蒸し暑い部屋であった。
多分、8月の気候に加えて台風の接近が余計に湿気をもたらし、この不快を一段と高めているのであろう。それに、無造作に天井を這う電線から所々につられた裸電球の光が、急ごしらえでまだ内装が間に合わず、むき出しになった土を熱く照らし出している。本来、人は狭苦しい場所に逼塞し、太陽もなしに正気を保っていられるほど強い生き物ではない。だが、「本土決戦」という狂気に囚われ、絶対不可能な逆転を夢見る男達には、閉所恐怖症などに構っている余裕はなかった。その中でも一番奥まった穴の底に集う数名は、まさしくこの穴に充満する狂気の渦の中心であり、煮えたぎる地獄の釜に浮沈する餓鬼達であった。
「それで間に合うのか? 道賢殿!」
帝国陸軍の将校服をぴしりと着こなしたにきび面が身を乗り出した。襟元の徽章が、男が帝国陸軍大尉であることを告げている。その隣の男も、同じ階級章を襟に付けて、充血する眼で相手を睨んだ。
「そうだ。もはや決号作戦の発令は時間の問題だ。それまでに道賢殿の研究が間に合わねば!」
「九州の全島要塞化も遅々として進まぬ今、道賢殿の『円光』だけが我らの希望なのだ!」
「一億総特攻の先陣を切り、我らを最後の勝利に導く。道賢殿はそう約束したな!」
口々に口角泡を飛ばして迫る青年将校達に、黙然と瞑られていたドングリ眼が、ぎょろりと見開かれた。途端にそれまで臆病な犬のように騒々しく吼え立てていた将校達が、うっと息を呑んで静まった。所詮まともな実戦にも出ず、東京の参謀本部で口だけの決戦をヒステリックにわめくしか脳のないインテリ軍人には、目の前の異相の眼力をまともににらみ返す力はない。だが、今にも咬みつかぬばかりに鋭い光を放った目は、すぐにまた閉じられた。
「主ら、心配することはない。『円光』はもう一両日中には目を覚ます。主らがこうしてわしの邪魔をしなければな」
「き、貴様ぁっ! 言わせておけば・・・」
一人の将校が、肥大した虚栄心にまともに唾を吐きかけられ、顔を真っ赤に染めて腰の軍刀に手をやった。それを、最前列の将校が、一喝して制止した。
「止めろ浦崎大尉! 大先達様に無礼は許さぬ!」
「それより、陛下が御心を降伏にお固めになられたというのは真か?」
頭襟、結袈裟、脚絆といったいわゆる山伏装束に身を固めたドングリ眼が、目の前の先任に問いかけた。
「はい、遺憾ながら。海軍には菊水作戦で喪失した戦艦大和を最後にまともに動く艦艇無く、空も日々グラマンやB29に我が物顔の跳梁を余儀なくされ、あまつさえ広島に投下された新型爆弾が街一つを破壊し尽くした。これを以て、陛下の大御心はもはや降伏に固められたと聞き及びます。ですが、我らの戦力が失われたわけではない。我が陸軍は、一億総玉砕の覚悟を以て本土決戦を戦い抜くべく準備を進めています。これをもって、何としても陛下をお諫め申し上げ、御再考を促さねばなりません。そのために我らの同志が実力を持って降伏の詔勅を奪い奉り、必ずその誤りを諌止申し上げる手はずになっております。我が神国日本が破れるなど、金輪際あり得ぬ事です」
「ならば、よい」
ドングリ眼がまた目をつぶった。その眼の裏に、懐かしく、かつ苦々しい情景が鮮やかによみがえる。
(大和・・・。海軍の愚か者共め! 我が言葉を素直に聞いていれば、『円光』のための素晴らしい脚を用意してやれたものを)
道賢の脳裏に、広島県柱島に浮かんでいたころの、世界最強戦艦の姿が描き出された。初めてそれを見たとき、道賢はほとほと感じ入って一目惚れしたのだ。
(あの存在感、あの重厚さ、まさしくあれこそ、『円光』が使う降魔の剣となれたであろう。それをあの馬鹿共がむなしく捨て去りおって。)
次々と浮かんでは消えていく連合艦隊司令長官、軍令部総長、海軍大臣という帝国海軍三顕職の顔に罵声を浴びせつつ、その沈没を道賢は惜しんだ。だが、失われたものは仕方がない。まずは『円光』を目覚めさせ、その上で、この地に眠る太古の力を開けば、大和の勇姿を再び海に浮かべることも不可能ではなかろう。いや、次に浮かべる鉄の城は、あの大和すら凌駕する文字通りの無敵戦艦として、その偉容を海に浮かべることになるだろう。こうして気を落ち着けた道賢は、目を開けると同時に腹から紅蓮の炎が爆発するのを覚えた。
「いつまでそうして突っ立っている! とっとと出て行かぬか!」
道賢の怒声に、将校達が震え上がったその時だった。
「落盤だ! 逃げろ!」
と言う叫びが、巨岩が転げ落ちるような轟音と振動に重なった。それまで不安定に洞窟内を照らしていた裸電球が大きく揺れて明滅し、遂にぷつんと熱い光を消す。その一瞬後、彼らの頭上に何万トンと知れない土と岩の塊が押し寄せ、狂気と野心とを永遠に葬り去った。
多分、8月の気候に加えて台風の接近が余計に湿気をもたらし、この不快を一段と高めているのであろう。それに、無造作に天井を這う電線から所々につられた裸電球の光が、急ごしらえでまだ内装が間に合わず、むき出しになった土を熱く照らし出している。本来、人は狭苦しい場所に逼塞し、太陽もなしに正気を保っていられるほど強い生き物ではない。だが、「本土決戦」という狂気に囚われ、絶対不可能な逆転を夢見る男達には、閉所恐怖症などに構っている余裕はなかった。その中でも一番奥まった穴の底に集う数名は、まさしくこの穴に充満する狂気の渦の中心であり、煮えたぎる地獄の釜に浮沈する餓鬼達であった。
「それで間に合うのか? 道賢殿!」
帝国陸軍の将校服をぴしりと着こなしたにきび面が身を乗り出した。襟元の徽章が、男が帝国陸軍大尉であることを告げている。その隣の男も、同じ階級章を襟に付けて、充血する眼で相手を睨んだ。
「そうだ。もはや決号作戦の発令は時間の問題だ。それまでに道賢殿の研究が間に合わねば!」
「九州の全島要塞化も遅々として進まぬ今、道賢殿の『円光』だけが我らの希望なのだ!」
「一億総特攻の先陣を切り、我らを最後の勝利に導く。道賢殿はそう約束したな!」
口々に口角泡を飛ばして迫る青年将校達に、黙然と瞑られていたドングリ眼が、ぎょろりと見開かれた。途端にそれまで臆病な犬のように騒々しく吼え立てていた将校達が、うっと息を呑んで静まった。所詮まともな実戦にも出ず、東京の参謀本部で口だけの決戦をヒステリックにわめくしか脳のないインテリ軍人には、目の前の異相の眼力をまともににらみ返す力はない。だが、今にも咬みつかぬばかりに鋭い光を放った目は、すぐにまた閉じられた。
「主ら、心配することはない。『円光』はもう一両日中には目を覚ます。主らがこうしてわしの邪魔をしなければな」
「き、貴様ぁっ! 言わせておけば・・・」
一人の将校が、肥大した虚栄心にまともに唾を吐きかけられ、顔を真っ赤に染めて腰の軍刀に手をやった。それを、最前列の将校が、一喝して制止した。
「止めろ浦崎大尉! 大先達様に無礼は許さぬ!」
「それより、陛下が御心を降伏にお固めになられたというのは真か?」
頭襟、結袈裟、脚絆といったいわゆる山伏装束に身を固めたドングリ眼が、目の前の先任に問いかけた。
「はい、遺憾ながら。海軍には菊水作戦で喪失した戦艦大和を最後にまともに動く艦艇無く、空も日々グラマンやB29に我が物顔の跳梁を余儀なくされ、あまつさえ広島に投下された新型爆弾が街一つを破壊し尽くした。これを以て、陛下の大御心はもはや降伏に固められたと聞き及びます。ですが、我らの戦力が失われたわけではない。我が陸軍は、一億総玉砕の覚悟を以て本土決戦を戦い抜くべく準備を進めています。これをもって、何としても陛下をお諫め申し上げ、御再考を促さねばなりません。そのために我らの同志が実力を持って降伏の詔勅を奪い奉り、必ずその誤りを諌止申し上げる手はずになっております。我が神国日本が破れるなど、金輪際あり得ぬ事です」
「ならば、よい」
ドングリ眼がまた目をつぶった。その眼の裏に、懐かしく、かつ苦々しい情景が鮮やかによみがえる。
(大和・・・。海軍の愚か者共め! 我が言葉を素直に聞いていれば、『円光』のための素晴らしい脚を用意してやれたものを)
道賢の脳裏に、広島県柱島に浮かんでいたころの、世界最強戦艦の姿が描き出された。初めてそれを見たとき、道賢はほとほと感じ入って一目惚れしたのだ。
(あの存在感、あの重厚さ、まさしくあれこそ、『円光』が使う降魔の剣となれたであろう。それをあの馬鹿共がむなしく捨て去りおって。)
次々と浮かんでは消えていく連合艦隊司令長官、軍令部総長、海軍大臣という帝国海軍三顕職の顔に罵声を浴びせつつ、その沈没を道賢は惜しんだ。だが、失われたものは仕方がない。まずは『円光』を目覚めさせ、その上で、この地に眠る太古の力を開けば、大和の勇姿を再び海に浮かべることも不可能ではなかろう。いや、次に浮かべる鉄の城は、あの大和すら凌駕する文字通りの無敵戦艦として、その偉容を海に浮かべることになるだろう。こうして気を落ち着けた道賢は、目を開けると同時に腹から紅蓮の炎が爆発するのを覚えた。
「いつまでそうして突っ立っている! とっとと出て行かぬか!」
道賢の怒声に、将校達が震え上がったその時だった。
「落盤だ! 逃げろ!」
と言う叫びが、巨岩が転げ落ちるような轟音と振動に重なった。それまで不安定に洞窟内を照らしていた裸電球が大きく揺れて明滅し、遂にぷつんと熱い光を消す。その一瞬後、彼らの頭上に何万トンと知れない土と岩の塊が押し寄せ、狂気と野心とを永遠に葬り去った。