かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

移動2冊目は私の一番のお気に入りな話です。

2008-03-20 09:42:46 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 旧作品移動の第2弾、順番どおり、かっこうの麗夢同人小説第2作となる、「悪夢の純情」をこちらに移しました。

 刊行は11年前の1997年の夏コミです。まだまだ荒削りなところが目立ちますが、実は現在11本書いている麗夢の長編小説の中で、これが一番のお気に入りだったりします。
 執筆のきっかけは、確か1995年のこと。大阪の環状線に乗っていたとき、ふと、このぐるりと街を一周する沿線を利用して精神エネルギーを加速する環状粒子加速器(サイクロトロン)を設置したらどうだろう? と思いついたのが最初でした。敵役の主従2人は、そのときちょうど通過しつつあった森ノ宮駅と桜ノ宮駅からとったものです。その後、舞台はやっぱり東京だろう、ということで山手線沿いに展開することを構想して東京の地図を購入しました。残念ながら山手線が真円には程遠いことを知って最初の構想を葬りましたが、改めて東京地下にサイクロトロンを設置することにして、コンパスで何度も地図の上に円を描き、渋谷と将門塚がちょうど線上になるような円を求めたのです。
 平将門にご登場願ったのは、当時の天狗な私の発想で、要するに、原作の死夢羅では最強の敵、というにはあまりに弱い。その弱さを際立たせ、上には上がいる、という形を作りたかったのがきっかけでした。西洋的な悪魔よりもよほど恐ろしく、強力な魔が我が国はある、ということを、示してみたかったのです。
 もう一つ、この小説で目標にしたのは、いわゆる精神エネルギーを物理的に解釈できる形に見せること、でした。当時、「飛べ! イサミ」を楽しんでいたのですが、そこで扱われる精神エネルギーを増幅する宝石「ルミノタイト」に、はなはだ不満を持っておりました。そもそも精神エネルギー自体どういうものか判りませんし、どういう原理でそれを増幅するのかもわかりません。娯楽アニメなんですからそんなことに拘泥する必要はなかったといえば言えるのですが、当時の私はたとえそれでもそれなりの背景なり理屈なりが必要だ、と思っていたのです。そこで思いついたのが精神感応超伝導体、という設定でした。わざわざ名前を同じにする、といういかにも稚気あふれることをやってしまいましたが、当時はせめてこれくらいの設定は考えて欲しい、などと思っていたのです。
 当時の超伝導現象を説明する理論として、2つの電子がペアを組んで原子核をすり抜けていくことで電気抵抗が無くなる、というものがありました。精神エネルギーだって、物理的に世界へ影響を及ぼしうる力であるからにはそれを構成する素粒子があるはずで、その素粒子、小説では霊子としましたが、その霊子が電子とよく似た性質を持ち、ペアを組むとしたら、それで超伝導現象が起こせるじゃないか! と考えたわけです。超伝導状態の物質の中では電気抵抗が無いのでエネルギーが減衰しません。精神エネルギーもまたしかりで、これにより永遠の精神、不死の生命が実現する、としたわけです。
 当時はこの小説のためだけに東京まで取材旅行に行って、将門塚、皇居、警視庁、などなどを見学してその様子を頭に収めたり、設定を補強するための本を読み漁ったり、今にして思えばとにかくがむしゃらに暴走しておりました。その過程で発見した将門公の命日は、ラストをどう締めるか思いつかずに座礁しかけていたこの小説を、一気に結末まで仕上げさせてくれた一大発見でした。
 
 鬼童とルミ子の出会いのシーンのように、経験不足から来るぎこちない流れが目立ったりもして、他にも今書いたらぜんぜん違った描き方ができるだろうな、と思うシーンもちらほらありますけど、この1冊を最後まで仕上げることができたおかげで、その後毎年1冊づつ長編小説を書けるようになり、今の自分があるわけですから、やはり私の同人生活のうえではもっとも重要な金字塔的1冊といえるのです。

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19. 4月4日 後日談

2008-03-20 08:46:55 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 東京に桜の名所は多いが、こんな所で花見する事になるとは、と榊はあくびをしながらその並木を見た。おぼろに霞む青空をバックにゆらゆらと花びらを散らす満開の花は、まるで夢の最中であるかのように榊をしつこく眠りに誘う。
 城西大付属病院の一室。
 窓際の微風に髭をなでられながら、榊は自由のきかぬ身を持て余していた。これというのも、四日前、重傷の身を押して病院を抜け出した無理が祟ったのだが、こうしてベットに縛り付けられて三日もすると、動きたくてしょうがなくなるのである。
(我ながら貧乏性だとは思うが・・・)
 榊は、煙草もない手持ち無沙汰をやや深刻に憂えながら、屑篭の中の丸められた紙を見た。「辞表」と表書きされたそれは、三月三一日の朝、見舞いに来た同僚に、高木警視正へ提出するよう頼んだ物である。既に内示が公表され、誰もが四月からの榊の地位を知っていたから、同僚は何も言わずに辞表を懐に入れて帰ったのだった。その同僚が、今朝になって不可解な笑顔とともに、処分の取り消しと公傷扱いの一カ月特別休暇を携えて、辞表を持って帰ってきたのである。
「よくわからんが、何でも夢見心地が悪かったらしいぞ」
 同僚は、わずか三日でげっそりと顔色悪くやせ細ってしまった高木警視正の様子をまじえながら、庁内に流布するうわさ話の断片を榊に聞かせた。その上で辞表を榊の目の前で二つに割き、丸めて屑入れに放り込んだのだった。
 夢見心地・・・。榊はその言葉にある事を連想した。
(やはり教えるべきではなかったか)
 榊は、四月一日のこの部屋で、自分の処遇を娘が麗夢達にばらした時の事を思い起こした。その時、榊はこちらも包帯だらけになった麗夢、鬼童、円光に問い詰められて、しぶしぶ辞める羽目に陥った事を白状させられたのである。三人はひとしきり警視庁の石頭ぶりを非難した後、結局それは自分たちの責任であると深刻に考え込んだ。榊はその時、三人がよからぬ相談を始めたように不安な予感がよぎったのだ。あれから三人が、どこで、何を、どうしたのか。ここから出られない榊にはさっぱり分からない。いや、判らない、というのは少々フェアとはいえないだろう。十分に想像はつくのだから。榊は思わずクスリと笑みをこぼしながら、恐らくは高木警視正を襲ったここ数日の悪夢のことに思いをはせた。だが、三人が次に見舞いに来た時にそれを問い正すべきかどうか、は、なかなかに難しい問題である。
(まあ、やはり礼を言うべきだろうな。みんなに)
 しばらくして苦笑とともに結論を出した榊は、壁の時計を見ながら一人ごちた。
「今日は遅いな」
 榊は再び窓の外の桜を見た。もうすぐあの下を通って、緑の黒髪をなびかせながらこちらに手を振る少女が、可愛らしさなら勝るとも劣らない猫と犬と、二人の眉目秀麗な男達を従えてやってくるはずなのだ。
(それまでは眠り込まないように・・・)
 榊は懸命に努力しながら、気持ちよい春風に舞う桜の花びらを見つめていた。

   終わり  
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18. 旧暦2月14日 夜明け その2

2008-03-20 08:40:57 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「やった・・・。やったぞ!」
 榊にこみ上げた感情は、円光にも伝染して手を取り合っての歓喜となった。その手は鬼童にも伸ばされたが、鬼童を取り込もうとした歓喜の波は、そこで演じられつつあった突然の悲劇に、悄然としてその勢いを失った。鬼童は、砕けたルミノタイトの被片が切った頬に埃と血をへばりつかせ、最期の時を迎えた相手に必死の形相で呼びかけていた。
「ルミ子、おい、しっかりしろ! ルミ子!」
 桜乃宮ルミ子は、今、ゆっくりと足下から透明になり、消えて行こうとしていた。辺り一面が廃虚と化した瓦礫の中で、その姿は塵一つ受け付けないほどに清らかに保たれていたが、鬼童の声に答えようとするその顔つきは、既に帰れぬ道に踏み出してしまった者のやすらぎともの悲しさに包まれていた。
「無事だったのね。海丸・・・」
「何故あんなまねをしたんだ! ルミ子!」
「勿論・・・、あなたを助ける為、じゃない・・・」
 口元にほころんだ笑みにかつての高慢は陰も潜まない。ルミ子は、既に物理的な質感を失いつつある手を上げて鬼童の頬の血を拭い取り、亀裂が入って輝きを失った自分のルミノタイトを取り出した。
「あなたにあげた方より、・・・私の方が質が良かったのね。でもこんなになったら・・・もう駄目だわ」
 ルミ子は、鬼童が設置したルミノタイトが将門の圧力に砕ける直前、自分のルミノタイトを使って二重の結界を生じさせたのだった。その力は遂に将門の勢いを凌駕し、見事相手をはじき返したのである。しかし、ルミノタイトの方も無事では済まなかった。鬼童の所持していた方はガラスのきらめきだけを残して散りはて、ルミ子をこの世につなぎ止めていたものも、その能力を著しく損なったのである。
「しっかりしろ! すぐに、今すぐに僕が新しいルミノタイトを作ってやる! だからまだ消えるんじゃない!」
 鬼童はこの時、一点の曇りもなく本気でルミ子をかき口説いた。だが、ルミ子は寂しく笑って鬼童に言った。
「だめよ、海丸。作れっこないわ」
「何故だ! 僕は君も認める天才だ! 出来ないわけがない!」
「それが駄目なのよ、海丸」
 ルミ子は消し飛んだ不死化装置の方を指さした。
「人の精神を定着できる能力を持ったルミノタイトはこの世にたった三つ。あなたが持っていたルミノタイト・アルファ、私のベータ、そして死夢羅博士に壊されたガンマ。その後は幾ら作っても、そんな性質を示す事はなかった・・・」
「偶然・・・。あれが出来たのは偶然だったというのか!」
「偶然で気に入らなければ幸運でもいいわ。私は、あなたがいてくれたから出来たと思っているのだけれど・・・」
 ルミ子の姿は既に足が消え、胸から下も透明度を増して顔の輪郭もぼやけつつあった。もはや手の施しようもない、と鬼童の理性は理解したが、沸騰する感情は、それを認める事を是としなかった。
「たとえフロックだったとしてもやり続ければいつかきっと必ず出来る! それまで消えるんじゃない!」
「無茶な事を言うのね」
 ルミ子は透明感の増した唇で微笑んだ。
「でもこれで良かったのかも・・・。か、海丸がルミノタイトに定着していたら、こうして抱いてもらうことも出来なくなっていたでしょうから・・・」
 精神エネルギーを永久的に保ち続けるルミノタイト。だが同じ能力のルミノタイトが並んだとき、互いの精神エネルギーにマイスナー効果を発揮する。すなわち、鬼童がもし永遠の命を手に入れたとしたら、鬼童とルミ子は二度と抱き合うことが出来なくなるのだ。その事に気づいた鬼童がかける言葉を失って、消えゆくルミ子を凝視していると、透明度を増したルミ子の唇が最期のつぶやきを漏らした。
「か、海丸・・・最後のお願い、聞いて」
「何だ、ルミ子」
「最期にもう一度だけ・・・」
 唇は動いたが、鬼童に声は届かなかった。だが、鬼童はルミ子の希望が何であるかをすぐに理解した。軽く目をつぶるルミ子の眼鏡を外した鬼童は、ゆっくりと自分の唇を相手のそれに触れさせた。一瞬だけ、かつての柔らかく暖かな触感が、鬼童の唇に甦った。だが、それも次の瞬間には淡雪のようにあっさりと消えさった。
「ありがとう、さようなら」
 鬼童は確かにそう聞こえたと思ったが、その瞬間にルミ子の姿は鬼童の腕の中から消えた。そして、ルミ子の精神を支えていたルミノタイトも、同時に細かな破片へと砕け散ったのだった。
「ふん、やっと消えおったか」
 背後の声にはっと振り返った鬼童らの前に、漆黒の闇に溶け込んだマントが翻った。
「死夢羅! 貴様生きていたのか!」
 円光は咄嗟に破邪の呪を口にしたが、にわかに盛り上がった戦意をそぐように死夢羅は空高く舞い上がった。
「無理するな、破壊坊主! わしはその忌々しい女がどうなったか確かめに来ただけよ。それよりも破戒坊主、わしの遊び相手を早く助けてやったらどうだ」
「何だと!」
「麗夢を早く助けてやれ、と言っておるのだ。馬鹿め」
 そうだ! と円光はさっき死夢羅とやり合おうとしたことも忘れ、もつれる足を叱咤して、サイクロトロンに走り出した。
 「麗夢殿! 今お救い申し上げる!」
 榊もまた麗夢を救出しに駆け出しつつも、油断なく死夢羅に意識を向けるのを忘れなかった。だが、榊はすぐに悟った。自分同様死夢羅もまた戦う余力を残していない事を。よく見れば黒一色で揃えたタキシードやマントは散々に破れ、スラックスも、ほとんどすだれのようで左足が露出している。そんな姿をさらしてまであえて様子を窺いに来るとは。榊は、ルミ子がいかに厄介な存在だったか、改めて思い知ったのだった。
 その死夢羅が消えるのを待っていたかのように、一筋の曙光がかすかに残った瘴気をきれいにぬぐい去った。長い夜は遂に明け、新暦四月一日の朝が、円光が抱き抱えた麗夢、アルファ、ベータも加えた四人と二匹を、暖かに包み込んだのだった。
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18. 旧暦2月14日 夜明け その1

2008-03-20 08:40:28 | 麗夢小説『悪夢の純情』
一方研究室では、まず円光が信じられないくらいにまで高まった麗夢の気に驚き、直後にそれを関知できないまでに呑み込んだ途方もない気の奔流に、驚倒せんばかりの衝撃を受けた。考えたくもない麗夢の断末魔が脳裏をよぎり、円光の身体は、本人の意志を離れて自然にバリケードに使う鋼鉄のパイプを放り出していた。
「待つんだ円光さん!」
 常にも増した瞬発力でサイクロトロンに飛び込もうとした円光を、榊はがっしと抱きとどめた。
「離して下さい、神殿!」
 円光は無理にも榊を振りほどこうともがいたが、榊は怒鳴りつけるようにして円光を押し止めた。
「麗夢さんを、それにアルファ、ベータを信じるんだ! 君にはしなければならん事があるはずだぞ!」
「しかし、しかし・・・」
 円光はなおも抵抗しようとしたが、目の端に動じようとしない鬼童の姿を捉えた途端、がっくりとうなだれるようにして榊に身体を預けた。
「・・・取り乱して申し訳ない。もう大丈夫です」
「いや、心配なのは円光さんだけじゃない。だが、ここは全員がベストを尽くさないと絶対にしのげない」
 榊に論された円光は、気を取り直して改めて鉄パイプを拾い上げた。榊も円光を止めるために放り出したセメントの固まりを、もう一度抱えて鬼童の前にごとりと置いた。更に円光と榊は瓦礫の中から手頃な材料を拾い集め、鬼童は入念に調整した角度にあわせて、出来上がりつつあったバリケードの先端に、挟み込むようにしてルミノタイトを取り付けていた。全ての準備が後数秒で片づくはずだった。しかし、事態の急変は、そんな希望をたちまちに消し去った。突然、三人の視界が、真っ黒に閉ざされた。サイクロトロンの出口から吹き出た暗黒の気が、一瞬にして研究室に充満したのである。
「しまった! まだ早い!」
 鬼童の焦りの色も濃い悲鳴に、円光は瞬時に反応した。鬼童をかばうようにバリケードとサイクロトロンの間に立った円光は、一瞬の躊躇もなく懐に手をつっこむと、一枚の布を引き出して身体の前に打ち広げた。
「秘法! 夢曼陀羅!」
 円光が叫ぶと同時に、宙に停止した布が金色の光を爆発させた。中央に慈悲あふれる大日如来、周囲に智恵と力の象徴、観音、明王が並び廻る巨大な曼陀羅が布に浮かび上がり、円光の気を受けて金色の破邪の光を放ったのである。そして円光を中心に暗黒の気が押し戻され、榊、鬼童を光の結界に救い出した。
「い、急いてくれ、鬼童殿! 拙僧の術も、わずかの間しか支えられないぞ!」
 円光は必死に念を凝らしながら、曼陀羅を透かし、既に麗夢を恐怖のどん底に叩き込んだそのものと対峙した。それは、円光の額に全力を振り絞る大粒のあぶら汗を生み出す一方で、その背中を凍りつかせんばかりに大量の冷や汗で洗ったのである。
(これが、平将門か!)
 暗黒から生み出されたような巨大なしゃれこうべは、虚ろな眼孔に純粋な破壊だけを輝かせて円光をにらみつけた。が、円光にはそれをにらみ返すだけの余力がなかった。円光の気を数倍にも高める夢曼陀羅の秘法でさえ、将門の圧倒的な眼力の前に今にも消し飛んでしまいそうなのである。
「まだか鬼童!」
 遂に呼び捨てにした円光の後ろで、漸く鬼童はルミノタイトの固定に成功した。
「いいぞ円光さん、榊警部! 早くバリケードの後ろへ」
 下がって! と鬼童が呼びかけようとした矢先、遂に円光の結界が限界を超えた。暗黒の気が無数の矢となって夢曼陀羅の布を突き破り、念を凝らす円光を突き飛ばしたのである。そして、曼陀羅が微塵にすりつぶされるのを待ちかねたかのように、平将門は三人の精神を押しつぶさぬばかりに突進を再開した。
「円光さん!」
 鬼童は、一瞬にして円光がしゃれこうべに呑み込まれたかのように錯覚して、絶望の悲鳴を上げた。が、その安否を確かめる間もなく、将門との最後の決戦が火蓋を切った。将門がバリケードを今まさに蹴散らさんと迫った時、バリケードの先端が、視神経を灼き切らんばかりに光を放った。将門の精神エネルギーに反応したルミノタイトが、突進する将門に等しい力で将門を押し返したのである。その光に照らされて、鬼童は榊の体が円光を覆い隠すように倒れ込んでいるのを見た。榊が咄嵯の判断で円光をかばい、刹那の瞬間、将門から円光を救ったのだ。鬼童は二人の無事を確かめると、急激に減速しながらも未だ進撃を止めない将門をにらみつけた。
(さあ来い! 今度はこの鬼童海丸が、貴様を虚空にはじき返してやる!)
 その鬼童の意気に感じたかのように、将門が近づくほどにルミノタイトの結界も力を増していく。だが、ようやく将門がその歩みを止めようかと言うとき、鬼童の耳に、その緊張をふつりと切る音が鋭く鳴った。
 ぴしっ!
「そ、そんな! ルミノタイトが保たない!」
 鬼童の叫びは、辛うじて支えられてきた全員の希望を打ち砕いた。
「鬼童君!」
「鬼童殿!」
 しかし、次の瞬間停止した将門が再び動きだした方向は、絶望した榊達の予測を完全に裏切った。大きく口を開けたしゃれこうべは、鬼童の計算した方角、すなわち天井めがけて急激に向きを変えたのである。研究室の天井は一瞬で粉々に砕け散り、轟音と激震に耐え続けたビルは、遂に最期の時を迎えて跡形もなく吹き飛んだ。
「どうなった?」
 頭髪と髭を真っ白に染めて、榊は濃霧のような埃を透いて空を見た。円光も降りかかった瓦礫を落とし、遠く上空に目を細めた。その視線の先で、ビルの形に四角く切り取られた空を、一個の巨大なしゃれこうべが疾駆している。それは見る見るうちに高く、小さくなって、数秒とたたぬ内に肉眼で捉えるのが困難になった。と、突然、空全体を閃光が真白く塗りつぶし、数秒遅れて、大地を揺るがす爆発音が、残光を背景にとどろいた。
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16. 旧暦2月14日未明 最後の賭け その3

2008-03-20 08:38:00 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 チューブは淡く白い燐光を放って麗夢を迎えた。耳の痛くなるような静寂が、麗夢達の足音を瞬く間に吸収してしまうようである。麗夢は小走りに十数メートルを駆け抜け、分岐点にたどり着いた。この先は、円周三八キロメートルのサイクロトロン本体である。麗夢は少し様子をうかがうように先をのぞき込み、閉まらなかったという左手の遮蔽壁を確かめた。
「これじゃあ閉まらないはずだわ。アルファ、ベータ、やっぱり私たちで将門を止めないと駄目なようよ」
 それは、死夢羅の怒りを一身に受けたように、跡形もなく吹き飛ばされていた。アルファ、ベータもそれを確かめてにゃんわんとそれぞれに答えたが、その音色が微妙に震えるのは抑えられなかった。研究室で浴びた将門の洗礼は、麗夢を守って幾度となく死線をくぐり抜けてきたこの二匹でも、敗北必至を覚悟するしかなかったのである。その思いは麗夢も同じであった。正面からぶつかりあえばこっちが消し飛ぶ事は、鬼童に言われるまでもなく目に見えている。しかし、ほんの一瞬、瞬きもできないくらいの瞬間でいい。将門の足を止めることが出来れば、将門の精神エネルギーはより動きやすいほう、すなわち研究室出口に向かってそのベクトルを変えるだろう。それは一人では絶対不可能に違いないが、この、最も信頼おけるパートナー、アルファ、ベータと一緒なら、無茶は無茶なりに何とかなる! と麗夢は思うのである。こうして麗夢がかつて遮蔽壁のあった場所に立ち、二頭がその前に並んで間もなく、無音の圧迫感が麗夢と二頭を押し始めた。
「それじゃあ、アルファ、ベータ、最初からフルパワーで行くわよ!」
 麗夢が呼びかけると同時に三体はそれぞれの気を高ぶらせ、まばゆいばかりの光に包まれた。それを待っていたかのように、はるか奥から研究室を席巻した暗黒の気が襲いかかった。それは麗夢達の光を食らい尽くすかのようにチューブの中を充満し、巨大化したアルファ、ベータ、そして輝く長剣を手にした夢の戦士、ドリームハンター麗夢の視界を奪い取った。
「気を合わせるのよ! アルファ! べータ!」
 麗夢は一段と気を高め、力の全てを手にした霊剣の一点に集中させた。そこへ更に、アルファ、ベータの気が集まった。それをも練り合わせて、麗夢は限界まで気力の全てを凝縮した。
「行くわよおっ!」
 麗夢は、叫びながら剣を一気に鞘走らせ、その力を解放した。爆発釣な気がその切っ先から奔騰し、全てを黒く染めつつあった闇の気が、その勢いを受けかねて雪崩を打って後退した。
「まだ気を抜いちゃ駄目よ!」
 麗夢は、後退した闇を透かして、じっとその先を凝視した。するとどうであろうか。一端後退した闇が再びじりじりと麗夢達ににじり奇り、暴力的な圧力が、麗夢、アルファ、ベータの身体を押し始めた。同時に一段と強い瘴気が、その生温かい舌で全員の顔をなで上げる。麗夢は、ぞっとする間もなく全身が恐怖に固まるのを必死でこらえ、現れたそれに対峙した。視覚は、この時数本の頭髪をへばりつかせた、チューブ一杯の巨大なしゃれこうべを捉えたに過ぎなかった。恐ろしくない、とまでは言わないが、彼等百戦錬磨の心を奪うほどの迫力とは言えないであろう。しかし、本当の恐怖は目に見えない部分にこそあった。しゃれこうべを中心にした膨大な気の固まりは、対する者の心へ直接その嵐のような怒りを打ち込んだのである。神仏や悪魔すら許さない絶対の破壊衝動が、見る者全ての恐怖感情を一瞬で過飽和させた。更に一歩しゃれこうべが近づいたとき、極度に密度の高まった破壊衝動が、実体化した衝撃として麗夢達を襲った。妖気が絶対零度の氷の刃に変化して、超高速の弾丸となって飛来したのである。麗夢をかばうように前に出たアルファ、ベータは、無数に降り注ぐつららの前に瞬く間に全身を切り裂かれた。
「アルファ! ベータ!」
 思わずかける麗夢の声にも、二頭の巨大な獣達は反応する暇が得られない。全身朱に染めながらも、牙をふるい、爪を走らせて、少しでも主人に飛ぶつららを叩き落とそうと吼え哮る。だが、二頭の奇跡的とも言える奮闘ぶりにも関わらず、麗夢もまた、たちまちにつららのつぶてに包まれ始めた。麗夢は剣を縦横に振るって氷をはねとばしたが、数秒後には右肩のプロテクターが砕け散り、左の太股から鮮血が飛び散った。ドリームガーディアンとしての霊的なガードも、この苛烈な攻撃の前には薄紙一枚の役にも立たない。更に数秒する内にまずアルファががっくりと前足をつき、続けてベータもまた、力を失って地に伏した。途端に倍加したつららの攻撃に、麗夢の左肩、胸、膝のプロテクターがほとんど同時にちぎれ飛んだ。無数の切り傷が露出した腕や足を埋め尽くし、逃げ遅れた髪の毛が無言の悲鳴を上げながら永遠の別れを告げていく。自分の鮮血に染まった手も、柄を握る力を急速に失いつつあるようだった。
(もう、・・・駄目か・・・)
 それは、数千分の一秒程な時間だったかも知れない。秒速百メートルで突進してきた恐怖の固まりに呑み込まれ、限界に達した麗夢が意識を失いかけた瞬間、最後まで頑張り続けた目が、ほんのわずかだけ右に首を傾げたしゃれこうべを捉えた。途端に全身を蜂の巣に変えようとした無数のつららの弾丸が、倒れこんだ一人と二匹の前で一瞬にして姿を消した。
(・・・勝った・・・??・・・)
 麗夢は、勝利の確信を意識し得たのかどうか、記憶もあいまいなままに気絶した。その後、麗夢がこの記憶を取り戻せるかどうかは、ひとえに研究室で待つ鬼童の双肩にかかる事になった。
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16. 旧暦2月14日未明 最後の賭け その2

2008-03-20 08:37:43 | 麗夢小説『悪夢の純情』

「上からは死夢羅の隕石、下からは将門の怨霊か」
 自嘲気味に呟いた榊に、麗夢は言った。
「諦めたら駄目! きっと、何か手があるはずだわ!」
「そうですとも! ここまできて諦めては、神殿の頑張りに対して申し訳が立たない。何か策を考えるんです」
「策と言っても・・・」
 円光の励ましに榊が応じようとしたその時、再び精神を腐食する強烈な将門の陰気が、室内に満ち満ちた。ルミノタイトは今度は榊の手から跳ね飛んだが、円光が咄瑳に張った結界にさえぎられ、床に落ちた。
「観自在菩薩、行深般若波羅留密多時・・・」
 半球状の透明な結界が、円光と麗夢、榊を覆い、将門の霊気を絶った。鬼童には、ルミ子が覆い被さった。無言の内に十秒が過ぎ、再び将門は過ぎ去って行った。
「驚いた。さっきよりもはるかに強い気でした」
 円光が額の汗を拭おうともせずに言うと、ルミ子に礼を言いながら、鬼童がそれに相づちを打った。
「やはりスピードとともにエネルギーレベルが上がっているんだろう。この分だと、次はもっと早く、もっと強烈なのがくるぞ」
「それまでこの機械が保つのか? 鬼童君?」
 榊に問われて、鬼童はルミ子に振り向いた。
「判らない。設計では将門を光速近くまで加速しても大丈夫なようにしてあるけれど、まだ光速の三〇○万分の一にしかなっていないのにエネルギーを抑え込めなくなっているわ」
 だからいつ崩壊してもおかしくない。鬼童はルミ子が呑み込んだ言葉を理解した。
「秒速一○○メートル、約五分か」
 それまでに何が出来る? 榊は半ば絶望して時計を見たが、その諦めを遮るようにして鬼童が言った。
「一つだけ、死夢羅の隕石も将門の怨霊も同時に何とかする策があります」
「どうするの、鬼童さん?」
 麗夢の問いに答えて、鬼童は計画を手早く説明した。
「将門の怨霊を、暴走させたまま死夢羅の隕石にぶつけるんです。将門のエネルギー量は死夢羅をはるかに上回ります。その力を隕石に衝突させれば、まず間違いなく隕石をはじきとばせるでしょう」
「でもどうやって?」
 鬼童は、床に落ちたルミノタイトを拾いながら、榊に言った。
「このルミノタイトを使うんです。今ルミ子が説明したように、ルミノタイトは霊場、すなわち精神エネルギーを排除しようとする性質があります。その性質を利用して、飛び出してきた将門を空にはじき返すんですよ」
 そんな事が出来るのか! と驚く榊達に向かって、鬼童は手短に方法を説明した。
「いいですか? まず将門をこの部屋でサイクロトロンから出す必要があります」
 鬼童の指さした先に、サイクロトロンから枝分かれしたチューブがあった。その先端は球形のポッドになっており、かつて死夢羅がサイクロトロンに出入りしたドアが正面に付いている。
「この終点から将門を解き放ちます。そして、このルミノタイトを使ってちょうどいい角度にはじくんです。角度さえ間違えなければ、必ず将門の力を宇宙に放ち、隕石を逸らす事が出来るでしょう」
「でも君は、隕石がどこにあるのか判るのか?」
 榊の問いに、鬼童はあっさりと言ってのけた。
「隕石の方向はこの死夢羅が飛び出していった先ですよ。死夢羅は東京に隕石を落とすって言ってるのですから、この飛び出していった角度と若干の誤差を計算すれば、隕石の位置を探るくらい造作ない事です」
「でも、それじやあなたが消し飛んでしまうわ!」
 ルミ子の悲痛な叫びにうなずいた円光は、その役拙僧が引き受ける、と気色ばんだ。しかし、鬼童はむしろ冷静にそれを拒絶した。
「いや駄目だ。今、見当で正確な角度を付けられるのは、残念ながら僕だけだろう。それにこれに失敗すればどうせ誰も助からないよ」
「しかし・・・」
 まだ渋る円光を置いて、鬼童はルミ子に振り返った。
「ルミ子、うまく生き残れたら、もう一度考え直すよ。霊子の証明実験、結構面白い研究課題のようだ」
「・・・海丸・・・」
 更に何か言おうとしたルミ子を制し、鬼童は決然と言い放った。
「もう時間がない。やるぞ!」
 鬼童の決意の前に、麗夢、円光、榊もこれ以上逆らう気持ちにはなれなかった。
「じゃあ鬼童さん、無事でいてね」
「あなたがいる限り、僕は死にはしませんよ、麗夢さん」
 敢えて表面は軽く装ってウインクした鬼童は、大急ぎで準備にとりかかった。まず生き残った端末を操作し、目の前の球形ポッドの扉を開けた。続けてサイクロトロンから室内に枝分かれしたチユーブの方に道を開き、サイクロトロンの方を閉じるコマンドを打ち込んだ。同時にサイクロトロンの奥でくぐもった機械音が響いて、引き込み用のチューブが開いた。鬼童の操作している端末にも、開口完了のサインが表示された。しかし、もう一つの、サイクロトロン側を閉じる方に表示されたのは、閉鎖不可能を示すエラーメッセージだった。鬼童はもう一度コマンドを打ち込み、目の前の機械群が故障している事実を知った。
「駄目だ!サイクロトロンが閉じない!」
「なんだって?」
 不安げに集中した視線を、鬼童は焦りの色に満ちた目で見返した。
「サイクロトロンを閉じる装置が働かないんです。たぶん死夢羅が結界を破壊した時に壊れたんだ」
「閉じないとどうなる?」
「将門をこっちに呼び込めないで、結界が崩壊するまでサイクロトロンを廻り続けるでしょう」
「なんとかならないのか、鬼童殿!」
「なんとか壁を、霊的な壁を作ることが出来たらいいんだが・・・」
「私が行きます!」
 苦渋に満ちた鬼童の顔色が、その声の主を見て一変した。
「駄目ですよ麗夢さん! 下手をすれば一瞬で文字どおり叩きつぶされます!」
「そうですとも! 結界が必要なら拙僧が行きます」
 必死で引き留める二人を、麗夢は強い調子で叱咤した。
「円光さんは榊警部や鬼童さんを結界で守ってあげて。アルファ、べータ、行くわよ!」
 麗夢は、なおも引き留めようとする二人を振り切って、開いた扉からサイクロトロンに飛び込んだ。その後を追って小さな犬と猫が駆け込んでいく。鬼童、円光は、もはや一人と二匹にその場を託すしかなかった。
「円光さん、榊警部、手伝って下さい」
 麗夢達を見送った鬼童は、常人の限界を超える速さで角度を計算し、二人に指示を出して崩れ落ちたクレーンや散乱するがらくたでバリケードを築き始めた。
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16. 旧暦2月14日未明 最後の賭け その1

2008-03-20 08:34:51 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「くそっ! 奴め、何を狙っているんだ!」
 円光は、危うく握りつぶされるところだった右手をさすりながら、今死夢羅が出ていったばかりの小さな穴を見上げた。その場にアルファ、ベータ、麗夢、榊らが駆け寄った。
「円光さん、大丈夫?!」
 円光は指を何度か屈伸し、ようやく微笑みを返して麗夢に言った。
「ええ、何とか。それよりも鬼童殿は?」
「そうだ! 鬼童君も助けないと」
 榊はやっと呪縛から解けたかのように鬼童の方に目をやった。鬼童を収めたガラス容器は、死夢羅脱出の衝撃で砕け散り、肝心の鬼童はうつ伏せに倒れてぴくりともしない。
「鬼童君!」
 慌てて駆け寄った三人と二匹は、抱き起こされた鬼童の眉間が苦しげにしわ寄り、うーんとうめき声を上げた事にほっと胸をなで下ろした。
「榊・・・警部、・・・」
 弱々しく目を開けた鬼童は、突然跳ね上がって榊の肩を掴んだ。
「実験は? ルミ子はどうしました!」
「実験は失敗したわ。ルミ子さんならあそこよ」
 麗夢の指さす向こうで、小さな白い固まりが床にうずくまっていた。それを見た鬼童は、すぐに事態が容易ならざる方角に進行しつつあることを直感した。そこにははるかな昔、実験で挫折した時の彼女の姿が再現されていたからである。鬼童は、円光と榊に支えられながら立ち上がり、ゆっくりとルミ子に近づいた。
「ルミ子、どうしたんだ」
「あぁ、海丸・・・」
 鬼童は、自分を見上げたルミ子の顔を見て直感の正しさを理解した。あの自信の固まりだったルミ子が、途方に暮れていたのである。
「海丸、どうしたらいいの? プログラムは完璧だった筈なのに、どうしてこんな事が・・・」
「何があったんだ」
 僅かに躊躇したルミ子の姿は、麗夢、榊、円光も驚くほどにおどおどしく、まるで粗相した子どものようにしか見えなかった。
「もうおしまいよ、海丸。何もかももうおしまいだわ」
「だから、何がどうしたんだ?」
「死夢羅博士が、小惑星を動かしに行ったのよ」
「小惑星?」
「今、地球に迫っているって言う、あの隕石か?」
 榊の問いかけに、ルミ子はこくりとうなずいた。
「元々あれは、死夢羅博士がこのビルの九階にある実験室から、自分の精神エネルギーを増幅して呼び寄せたものなのよ。それを私が軌道修正して海に落ちるようにしたのに、また元に戻しに行ったんだわ」
「あ奴がしていたのは、それだったのか!」
 円光は、一月前を思い出して舌打ちした。あの時死夢羅が何をしていたのか、円光には結局判らなかった。だが、あの気の爆発を思えば確かに虚空の星を一つ動かす位の事は出来そうである。また、榊、鬼童も悪夢を記録した地図の事を脳裏に浮かべていた。あの渋谷に咲いた青い宝石は、その時の悪夢だったのだ。
「いつだ! それが落ちてくるのは!」
 鬼童の強い口調に、ルミ子はおどおどしながらも一時間とかからないだろうと予測を述べた。
「でも、それまで東京は保たないかも知れないわ」
「どう言う事だ」
「将門が、暴走しているの」
 ルミ子は、涙を浮かべながら鬼童に言った。
「将門の精神エネルギーが、こっちの制御を離れて勝手にサイクロトロンの中を走り始めているのよ」
 ルミ子が言い終わった直後だった。そこにいた全員が、何かくぐもったような地鳴りを感じた。徐々に力強さを増しながら、遠くから近づいてくる。と、突然、実験室の緊迫した空気に、一片の瘴気がにじみ込んだ。途端にアルファ、ベータがうなり声を上げたが、榊もまた、ほとんど同時に全身でそれを察知した。一週間前の忌まわしい記憶が、その瘴気に喚起され、瞬間的によみがえったのである。瘴気はゆっくりと、しかし確実にその濃度を増し、榊の恐怖を煽り立てた。円光は、そんな目に見えておびえるように震えだした榊の様子に気がついた。
「榊殿?」
 いかがなされた? と声をかけようとしたその時である。ちょうどサイクロトロンに背を向けていた榊が、まるで見えない手に背広の胸元を引っ張られたかのように、円光の目の前で床に突っ伏した。
「な、何だ?!」
 榊は直ぐさま立ち上がろうとしたが、引きずる力は相当に強く、うまく立つ事が出来ない。
「榊殿、大丈夫ですか?!」
 円光はすぐさま助け起こそうとして、異様に引っぱられた榊の背広に気がついた。瘴気に浸食された室内で、その周囲だけが妙に清浄な気を保っている。というより、何か強力な結界が、瘴気の侵入を拒んでいるかのようである。やがて、瘴気の濃度は更に上がり、榊は倒れたまま四つんばいになって引きずられないよう耐えねばならなくなった。そんな状態が数秒間続き、やがて、少しづつ瘴気の濃度が下がるとともに榊を引きずる力も弱まっていった。やっと室内を支配した瘴気が晴れ、円光の助けで立ち上がった榊は、すぐに胸ポケットに手を突っ込んだ。
「今、こいつに思いきり引っ張られた。この間、首塚の地下で都と一戦した時も、さっきみたいな雰囲気が襲ってきたかと思うとこいつに押しつぶされそうになった。これは一体どう言う事なんだ?」
 榊の手のひらに、青い透明な光を放つ、正八面体の結晶があった。ルミノタイト・アルファ。それは、鬼童の研究室で拾い上げて以来、肌身離さず榊が持っていたものだった。
「今の将門の精神エネルギーに反応して、強力に反発したのよ」
 ルミ子は、榊の疑問に答えて言った。
「ルミノタイトは、霊子に反応して超伝導状態になる時、磁場と一緒に霊場も強力に排除しようとするの。いわば、精神エネルギーのマイスナー効果ね」
 ルミ子の解説にうなずきながら、鬼童は榊からルミノタイトを受け取った。途端にルミ子が後じさった。
「止めて海丸。それをこっちに向けないで!」
「どうした、ルミ子?」
「私の正体は、もう判っているはずだわ。私はルミノタイトに定着した精神エネルギー体。でも、同じ能力のルミノタイトの近くでは、その定着力が不安定になるのよ」
 鬼童は驚いてルミノタイトを再び榊に返した。
「今のが将門だとすると、これからどうなる?」
 鬼童は、およそ答えの予測できる問いをルミ子に返した。
「将門は死夢羅博士をはじき返した後も、サイクロトロンの中を回っているわ。少しずつそのスピードを上げながらね。でも、サイクロトロンは死夢羅博士がさっき壊したわ。だから将門の精神エネルギーがこの室内に漏出したの。つまり、もういつサイクロトロン全体が崩壊するか、判らないのよ」
「保たなくなったらどうなる?」
「暴走した将門がそのエネルギーを放出しながら飛び出してくるわ。想像を絶するエネルギーでね。そうなればもう東京も終わり。文字どおり、東京は消滅する・・・」
 榊の歯ぎしりに、アルファ、ベータが驚いた。榊は、この最悪の事態を避けるためにやってきたというのに、結局何一つ回避できなかった。その侮しさが榊の歯を砕かんばかりに鳴らしたのである。
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15. 旧暦2月14日未明  決戦 その3

2008-03-20 08:34:05 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「そ、そんな」
 額に汗を浮かべつつ呟いた榊だったが、それ以上は息を呑むよりなかった。麗夢、円光も、昂揚したルミ子の気に飲まれたかのように微動だにしない。ルミ子はその様子に満足したのか、さらに一堂に最後通牒を宣告した。
「後二分。百二十秒で、死夢羅博士のスピリトンが光速の九九・九%に達するわ。そして、一般相対性理論通りに質量とエネルギーを飛躍的に増した死夢羅博士の霊子が、この場所で将門の霊子と正面衝突するの。凄いわよぉ。精神の謎を解き明かすデータと、それを私とともに解析する永遠のパートナー、鬼童海丸がルミノタイト・ガンマに定着する瞬間を、皆さんはご覧になれるのよ」
「そんな事をしたら、データも何も吹っ飛んじゃうじゃない!」
 思わず口走った麗夢の疑問を、ルミ子は鼻で笑い飛ばした。
「ご心配なく。ここで得られたデータはちゃんと首塚地下の副コントロール室のコンピューターに、しっかりと記録されるわ。既に死ぬ事のない私と、その瞬間に永遠の生命を得る海丸は問題ないけど、あなた方は後百秒でさよならね」
「駄目だ! ここは諦めて脱出しよう、麗夢さん、円光さん!」
「無駄無駄。後九十秒で三キロ離れる事が出来るなら助かるかも知れないけれど」
「な、何だと?!」
 榊は一瞬でルミ子の言う事を理解した。ここを中心に相当な被害が出るだろう事は、初めから想定の内にあった榊だった。だが、この時点でそれが半径三キロメートルもの広範囲になろうとは、さすがの榊にも見積もる事が出来なかった。
「渋谷が・・・、消えて無くなっちゃう・・・」
 不安げに尻尾を丸めたアルファとベータを抱き抱えて、麗夢は座り込んだ。その隣で、円光も成す術なく立ち止まって目を閉じる。榊は思った。
(渋谷どころではない。直線距離三キロなら、恵比寿、代々木、千駄ヶ谷、麻布も原宿も六本木も、皆壊滅してしまう。新宿だって無事ではすまんぞ・・・)
 暗澹とした麗夢達の間に、喜びに満ちたルミ子の嬌声が、スキップしながら駆け抜けていった。
「後三十秒!」
「後二十秒!」
「後十秒! それじゃあ皆さん、安らかに眠って頂戴ね!」
 にっこり笑って手を振るルミ子に最後の怒りを覚えながら、麗夢は衝突地点とされる鬼童の方を見やった。鬼童もまた、ガラス容器の中で無念のほぞを噛んでひざをついた。
「三、二、一、ゼロ!」
期待にはじけたゼロのかけ声が、ビル全体を揺るがす轟音にかき消えた。が、喜びに爆発寸前のルミ子の顔が、微妙にこわばって凍り付くのに一瞬の時もいらなかった。
「そ、そんな・・・。一体、一体何があったというの? 死夢羅博士!」
 当惑する視線の先に、光がはじけるような輝きを伴った、漆黒長身の姿があった。屹立する鷲鼻、肉がそぎ落ちて骨を露出する顔面、何かにぶち当てたように刃がグニャリと折れ曲がった巨大な鎌を持ち、薄ら笑いに前にも増した傲岸さをたたえながら、ようやく手に入れた自由に死夢羅は吼えた。
「ふぁっはっはっ! 遂にやったぞ!」
 死夢羅は、埃を払うように黒いマントをばさりと振り、驚くルミ子に鷲鼻を向けた。
「ふふふ、教えてやろう。将門の力とわしの力が真っ正面から衝突したなら確かに貴様の思惑通りに事は進んだ事だろう。だが、わしはその時をこそ狙っておった。自分の霊子のスピンを変化させ、丁度二つの独楽が衝突するかのように将門に当たったのよ。おかげで将門からもエネルギーを得たわしは、こうして貴様が作った結界をぶち破った訳だ。勿論この時のために、少しずつこの結界に傷を付ける努力を続けてはいたがな。ふぁっはっはっ!」
 これまでの死夢羅よりもはるかに力強い嗤いに、ルミ子は気圧されるように一歩下がった。
「で、でもこのままでは済まさないわ。博士、もう一度サイクロトロンに入っていただきます!」
 ルミ子は、手にしたリモコンを死夢羅に向けた。瞬間、死夢羅の周囲の空気が微妙な屈折を見せ、死夢羅の姿が揺らめくようにぶれて見えた。しかし、死夢羅は傲然と笑顔をたたえ、すうっと深く息を吸うと、一気にはっと吐き出した。たちまち死夢羅を囲む結界が吹き飛び、死夢羅の姿からぶれが消えた。
「効かん。効かんぞ! もはや貴様のそのちゃちなおもちゃでは、わしを抑える事はできん!」
 死夢羅は突如鎌を振り回すと、ひるんだルミ子の手からリモコンを叩き落とした。
「おのれ!」
 その隙を突いて円光が突進し、全体重を載せた拳打を放った。それは完全に死夢羅の虚を突いた一撃だったが、死夢羅は、この渾身の一撃を左手であっさりと受けとめ、更にぐいと握りしめた。途端に円光の顔が苦痛にゆがんだ。
「ぐうっ・・・」
 死夢羅は更に力を込めると、余裕の笑みで麗夢に言った。
「今ここで貴様らを殺すのはたやすい事だが、それでは折角長い時間をかけて練り上げた計画が無駄になってしまう。ここは見逃してやる故、僅かに伸びたその命を大切に使うがいい!」
 突きとばすように円光の拳を放した死夢羅は、ゆっくりと宙に浮き上がった。結界脱出の衝撃で壊れた鎌をあっさりと捨て、全身をマントに包み込むと、死夢羅は一瞬で漆黒の球に変化した。
「ふふふ、光速まで加速された上、将門からもエネルギーを受けたわしにはもはや増幅装置など必要ない。麗夢! この東京をそっくり道連れに付けてやる故、安堵してあの世に旅立つがいい! ふぁっはっはっはっ!」
 野球ボールほどの黒い球は、はじけるように飛び上がった。もはや部屋を固める結界も、その脱出を抑える事は出来なかった。結界を一蹴した死夢羅は、天井のコンクリートを突き破り、一挙に外へと飛び出すと、そのまま満天の星空めがけて駆け上がった。
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15. 旧暦2月14日未明  決戦 その2

2008-03-20 08:33:42 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「貴様は鬼童君と別れた後に、アメリカで今ここでやろうとしているのと同じような実験をした。はるかに小規模な霊子衝突実験だ。ところが衝突時に発生した膨大なエネルギーに実験施設そのものが耐えきれず、大爆発を起こした。鬼童君はこの間、夢見人形を使った実験で部屋一つをめちゃくちゃにしたが、貴様のはそんなちゃちなもんじゃない。鉄筋コンクリートの実験施設を建物ごと吹き飛ばしたんだからな。貴様はそれで即死し、既に墓地に葬られている。その無念の余り化けて出たばかりか、今度は死夢羅と平将門を使い、鬼童君まで地獄に引きずり込もうと言う魂胆だろう!」
 榊は、書類の束をルミ子に投げつけた。榊がアメリカから取り寄せた、桜乃宮ルミ子の検死結果、墓の写真、当時の大惨事を記した新聞記事のコピーなどが、鬼童とルミ子の間に散らばった。ルミ子は目に冷たい光をたたえてその書類を見たが、すぐにおどけた表情に戻って榊に言った。
「よくお調べになった事。榊警部、でしたっけ? 私の分身、都をやられたときはまさかと思っていたけれど、成る程、死夢羅博士があなたを甘く見るなっておっしゃってた訳が今やっと理解できたわ」
 警部がやっつけたの?! 驚く麗夢達にはにかんだ榊だったが、すぐに死神に『ほめられた』と聞いて顔をしかめた。が、それには構わずルミ子は言った。
「でも榊警部、あなたの言う事は事実かも知れないけれど、真実ではないのよ」
「何?」
「私の肉体は確かに消し飛んだ。でも、精神はこうして活動を続けている。我思う、故に我ありなんて陳腐な言葉だけれど、正にその通り、私はこうして存在を続けているのよ! かつて、肉体に縛り付けられていた頃よりもはるかに強く、しかも永遠に朽ち果てる事もなくね!」
 ルミ子は右手を軽く差し出すと、手の平を上に向けて手を開いた。その上に八面体にカットされた青い水晶体が浮かび上がった。ゆっくりと独楽のように回るそれをルミ子はうっとりとして眺め、再び榊に振り返って言った。
「それもこれも、みんなこのルミノタイト・ベータのおかげ。これは、ただの精神感応超伝導体じゃないの。いわば永久磁石のように、精神エネルギーに反応して、永久にそれを保持する霊石なのよ。昔からあった、人間の首、髪の毛、人形、水晶、宝石、写真、その他数え上げればきりがない位の数ある呪的道具の中で、このルミノタイトは最も鋭敏に人の精神に反応し、最も強力にそれを保持する能力があるの。超伝導現象はその副産物に過ぎないのよ」
 ルミ子は淡い光を放つルミノタイトを握りしめた。
「でも、永久保持にはそれなりのエネルギーで文字どおり焼き付ける必要があるの。実験施設を吹き飛ばす位の爆発的なエネルギーがね」
 ルミ子の頬が異様にひきつった。にやりと嗤ったのだ。それを見た途端、二人のやりとりをまだ信じられない気持ちで聞いていた鬼童の全身に、鋭い悪寒が走り抜けた。鬼童はようやく榊の言うところを理解したのだ。しかし、鬼童の反応は明らかに一歩遅かった。鬼童の脳から全身に『逃げろ!』という指令が伝達されるよりも早く、ルミ子は白衣のポケットから一つのリモコンを取り出してスイッチを押したのである。
(一体何のスイッチなんだ)
と考える暇もなかった。突然鬼童の足下の床を割って現れた巨大な繭のようなガラスの容器が、鬼童をすっぽりと包み込んだのである。
「鬼童さん!」
 麗夢の悲痛な叫びが実験室にこだましたが、分厚いガラスで外界から遮断された鬼童には、蚊の鳴くほどにしか届かなかった。
「な、何をするんだ! ルミ子!」
 鬼童は思いきりガラス壁を殴りつけたが、その衝撃さえもほとんど届かない。その内にも鬼童を収めたガラスの繭は、クレーンに吊り上げられて実験室を横断し、ルミノタイトサイクロトロン近くに控えた半球状の金属器に据え付けられた。
 ほーっほっほっほっ・・・。鬼童を完全に実験施設に取り込んだルミ子は、得意の高笑いを奏でると、呆然とする麗夢に右手人差し指を真っ直ぐに突きつけた。
「海丸は渡さない! たとえ今の海丸の心があなたに向いていたとしても、百年と待たずにあなたは息絶えるわ。でも海丸は、私とともに未来永劫、愛と研究に生き続けるのよ!」
「鬼童君を離せ、この亡霊め!」
 榊がルミ子に吼え立てた。
「麗夢さん、円光さん、アルファ、ベータ! 目の前のサイクロトロンを壊すんだ!」
「無駄よ!」
 駆け出そうとした麗夢達の足を、ルミ子はぴしゃりと抑え込んだ。
「既に実験はスタートしているわ。一時間も前に将門の怨霊は首塚を離れ、ゆっくりこちらに向けて動き出しているのよ」
 これに一番驚いたのは、一人真実に近いところにいた榊だった。
「ば、馬鹿な。将門の死んだのは今日の夕方なんだぞ!」
 将門の命日を狙うからには、時間も当然合わせてくる。榊はそう決めつけていたのである。対するルミ子は、すました顔で榊に言った。
「本当に何でも良くご存じなのね。そう、時間は確かに早過ぎるけど、霊子を観測するにはこれで十分なのよ。榊警部、あなた、将門のフルパワーがどれくらい凄いかご存じ? とてもこんなちゃちな装置じゃ制御しきれない程とてつもないパワーなのよ。まだピークに達していない今の状態だって、わずか秒速一〇メートルで移動する将門に対して、死夢羅博士の方はほとんど光の速さまで加速しないと、同じ強さに達しないんだから。大体考えてもご覧なさい。私はこの実験規模の千分の一で今の力を得たのよ? 幾ら不確定要素を考慮に入れて計算したって、海丸を私と同じにするのにこれ以上の余裕は必要ないわ」
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15. 旧暦2月14日未明  決戦 その1

2008-03-20 08:32:48 | 麗夢小説『悪夢の純情』
渋谷桜乃宮ビルの地下は全てのフロアがこれ実験室である。最大の部屋は勿論ルミノタイトサイクロトロンを有する中央実験室だったが、その周囲にはそれぞれ小さな部屋が幾つか衛星のように配置されている。それらはルミノタイト製造室だったり動力室だったりする訳だが、今鬼童がいる小部屋は、集中管理室というビル全体の神経が集まる部屋だった。普段はルミ子以外の誰も入らぬように鍵がかけられているのだが、都が消えて以来多忙を極めるルミ子がうっかりしたのであろうか、場合によってはドアを破壊してでも、という意気込みの鬼童の前で、扉は実にあっさりと開いたのであった。
 鬼童がこの危険な行動に出たのは、ルミ子が実験直前の最終点検のため、首塚に出ていったからだった。
「本当は婆やにやって貰ってたんだけど、しょうがないわ。ちょっとの間よろしくね」
 鬼童は表面では、ああ、と軽く手を挙げただけだったが、内心は待ちに待ったチャンスに子躍りするばかりにルミ子を見送ったのである。
 幸い死夢羅も未明からルミノタイトサイクロトロンに入り、本番に向けてウォーミングアップの最中である。監禁場所のロックをはずし、麗夢達を逃がすにはこれ以上願ってもない好機であった。鬼童はすぐさま中の端末に飛びついた。
 榊が突入したのは、丁度鬼童が端末の操作方法を理解した頃の事である。鬼童は、突然鳴り響いた警報音に心臓を止めたが、モニターに映った榊の姿に、今度は鼓動を速めて喜んだ。
(警部が来た!)
 鬼童は呼びかけようと音声装置を探したが、どうしても見つからない。無音のモニターに榊が階段を選ぶ様子が映し出されるのを見て、鬼童は直ぐさま予定を変更した。鬼童は手近なメモに走り書きすると、エレベーターに張り付けてその電源を入れたのである。
(急げ! 警部、急いでくれ!)
 鬼童は、エレベーターを前に逡巡する榊をじれったく眺めながら、ルミ子が今にも帰ってくるのではないかと焦った。ようやく榊がエレベーターに乗り、麗夢達と再会するに及んで、鬼童は喜色満面で集中管理室を出た。
「る、ルミ子!」
 間一髪と言っていいのだろうか、とその笑顔を凍り付かせながら鬼童は思った。麗夢達は既に脱出し、今度はこっちに向かって突進しているはずである。鬼童の当初の目的はこれで達成できたと言えるが、今度は鬼童自身が危うい状況に追い込まれたようだった。
 ルミ子は、鬼童にはついぞ見せた事のない厳しい顔つきで睨み付けた。
「うっかりしていたわ。開け放しで行っちゃうなんてね。警報に驚いて帰ってみれば、このざまなんだから」
 そのままつかつかとルミ子は鬼童に歩み寄ると、硬直した鬼童の胸に顔を寄せ、そのままぴたりとくっついた。
「どうしてなの? 海丸。私は、こんなにあなたの事を想っているのに。どうして私以外の子にそんな笑顔を見せるの?」
 鬼童は、その様子にふっとアメリカの頃を思い出した。二人で未知の神秘に果敢に挑戦していた若かりし頃を。鬼童は思わずルミ子の肩を抱き、言うべき言葉を探してその目を見た。
「ルミ子・・・」
「私にはあなたが必要なのよ。あなたが側にいてくれれば、私は実力以上の力を発揮できるのよ。どうしてもあなたじゃないと駄目なの」
 ルミ子の涙をためた目は、鬼童の端正な顔を苦渋にゆがめた。鬼童の胸に突然ある感情が発露し、溢れんばかりに熱くなった。かつて感じていた想いがこの瞬間に再びよみがえり、鬼童は、目の前の華奢な身体を抱きしめたいという衝動に震えた。それは、鬼童をしても恐ろしく困難な心の制御だったが、鬼童は崖っぷちでついに踏みとどまった。目の前の女性をいとおしいと思う気持ちはそのままに、鬼童は決然とした口調でルミ子に言った。
「ルミ子許してくれ。僕はやはり君と一緒にはいられない」
「海丸!」
 鬼童を見上げる眼鏡の奥で、溢れる涙が頬を流れた。鬼童ははっとして息を呑んだが、気を奮い起こしてぐらつきかけた心を立て直した。
「いや。やっぱり駄目だ。僕は君を選ぶ事が出来ない」
「海丸・・・」
「許してくれ」
 鬼童はルミ子の視線に耐えきれなくなって、目をつぶって顔を背けた。その時である。
 突然一見事務所のドアにしか見えない入り口が大音響とともにはじけ飛び、二匹の小動物を先頭にした一団がなだれ込んできた。その中の一人、麗夢が、反射的に振り返った鬼童に叫んだ。
「鬼童さん! ルミ子さんからすぐに離れて!」
「えっ? 何ですって?」
「その女性はこの世の者じゃない! 我執に取り付かれた死霊だ! 早く離れるんだ!」
 続いた円光の言葉に、鬼童は耳を疑った。
「ほ、本当か? ルミ子!」
 鬼童はまだ事実を受け入れきれない心境のまま、ルミ子に振り返って問いかけた。しかし、ルミ子はいつのまにか鬼童から離れ、鬼童を無視して麗夢達に言った。
「何よ! いきなり私達の邪魔をしたと思えば随分な言いぐさじゃない? 何を根拠にそんな事をおっしゃるのかしら?」
「根拠だと? 根拠なら、ここにある!」
 榊は、コートのポケットにねじ込んでいた書類の束を引っぱり出した。
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14. 旧暦2月14日午前0時 再会

2008-03-20 08:28:58 | 麗夢小説『悪夢の純情』
 座禅を組みながら、円光はどうも落ちつかない気分を鎮める事が出来なかった。原因ははっきりしている。目の前で手持ちぶさたに子猫や子犬とじゃれあっている少女のせいである。本来ならここにもう一人邪魔者がいて、円光は注意の大半をそちらに割かねばならないのだが、部屋の隅の黒尽くめの姿が外に消えてもう一時間はたった事だろう。その間円光は余った注意の振り向け先を考えあぐね、完全に持て余していたのである。
「麗夢殿」
「何? 円光さん」
「そろそろ夜もふけって参った様子。拙僧が起きています故、一眠りされてはいかが」
「そうねえ」
 麗夢は気乗り薄で、ちらりと自分のウエストを見た。
「でも、食べては寝る、の繰り返しばっかりでしょ?」
「ええ・・・」
「それもちょっと困るのよねえ」
「はあ」
 円光は、麗夢が何を言いたいのか判らないので返す言葉に窮した。そんな円光をじっと見つめた麗夢は、突然ため息をついて円光を慌てさせた。
「ど、どうしたんです? どこか具合でも悪いんですか?」
「具合ねえ・・・」
 麗夢は自分のおなかをさすると、円光に言った。
「円光さんはいいわね」
「何が、です?」
「こんな自堕落な生活してるのに、ちっとも太らないじゃない」
 それに比べて、と麗夢は人差し指で自分のおなかを軽く突き、もう一度、はあと溜息をついて顔を伏せた。
「そ、そんな! 麗夢殿だってちっとも変わってないですよ!」
「いいわよ、そんな見えすいたなぐさめしてくれなくても」
 麗夢は顔を伏せたまま突き放すように円光に言った。思いも寄らぬ展開に、円光はすっかり動転した。
「いいえ! 拙僧は少しばかりふっくらされていても、一向に構いませんよ」
 だが、慌てて口走った瞬間、円光は世にも恐ろしい光景を見る事になった。麗夢が突然顔を上げ、うるうると涙を溜めた目で円光を見つめ、今にも泣き出さんばかりなくしゃくしゃな顔で怒鳴ったのである。
「少しばかりって、やっぱり太ってるって判るんじゃない!」
「あ・・・、いえ、あの、その・・・」
「やっぱりそうなんだわ!」
 えぐえぐとしゃくり上げる麗夢に、円光は全く手の施しようもないままにただひたすら慌てふためいた。
「・・・、女性を泣かせるとは、円光さんもどうしてなかなか隅に置けませんな」
 え? と振り向いた二人の目に、久しく見なかった懐かしいシルエットが飛び込んできた。
「さ、榊警部!」
「御無事で何よりです。麗夢さん」
 アルファとベータもちぎれんばかりに尻尾を振って榊に飛びついた。榊は満面笑顔をはじけさせて、久しぶりにその髭面を二匹の舌に解放した。
「おおっ! アルファもベータも元気そうじゃないか!」
 榊は二匹を抱いたまま、麗夢と円光に言った。
「さあ、長居は無用だ! 早く行きましょう」
 もとよりその意見には全面的に賛成の二人だが、どうも榊の登場が突然すぎて何か釈然としない所も残る。麗夢は手早く涙を拭うと榊に言った。
「でも榊警部、どうしてここが判ったの?」
 榊は、うれしそうに笑って麗夢に言った。
「伊達に刑事で二〇年も飯を食っちゃいませんよ。それよりも このままだと鬼童君が危ない」
「危ないとは、殺されるのですか、鬼童殿が?」
 円光の問いは、今までの榊の喜びを一気に吹き飛ばす程な険しい内容に満ちていた。にわかに厳しい顔つきになった榊は、不安げな二人に言った。
「いや、私の勘が正しければ、もっと酷い事が鬼童君に待っているはずだ」
「もっと酷い事?」
「ええ。これを見て下さい」
 榊は、ポケットにねじ込んでいたファックスの写しを麗夢に見せた。
「アメリカの友人に頼んで、桜乃宮が向こうで何をしていたのか調べてもらったんだ。すると、実に驚くべき事が判った。彼女は既に生きていないんだ」
「何ですって?!」
「ここを見て」
 榊は、ある新聞記事をコピーした一枚を取り出した。中央に大きくビルの残骸らしい写真が収まり、その隅に、丸く切り抜かれた女性の姿があった。
「この人・・・、桜乃宮さんじゃない?」
「確かに、彼女に良く似ていますね」
「これは桜乃宮ルミ子だ。彼女は三年前、在籍していたとある研究所で霊子の証明実験をやろうとして失敗、研究施設の建物を爆風で吹き飛ばし、自分の命も失ったんだ」
「霊子の存在証明実験?」
「ええ、私にも詳しいことは判りかねるが、何でも二つの精神エネルギーを、サイクロトロンというドーナツのようなチューブに封じ込め、互いに反対方向に加速して、頃合を見て衝突させるのだそうだ。ところが、この時の実験では衝突時にすさまじい爆発が生じ、彼女もろとも建物をきれいさっぱり更地に変えてしまったんだ」
「でも、彼女から死霊の臭いは全くしませんでしたぞ。本当に死んでいるのですか?」
 円光は、二週間前の鬼童研究室での一戦を思い出して榊に言った。
「それは間違いない。検死の結果もほら、ちゃんと出ているし、お墓だってある」
 榊は、地元警察の作成した検死報告書とルミ子の名を刻んだ墓の写真を円光に見せた。
「とにかく彼女は、死んでいないかも知れないが、もう生きてもいない。どうしてそれでああして動いていられるのかは判らんが、再三に渡って彼女や都が鬼童君を『自分たちと同じように』不死化する事をほのめかしていたんだ。つまり、彼女の狙いは鬼童君にある」
「じゃあ、霊子の証明というのは嘘なのかしら?」
「いや、それは判らない。あるいはサイクロトロンを使うことにその秘密があるのかも知れない。でも、そうだとするとこれも大変なんだ」
 榊は背筋に冷たいものを感じてごくりとつばを飲み込んだ。
「さっきも言ったとおり、サイクロトロンは二つの精神エネルギーをぶつける装置だ。今彼女が扱おうとしている一つは、恐らく死夢羅のそれだろう。そのために彼女は死夢羅を拉致したに違いない。でももっと恐ろしいのは、もう一方の方ですぞ麗夢さん。彼女は、間違いなく平将門の怨霊を使おうとしている」
「平将門?!」
「うん。史上最強の怨霊、平将門だ!」
 榊は抱えていたアルファ、ベータを床に降ろすと二人に言った。
「とにかく、この実験だけは絶対に阻止しなければ。鬼童君の為だけじゃない。下手をすると、この辺りがそっくりそのままこの建物と同じ運命をたどってしまう」
 榊の手にある新聞の写真。麗夢と円光はその荒涼とした光景に身震いした。
「実験室はどこです! 警部!」
 榊は、ファックスの束を再び丸めてコートのポケットに押し込むと、指を下に向けて二人に言った。
「恐らくこのビルの地下だ。さあ、急ごう!」
 榊を先頭に部屋を飛び出した一行は、転げるようにして階段を駆け下りて行った。
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13. 3月31日 突入

2008-03-20 08:27:47 | 麗夢小説『悪夢の純情』
三月三一日夜。榊は渋谷の一角に生まれた、ゴーストタウンのような雑居ビル街にいた。表通りの繁華街からすれば、まさにここは一つの都市の終焉の姿を示す、死の世界と言っていい。
「ほら、バブルがはじけた後知事が替わって、再開発計画を軒並み見直したじゃない・・・」
 脳裏に浮かぶ娘の言葉に、成る程と榊はうなずいた。あの騒々しい渋谷にこんな一角があったとは、とそこまで驚きかけて、そういえば麗夢さんのアパートもこの近くだな、と思いだした。麗夢が住み、怪奇よろず相談の看板を立てているぼろアパートも、ここと同様駅前の華やかさからは想像もできない朽ち果てた姿なのである。
 榊は、痛みに逆らう苦労に脂汗を額に浮かべながら腕時計を見た。午後十一時。たぶん今頃は病院も大騒ぎしている事だろう、と榊は思ったが、今更引き返す気もしなかった。とにかく時間がない。ルミ子の言う二月十四日は、もうわずか一時間後に迫っているのだ。
 ルミ子が何を狙っているのか、集めたデータを元に榊が推理した結果によれば、それは鬼童の身にまさに信じがたい事態が襲う事になるはずだった。勿論同様に、麗夢、円光、アルファ、ベータ達の身にも最後が迫っている事も意味している。
(恐らくそれが成功した時点で、彼等の命はない。いや、こっちの方も、百%生きて帰る事は出来ない。何としても、ルミ子が実験を始める前に、それを阻止しなければならんのだ)
 榊はゆっくりとゴースト・タウンを進み、ある廃ビルの前に立った。すぐ表通りの甲高い喧噪が、ここでは低いくぐもった音にしか感じられない。後はしんとした深い闇が榊を包み込むばかりである。榊は、暗がりを透かして煤けたビルのネーム・プレートを見た。所々欠けてはいるが、渋谷桜乃宮ビルヂング、と厳めしい字が並んでいるのが読みとれる。このビルこそ、倒産した桜不動産が最後まで手放さないでいたものなのである。バブル崩壊とそれに続く主の自殺、その他諸々の混乱が、未だにこのビルの所有者を桜乃宮家に登記していたのだった。工藤の報告書にその事を知った時、ここしかない! と榊は直感した。田川巡査に頼んであった鬼童の悪夢マップを見ても、この場所は例のリングの上にあり、しかも指輪に乗った宝石のような青い点の集まりの、中心にも位置していたのである。
 観音開きのビルの扉は、右半分が引きちぎられるようにしてビルの奥に傾いていた。榊は周囲を二、三度見回すと、ドアの役を辛うじて果たしている左側の取っ手に手をかけた。と、ぐっと力を入れて押し開けようとした榊の目の前で、扉がゆっくりと中に倒れ込んだ。思わず肩をすくめて目をつぶった榊の耳に、床と激突した扉の悲鳴が突き抜けていく。改めて見ると、目の前にぽっかりと暗黒の口が開き、舞い上がった埃が辛うじて榊の目に薄暗い光の存在を教えていた。榊はもう一度辺りを見回し、二度と出る事が出来ないかも知れないその入り口へ、決意の一歩を踏み込んだ。
 タン!
 足音が闇に吸い込まれ、足下にうっすらと埃が舞う。榊は手にしたペンライトを点灯した。出来れば明かりは付けたくないのだが、こう暗くては榊自身が危なくて歩けない。古いビルだけに、どこにどんな大穴が開いているかもないのである。
 ペンライトの弱い光に照らし出されたフロアは、小規模な雑居ビルらしくさほど広いものではない。かつてはしゃれた観賞植物でも植わっていたのだろうか。直径三十センチ位の大きな鉢が転がって大きな影を床に伸ばした。その向こうにぽっかり空いた暗黒は、エレベーターがあったのだろう。壁にへばりついたコンソールやまっすぐ上下を貫くケーブルがぼんやりと榊の目に入った。左の奥の陰を照らした榊は、そこに階段があるのを発見した。榊を死の淵に誘うように上下は闇に支配され、榊の一歩を待っているかのようでもある。
(首塚の事もあるし、ここはまずやはり下から行くか)
 しばしの逡巡の末、榊が意を決して階段に向かおうとしたその時だった。
 ガンっ! ウイィーン・・・。
 突然のしじまを破る強烈な機械音が、榊の背中をどやしつけた。仰天して振り返った榊は、闇の中、エレベーターの上にぽかりと浮かぶ光を見て更に驚いた。上昇を示す三角のランプが瞬き、地下を示すBの文字盤の光が消えたかと思うと、1の文字盤に明かりが点ったのである。
(エレベーターが動いている! でも何故?)
 凝視する榊の前で、やがて、数人乗りの小さな箱が上がってきた。電灯はとうに切れているのか、中は真っ暗なままである。ガチャン、という耳障りな音とともに停止したそれに、榊はライトを投げかけた。安眠を突然揺り起こされて不平を訴えるかのような埃の舞が、おぼろな光にうっすらと浮かび上がった。しかし、それ以外は何もない。辺りは再び静寂を取り戻し、くぐもった空耳のような微震動だけが、榊に残された。榊は一旦ライトを消し、階段を離れると、少しづつエレベーターに近づいた。どこから何が襲ってくるかも知れないと言う思いが、榊の神経を普段の何倍にも研ぎ澄ます。ようやくエレベーターの側に到った榊は、エレベーターの奥の目の高さに、一枚のメモが付けられている事に気がついた。再び点灯したライトに浮かぶ走り書きは、見覚えのある筆跡で、エレベーターに乗って麗夢を助け出すように榊を促していた。
(鬼童君の筆跡だが・・・。果たして・・・)
「罠か・・・」
 榊は階段の時以上に足を動かすのをためらった。が、トラップが仕掛けられているとすれば階段もまた安全とは言いがたい。
(ここは一つ、虎穴に入ってみるか)
 榊は、思い切ってエレベーターに乗り込んだ。すると、それを待っていたかのようにどこからともなく機械音が鳴り響き、全身を揺るがすほどな振動とともにエレベーターは上に向かって動き出した。
「大丈夫なんだろうな・・・」
 今更ながらの不安に耐えながら、榊は到達階を示す頭上の表示を睨み付けた。二階、三階と階を過ぎ、五階のライトが点いた途端、再びガチャン、と何かにぶつかる音がして、エレベーターが停止した。
(この階のどこかに麗夢さんが?)
 榊は慎重に左右を見定めると、一気に飛び出して向かいの壁にぴったりと背中を付けた。改めて左右を見直し、誰もいないのを確かめると、榊は右に進路を取った。途端に壁伝いに手探りする右手が、ドアノブの一つに行き当たった。ぐいと握ってそっと榊はそのドアを開けた。音もなく開いた中に、榊はさっと一瞬だけペンライトの光を走らせる。何もない。
榊は安堵と落胆を等分に感じながら、開ける時以上に気を使ってドアを閉め、更に先の方へと進んでいった。
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12. 3月28日 榊、目覚める。

2008-03-20 08:26:53 | 麗夢小説『悪夢の純情』
榊が目を覚ました時、個室には見舞いのリンゴをむく、娘のゆかりが一人いるだけだった。ゆかりはよもや全身ミイラ男と化した初老の父が目を覚ますとは思いもしなかったのだが、父の覚醒に気づいた時は、ナイフを持っているのも忘れて飛びつかんばかりに喜んだ。榊は、おいおいと苦笑しながら娘を押さえ、次に、ここは何処だ? と問いかけた。
「病院よ。城西大付属病院。もう五日も眠りっぱなしだったんだから」
「・・・五日、だと?」
 榊は、自分が何故意識不明になったかをゆっくりと思い出した。すると今日はもう三月二八日か。
「こうしてはいられん」
 榊は、ベットから起き上がろうとして、全身を駆け抜けた激痛に危うく精神を再度闇の中に蹴り込みそうになった。よろける榊を、ゆかりは慌てて抱き抱えた。
「馬鹿ね、無茶したら駄目じゃない。まだ絶対安静なんだから」
「だが、安穏とベットで寝ているわけにはいかないんだ」
「でもその身体じゃ歩くのだって無理よ。それよりも一体何があったの? 見つかった時は、お父さんは全身打撲で意識不明の重体だし、助けてくれた幸田さんておっしゃる人も、自分は何があったのかまるで知らないって言うし。第一お父さんがあんなにぼろぼろになるなんてって、刑事さん達も驚いていたのよ」
 娘の疑問ももっともと言えた。確かに身体はまだ榊の意志に対し、明らかに超過勤務の無理を訴えて、激痛によるストライキを構えている。自分の希望が叶えられないと知った榊は、仕方なしに無理を止めて、娘に事の顛末を語りだした。
「そんな、麗夢さんがやられちゃったの?」
 話が鬼童研究室での一幕に及ぶに至って、ゆかりは信じがたいと眉をひそめた。ゆかりは前に、榊への復讐を兼ねた死夢羅の餌食にされかかり、それを麗夢に助けてもらった事がある。また、『夢サーカス』の一件でも、麗夢とともに事件解決に重要な役割を果たしていた。プライベートな面でも親友と呼べる関係を、ゆかりと麗夢は築き上げているのである。
 こっくりうなずいた榊は、更に話を東京地下の激闘に進めて、この怪我の原因を説明した。
「そのルミノタイトって、この石の事?」
 ゆかりは、バックから紫色をした八面体の結晶を取り出した。
「そうだ。だがどうして?」
「お医者さんの話では、お父さんの左胸にめり込んでいたそうよ」
 それからこれも、とゆかりが取り出したのは、茶筅の書類袋だった。厳めしく「警視庁」と表書きしてあるその袋は、警部に渡して欲しいと工藤と名乗る若い刑事が置いていったという事である。ピンときた榊は、ありがとう、と礼を言ってルミノタイトと一緒にその袋を受け取った。榊はついでに、タバコもくれないか、とささやかな要求を口にして、手ひどく娘に拒絶された。
「馬鹿な事言わないで! まず身体を直すのが先決よ!」
 代わりにこれでもどうぞ、と差し出されたのは、今さっきまでゆかりが皮を剥いていたリンゴである。榊は物足りなそうに口に押し込まれたリンゴを噛み砕きながら、袋を開き、中の書類を広げだした。一つは、桜不動産に関する資料、もう一つは、英文で埋まったファックスの束だった。榊はひとまず桜不動産の方は脇に置いて、ファックスの束を読み始めた。その様子に安心したのか、それじゃあ先生を呼んでくるわ、と出ていこうとした娘を、榊は待てと呼び止めた。
「本庁には、私はまだ昏睡状態だ、と思わせておきたいから、しばらく黙っておいてくれないか」
 こんな場合、娘は何故、などと無粋な質問を返しはしない。代わりに言ったのは、もう一人榊の安否を気づかう人物についてである。
「母さんにも黙っておくの?」
「うん。母さんには悪いがどこから洩れるともかぎらんからな。とにかく、決して知られないように注意してくれ」
「判ったわ」
 委細承知とウインクし、軽やかなステップでドアを出ようとしたゆかりは、突然叫んだ榊の声に足を止めた。
「な、そんな馬鹿な?!」
 どうしたの、と振り向いた娘へ、榊は慌ててなんでもない、を繰り返し、早く行くようにと手を振った。不審に思いながらも娘が部屋を出ていった後、榊はそのファックスの中身をもう一度食い入るように見つめて呟いた。
「信じられん・・・。じゃあ一体あれは何なんだ?」
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11. 3月23日夜 実験室 その2

2008-03-20 08:25:56 | 麗夢小説『悪夢の純情』
「ごくろうさま、死夢羅博士。もうちょっとで目標に到達できるわ。来週が楽しみね」
「ふん」
 面白くもない、という面もちで、死夢羅はよろける足をいらだたしげに踏みしめ、チューブの突端になる直径二メートルほどの球形ポッドから外へ出た。そこに見慣れた機械群が、整然とした混沌で死夢羅を出迎える。桜乃宮ルミ子の実験室。廃ビルの地下に構築された、一大ハイテクステーションである。ルミ子が前にするワークステーションは、ルミノタイト素子により、速度だけなら世界の限界を軽く一蹴しうる性能を誇る。また、各種センサー類、制御装置群、観測機器の山は、この実験にかけるルミ子の並々ならぬ意気込みを象徴するかのように、最高のコンディションを保っている。全てが、時間をかけて吟味した、最高級品なのである。
 その中でも一際異様な姿を見せるのが、部屋の中央に横たわる、巨大な一本の円柱である。よく見れば微妙に湾曲しているのが見て取れるかも知れないが、これこそ、直径十一・八キロメートル、円周三十八キロメートルの円冠を形作る、ルミノタイト・サイクロトロンの勇姿であった。直径四メートルの空洞は上下二段に別れ、それぞれがびっしり張り巡らされたルミノタイトによって強力な結界を形成する。その中を、百八十度反対方向のベクトルを与えられた二つの精神エネルギーが、円周方向に沿って休む間もなく加速し続け、この、ルミ子の研究室で正面衝突を強いられるのである。光速近くにまで加速された精神エネルギーは、そのエネルギー量を何倍にも膨らませ、反対側から突っ込んでくる別の精神エネルギーと衝突する。その瞬間、自然界では起こり得ない粒子崩壊が発生し、未だベールに包まれた精神エネルギーの粒子的形態、霊子が、観測される筈なのである。あらゆるセンサーによってその性質を調べられた霊子は、ルミ子のスピリトン理論を形作るジグゾーのワン・ピースとして、物理学会に無視できない確固たる地位を刻む事になるのである。
 出迎えを機械達にまかせて、ルミ子は振り返りもせずにキーボードを叩き続けた。死夢羅を背後に置いてこれはいかにも無防備に過ぎる態度のようだが、これがチャンスでも何でもない事は、死夢羅自身が一回目の実験の時に、既に自ら実証した事実だった。
(全く良くできた結界だ。忌々しいが、手も足も出せん)
 死夢羅は黙って乱れた頭髪をおざなりになでつけ、ずり落ちそうなシルクハットをかぶり直すと、自分の控え室へ足を向けた。それを止めたのは、一人の若々しい男の声である。
「ルミ子、これはどうするんだ?」
 驚いて視線を投げたその先に、のりの利いた白衣をぴたりと着こなす、長身の若者の姿があった。死夢羅は一瞬自分の若かりし頃を見ているような気がしたが、それは若者にとっては迷惑な感想だったに違いない。男の名は鬼童海丸。死夢羅とは異なる道を歩もうと心がける、天才科学者である。
「あ、それはそっちの方に放り込んで頂戴。自動的に計算してくれるから、結果が出たらこっちに回して」
「判った」
 鬼童は、ちらりと死夢羅を見ると、何も言わずに少し離れた端末の前に陣取った。
「麗夢も哀れだな。貴様がこの女にたらし込まれたとは」
 無関心を装っていた鬼童の耳が、麗夢という単語にぴくりと動き、その後に続く言葉を鬼童の脳に刻みつけた。その内容を吟味した鬼童は、突然顔を真っ赤にして死夢羅に振り返った。
「人聞きの悪い事を言わないでもらおう。僕は、たらし込まれた訳じゃない!」
「そうよ死夢羅博士。私と海丸は、ずっと昔から相思相愛の中なのよ」
「そうじゃない!」
「今だって、都がいなくなって困ってる私を、わざわざ海丸が手伝ってやろうか、って言ってくれたんだから」
「違う! あれはルミ子が、手伝わないと麗夢さんの命を保証しないって脅したんじゃないか!」
 死夢羅は二人のまるで噛み合わないやりとりをじっと聞いていたが、突然ふんと口元をゆがめると、鬼童に抱きついてにこにこしているルミ子に言った。
「あのばあさんなら、もう消されてるよ」
 ルミ子は、にわかに笑いを収めて、死夢羅を見た。
「どうしてそんな事が判るの?」
「今将門の首塚で、あのばあさんの残存思念を拾った。断末魔だな、あの様子は」
「そんな、一体誰が」
「貴様、あの榊を残しただろう。それが間違いの元よ。ばあさんをやったのは、間違いなく奴だ」
「榊警部が?」
 鬼童のつぶやきにうなずいた死夢羅を、みるみる眉を吊り上げたルミ子が睨み付けた。
「そんな馬鹿な話が信じられますか! 大体、あんな雑念の固まりに一体何が出来るというの?」
 対する死夢羅は、二十日ぶりに余裕と優越感をたたえた皮肉な笑みを浮かべて、ルミ子に言った。
「ふふふ、奴を甘く見ると痛い目を見るぞ。もっとも、貴様を甘く見たわしに言える事ではないがな」
 ルミ子の怒りようがよほど愉快だったのか、死夢羅は楽しげに笑いながら、今度こそ振り返りもせず実験室を出ていった。
「・・・榊警部が・・・」
 憤懣やる方無いルミ子をなだめながら、鬼童はその続きを腹に飲み込んだ。
(警部が頑張っているのか。それなら僕も、諦めている場合じゃないな)
 鬼童は、ようやく怒りを鎮めたルミ子がじゃれつくままにまかせながら、まるで違う方角へと思考を働かせ始めた。
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11. 3月23日夜 実験室 その1

2008-03-20 08:25:26 | 麗夢小説『悪夢の純情』
死夢羅は走っていた。前後左右、まるで見通しの利かない暗黒の中を、全速力で走っていた。知識として、円周三十八キロメートルのチューブの中を延々回り続けている事は理解していたが、今は全く自分の置かれた環境に、死夢羅は無関心だった。その背中を、無形の拳が次々と間断なく打ち続けている。その力は背骨が砕けるかと思えるほどに強く、その度に死夢羅は顔をしかめたが、その代償に、打たれた力の分だけ少しづつスピードが上がっていた。もし、死夢羅の身体に速度計がついていたならば、時速四億三千二百万キロメートルと表示されたに違いない。あるいは死夢羅の好みから、光速という目盛りに四〇%とでも出ただろうか・・・。いずれにせよ、死夢羅はかつて体験した事のないスピードで、体験した事のない屈辱にまみれながら、滅多にない痛みに耐えて走り続けていたのである。
 ごくたまに、夢の間にサイクロトロン内に落ちてくる雑多な思念があった。死夢羅は、始めの内こそ、
「邪魔だ! どけ!」
と鎌を振り上げて叩き出していたが、今ではそれすら面倒で、スピードにまかせて跳ね飛ばすにとどまっている。それよりも死夢羅の関心は、別のある一点に凝り固まっていた。何度か走る内にようやく見つけた場所である。それは、脱出のための最良の弱さを露出した場所であるとともに、死夢羅のある目的を達成するためにも最も良い角度であった。
 鎌を持つ手に力を込めて、その場所まで走り寄る数千分の一秒を死夢羅は待つ。そして通り過ぎる一瞬、死夢羅は力の限りを振り絞ってその一点に鎌を叩き付ける。
「きええええぃっ!」
 気合いの入った叫びとともに、屈強の戦士すら豆腐のように切り裂くその切っ先が壁に衝突する。が、刃は髪の毛一本すら挟む余地のない所まで壁に迫りながら、強靭なバネにぶつかったかのようにあっさりとはじき返される。それでも死夢羅は舌打ち一つするでもなく、次の瞬間のためにまた力を溜める。現在のスピードでは一秒間に三千百五十八回のチャンスがある。そのほとんどをものにする死夢羅の能力も驚異的ではあったが、数分間に渡って百万回を超える死夢羅の斬撃に耐え続ける壁の頑丈さも、驚くに足るものであった。その物質はルミノタイトという。それ自身は死夢羅の鎌をただの一太刀も支えられない脆弱なものである。だが、それが作り出す結界は、スピードに乗せた死夢羅渾身の一撃さえも羽毛でなでられたほどにしか感じない強靭さを誇るのである。
(今少し。今少しの力で、この結界に亀裂を入れる事が出来る。そうすれば今度こそ自由の身を取り戻し、あの女を血祭りに上げる事が出来る。今少し、今少しだ)
 目的のために出来る努力は惜しまない。勤勉さとその集中力を維持する能力に置いて、死夢羅は超一流の努力家であった。
 その死夢羅が最近特に感じ始めた圧力がある。初めてこの全力マラソンを始めたときはそれほどでもなかったある障壁が、時とともに急激に力を増し、死夢羅の燗に触っていた。初め死夢羅は、『そこ』を通過するときの不快感の意味を理解できずに苛立っていた。だがそれも、幾億回となく繰り返す内に、ようやく理屈が見えてきた。その理屈を納得するまでに更に数億回の邂逅を必要とし、納得せざるを得なくなった時、死夢羅の怒りは頂点を極めた。死夢羅は恐怖していたのである。平将門と呼ばれるその力は、神すら凌ぐと常日頃自負する死夢羅自身から見ても、想像を絶する存在と言えた。極論すればそれは、純粋な怒りの結晶である。その力の方向は、死夢羅もむしろ好ましいと思えるはずのものだったが、余りに純粋に凝集されたけた違いな力は、悪も善も関係無しに破壊し尽くさずにはいられない猛りようを示し、人を悪の道に誘い込み、自分の思うままに操る事にかけては古今一級の調略上手の死夢羅にさえ、全くとりつくしまを見せなかった。
 三月二十三日。この日も死夢羅はチューブの中を走り続けていた。思い起こすまでもなく、三月一日、あの忌々しい小娘に拉致されて以来、ずっと続いている日課である。麗夢達がやってきたときこそ、これで脱出できる! と久しぶりに気分も華やいだ死夢羅だったが、近頃はただ黙々と日々のスケジュールをこなし、全く無駄かも知れない努力の日々を送っている。そんな一点に凝り固まった死夢羅の精神がごくかすかな波動を感知しえたのは、ほとんど奇跡といって良い事だった。結局その人物を忘れる事が出来ないほどに死夢羅の怒りもまた根深いものがあったという事なのだが、死夢羅は、何度目かの将門通過の時に、ふっと覚えのある精神エネルギーを感じて一瞬だけ怒りに神経が沸騰したのである。
(都だ!)
 二周目、三周目と回を重ねる毎に、死夢羅はその怒りを糧に、日課の『壁壊し』も止めて相手の存在を全力で探知しようと躍起になった。更に周回も数百回を超えようと言う頃、ようやく死夢羅は遂に都がどういう状態に置かれているかを掴んだ。
(あの死に損ないめ、将門に喰われおったか)
 どんなへまをしたのか死夢羅にも判らない。しかし、将門の付近に漂う残存思念は、都の悲惨な最期を語るに余りある材料を死夢羅に届けた。
(どうやら榊とやりあったらしいな。だが、あの能なしにどうやって都を片づける事が出来たのか、奇怪な事もあるものだ)
 更に数分後、光速の八〇%まで加速した時点で、死夢羅の今日の実験は終わりを告げた。死夢羅の背中を打つ拳は姿を消し、死夢羅は周回を重ねる内に徐々にスピードを落として、やがて自力で静止できる速度まで足をゆるめた。同時に目の前のチューブに枝道が生じ、吸い込まれるように死夢羅はその枝道に入った。やがてチューブは袋小路になって死夢羅の足を止め、突如死夢羅の目の前が真っ白に輝くと、これもまた未だに怒りをかき立てられる明るい声が死夢羅を出迎えた。
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