驚異的に暑かった8月もついに今日で終わり、明日からは9月が始まります。どうやら幕開け3日は雨模様の天気のようですが、その後は初秋らしい、残暑の暑さの中にもからっとしたさわやかな空気が流れて、朝夕グンと涼しく過ごしやすくなってくれるのだそうで、大変期待をしています。その代わりという事なのか、今日はむせ返るような蒸し暑い夜になりました。台風崩れの湿気が大量に流れ込んできているせいもあるのでしょうが、ここへきて台風が北寄りに進路を取っていたことからして、太平洋高気圧の力が台風を北に押し上げるほどまだまだ強鋳物がある、という事なのかもしれません。まあ雨が降るというのなら、明日一日はゆっくり家で休んで、夏バテで痛んだ身体の回復に努めたいですね。
さて、ネットを見回っておりましたら、「終活」なる単語を目にしました。何でも、人生の終わりに向けて準備をする活動の事だそうですが、その記事では特に「ソーシャルメディアに対する“終活”の意識調査」という、ニフティとコムニコというところが共同で実施したネット上でのアンケート調査結果の中で、語られておりました。ここでいうソーシャルメディアとは、FacebookやTwitter、LINEやブログなどのことを指すそうで、私には関係ないかと思っておりましたが、一応ブログだけはこの通りやっているので全くの無関係という訳ではなさそうです。
ところで、私自身は、この単語自体は知りませんでしたが、回答者の6割以上のヒトが知っている、と答えたとのことです。一方、自分の死後ソーシャルメディアの扱いを考えた事があるか、という問いには、19%があると回答しているということでした。
もう一つ、自分が死んだ時に自分のアカウントで死んだ事を伝えたいか、という問いには、約3割がそう思う、という回答で、葬式の連絡をアカウントでして欲しいか、という問いでは6割がそう思うという回答をされていました。
他の質問を細かく出すときりがないのでこの辺にしておきたいですが、さて、自分に問いかけてみた場合はどうか、と考えてみましたところ、死後、このブログをどうするか考えているかというと、一応考えてはいる、という答えになります。とはいえ、例えば数ヶ月程度の余命を宣告されて準備期間が取れるならともかく、急な事故などでいきなり死んじゃったりしたらいかんともし難く、そんな時にどうするかは今ひとついい知恵が浮かびません。遺言で何らかの処分をするように残しておくにしても、家人のITスキルでは遺言書で示す内容についての解説を本1冊分くらい書いておかないとうまくいきそうにないですし、第一私が死んだとして、その混乱の中で私のPCなりを適切に処分するゆとりが家人にあるかというとそれは難しい気がします。となると、死んでしまえば恥も外聞もない、と開き直り、万一の事態など想定せずに好き勝手している方が精神衛生的にも良さそうに思えます。でも、最低限契約しているこのブログとかの有償サービスの分は私が死んでもちゃんと解約できるように準備は整えておいてあげる必要はあるでしょうね。
さて、それでは我が死をブログで伝えたいかというと、私はそれほどその事にこだわりはありません。残された人達には葬式などしないように遺言したいと思いますし。でもそのためには死の直前までブログを続けなくてはなりませんが、事故死とかでなければあとン十年は寿命があるはずで、きっと天寿を全うするまでにはブログなんてものは消えてなくなっていそうですから、あんまりこの手の問いには意味がないのかもしれません。
いずれにしても、突然死に対しては死んだらそれまでと思い切り良く諦め、特に備える必要のあるものは無い、準備期考えられるなら、自力で粛々と準備する、という、ごくありきたりな結論になりました。いまのところは。
さて、ネットを見回っておりましたら、「終活」なる単語を目にしました。何でも、人生の終わりに向けて準備をする活動の事だそうですが、その記事では特に「ソーシャルメディアに対する“終活”の意識調査」という、ニフティとコムニコというところが共同で実施したネット上でのアンケート調査結果の中で、語られておりました。ここでいうソーシャルメディアとは、FacebookやTwitter、LINEやブログなどのことを指すそうで、私には関係ないかと思っておりましたが、一応ブログだけはこの通りやっているので全くの無関係という訳ではなさそうです。
ところで、私自身は、この単語自体は知りませんでしたが、回答者の6割以上のヒトが知っている、と答えたとのことです。一方、自分の死後ソーシャルメディアの扱いを考えた事があるか、という問いには、19%があると回答しているということでした。
もう一つ、自分が死んだ時に自分のアカウントで死んだ事を伝えたいか、という問いには、約3割がそう思う、という回答で、葬式の連絡をアカウントでして欲しいか、という問いでは6割がそう思うという回答をされていました。
他の質問を細かく出すときりがないのでこの辺にしておきたいですが、さて、自分に問いかけてみた場合はどうか、と考えてみましたところ、死後、このブログをどうするか考えているかというと、一応考えてはいる、という答えになります。とはいえ、例えば数ヶ月程度の余命を宣告されて準備期間が取れるならともかく、急な事故などでいきなり死んじゃったりしたらいかんともし難く、そんな時にどうするかは今ひとついい知恵が浮かびません。遺言で何らかの処分をするように残しておくにしても、家人のITスキルでは遺言書で示す内容についての解説を本1冊分くらい書いておかないとうまくいきそうにないですし、第一私が死んだとして、その混乱の中で私のPCなりを適切に処分するゆとりが家人にあるかというとそれは難しい気がします。となると、死んでしまえば恥も外聞もない、と開き直り、万一の事態など想定せずに好き勝手している方が精神衛生的にも良さそうに思えます。でも、最低限契約しているこのブログとかの有償サービスの分は私が死んでもちゃんと解約できるように準備は整えておいてあげる必要はあるでしょうね。
さて、それでは我が死をブログで伝えたいかというと、私はそれほどその事にこだわりはありません。残された人達には葬式などしないように遺言したいと思いますし。でもそのためには死の直前までブログを続けなくてはなりませんが、事故死とかでなければあとン十年は寿命があるはずで、きっと天寿を全うするまでにはブログなんてものは消えてなくなっていそうですから、あんまりこの手の問いには意味がないのかもしれません。
いずれにしても、突然死に対しては死んだらそれまでと思い切り良く諦め、特に備える必要のあるものは無い、準備期考えられるなら、自力で粛々と準備する、という、ごくありきたりな結論になりました。いまのところは。