後頭部と背中が突然強烈な熱気に晒された。
「早く逃げないと、お前達も灰になるぞ」
 嘲りをふくんだ親友の笑い声が、鬼童の耳に木霊した。その背景に、ゴウと唸りを上げて逆巻く炎のオーケストラが鳴り響いている。紙が焦げ、プラスチックが溶けて泡を吹く刺激的な臭いが鼻へ強引に割り込んでくる。有毒なガスを含んだ真っ黒な煙が視界を閉ざし、けたたましく鳴り響く火災報知器のベルが、鬼童の目を覚ました。
「これはいかん!」
 鬼童は急いで立ち上がると、既に火の海と化した部室の奥へ駆け寄った。何か一つでも、かけらでもいい。松尾の痕跡を拾い上げないと! だが、その手はすぐに別の手によって引き戻された。
「何をしているの! 貴方死ぬ気?!」
「離してくれ! 松尾のデータを一つでも救わないと!」
「もう無理だわ! 急いで脱出するのよ」
「しかし!」
「貴方にまで死なれたら困るのよ! さあ!」
 加茂野の言葉が鬼童の耳からその脳髄に突き刺さった。
(全く何がどうなっているんだ? 松尾が原日本人だって? ならどうしてあの四人組に殺されたりするんだ? それにこの女、松尾の名前を呼び捨てにして、一体どう言うことなんだ?)
 余りにも多くの疑問が、逆巻く炎にも負けない巨大な渦を鬼童の頭に描いた。その疑問に対する答えを永遠に封印しながら、古代史研究部の部室が、今崩れ落ちた。
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2.葛城山 水越峠の怪 その1

2008-04-27 20:42:36 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 午後になって急速に発達した入道雲が、真っ黒に空を覆った途端、大粒の雨がまさに滝のように地上へと降り注いだ。不断に雲のあちこちがフラッシュを焚いたように真っ白に輝き、車の中にいても腹に響くほどの轟音が、おどろおどろしく聞こえてくる。
「申し訳ない麗夢さん、まさかこんな天候になるとは……」 
 プジョーカブリオレの助手席で、警視庁警部榊は、その大きな体を小さく縮こませて、右側でハンドルを握る少女に詫びた。
「大丈夫よ榊警部。これ位」
 碧の黒髪を揺らして、悪戯っぽい笑顔が榊に返る。
「にゃうん」
「くうん」
 後部座席から心配げな鳴き声のハーモニーが聞こえてくる。
「あら、貴方達まで信用してくれないの?」
 麗夢は、前足をちょこん、と全部シートにかけて覗き込む二匹の子猫と子犬ーアルファとベータに言った。すかさず頭の中に、
(前見て! 前!)
と促すイメージが流れ込んでくる。
「判りましたぁ」
 麗夢は苦笑してハンドルを握り直した。
 現在の位置は、大阪府と奈良県の府県境にそびえる標高九六七・二mの高峰、葛城山の南。今は国道三〇九号線と名前を変えた、水越峠の東側である。
「榊警部、もうすぐ大阪ね」
「トンネルの向こう側が晴れていればいいんですけどね」
 榊は地図を広げて場所を確認した。国道三〇九号線は、大阪府と奈良県を結ぶ幹線道路の一つであり、南北に横たわる二上山から金剛山に至る千m前後の山々を横切る、古代からの主要幹線道路である。かつては、標高五一七mの水越峠を越えるつづら折れの細い道に、ひっきりなく車が行き交う難所の一つであったが、一九九七年五月に完成した全長約二・四キロの水越トンネルにより、飛躍的に交通の便が良くなっている。
 ところで麗夢と榊が、遠く東京を離れて関西に出向いているのは、榊の依頼した仕事の関係であった。奈良県に住む知人から、最近夢魔の被害が疑われる酷い悪夢に悩まされて困っている人がいる、と榊に相談が持ちかけられたのが初めだった。
 榊には、いわゆる「怪奇事件」に強いという定評がある。これも、麗夢に死神博士の事件解決を依頼して後の、数々の実績に裏打ちされた評判なのであるが、そのためか、本来は精神科か宗教の役割だろうと言う類の相談事が、このところ榊の元に寄せられることが増えてきていた。この一件も、そんな榊の噂を伝え聞いて寄せられた事件のひとつなのである。そしてこれを解決したらしたで、また榊の株が上がってしまうのだから、榊としても痛し痒しと言うところであるが、現実に困っている人を放置しておく訳にもいかず、有給休暇を得たを幸い、こうして足を運んできたというわけだった。
 ただ、今回はもう一つ、裏の目的がある。そのために、実際は夢魔かどうかも判らない段階から声をかけ、さほど乗り気でもなかった麗夢を、半ば強引に連れ出してきたのである。ついこの間、南麻布女子学園という高校で一体何があったのか、実のところ榊は通り一遍なことしか聞いていない。鬼童の親友という一教師の事件も、当時は自殺ということだったのでわざわざ榊の耳に届くこともなかったからだ。だが、事件終結直後、鬼童から、事件のあらましと共に、麗夢の心に相当強いダメージがあったことを聞いていた。あの自信の塊に見える男が、半ば途方に暮れながら自分に相談を持ちかけたことに驚きつつも、榊は、これは時間にしか解決できない問題だ、と理解した。程度や形は違えど、自分もまた、長い因果な商売の中、やはり同じように落ち込んだり無力感に苛まれたりしたことは、一度や二度ではない。それでもこうして今まで刑事を続けてこれたのは、時の癒しの力に支えられてきたこともあるだろう。だからこそここは、せめてそんな傷心が癒えるまで少しでもそれを紛らせるようにし向けてやりたかった。本人に直接その事を告げても、きっと「心配しないで」と朗らかな笑顔でやんわり拒絶されることはほぼ間違いない。実際、鬼童との会話のあと、出向いた探偵事務所で、いつもと変わらない麗夢の姿に、榊は一瞬拍子抜けすら覚えた位である。しかし、しばらく話をする内に、こうしている分にはさして普段と変わらないように見える麗夢が、時折何かもの悲しげに遠くを見つめ、心ここにあらず、と言うような様子を見せることに榊は気付いた。だからこそ、抱えてきた奈良の事件を依頼する際、自分も行くことを麗夢に承知させたのである。
(端から見たら、若い娘を同伴してのんびり旅行を楽しむ好色中年男に見えるかもしれんが……)
 榊は苦笑しつつも、まあそう思われても構わない、と思った。実際、さっき訪ねていった旧友宅では、随分訝しげな視線を向けられて閉口したものだが、その仕事も無事終えた今となっては、それはそれで良いかも知れないとさえ思いもした。
 円光さんや鬼童君には申し訳ないが、今日のところは麗夢さんを独占させていただこう。
 榊は、さっきまでの苦笑をにやりとした笑みに替え、大阪で美味しいものでも奢りましょう、と麗夢に持ちかけて、プジョーを西に向けさせたのである。
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2.葛城山 水越峠の怪 その2

2008-04-27 20:42:29 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 その道も半ばに至り、目の前に、杉木立の丘へ半円状に暗い穴を見せるトンネルの入り口が見えてくるところまで来た。このトンネルを抜ければ、そこはもう大阪府、である。
「知ってますか、麗夢さん? このトンネル、『出る』らしいですぞ」
「出るって何が?」
「幽霊ですよ、幽霊! 何でも昔この山は姥捨て山だったそうで、その幽霊が出るという話なんですよ」
「にゃうん?」
 別に何も感じないけど、と後部座席からアルファが言った。ベータもしばらくくんくん鼻を鳴らしていたが、胡散臭げに榊を見るばかりである。
「だから噂なんだって。大阪府警の交通課の若い連中から聞いただけだよ」
 榊は苦笑して後ろの二頭に弁明した。さすがに奈良と大阪を結ぶ幹線道路だけあって、交通量はかなり多い。真夜中ならともかく、この真っ昼間に霊も怪奇現象もないものだと榊も思う。だが、トンネルに入って間もなく、榊は自分が実はそんな事象にしょっちゅう出くわす運の悪い男だという事を、再確認させられる羽目に陥った。
 苦笑する榊の目が、突然飛び込んできた明るい光に、一瞬完全に幻惑された。
「何だ対向車の奴、こんなトンネルの中でハイビームのまま走るなんて非常識な」
 水越トンネルは対向一車線のあまり広いとは言えないトンネルである。対向車のライトが上向きであれば、確かに危険な程まぶしい。麗夢は即座にパッシングで注意を促した。すると、ほぼ同時に相手もパッシングを返してきた。ライトアップはそのままである。
「何考えてるのよあれ?」
 むっとした麗夢がもう一度パッシングを繰り返した。今度もまた、ほとんど同時にまぶしい光が断続的に目へ飛び込んだ。
「本当に困った奴ですな。大阪府警に連絡して一つお灸を据えてやりましょうか」
「ちょっと待って! 警部、あの車、何か変だわ?」
「変ですって?」
 榊は取りだした携帯電話を手にしたまま、まぶしい前方に細めた目をやった。そして、程なく麗夢が変だと言ったわけを理解した。相手は対向車線ではなく、こちらの車線を逆走しているではないか。このまま進めば、正面衝突は避けられない。
「一体どういう積もりだ?」
 麗夢は少しスピードを落とし、再度のパッシングと警笛で注意を促した。だが、相手はやはりこちらと同時にパッシングを返し、警笛まで同じように鳴らしてくる。
「仕方ないわ。見たところ対向車線を走る車はなさそうだし、とにかく避けましょう」
 麗夢がハンドルを右に回すと、プジョーが滑るように対向車線へベクトルを変えた。すると、正面の車もまた同じようにハンドルを切ってきた。避けるつもりが全くない。プジョーがまた元の車線に戻ると、全く同じく道を変え、あくまで正面から突っ込む気のようだ。
「どう言う積もりだ。とにかくこのままでは危ない。止めて下さい、麗夢さん。一つ、はっきり注意してやらないと駄目なようです」
 この時点で、榊はまだ、相手が危険行為にのぼせ上がった年端もいかない若者あたりだろう、と思いこんでいた。こういう悪質ないたずらには、その場できついお灸を据えてやらねば、どこかでまた同じ馬鹿をやって、ついには取り返しの付かない事態を招くに違いない。榊は、こちらが停車したら逃げるかも知れない、とも思ったが、そのとき追いかけるかどうかは相手の出方次第と、腹をくくった。
「了解!」
 麗夢は、後方の安全を確かめると、ハザードランプを点滅させて左脇に車を停めた。対向一車線のトンネル内で停車するなど非常識もいいところだが、前から来る車が横紙破りとあっては、こちらもそれ相応に動かざるを得ない。ところが、相手の車もまた、全くこちらに習うように、車を右肩に停車させた。
 「あら? あっちもプジョーだわ……」
「……確かに、ほとんど同一車種のようですな……」 
 姿が似ているだけではない。ハザードランプの点滅周期まで全く同期しているようだ。さすがに榊も気味が悪くなった。
「まるで鏡だな。どういう積もりか聞いてみます」
 榊は助手席のドアを開け、トンネルの中に降り立った。すると前の車からも、一人誰かが降りてきた。距離にしておよそ一〇〇m足らず。ライトがハイビームのままなので、榊はまぶしくて仕方がない。
「麗夢さん、ライトを切ってもらえませんか。これではまぶしくって……」
 だが、麗夢はすぐ返事をしなかった。
「け、警部……」
「どうしたんです? 麗夢さん」
「あ、あっちにも警部が……」
「何ですって?」
 榊は目を細めて向こうを見た。全く同時に向こうの男ものぞき込んでいた車を離れ、手を目の前に掲げながらこっちを見ている。よれよれのレインコートにかなりがっしりとした身体を包み、顎には顔半分を覆うほどの髭が覆っている。これは悪い夢だ、と榊は思った。
「おい! どういうつもりだ!」
「おい! どういうつもりだ!」
 全く同時に、少し高い音程の声がトンネルの東西方向にハーモニーとなって木霊した。
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2.葛城山 水越峠の怪 その3

2008-04-27 20:42:24 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「麗夢さん、どうやら冗談ではなさそうですぞ」
「相手も返事している以上、ただの鏡じゃなさそうね」
「ふーっ!」
「うぅ~っ!」
 アルファ、ベータも、警戒心も露わにうなり声を上げる。確かに、トンネル入り口では感じなかった邪悪な気配が、そこはかとなく感じられる。だが、その強さや場所がまるでつかめない。それがまた不気味であり、二頭の警戒心を刺激して止まないのだ。それは麗夢とて同じである。「一つ威嚇してみましょうか」
 麗夢は左手サイドの兵器管制システムを立ち上げた。お?と驚く榊の脇で、軽やかな機械音と共にプジョーの後部トランクが開き、大きな円筒形が金属アームに支えられてせり出してきた。霊波追尾式七連装ロケットランチャーである。管制システムの追尾装置が目の前の対向車を捉え、照準をセットする。
「麗夢さん、トンネルを壊さんで下さいよ」
「威嚇よ威嚇。命中寸前で自爆させるわ」 「ワンワンワン!」
 今にも発射ボタンを押そうとした麗夢を、ベータがけたたましく吼え立てて制止した。その注意するところを聞き取った麗夢と榊は、あっと息を呑んで対向車の姿を見た。相手の車の背後にも、こちらと同じロケットランチャーの姿が見えるではないか。物は試しと両サイドのバルカン砲を立ち上げてみたが、全く同時に相手の車も寸分違わぬ武器を出してきた。車内の様子は窺えないが、やはりこちらと同じように首を傾げる自分が運転席に座っているのだろうか。
「本当に鏡なの? でも、さっき確かに榊警部の声が向こうからも聞こえたし……」
 麗夢がそう呟いた瞬間だった。相手の車が、初めてこちらの真似ではない明確な意志の存在を示した。ロケットランチャーが一瞬明るく輝き、三筋の白煙を靡かせてロケット弾が撃ち出されたのだ。
「警部! 早く乗って!」
 慌てて榊が乗車するのを確かめる間もなく、麗夢はアイドリング状態だったプジョーカブリオレのアクセルを思い切りよく踏み込んでギアをローに叩き込んだ。たちまち猛々しいエンジン音が高らかに鳴り響き、がっと地面を噛んだタイヤが、凄まじい瞬発力で車体をダッシュさせた。そのうちにも見る見るロケットが迫ってくる。麗夢はその軌道を読んでハンドルを切り、同時にバルカン砲を自動迎撃モードにセットして、ロケット弾を迎え撃った。巨大なミシンのようなけたたましい発射音と共に幾筋もの曳光弾がトンネル内を彩り、その直後に真っ赤な閃光が三つ、プジョーの左右で華開いた。助かった、と思った瞬間、麗夢の目の前が真っ白に染め上げられた。ロケット弾に気をとられた隙に、相手のプジョーが、体当たりせんばかりに急速接近してきたのだ。
「危ない!」
 麗夢の悲鳴と耳をつんざく急ブレーキ音が二重奏を奏でた。突然の急ハンドルにバランスを取り損ねたプジョーが、ほとんど横向きになってトンネル内を滑る。が、すんでの所でタイヤの摩擦が運動エネルギーを凌駕し、二つのプジョーは衝突だけは避けられた。
「大丈夫? アルファ、ベータ、榊警部?」
 麗夢は後部座席で散々転がされてのびている二匹や、助手席でうつ伏せ状態の榊に声をかけた。
「う、うーん……。」
 榊のうなり声が聞こえ、アルファ、ベータのくぐもった鳴き声が届く。気絶しているらしいが、見たところ命に別状はなさそうだ。麗夢はほっと息をつき、外のプジョーに目をやって、そのまま驚きのあまり固まった。いつの間にか麗夢の愛車そっくりのプジョーの姿が消えている。代わりに麗夢の視界に飛び込んできたのは、そこに佇む一人の男の姿であった。
「なかなか楽しかったぞ」
 贅肉一つないすらっとした長身と、精悍なマスクが人を引き込むような魅力溢れる笑みを浮かべている。ほころんだ口元から真っ白な歯がのぞき、トンネルの中だというのに、きらりと輝いているように見える。恐らくそれだけなら、思わず麗夢もぽっと頬を染めて上気したことだろう。いい男、の典型的な姿が、そこにあったからだ。だが麗夢には、男の上辺の美しさ以上に強烈な、意志の存在も見えていた。その肉体を包むように広がっている強力なオーラは、まさに悪意に満ちたどす黒さを見せつけていたのだ。麗夢は油断無く身構えると、左脇のホルスターから愛用の拳銃を手に取り、車から降りた。
「貴方、誰?」
 すると男は、楽しくてしょうがないという笑いを顔全面に広げながら、麗夢に言った。
「私の名は、松尾亨。南麻布女子学園物理教師にして、古代史研究部の顧問、と言えば、理解しやすいかね?」
「な、何ですって? でも松尾先生は死んだって……」
 すると、松尾と名乗ったその男の朗らかな笑みが、突然傲慢で嘲りに満ちた笑いに変化した。
「その通り。あの愚か者は二ヶ月前に死んだ。だが、殯(もがり)の時を終えて甦ったのだ。原日本人の真の王として」
「原日本人!」
 麗夢は、再び聞かされたその禍々しい響きに絶句した。脳裏にあの四人の少女達の姿が去来する。
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2.葛城山 水越峠の怪 その4

2008-04-27 20:42:19 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「貴方も、荒神谷弥生さん達の仲間なの?」
 すると松尾は、ふん、といかにも小馬鹿にしたような顔で麗夢を睨んだ。
「あのような下級巫女共と我を一緒にしてもらっては困る。申したであろう? 我は真の王だ、と」
「貴方が本当の「闇の皇帝」だと言うわけね」
「皇帝? あああの獣のことか。あんな物、後世の生き残りが勝手に名付けた代物だが、あえてそう呼びたいのならそんな中国からの借り物じゃなく、我が国らしく、「大王(おおきみ)」と呼んでもらおうか、夢守殿?」
 !
 この男、私が何者かちゃんと知っている!
 麗夢は一段と警戒心も露わに、松尾に言った。
「それで、原日本人の大王様は、一体何が望みなのかしら?」
 松尾は再び轟然と肩をそびやかし、満面の笑みを湛えて麗夢に言った。
「知れた事よ。この島国を再び我が手に掌握し、ひいてはこの星を我が足下に跪かせる。全知全能の現人神(あらひとがみ)として、世界に君臨するのが我が定めだ」
「でも、「闇の皇帝」は時空の狭間に封印したわよ。貴方一人で何が出来るの?」
 麗夢の皮肉げな笑みは、相手の更に嘲り濃厚な笑いに打ち消されてしまった。
「あんな小道具などあってもなくても変わりはない。我が国には、もっと素晴らしい物が埋まっているのだ。お前達夢守の力で封印された、素晴らしい物が」
「どういう意味? それは!」
「ふふふ、いずれ判る。さて、今日の所は元気そうな顔を一目見ておきたかっただけだ。仕度を整え次第改めて迎えに参る。かつてこの島を支配した原日本人の二柱の神の一対、夢守の巫女たるお前をな」
「私が、原日本人の神?」
「神にして我が后、それがお前だ」
 麗夢は、ふっと鼻で笑って松尾に返した。
「随分と強引なプロポーズね。でも、そんなムードのかけらもない言葉じゃ、靡くわけにはいかないわ」
「我もまだ復活して日浅く、何かと仕度が不足しておる。だが、我が真の姿を見れば、その様な世迷い言を口にすることもなくなるであろう」
「それなら、今の貴方を討つのは簡単という事ね」
 麗夢は愛用の銃を取り出すと、銃口をまっすぐ松尾に突きつけた。しかし松尾は、麗夢の銃などまるで目に入らないかのように言った。
「では、今しばらく大和にあれ。それほど長い時間はかからない。その時こそ、我と祝杯を挙げよう」
「ま、待ちなさい!」
 麗夢の目の前で松尾の姿が急速に薄れていった。慌てて引き金を引こうとしたときには、既に松尾の姿はなく、ただその嗤いだけがトンネル一杯に木霊するばかりだった。
「楽しみに待っていろ夢守。次の逢瀬をな」
 麗夢は走り出そうとして、前後から叩き付けられた耳をつんざくクラクションに飛び上がった。気がつくと、いつの間にか辺りは普段のトンネルになり、後続も対向車線も、横になって道を塞いだプジョーの為に酷い渋滞が起こっている。麗夢は慌ててプジョーに飛び乗ると、止まっていたエンジンをスタートさせ、脱兎の勢いで奈良に向かって車を走らせた。助手席で眠り込んでいた榊警部は、目覚めた途端目に入った麗夢の険しい表情に、思わず息を呑んだ
「あ、さっきの車は一体どうなりました、麗夢さん?」
「消えたわ。それより榊警部、ちょっと用事が出来たから、もうしばらくこっちに残るわよ」
「仕事ですか」
「ええ、飛び切りの、ね」
 原日本人の呪縛。麗夢はまだ自分を縛る呪いが生きていたことに、暗然とした思いに沈んだ。
(こんな悪夢はもう終わりにしないと。あの娘達も浮かばれないわ)
 麗夢は原日本人の記憶に囚われ、若い命を散らせた四人の少女達の顔を一人一人脳裏に浮かべ、決意を新たにハンドルを握った。
(そう言えば鬼童さん、どうしてるかな? 松尾さんとは親友だって言ってたけど……)
 鬼童も、敬愛する親友がこのような茶番に巻き込まれていると知れば、矢も楯もたまらず関西方面に出てくるだろう。麗夢はこの事を鬼童に知らせたものかどうか迷った。
 だが、それもほんの一時のことだった。麗夢の携帯に、鬼童からのコールが入ったのである。
「鬼童さんだわ。警部お願い!」
 麗夢は可愛らしい携帯電話を隣の榊に渡した。
「もしもし、ああ、今麗夢さんと一緒にいるんだ。場所? 水越峠という大阪と奈良の県境だが……。何? 今から法隆寺へ行け? どう言うことだねそれは……。判った。とにかく向かってみよう」
 どうにも腑に落ちないと言う顔で、榊は携帯を麗夢に返した。
「麗夢さん、ディナーはちょっと後回しにして、法隆寺に向かってくれませんか」
「法隆寺? 鬼童さんがそこに行けって?」
「ええ、何でもあらゆる事に優先する緊急の用事だそうです。しかし、一体何なんだろうな」
 麗夢の勘にぴんとくるものがあった。さっきの松尾関連のことかも知れない。
「まあ行ってみれば判るわね。榊警部、法隆寺までの地図を見て頂戴」
「判った」
 プジョーはさっき入ったばかりの水越トンネル奈良側出入り口を飛び出ると、軽快なエンジン音を高鳴らせながら、針路を北向きにとった。目指すは奈良県生駒郡斑鳩町。日本最古の木造建築がそびえ立つ我が国最初の世界遺産、聖徳宗総本山法隆寺である。
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3.仁徳天皇陵 その1

2008-04-27 20:41:45 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「ここが仁徳天皇陵か……」
 大阪府堺市。
 摂津、河内、和泉の三国の境界に位置する交通の要衝であり、戦国時代は、ベネツィアと並び称されるほどの貿易都市として栄華を極めた。織田信長の軍門に下るまでは、戦国大名達に互して自治と独立を維持した要塞都市。その血脈を今に伝え、現在も関西経済圏の重要な一角を占める、人口八〇万の大都市の中心部に、その小山は鎮座していた。
 ちょっと見には、ただこんもりした森に覆われた、小高い丘にしか映らない。あまりにスケールが巨大すぎるため、地上からその全体像をうかがうのが不可能なのだ。しかし、もし数百メートルほど垂直に登ることが出来れば、満々と水を湛えた最大幅一二〇mに達する巨大な内堀や、鬱蒼と茂る灌木によって緑の山と化した前方後円の偉容を目にすることが出来るはずだ。鍵穴、壺、昔の車などを模したとも言われる独特な形状の、全長四八〇m、全幅三〇〇m余の巨大な人工建造物。これが堺市が誇る世界最大の墓、仁徳天皇陵である。
 鬼童は、宮内庁、そして死んだはずの松尾によって強引に南麻布女子学園古代史研究部室を追い出された後、準備もそこそこに松尾データの検証の旅に出たのだった。あの、邪魔が入る寸前に松尾の残したフロッピーから拾い上げた謎の数値。一つ目と二つ目が緯度経度を表すことはほぼ間違いないとして、残る三つ目の数字の謎を解くには、現地に行ってみるよりない、と考えたのである。もちろん元のデータは既に灰燼に帰したが、あの時画面に映っていた数字の羅列は、今も鬼童の頭脳にしっかりと刻み込まれていた。「夢サーカス」の一件で、フランケンシュタイン公国でかいま見ただけの兵器をまさに本物そのままに再現して見せた鬼童の記憶力は、たかだか数十行のデータを取りこぼしたりはしなかった。その記憶を元に、鬼童は、全国に散らばるデータの中でも、最大級の数値が集中する関西、更にその中でもっとも大きな数値を示したこの仁徳天皇陵目指してはるばるやってきたのである。
「北緯三四度三三分、東経一三五度二九分、松尾のデータをそのまま読めば、三つ目の謎の数値がもっとも大きい所は、ここで間違い無いはずだが……」
 鬼童は、松尾のデータを落とし込んだ地図と目の前の仁徳陵とに目をやりながら歩き始めた。地図には、松尾データの緯度経度情報を元に、データの三つ目の数字を三段階に分類し、大きい順に三サイズの円で書き記してある。最大級を表すのが大きさ一センチの円で、ここ仁徳陵を中心として、履中天皇陵、反正天皇陵、百舌鳥陵墓参考地の御廟山古墳、西百舌鳥陵墓参考地のニサンザイ古墳など、わずか半径二キロの円内に集中している。更に東へ一〇キロ離れた日本第二の大きさを誇る応神陵を中心に日本武尊陵、仲哀天皇陵、允恭天皇陵、仲津姫皇后陵などの巨大古墳が集中する古市古墳群にも、大きな円が多数記されている。また、遠く東に屏風のごとく連なる生駒山地、葛城金剛山地の山並みを越えれば、日本最古の歴史が眠る奈良県の盆地になる。鬼童の地図では、その奈良のあちこちにも大小の円が重なり合うようにして印が打たれており、そのほぼ全てが古代の天皇陵、あるいは陵墓参考地に指定されているのである。
「あるいは松尾は、天皇陵を重点的に調査したのかも知れないな。どちらにしてもまずは実地調査だ」
 歩きながらも鬼童は、あまりに自然なその光景に、強い違和感を覚えていた。松尾のデータがもし霊的磁場の強さだとしたら、もう少し何か異常が感じられてもいいはずなのだ。あるいは麗夢さんや円光なら何か感じることが出来るのかも知れないが、それにしてもあまりに普通すぎる……。鬼童は周囲を見回した。関西圏の大都市らしく、ほとんど古墳の際まで住宅が建て込み、多数の人間が日々の営みをこの古墳周辺で送っているのが見て取れる。これだけ人が多ければ中には円光の千分の一くらい鋭敏な霊感を持つ人間だってそれなりにいるだろう。あるいは深夜のタクシー業者などが噂するような怪異な現象が頻発してもおかしくない。だが、少なくともネットで検索してみた限り、その様な妖しい噂は片鱗もこの周辺では認められなかった。この光景を見る限り、あの松尾データの方が何かおかしいのではないか、とさえ、鬼童ですら思うくらいである。
「ひょっとして強力な結界が張ってあるのかも知れんな。平智盛は夢見人形が結界の役目を果たしていたし、「闇の皇帝」も、あっぱれ四人組が麗夢さんの力を必要としたほど強力な結界で抑え込まれていた。となると、ここも結界を構成していても不思議ではない」
 鬼童が外堀に沿ってしばらく行くと、右手に幅広い橋が現れ、その先に大きな参道が繋がっているのが見えた。そのはるか奥に、小さな鳥居が柵に囲われている。仁徳陵拝所である。一般人が入れるのはこの拝所までで、鳥居の際から広大な内堀が広がり、禁制の聖域となっていた。
「せめて古墳の方に上がれたら何か判るかも知れないが……。ん? あれは何だ」
 外堀を渡り、次の中堀に差し掛かったところで、鬼童は眼下の水面に気を取られた。近づいて左手の欄干に身を乗り出す。
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3.仁徳天皇陵 その2

2008-04-27 20:41:40 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「蛇、か?随分いるみたいだが……」
 随分というような数ではなかった。鬼童が見守る内にも、長い身体を苦しげにくねらせながら、次々と蛇が水面に浮かび上がってきたのだ。程なく橋の下は蛇ののたうつ姿で一杯となり、ほんの数分も経たぬ間に、何万匹いるとも知れぬ蛇で堀が埋め尽くされた。蛇達はしばらくのたうち回っていたが、やがて力つきたのか、蠢くのを止め、白い腹を向けてただ浮かぶものが増えてくる。
「アオダイショウ、ヤマカガシ、マムシもいるな。一体どこからこんな蛇が……」
 その瞬間、鬼童は凄まじい圧力を感じて天皇陵に振り返った。
「あ、あれは!」
 目の前の森に、半透明の鎌首が持ち上がった。陵の小山と比較すれば、およそ三〇〇mはあろうかという巨大な蛇の姿である。禍々しい逆三角形の頭をもたげたその蛇は、鬼童に向け、高層ビルさえ一のみにしてしまえそうな口を思い切り開いた。
「うわっ!」
 咄嗟に鬼童はその身体を地面に伏せた。その上を、音もなく薄く透けた白い顎が掠めて飛び抜ける。だが、その襲撃は一回だけで終わった。地表すれすれを飛んだ鎌首はそのまま大きくカーブを描いて上空に立ち上がり、口を大きく天に広げて無音の咆哮を上げると、そのまま東に向けてゆっくりと倒れ、地面に落ちる寸前、日を浴びた淡雪のように、すうっと消滅したのである。
「あ、あれは!」
 異様な気配を感じた鬼童は、南の方角に目をやった。そこに、今見たばかりの巨大な白蛇の姿が、折しも沈みはじめた西日に透けて、持ち上げた鎌首を苦しげに振り回す様が見えた。およそ数百m程だろうが、その姿が巨大すぎてうまく距離がつかめない。更にその西側でもやや小振りな蛇が三匹立ち上がり、仁徳陵と同じように、宙をあがいては倒れ伏し、やがて姿が消えていった。
「履中天皇陵とニサンザイ古墳、いたずけ古墳と御廟山古墳だ」
 鬼童は、およその見当を付けてその蛇の位置を割り出した。
「しかし一体何なんだあれは?」
 堀に浮かんだ無数の蛇。そして煙のように生まれて消えた巨大な蛇の頭。嫌な予感は一段と増す。あれこそ智盛や闇の皇帝も凌駕する、巨大な精神エネルギーの正体であろうか?
「くっ! 間に合わなかったわ!」
 突然あがった声に、鬼童は驚いて振り返った。そこに忘れようとしても忘れられぬ顔が、一段と険しい表情を刻んでいた。
「君は!」
 振り返った加茂野美里も、一瞬びくっと驚きを見せたが、すぐに冷静さを取り戻して鬼童に言った。
「貴方一体どうしてここへ?」
「松尾のデータを調査するために、あれから直ぐに飛んできたんだ」
「貴方、データを持ち出したの?!。何て事を!」
 加茂野が口を尖らせて突っかかってくる前に、鬼童はぴしゃりとはねつけた。
「見て記憶しただけだ。それより間に合わなかったというのはどう言うことだ?」
「貴方には関係ないわ! さあ、ここは危険だから、さっさと避難して頂戴!」
「関係ないとは言わせないぞ! 大体君は本当に宮内庁の職員なのか? 宮内庁の書陵部に、特別陵墓監督官なんて言う職は無いじゃないか!」
「答える必要を認めません。とっとと出ていかないと、つまみ出すわよ!」
 こうして鬼童と加茂野が言い合いを始めそうになったときだった。突然二人は、異様な気配を感じて仁徳陵の方へ向き直った。
「ま、松尾……」
 鬼童は、鳥居の下に現れた一人の男の姿を見て、思わず呟いた。鬼童と張り合う長身に精悍なマスクが笑みを浮かべている。しかし、その目は笑っていない。射込むように見つめるその目からは、物理的な圧力さえ覚えるほどの強烈極まる悪意が叩き込まれてくる。鬼童は思わず生唾を呑み込んで、その視線に魅入られたように立ちつくした。
「また会ったな、美里、それに鬼童。生きていたとは、さすがかつて俺の認めた二人だよ」
「貴方に認めてもらった覚えはないわ! いい加減その姿を辞めたらどうなの!」
 加茂野がまっすぐ一歩踏みだし、松尾を睨み付けた。すると松尾は、ふっと笑みをこぼすと加茂野に言った。
「この身体、結構気に入ったのでね。念願成就の暁にも、この身体のまま世を統治することにしたよ。君も恋人が世界を統べる大王になってうれしいだろう?」
「君が、松尾の恋人?!」
 鬼童は目を丸くして隣に立つ女性を見た。松尾のことで知らないことはない、と思いこんでいた鬼童は、そのプライベートで自分にすら秘密にしていた事があったと言う事実に驚愕したのだ。
「ん~? 知らなかったのか鬼童。俺は来年にはそのお嬢さんと結婚するつもりだったんだぞ。相変わらずそう言う方面は鈍いと見えるな、お前は」
「け、結婚? 松尾が結婚?」
「そう驚くな鬼童。誰にだって秘密にしていることは一つや二つはある。それより俺は美里に一言詫びねばならん。ようやく真の配偶者が見つかったのだよ。君とは一〇年来の付き合いで結婚まで約束したが、そう言うわけだからあの婚約は解消だ。もっとも、側室でもいいというなら歓迎するが……」
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3.仁徳天皇陵 その3

2008-04-27 20:41:35 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
「いい加減にして! 貴方はただの化け物だわ! 彼の姿をしていることさえ許し難いのに、口調までまねて亨の振りをするなんて許せない!」
「怒るな怒るな。今は癇癪の一つもあるだろうが、俺が世界を手に入れたときには、また考えも変わるだろうよ。だがまずは、封印された我が力を取り戻すのが先決だ。その後あの夢守を迎えに行く。うれしいことにこの山向こうに来ているんだ。探す手間が省けて助かるよ」
 夢守、と言う言葉に、鬼童の耳がピン!と立った。
「ま、まさか麗夢さんと会ったのか、松尾!」
 すると松尾は、おどけたように笑顔を閃かせると鬼童に言った。
「ほおう、鬼童、お前も知っていたのか。あの娘、今でも麗夢と名乗っているとはな。麗しき夢、か。代々の夢守に受け継がれた名前だそうだが、原日本人の大王の后に相応しい佳き名であるな」
「原日本人……あの娘達と同じ仲間か」
「おいおい、お前まで同じ過ちをしてくれるな鬼童。あれは我らの下級の巫女にすぎん。ついでに言っておくが、「闇の皇帝」とかいう物も、後世の生き残りが勝手に名付けた代物だ。あれなど此処に瞑る力と比べれば、ただの小道具に過ぎん」
 そうだ、この地に瞑るという巨大な力! 
今はそれこそが肝要であろう。鬼童は息せき切って松尾に言った。
「僕はそれを検証しに来たんだ! やはりさっきの大蛇がその力か?!」
 すると松尾は見るからに不機嫌そうな表情に変わった。
「あれが偉大なる我が力だと? 鬼童、お前の目は節穴か! よかろう、かつての親友のよしみに免じて見せてやる。これが本当の俺の力、かつて裏切りし夢守達によって分割され、封印された我が力の片鱗だ」
「駄目よ!こんな町中でそれを開放したら!」
「いずれこの世は我が支配下に堕ちる。この世に残された力を全て取り戻した時、根の国に封じられた真なる我が力が開放されれば、こんなものでは済むまい!」
 加茂野の制止を無視して、松尾は大きく両手を広げ始めた。
「止めてぇっ!」
 加茂野の右手が、左脇に隠し持っていたホルスターから西部劇のヒーローさながらの早業で拳銃を抜き放ったと見えた瞬間、乾いた音色が鬼童の耳を打った。同時に松尾の胸の辺りから黒っぽい破片が飛び、その足元に落ちた。
「効かないよ、そんなおもちゃは」
 鬼童は、松尾の足元の黒っぽい破片が蠢いているのを見た。百足だ。胴体をうち砕かれ、頭の部分三センチほどになった大きな百足がのたうち回っている。続けざまに加茂野の銃が火を噴いた。三発、四発と松尾の身体に吸い込まれていく。だが、そのたびにぱちっと異音を発して、松尾の足元に引きちぎられた百足の身体が飛び散った。やがて、一発が松尾の額に命中した。今度こそ、と加茂野は銃を引いたが、額を打ち抜かれ、致命傷を負ったはずの松尾は、全く動じずラジオ体操でも始めるような調子で、大きく腕を振り上げた。 瞬間、辺りの静寂が深まった。日常の喧噪が削り取られ、全くの無音が世界を支配した。その直後である。突然くぐもった地鳴りが仁徳陵の方角からわき起こり、それが急速に大きくなって、やがて大地を揺るがす大音響となって地面を大きくうねらせた。あちこちに巨大な地割れが走り、タイヤを取られた車が次々と自由を失って、あるものは停止し、あるものは所構わず激突して火の手を上げた。巨大な仁徳陵を覆う木々が内堀に次々と雪崩落ちて飛沫を上げる。阪神大震災にも耐えた建物達が、あるいは傾き、あるいは拉げて、たちどころにがれきの山と化していった。およそ一分間に渡って続いた破壊の序曲は、松尾が手を下ろしたことでようやく終章を迎えた。
「どうだ、少しは理解できたか鬼童」
 鬼童は、地面に四つん這いになったまま松尾を見上げ、その額の穴から顔をのぞかせた百足の頭を見てしまった。赤い縁取りの穴から蠢く触覚と足を出し、再び中へと引っ込んでいく。その途端に、内側から肉が盛り上がり、額の傷が急速に修復されていった。
「君は一体……?」
「原日本人の真の大王の力、恐れ入っただろう? では俺はまだやらねばならないことがある。また会おう、鬼童海丸。加茂野美里」
 松尾の姿がうっすらとぼけ、やがて鬼童の目の前から消えた。鬼童と加茂野は、時ならぬ直下型地震に襲われた阿鼻叫喚の地に取り残され、無念のほぞをかむばかりであった。だが、いつまでもそうしているわけにはいかない。鬼童は加茂野に振り返ると、改めて言った。
「今度こそ話してくれるだろうな」
「ええ。どうやら貴方もこの件からは逃れられない運命を持っているみだいだし……。でもその前に教えて。貴方と夢守の、その、麗夢さん、と言ったかしら。彼女とはどういう関係なの?」
「ど、どういう関係って、それは……」
 あからさまに問われて鬼童はうろたえた。さっきの松尾のようにはっきり言えれば苦労はないが、未だそこまで親密な関係が出来たわけではない。だが、加茂野は加茂野で、そんなことが聞きたいわけではなかった。
「言いたくないなら別にいいわ。それより連絡は取れる?」
「あ、ああ」
「じゃあ今すぐ法隆寺に行くように言ってちょうだい。出来るだけ早く、一刻の猶予もないわ」
「法隆寺だって?」
「そう。この戦いの帰趨は、それにかかっているわ」
 思い詰めたような加茂野の顔に、鬼童も真剣な眼差しで頷き、ポケットから携帯電話を取りだした。
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4.玉置神社 その1

2008-04-27 20:41:03 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
 山の日は早く落ちる。特に東西を切り立つような高山に挟まれた谷筋では、平地よりも急速に闇が押し寄せてくる。円光は早めに抖藪を切り上げ、今夜の宿にと玉置神社の石段に足をかけた。南麻布女子学園での激闘を終えて早二週間。麗夢殿は立ち直っただろうか、と円光はまた考えていた。
 あの時、自分もまた失われた古代日本人の末裔と知った麗夢の衝撃は軽いものではなかった。一時は戦闘不能に陥ったほど、その事実は麗夢の心の奥深くに突き刺さった。闘いが終わった後、外観上は立ち直ったかに見えたが、はたしてあれほどの衝撃が後に残らずにすんだと信じるほど、円光は楽観的にはなれなかった。
(だが、それもまた修行の礎。強くなって下され、麗夢殿)
 円光はそう祈りつつ、後始末に残った麗夢と鬼童を残し、一人また修行の旅に出たのである。
 今回は特に意識したわけではなかったが、久しぶりに大峯山系を走りたくなり、熊野から那智の滝を経て、人跡が絶えて久しい大峯山脈に分け入った。いわゆる修験道ルートの一つ、熊野古道である。重畳と千m級の山々を連ねた山脈は、修験者を呑み込むばかりに懐深く、どこまでも深い緑の絨毯を広げる。ひとたび迷い込めばいずこの谷とも知れず抜け出ることが出来なくなる、遭難必至の難ルートだ。それを円光は穀断ちのまま一睡もせずにひたすら走り続け、ようやく熊野三山の奥の院とも呼ばれる、ここ玉置山玉置神社に到達したのである。
(久方ぶりだが、何も変わっていない……)
 円光は、感慨深げに樹齢三千年と伝えられる御神木の神代杉を拝んだ後、国の重要文化財に指定されている、立派な社務所の前に歩を進めた。紀元前三七年、時の崇神天皇の創建と伝えられ、修験道の本拠地の一つとして人々の尊崇を集めてきた神社だけに、ほんの数年などこの境内では時間の内に入らないのだろう。我が日の本の神社でも珍しい「悪魔退散」という御神徳を誇るだけあって、その聖域の高貴さは、言うには及ばない。熊野奥駈けの終着と言うこともあったが、わざわざ円光がまだ日のある内にここを宿と定めたのも、そんな完璧に浄められた場所で、自分もまた日頃の煩悩を昇華し、新たな気持ちに生まれ変わりたいと願ったからに他ならない。 円光はその昔、十津川村郵便局として使われていたという古い木造二階建ての建物に入った。今は茶店と名前を変え、修験者の為の宿泊施設になっている。
「ここも変わっていないな」
 あたかも時が止まったような風情に、円光は満ち足りたものを覚えた。静謐なる透明感に包まれる中で腰を下ろし、錫杖を肩に座禅を組む。程なく円光の気は山の清冽な気と混じり合い、拡散して、円光自身が玉置山その物と化したかのごとく、動きを止めた。円光の気は更に周囲へと広がっていく。踏破してきた熊野の山々の息吹が感じられる。入り口となった那智の滝一〇八mの大瀑布を落下する水の一粒一粒が伝わってくる。北に返せば、これから進む大峰山系の様子が窺える。更にその先、大阪と奈良の境をなし、役行者ゆかりの地として古くから尊崇を集める葛城山の様子が……?。
 円光の気が滞った。見えるはずの葛城山が感じられない。二上山から始まり、金剛山へと続く高さ千mの岩の屏風が、どう心を澄ましても見えてこない。だからといって心を乱したりする事はないが、不審な思いはどうしても拭えない。すると、今はひたすら拡散していた円光の気が、再び異様な臭気を捉えた。腐臭に近い不快な気配が微かに伝わってくる。円光は無意識に錫杖を手に取った。心はあくまで三千世界に傾けつつも、円光の研ぎ澄まされた防衛本能が、危険を察知したのである。円光の錫杖が軽く上がり、やがて、突然その先が床に突き立てられた。プチ、とした手応えが円光の心にわずかに届く。同時に異様な臭気が途絶え、不穏な気が霧散していった。円光は再び深い瞑想に入った。相変わらず葛城山が感知できないのが不思議だったが、円光の意識は、もうそんなことに煩う事はなかった。
 静かに時間だけが動いていく。悠久の流れの中では刹那にしか見えない時間が、ゆっくりと過ぎて夜が深まる。円光の鼻に、再び何かが香ってきた。たださっきと異なるのは、その香りが得も言われぬ好ましい華やぎを円光に覚えさせたことだ。仏陀が菩提樹の下で瞑想に耽っていたとき、これを誑かそうとする悪魔が様々な幻覚で仏陀を魅惑しようとしたという。これもその類だろうか。円光は無意識にそんなイメージを持って、再び錫杖に手を添えた。やがて、香りはより具体的なイメージを伴って、円光の意識にささやきかけた。
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4.玉置神社 その2

2008-04-27 20:40:58 | 麗夢小説『夢封じ 大和葛城古代迷宮』
『円光様、円光様』
 気が付くと、座禅を続ける円光の目の前に、一人の女性が白一色の衣をまとってかしずいていた。その面影が想い人に似ているせいもあって、円光の意識がわずかに変化する。途端により判然とその女性の姿が脳裏に映った。
『円光様、円光様』
 あと思う間もなく、女性の姿が重なり合って増えていった。二〇人程度までは意識されたが、更に増えていく女性に円光は無理にそれを意識から追い出そうとするのを諦めた。何事も流れの内にある。無理に無視を決め込むのもまた作為でしかない。円光は再び気を静めて、女性の姿を凝視した。
(ほう、皆麗夢殿か……)
 円光は軽く苦笑いして、一斉に顔を上げたその女性達を見た。皆、驚くほど麗夢に似ている。円光の夢想は、ただ麗夢の姿を追い求めていただけなのかも知れない。円光は瞑想を諦めると、目の前の麗夢に話しかけた。
「これは麗夢殿、拙僧に何か?」
『円光様、我ら麗夢の名を持つ歴代の夢守、円光様に見参してお願い致したき儀がござりまする』
 何? 歴代の夢守? 円光の意識がにわかに改まった。これは拙僧が妄想した麗夢殿ではない……。
『もう寸毫の間に、我らの祖先が苦心の末に封じ込め、護り続けた封印が解けます。これまで栄華を続け、太平の内に時を刻んできたこの国を亡ぼすために』
「それで?」
『我らはその滅びの時を防ぎ、再び混沌の時無き闇に封印を施し直すため、円光様にお願いしたいのです。我らの願い、お聞き届けいただけましょうや?』
「どのような事か申されよ。拙僧の力の及ぶ限り、ご助力差し上げよう」
 すると、その場の雰囲気が少し華やぎを増した。円光は麗夢そっくりの数十人に期待の視線を寄せられ、心ならず頬を染める。
『封印は、我らの末葉が仕りまする。円光様にはそれを護り、封印の成就にご助力願いたく存じます』
「末葉というと、麗夢殿か」
 一斉に『麗夢達』が頷いた。
「それはわざわざ言うまでもない。拙僧、命に替えても約を違えることはありますまい」
 すると『麗夢達』は円光に言った。
『この社には、封印に欠かせぬ神具がございます。是非それをお持ち下さい。そして、今すぐ此処を発ち、法隆寺に行かれませ』
「承知した。で、その神具とやらは?」
『十種の神宝。神倭磐余彦(かむやまといわれびこ)が祭り、大海人(おおあま)が奉じた宝物です』
 いつの間にか、円光の前に頭巾、剣、鏡、など、幾つかのものが並べられた。
「心得た」
 円光が力強く頷くと、『麗夢達』も安堵したのか、一人一人声を掛けながら、その姿を消していった。
『円光様、しかとお頼み申しましたぞ』
『ゆめゆめお疑いなきよう』
『疾く参らせ給え』
 最後の一人が立ち上がった。深々と礼をすると、円光に言った。
『娘をお頼み申します。円光様』
 そして、にっこり笑って宙に溶けた……。
 ふ、と円光は目を開けた。いつの間にか眠り込んでしまったらしい。円光は修行足らざる己の不徳を恥じ、今一度山に戻ろうか、と思案した。しかし、それはほんの僅かな間でしかなかった。円光の目に、「十種の神宝」がきれいに並んでいるのが見えたのである。
「さては夢ではなかったか」
 円光は神具を集めると、懐にしまい込んで立ち上がった。その足元に、数時間前、異臭と共に円光を狙った、体長15センチはあろうかという一匹の大百足が、見事頭を潰されて転がっている。そんなことは露にも気づかず、円光は錫杖を手に漆黒の闇へ躍り出た。やくたいもなき夢ではないとなれば、この約定を果たさなければならない。目指すははるか北の方、北葛城郡斑鳩町に鎮座まします法隆寺である。
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