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かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

14 シェリーの夢 その1

2009-09-27 00:01:00 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 あれ? と気が付いたとき、私は夢を見てた。
 夢を見ながら、「これは夢だ」と気づくことがたまにあるけど、ちょうどそれが今起こったというわけ。まあ、夢の中で夢と気づく、と言う夢を見ている事もあるから、本当に自分が夢の中で意識してこれが夢と気づいているのはもっと少ないかも知れないけれど。
 でも、これは正真正銘夢の中だと思った。
 どうして? と聞かれたら困るけど、夢なんてそんなものでしょう? 
 さて、その夢の中で、私は見慣れない部屋にいた。
 何となくかび臭く、ほこりっぽいその部屋は、ヴィクター博士が研究所に使っているフロイト城の、滅多に人が使わない古めかしい物置と何となく似ている。でも、久しく火をくべたことのなさそうな暖炉や、厳めしいテーブルやイスなどの調度品の数々は、そこが物置でなく、一応応接間のような部屋であることを私に教えてくれた。
 でも一体どこだろう? 
 少なくとも私にはこの部屋について記憶はない。
 ふと気づくと、私はいつものパステルグリーンのブラウスにピンクのスカート、それに白のエプロンを身につけていた。と言うことは、ここは私が知らないフロイト城の一室なんだろうか。でもこれは夢な訳で、夢だからってそんな記憶にもないような部屋が見えたりするものなの? 
 ひょっとして、目が見えなくなる前の、赤ちゃんの時の記憶かも。
 これは一度麗夢さんに教えてもらわねばならない。目覚めた後にこの夢を覚えていられたらだけど。
 きょろきょろ部屋を見回していた私は、正面の壁にドアが一つ付いていることに気が付いた。向こうに出れば、たとえば見慣れたフロイト城の回廊だったりして。
 私は目の前のテーブルを迂回して、ドアに近づこうとした。ところが、突然そのノブががちゃりと耳障りな音を立て、ぎいと軋みながら開きはじめたからびっくり。思わず立ち止まってドアを見つめた私の前に、やがて一人の少女が姿を見せた。
 顔かたちがお姉さまにそっくり。私は息を呑んでその姿を凝視し、似てないところもいっぱいあると思い直した。
 飾り気のない白いワンピースとストレートの黒髪は、明らかにお姉さまのそれとは違う。
 視線は冷ややかで顔は無表情。これも、私を振り回して止まないあの少女とは大違い。
 私の知るお姉さまは、やや癖のあるふわっとした豪奢な金髪に、誇らしげにウサギの耳のようなピンクのリボンを立て、ピンクのワンピースにレースのきれいなエプロンドレスをまとい、くりくり落ちつき無く動く目に、何時も自信たっぷりに大輪の華が開いているような笑顔を浮かべているのだ。
 よく似ているけど別人。
 私は、滑るように部屋に入ってきたそのお姉さま似の少女に、気圧されるようにテーブルの後ろまで下がった。私と少女は、部屋の中央にあるテーブルを挟んで、にらみ合うように対峙した。
「お前のそのデータを取り込めば、私は完成の時を迎える」
 何の前触れもなく少女はそう言うと、無造作に右手を私の方へ差し出した。もちろん私と握手しようとしている、なんて勘違いはしない。明らかにその手は私を捕まえようとして伸ばされたものであり、しかもその腕が、一瞬でテーブルを横切って、あり得ない長さで私の首を鷲掴んできたのだから。
「ひっ!」
 私は総毛立ってその手を振り払おうとしたが、逆にものすごい力で抑え込まれた。その腕を両手で握りしめても、全然びくともしない。
「は、離してっ……」
 息が詰まり、かすれがちな声で必死に訴えたが、相手はまるで聞いてくれそうにない。それどころか、一段と強く首を締め上げ、そのうちに私は本当に息が出来なくなった。死んじゃう、という思いが私の頭からあふれ出す。涙が流れ、意識が薄れていく。
 助けて……。誰か……。
 おじいちゃんの顔が浮かび、麗夢さんやアルファ、ベータの姿が見え、円光さんやヴィクター博士が現れては消えていく。
「さあ、こちらに来い。お前を取り込めばそれで終わる」
 ぼやけつつある視界に、その無表情な少女が、初めて感情らしいものを浮かべているのが見えた。
 薄ら笑いだ。
 ジュリアンを狂わせたときの悪魔は、ひょっとしてこんな顔を浮かべたのだろうか? 
 陰惨としか言い様のないその笑みに、私は心底恐怖した。
 助けて……。
 私の脳裏に一人の少女が愛くるしい笑顔を投げかけてきた。縋るように私はその人に呼びかけた。お願い助けて!
「こら! 勝手な真似はやめなさい!」
 聞き覚えのある声が、薄れかけた意識に躍り込んできた。一拍おいて、首を締め付ける力が弛む。私は精一杯力を込めて、その腕から逃れた。勢い余って床に倒れ、げほげほと咳を繰り返す。心臓がばくばく言っているのが判る。
「大丈夫? シェリーちゃん」
 私は涙目でその声の主を見上げた。
 テーブルの上で腰に手を当て、仁王立ちしているピンクの背中。
 豪奢な金髪に服と同色のリボンをピンと立てるその姿。
 肩越しに振り向く笑顔は、紛れもないあの人だ。
「お、お姉さま……」
「良かった、まだ私をそう呼んでくれるのね」
 お姉さまはほっと息を付くと、また正面を向き直った。
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13 作戦 その3

2009-09-20 09:25:26 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 ケンプ率いるドラコニアン部隊と麗夢達が出会うには、それからまだ15分を要した。その間に円光、ドラコニアン、プジョーと夢魔達の間に熾烈な戦闘が繰り広げられたのは言うまでもない。ひとしきり凄惨な戦闘が終息した後、ドラコニアンはほぼ主砲を撃ち尽くし、プジョーも残すところロケット弾一発、右側のバルカンは弾切れ、左側も残弾数10発足らずと言う状態になっていた。だが、その鬼神も避ける戦いぶりは、さしもの夢魔達も、続けての攻撃をためらう程な効果はあった。今、大阪城下の広場では、ドラコニアン5両がプジョーを中心に円陣を組み、それぞれもう咆哮することはない主砲を居丈高に振り上げて、夢魔達ににらみを利かせていた。その周囲、主砲の射程距離の外側に、夢魔達が群がり集まり、こちらの隙をうかがっている。今こちらの状態を気づかれて総攻撃を受ければ、今度こそ駄目かも知れない。そんな緊迫した中で、鬼童はケンプ等を前に、練り上げた作戦を披露していた。
「あの怪物には、恐らく通常兵器は通用しません。いや、寧ろ撃たない方がいい。何故なら、あれはほぼ間違いなく風船のような構造になっていると推測されるからです」
「どう言うことだ?」
 ケンプの右目がぎらりと光った。今の今まで、ドラコニアンの無反動砲弾をたっぷりあの巨体にお見舞いしてやろうと思っていただけに、その言葉は看過できなかった。鬼童はまっすぐケンプの目を見返すと、臆することなく口を開いた。
「もし、あの姿が元の少女の肉体をそのまま拡大したのだとしたら、到底骨格も細胞も形を維持することは不可能です。血液循環一つとっても、それだけの圧力を生み出す事は出来ないでしょう。第一、衣装まで巨大化するのはどう考えても不自然です。それにあの大阪城の壊れ方。あの様子を見ても、怪物の体重が見かけに相応しいほどのものとは到底思えません」
 鬼童の指さす方角に、今は大阪城にどっかり腰を据えた少女の姿があった。もし見かけ通りの大きさで肉体が構成されているとしたら、その体重は恐らくは千トンを超えるだろう。大阪城は鉄筋コンクリート造りの堅固な建物だが、だからといってそのお尻に敷かれて耐えられるとは考えにくい。仮に耐えられたとしても、最上層くらいは陥没破壊していて不思議ではないのだが、実際には最上層どころか、その屋根ですら、重量物を載せているとは思えないしっかりした姿を見せていた。
「なるほど、では一体中に詰まっているのは何だ?」
「これも推測ですが、恐らく負のエネルギー、即ち瘴気が充満していると考えられます」
「瘴気?」
「ええ、夢魔達はあの少女の体から次々と生み出されています。恐らく、中に詰まった瘴気が漏れ出るとき、少女の肉体の一部を利用して実体化しているのでしょう。もし細胞一つで夢魔が一体実体化できるなら、その数はざっと最大60兆に達します。到底倒し切れませんよ」
 60兆……。今度はケンプの顔がどす黒く染まった。ここまでドラコニアンIIの力を信じて走ってきたが、相手がそんな全人類の数千倍の数にも達するのだとしたら、到底勝ち目はない。
「ではどうすれば……」
 榊の不安げな問いに、鬼童は言った。
「方法はあります。要するに、瘴気を消滅させればいいんです。円光さんには、その力があります」
「し、しかし拙僧でもあれだけ大きなものを滅散出来るかどうか……」
 さすがに脂汗を浮かべて躊躇する円光に、鬼童は言った。
「大丈夫ですよ、円光さん。ドラコニアンIIに搭載された対精神波セキュリティーシステムは、思念波砲と原理的に同じ構造になっています。従って、うまく活用すればあの怪物でも充分対処可能です」
 鬼童は皆が理解の色を示すまで言葉を切ると、再び語りはじめた。
「まず、ドラコニアンIIのシステムを、思念波砲仕様に改造します。ちょっとした調整で済みますから、時間はかかりません。次に、改造済みのこの5両で怪物を取り囲み、お互いをリンクさせて円光さんの力を増幅すれば……」
「瘴気を払うことが出来る!」
「その通りです麗夢さん!」
 ぱっと明るい顔になった麗夢に、鬼童もにっこり歯を輝かせた。だが、ケンプはまだ難しい顔を崩さず、鬼童に言った。
「だが、そうなると我々は相互支援できなくなる。既に砲弾は殆ど尽きかけているし、幾ら強靱な装甲でも、単体で奴らの集中攻撃を受けたら破壊されるかも知れない」
 ケンプはドラコニアンIIの性能に惚れ込んでいたが、だからといってそれが無敵だと思うほど盲信してもいなかった。第一、砲弾を撃ち尽くした戦車など、ただ図体がでかいだけのでくの坊でしかない。
「ええ。その点については若干不安が残るのですが、ここは麗夢さん、お願いできませんか?」
 突然振られて、麗夢はきょとんとして聞いた。
「何をしたらいいの?」
 すると鬼童は、真剣な眼差しで麗夢に答えた。
「おとりです。奴らにこちらの意図を悟らせないように、かき回して欲しいんです。これまでの様子を見ていると、夢魔達が狙っているのは明らかに麗夢さんです。きっと一度倒されたことを記憶していて、最大の脅威と認識しているのでしょう」
「馬鹿な! 何を言い出すんだ君は!」
 榊が声を荒げて鬼童に詰め寄った。円光も気色ばんで鬼童を睨み付けている。しかし、麗夢は躊躇う事無く榊と鬼童の間に割って入った。
「私、やります。見たところ、シェリーちゃんの夢に入ることが出来そうだわ。そこを足がかりにして、中から引っかき回してやるわ!」
「麗夢さん危険すぎる! 第一、夢に入っている間、無防備になる身体をどうするんです?」
 麗夢の決意に狼狽した榊が、今度は麗夢の方に向き直る。すると麗夢は、にっこり笑って鬼童に言った。
「榊警部にこの子を運転してもらうわ。それでいいでしょ? 鬼童さん」
 わ、私が? と驚き呆れる榊に、鬼童は言った。
「それで行きましょう!」
「頼んだぞ、榊警部」
 鬼童の陽気な声と、ケンプの落ち着いた声が交錯し、榊の決意を促した。麗夢はと見ると、悪戯っぽくウインクを返してくる。
「お願いね、榊警部」
 こうなってはやるしかない。榊も腹を決めた。
「わ、判りました。全力を尽くしましょう」
 最後の問題を解決した鬼童は、改めてそれぞれに指示を下した。
「ヴィクター! これからドラコニアンIIのシステムを少しいじるから手伝ってくれ! 円光さんは最後の瞬間まで気を充分に高めておくこと。榊警部はプジョーが奴らに捕まらないよう、うまく逃げ回って下さい。麗夢さんとアルファ、ベータは、お任せしますから、あの怪物の気をしっかりそらせて下さいね。ケンプ将軍も、よろしくお願いします」
 それぞれがそれぞれの仕草で鬼童に頷きかけた。力強く突き出された鬼童の右手拳に、麗夢、榊、円光がそれぞれの拳を左右からくっつける。わずかに遅れてヴィクターが行動を共にし、ケンプもまた、軽く唇の端に笑みを浮かべ、自分の生身の拳でヴィクターの隣から加わった。
「ヴィクター、もし生き残ったら覚悟してくれたまえ」
 ヴィクターは真剣な眼差しで、ケンプの目を見返した。
「覚悟は出来てますよ、将軍」
 するとケンプは、ふっと表情を緩めた。
「いい心がけだ。死ぬんじゃないぞ」
「将軍こそ、シェリーちゃんのためにも必ず生きて帰ってきて下さい」
「無論だ」
 ケンプは拳を降ろしながら、自分の愛車に向けて踵を返した。その後を追って鬼童が続いた。
「ヴィクター、早く! 時間がないんだ!」
「判った」
 ヴィクターは改めて怪物の手の中で眠るシェリーを一瞥すると、鬼童の後を追って怪異な巨体に駆け寄った。
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13 作戦 その2

2009-09-13 22:04:39 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「こうなったら鬼童さん! 私がおとりになって奴らを引きつけるから、その間にこの車で突っ込んで!」
「待ちなさい麗夢さん! おとりなら私が行こう!」
 後部座席から、榊が少し声を荒げて麗夢を制止した。
「駄目よ榊警部、奴らの狙いは私だわ。私なら大丈夫よ、こんなの慣れっこだし」
「しかし!」
 いくら麗夢が魔物相手の実戦に経験豊富と言っても、それは大半夢の中においてであろう。現実世界では麗夢も無敵の力を発揮するわけには行かず、体力にもおのずと限界がある。武器と言えば、その懐に忍ばせた拳銃一丁があるばかりだ。これでは、仮におとりが成功してプジョーを怪獣の足元まで躍り込ませることに成功したとしても、麗夢自身には、あのおぞましき魔物どもに引き裂かれる運命が待ちかまえているばかりだろう。それが判っていてみすみす麗夢一人をおとりにする非情さは、榊には無かった。
「鬼童君! 君も麗夢さんを止めないか!」
 それでもこれしか手がない、と言い張る麗夢に、榊は隣に坐ってさっきから一言もしゃべろうとしない眉目秀麗な若者に呼びかけた。誰よりも麗夢を大事に思っていると自認している男が、この一大事に黙りこくっているのが榊には許せない。だが、もちろん鬼童は、手をこまねいて一人黙していたわけではなかった。
「ちょっと静かにして……。良し、繋がった!」
 鬼童は、プジョー装備の通信システムにかかり切りになっていた。必死に何かを拾い上げようと、その操作に没頭していたのだ。そして、ようやく繋がったその相手に、榊は声を失った。
『誰だ!勝手に割り込んできおったのは! 自衛隊か?!』
「ケンプ将軍!」
 スピーカーの怒鳴り声に、ヴィクターが思わず声を上げた。一体どうして、と集中した視線に、鬼童は答えた。
「本当は自衛隊の回線を捕まえたかったんですけどね、偶然繋がってしまいましたよ」
 偶然だって? はにかむように微笑む若者の顔を凝視して、榊は思わず呟いた。その間に、鬼童の手渡すマイクを受け取って、ヴィクターが叫んでいた。
「ヴィクターです! ヴィクターフランケンシュタインですケンプ将軍!」
『ヴィクターだと?!』
 一瞬、確かに檄高しかけたケンプの声が、ほんの刹那沈黙した。が、ヴィクターが話しかける前に、再びスピーカーからケンプの声が流れてきた。
『ヴィクター君、君がどこにいるのか知らないが、大阪にいるのなら早く避難した方がいい。この事態を知らぬ訳でもあるまい。京都にカール殿下がいらっしゃるから、そこに身を寄せると良いだろう』
「将軍! 貴方は?」
『儂はフランケンシュタイン公国軍陸戦部隊司令官としての職務を全うする。では、幸運を祈る』
 今にも通信を切るかのようなケンプの言葉に、ヴィクターは慌てて言った。
「待ってください将軍! 僕は、僕は貴方に謝らないと……」
『黙れ!』
 ケンプの一喝は、スピーカー越しでも充分ヴィクターの言葉を急停止させる威力を持っていた。うっと息を呑んだヴィクターに、ややあってケンプは語りかけた。
『ヴィクター君、儂は今、君に対して怒りをぶつけている暇はないのだ。だが、今君の姿を見たら、無意識に無反動砲の引き金を引いてしまいかねん。だからそれ以上声を出さんでくれ。では、忙しいので切るぞ』
「待ってください将軍!」
 榊は身をよじってヴィクターのマイクに口を寄せた。
『うん? その声は榊警部か? ヴィクター君と一緒なのか?』  
「ええ、そうです」
『それは都合がいい。是非彼をカール殿下の元に連れていってやってくれ。それから、明日の夜の予定は、済まないのだがキャンセルしてもらえんかね。どうやら、行けそうにないのでね』
「そんなことより将軍は今どこにおられるのです?」
 榊の問いに、ケンプはまた少し沈黙した。
『君には本当に感謝しているよ。一度は孫を身を挺して守ってくれた。そして今また孫の危機を教えてもらい、儂はこうして孫を助けるために働くことが出来る』
「まさか将軍、新兵器であの怪物と一戦交える気なんでは?」
『はっはっはっ! 良く判ったね。その通りだ。もうすぐ奴を射程内に納められる。シェリーは私の手で必ず救い出すよ』
 もしこの大阪城下において、秘密裏に建造された新型ドラコニアンと怪物化した少女とが一戦交えたらどうなるか。榊は青くなってマイクをヴィクターから奪い取った。
「将軍! 今ここにはヴィクター博士の他に、鬼童君や麗夢さんも、シェリーちゃんを助けるために現場に向かっているのです!」
『何、君らも? 馬鹿なことをしてないで、さっさと安全なところに避難したまえ! ここは私の戦場だ。君らのような素人に出てこられれては迷惑だ!』
「相手は軍隊ではありません。化け物なんですよ! それなら将軍より我々の方が余程経験を積んでいますよ」
『こちらには円光君もいる。心配は無用だ』
「円光さんも?!」
 今度は鬼童がにわかに興奮を示して、榊からマイクを奪い取った。
「ケンプ将軍、鬼童です! 将軍は今、僕の開発した装置一式が搭載された戦車に乗っておられるんですね?」
『ああ、実に素晴らしいシステムだ。正直言って驚いているんだ』
「戦車は将軍だけですか?」
『いや、部下も含め、五両あるが……』
 素早く計算をはじめた鬼童は、初めて満面の笑みを浮かべてマイクに叫んだ。
「将軍! 僕に考えがあります。攻撃は控えて、僕達とまず合流してもらえませんか?」
『考え?』
「ええ、シェリーちゃんを必ず救出できる最良のプランを提供します。お願いです。合流して下さい!」
 スピーカーが沈黙した。部下の進言を聞いているのか、あるいは円光に意見を求めているのだろうか? 今度は少し長い沈黙だったが、それは榊や鬼童には気の遠くなるような長さに感じられた。
 ケンプは答えた。
『判った。今すぐそちらに向かおう。どこにいるんだ?』
 鬼童はほっと息を付いた。
「大阪城の東側、梅園の手前で夢魔達に囲まれ、動けなくなっています!」
『了解した。我々は城の西側からむかっている。これより直ちに急行するから、極力無理をせず、我々の到着を待て』
「こちらも了解しました!」
 ようやく交信が途絶え、鬼童は隣でハンドルを握る麗夢に言った。
「今はともかく時間を稼ぎましょう。すぐに円光さんと強力な武器が向こうから来てくれますよ」
「わかったわ」
 麗夢はプジョーを反転させると、今強引に突破しようとした夢魔達の陣に背を向けた。
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13 作戦 その1

2009-09-06 07:38:14 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 両脇の7.62mmバルカン砲が唸りを上げて襲来する魔物を掃射し、2.75インチ霊波追尾式ロケットが、白煙をたなびかせながら次々と前方に叩き込まれた。重なり合って華開いた盛大な爆炎をものともせず、1904cc直列四気筒SOHC(ジェッペット改造済み)の力強い咆哮と共に、プジョー205カブリオレ右ハンドル仕様の一見華奢な車体が躍り込んだ。
 目標は目の前の「怪獣」である。頭上に群舞するマスコミのヘリを従えながら、その怪獣は今まさに大阪のシンボル、大阪城にその魔手をかけようとしていた。
 左手を伸ばし、頭一つ大きい目前の大阪城天守閣頂上の屋根を、両端の金の鯱ごと鷲掴みにして体をぐいと引っ張り上げる。
 よじ登ろうというのであろうか。
 ピンクのスカートがはだけるのもお構いなく、最下層の瓦屋根に赤い靴を履いた足を二度三度、滑らせてはかけを繰り返している。そのたびに大阪城の青い外観を代表する緑青の葺いた銅板瓦や、際だつ白さの漆喰壁が次々と剥がれ落ち、平成九年に大改修を施された優美な姿が蝕まれていく。
「何をする気なんだ?」
 舌を噛みそうになりながらも、榊はそう呟きたくなるのを抑えられなかった。不可解な思いは、麗夢、鬼童、ヴィクターも同じである。だが、その事を吟味する時間は四人と二匹にはない。何度目かの魔物達による波状攻撃が、またも大阪城に向かわんとするプジョーカブリオレの前を遮ったのである。
「明らかに警戒されてますね、麗夢さん」
「そんなことは百も承知よ! みんな捕まって!」
 麗夢がぐいとアクセルを踏み込み、ハンドルを急に右に切る。榊から見れば無茶としか言い様のない強引な機動で、魔物の残骸をすり抜ける。助手席の鬼童や後部座席の榊、ヴィクターが必死にしがみついてGに耐える中、タイヤの金切り声が甲高く公園の森を貫いた。榊は首筋にヒヤリとしたものを覚えながら、その音が相手の耳に届いてなければよいが、と祈った。怪獣は天守閣によじ登るのに気を取られていたのか、まるで振り返る景色もなく、大阪城に取り付いたままだ。だが、この現実世界に突然現れた夢魔の化け物達が、けして麗夢達を無視しているのではないことを教えてくれた。あの巨大な怪獣に移動したに違いない佐緒里=ROMは、まだ麗夢を自分の完全化と言う一大事業に対する脅威と認識しているのだろう。ならば麗夢は、少しでもプレッシャーをかけてその試みの足をすくうため、全力でその足元まで走りよるばかりである。
 プジョーの急激な機動に夢魔達の一団が不自然に引いた。そこをすかさずバルカン砲の弾丸が襲いかかり、包囲網の隙間を無理矢理こじ開ける。プジョーが更に地を蹴って反対側に文字通りはね飛び、その空隙に躍り込んだ。目ざとく数匹の夢魔が飛びかかってくるのを一気の加速で避け、辛うじてしがみついてきた一匹を、榊が殴りつけてはたき落とした。
 怪獣はようやく足がかかり、体重を大きく移動させて大阪城その物にしがみついていた。昭和六年竣工の大阪城は、時ならぬ激震にその老躯を身もだえつつも、倒壊することなく辛うじてその体重を支えきったようだ。束の間の安堵が榊の口を漏れる。
 とうとう怪獣は、その最頂部を蹂躙しつつ、天守閣そのものをイス代わりにして腰掛けた。足をぶらぶらさせて、時折城の外壁にかかとを叩き付けている。その部分の漆喰壁は既に大半が崩落し、車が突っ込めるほどな孔が開いたところもある。今はまだ城の外観を辛うじて保っているが、早晩大阪城は夏の陣以来の惨状を呈するのは間違いないと榊には思われた。



「シェリー……」
 その手の中に、目ざとく愛らしい姿を捉えたヴィクターが、険しい表情で呟いた。目を閉じ、ぐったりしている様子からは生死の程は分からない。だが、ヴィクターはそんなことは考えたくもなかった。どうすればいいのか見当も付かないが、何が何でも救出しなければならないと言う決意は誰にも劣るものではない。
 だが、そんなヴィクターの決意を嘲笑うかのように、また別の夢魔の一団が目ざとく麗夢のプジョーを見つけ、続々と押し寄せてきた。
「もう! しつこいったら!」
 思わず文句を言う麗夢に、榊が心配げに問いかけた。
「しかしどうするんです麗夢さん! このままでは怪物に取り付く事もままならない」
「少しでも薄いところを探しているんだけど、なかなか突破できそうにないのよ」
 麗夢の脇で、アルファ、ベータが共同して霊波探知レーダーなどプジョーの特殊装備を駆使し、少しでも夢魔達の邪魔が入りにくいルートを探している。携行弾数わずか750発のバルカンがここまで保っているのも、ひとえにその避け方が功を奏してきたからなのだ。だが、その源に近づくにつれて敵の攻撃は激しくなり、こちらも相応に応戦する必要もあって、攻撃能力は時と共に低下せざるを得ない状況にあった。
 「ワン! ワンワン!」
 切迫したベータの声が、バルカンの残弾数100を報告する。後部のミサイルポッドも残りは3発だ。あの怪獣に立ち向かうためには、これ以上弾は無駄に出来ない。だが、これ以外に使える武器は、麗夢自身が左脇のホルスターに携行する、対妖魔用にチューンされた拳銃が一丁と、皆の肉体しかない。それも榊ほどの手練れならまだしも、鬼童、ヴィクターには肉弾戦などまるで期待出来るものではなかった。
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12 激戦 その2

2009-08-30 10:56:40 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 巨大化したROMを追っていた円光は、目の前に信じがたい相手が現れたのを見て足を止めた。
 夢魔だ。
 だがそれは、聖美神女学園やフランケンシュタイン公国で対峙したものとは全く違う。
 あの時の夢魔は、この世に迷い出た妖気の塊に過ぎなかった。だが、こいつらはまるで肉体を持つかのように獣じみたうなり声を上げ、爛々と狂気の光で目を輝かせながら円光の前に立ちはだかっているのだ。
「これは面妖な……」
 円光は錫杖を手に取り直すと、破邪の真言を口誦さんだ。たちまち体に力が漲り、錫杖がほのかな光に包まれる。その光に怒りを覚えたのか、夢魔が突然円光に飛びかかった。熊のそれを思わせる漆黒の巨体が、その図体からは考えられないほど俊敏に飛び、鋭い鍵爪を生やした丸太のような腕で、円光目がけて殴りかかる。
 円光はその直線的な攻撃を軽くかがんで空振りさせるや、不動明王真言を錫杖の先一点に集中し、夢魔の懐に叩き込んだ。伸びきった夢魔の体が途端に九の字に折れ曲がり、牙を植え並べた大きな口から、泡と共に真っ赤な血を吹き出す。円光渾身の一撃を喰らった夢魔は、そのままどうと横倒しになり、たちまち全身から白い泡を吹いて、地面に溶けていった。
 円光はそのしっかりした手応えに確信した。
 間違いない。
 明らかに、この夢魔は肉体を持っている。
(まさか、ROMの肉体を元に、夢魔が体を手に入れてきているのか……)
 やっかいなことになった、と円光は思った。
 少なくとも妖気のままなら、例えば円光必殺の秘法を使えば、一網打尽に消滅させることが出来る。だが相手が肉体を持つとなれば、直接その体に呪を撃ち込まないと効き目は薄いかも知れない。
 さてどうしたものか、と考えている余裕は円光にはなかった。円光の耳に、絹裂く女の悲鳴が届いたからである。
 大急ぎで駆け付けると、十人ほどの浴衣姿の少女の群が一所にかたまり、その周囲に一目20匹は下らない夢魔達が、うなり声を上げて蟠っている。
「おのれ!」
 円光は新たに真言を口に含むと、一気に跳躍して手近な夢魔の背後を襲った。夢魔が振り返る間もなく錫杖で首筋を突き、退魔滅妖の真言を叩き込む。たちまちその一体が絶叫を上げて倒れ、周りの夢魔が驚く間に、円光は少女達の前へと躍り出た。まっすぐ錫杖を自分の前の地面に突き立て、手に印を結んで念を凝らす。たちまち円光を中心に半円球の結界が生じ、外界と中とを遮断した。そこに夢魔達がしゃにむに取り付いてきたが、円光の結界の力は強く、夢魔達は触れた瞬間感電したようにびくっと手を引き、大きくうなり声を上げて周りを取り囲んだ。
(さて、どうしたものか)
 夢魔達が諦めて去ってくれれば言うことはないが、さすがにそれを望むのは無理だろう。一体一体はさほど恐ろしいとは思わないが、数を束ねてこられてはちとやっかいである。それにこの少女等を守りながらとなると、余程考えないと難しい。何とか少女等の安全を保ちつつ、奴らを倒す法はあるまいか。
 その時、円光の耳に、どこかで聞いたことのある騒音が、きゅるきゅると囁いた。思わずそちらに目をやると、5匹の巨大なカブトムシが、角を振り上げながらこちらに向かって疾走してくる。
(あれはまさか?!)
 円光は咄嗟に相手の意図を読みとると、結界の力を最大限に高めた。その瞬間、カブト虫たちの角の先から真っ赤な閃光が走った。直後に巨大な火が5体の夢魔を同時に包み込み、凄まじい爆風が夢魔達をなぎ倒した。更に次々と浴びせられる火線が、一発も誤ることなく夢魔達を爆砕し、炎に包み込んだ。20体を数えた夢魔はたちどころに掃討され、その死骸が泡立ちながら消えていった。
 円光が久しぶりで見るその戦車は、結界を解いた円光の前でぴたりと停止した。
『君だったのか。久しぶりだな』
 やや生硬な日本語に、円光の記憶が刺激された。
「お助けいただいて忝ない。そのお声、ケンプ将軍とお見受けいたすが」
『ああ。それにしても君は相変わらず大したものだ。こちらのセンサーでも君の力が一番強く反応していたよ』
 スピーカー越しにケンプの弾んだ声が、円光の耳に届く聞く。久々の戦場で血が騒いでいるのだろうか。円光は更にその後ろに連なる残り4両の戦車を見た。かつて円光は、死神によって狂わされたドラコニアンを棒一本で行動停止させた事がある。だが、今目の前にあるそれは、外観上はさほど変わったようには見えないのに、様子が明らかに違って見えた。人で言うオーラに似た雰囲気を、円光はその戦車群に読みとった。
「シェリー殿のこと、全く面目次第もない。拙僧、この身に代えても必ずや救出いたす故、しばしの猶予を頂きたい」
 ケンプは円光が謝る理由が判らなかったが、その悲壮な決意表明に、思わず涙しそうになった。
『また、シェリーを助けてくれるのかね』
 円光が力強く頷いた。
『……ありがとう。では君も一緒に来てくれ給え。共に戦おう』
「承知した」
 円光はひらりとケンプの座乗するドラコニアンIIに飛び乗った。
 脅威の東洋人を味方に付けたケンプは、勇気百倍して新たな命令を下した。
「モーリッツとヨハンはこの市民を後方の安全地帯まで誘導せよ。ハイネマン、シュナイダーは私に続け。では行くぞ!」
『ヤーッ!』
 複数の威勢の良い返事がスピーカーから流れ出る。一拍おいてケンプのドラコニアンが再び前方に動き出し、すぐ後ろの二両が相次いでその後を追った。残された二両のドラコニアンIIから片言の日本語が流れ、少女達を挟んで、ゆっくりと後方へと動き出した。
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12 激戦 その1

2009-08-23 13:29:12 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 大阪府伊丹市にある陸上自衛隊第三師団司令部は、交錯する情報の中で混乱を極めていた。大阪市内に怪獣出現! と言う情報が、あまりに非現実的で理解を絶した内容だったからだ。それでも大阪府知事からの緊急出動要請を受け、また、マスコミ各社の映像がテレビ画面の全てをそれ一色に染め上げる頃には、さすがに事態を傍観するわけには行かなくなった。既に八尾空港からスクランブルさせたヘリが、現場に急行している。また、手元にある第三偵察隊を大阪市内方面に出動させる一方、第三六普通科連隊に出動準備を急がせてもいる。しかし、もっとも頼りになるはずの戦車大隊は、第三、第一〇とも滋賀県今津に位置するため、どんなに急がせてもまだ当分は間に合いそうにない。それに何よりも、自衛隊は怪獣との戦闘を想定して装備も訓練も整えてきてはいない。はたしてこれで怪獣などに立ち向かえるものなのか、誰も言わないだけで幕僚陣の皆がその不安を抱いていた。大体、どのフィクションの世界でも、自分達は怪獣に蹂躙される役回りと相場が決まっているではないか……。
 そんな中、一本の不可解な報告が司令部に届いた。
「所属不明の戦車中隊? 一体なんだそれは?」
 混乱する現場では、早くも今津の部隊の一部が到着したのか、と、喜んで素通りさせたのだという。しかし、その戦車の形状が、日頃慣れ親しんだ九〇式とも七四式とも異なる上、所属も告げずに走り去ったのを不審に思った偵察員がようやく連絡を寄こしたのだ。
 まさか、この機に乗じて某国の侵略が始まったのか、いや、そもそも怪獣その物が某国の新兵器という可能性もある……。
 結局師団長の疑問が口の端に上らぬ内に、謎の五両の戦車は、信じがたいほどの機動力と土地勘を発揮して、瞬く間に大阪の街へと消えていった。
 
 これは思ったよりも良いものに仕上がっている。ケンプは狭い車内に灯る各種電子兵装の明かりを受けながら、戦車隊の先頭切って大阪の街を走り抜けていた。
 震動、騒音ともこれが戦車かと疑うほどに少ない。
 人間工学的にも洗練されたコクピットは、一日のテストに付き合って体に疲労がたまったケンプでも、楽に操縦できる様に出来ている。各種計器板は見やすい位置にレイアウトされており、外部の状況も、中央の光学系モニターだけでなく、各種センサーを用いて視覚以上のデータが統合的に把握できる。
 中でも今回の目玉は、光学モニターの右脇に設置された、対精神活動体専用のセンサーである。今回は相手が誰が見ても見失うことのない巨大さ故に、このセンサーを使う場面はないかも知れない。だが、機会があれば是非試してみたいシステムであった。何といっても兵器というものは、実戦で使ってみて初めて良い悪いが判断できるものなのだから。
 戦闘シュミレーションが大阪の街を想定して組み上げてあったおかげで、ケンプの部隊は実にスムーズに南港のテスト場から最短距離で「戦場」である大阪城に辿り着こうとしていた。もともとこの戦車のベースになったドラコニアンは、狭隘な山岳地帯や市街地での戦闘を想定して、各種チューニングが施されている。ごちゃごちゃした大阪の街は、そのテストには最適の戦場だ。
 もうすぐだ、シェリー!
 ケンプは、光学モニターを最大望遠にセットして、その中央にシェリーの姿を捉えた。特殊なブレ補正機構が、キャタピラで走行する震動を完璧に捉えて映像をびくともさせない。ケンプはそんな日本の精密技術に溜息をつきつつ、ふとその右の小モニターに赤と緑の点滅する反応を見た。対精神活動体センサーの反応である。赤の点が5、緑の点が1。鬼童指導の元作成されたマニュアルには、赤が妖魔を表す黒の想念、緑は一般的な人の存在を表すという。ケンプは急いでその対象に光学モニターを切り替えた。シェリーの姿が画面の中で小さく縮み、左隅に畳み込まれる。必要になったらその部分を指で触れるだけで、また元通り拡大される仕組みだ。だが、今度はそんなギミックに感心している余裕はなかった。
「あれは?!」
 忘れもしないジュリアン事件の記憶が甦る。
 我々の最新兵器が全く通用しなかった化け物どもの姿。
 一見人のように二本足で歩きながら、毛むくじゃらな体の先端に、狼のそれを思わせる頭を戴いている。大きく裂けた口には鋭い牙がずらりと並び、涎がてらてらと光っているのが全くもっておぞましい。その化け物5体に、一人の女性が取り囲まれている。この国の民族衣装が大きく裂け、煤けた顔が、恐怖に引きつっている。恐らくまだ10代と思われる少女だ。
『閣下! 瘴気レベル3。警戒が必要です!』
 ハイネマンの声がスピーカーに流れる。瘴気とは、センサーの開発者である鬼童海丸によると、魔界に充満するという負のエネルギーの総称だそうである。かつてジュリアン事件の時には、この瘴気に電子兵装や通信機器が狂わされ、ドラコニアン同士の連携が全く取れなくされた。だが、今のところこのドラコニアンIIには微塵の影響も感じられない。
 これはいける。
 ケンプは確かな手応えを感じ、新たな命令を下した。
「目の前の怪物どもを掃討。市民を救出する。市民の安全確保のため、砲撃時の弾道に注意せよ」
『了解!』
 ケンプの指揮戦闘モニターに、一列縦隊で並んでいた小さな三角が、先頭を中心に一斉に左右へ散開するのが映った。ケンプははじめ、自分の乗るもの以外は全て自分で操作する半自動操縦にするつもりであった。ドラコニアンはもともとそう言う運用も可能な設計になっている。だが、さすがに鍛え上げた戦士が乗っていると、動きが鋭く的確で無駄がない。
 設定次第で集中砲火も各個撃破も可能であるが、ケンプは一撃でケリを付けるため、各個撃破を選択した。これで連動した各車のコンピューターがそれぞれ独自に目標をロックし、砲身の方向を微調整する。しかも互いに重複しないように敵を選択、攻撃するのだ。ケンプは、全ての準備が整ったことを確認し、鋭く攻撃命令を下した。
「撃て!」
 同時に無反動砲が咆哮した。市民への安全を担保するため、炸薬量を調整したが、夢魔と言えどもこの剣の力にそう対抗できるものではない。案の定、5体の夢魔全部が、ほとんど同時に上半身を吹き飛ばされた。爆風は見事娘の左右を高速で吹き流れ、その民族衣装の裾を乱したに留まる。魔物は下半身だけでしばらく立っていたが、ドラコニアンIIの接近する震動を受けて、脆くもその場に崩れ落ちた。
 ケンプはドラコニアンIIを停止させると、へたり込んだ女性にマイクを通じて呼びかけた。
「歩けるなら急いでこの場所を離れなさい。我々の来た方に行けば助かる」
 すると娘は、わなわなと震えながらも何か言った。ケンプは音声センサーを女性に指向させ、センサーの感度を上げた。
『む、向こうに友達が取り残されて……』
 娘が震える手で今まさにケンプが行こうとしている方角を指さした。
「わかった。我々が必ず救出する。君は早く逃げたまえ」
『あ、ありがとう』
 娘はよろよろと立ち上がると、瓦礫に躓きながらもしっかりした足取りで歩き出した。
『閣下、2キロ前方に精神体反応探知。巨大です』
 ケンプは即座にセンサーを部下のドラコニアンIIとリンクさせた。なるほど、距離があるためか数の程は不明だが、赤、青、緑の点が入り乱れているのが見える。
「よし、行くぞ」
 ケンプは新たな目標を定めると、改めてモニターを長距離モードにセットした。
「待っててくれシェリー」
 ケンプは画面の中のシェリーに語りかけると、ドラコニアンIIのアクセルを思い切り踏み込んだ。
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11 決断 その2

2009-08-16 09:38:43 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 ばさり、と音を立てて、改良ドラコニアンのテスト結果がケンプの足元に落ちた。釘付けになった視線の向うで、ぐったりとうなだれるシェリーのいたいけな姿がアップになる。その耳に、切迫した日本語が飛び込んでいた。
「……身長推定40メートルの怪物が、現在大阪城に向かっております! その手に一人の少女が囚われている模様です! 午後10時5分、大阪市中央区、都島区、城東区に避難警報が出されました。また、大阪市全域に避難勧告が出ております! 市民の皆さんは落ち着いて、大阪府警と自衛隊の誘導に従って下さい! 繰り返します、これは特殊映像ではありません!……」
「か、閣下、ど、どうしたら……」
 さしものケンプも2秒ばかり心が空白になっていたらしい。剛胆で鳴る信頼すべき部下の狼狽ぶりにはっと気が付いたケンプは、思わずびしりと怒鳴りつけた。 
「馬鹿者! フランケンシュタイン公国の栄えある戦士が、何をうろたえておるか!」
 その一言は、ケンプ自身をも落ち着かせる効き目があった。ケンプは一言で部下の狼狽を強制停止させると、努めて冷静に榊に言った。
「どう言うことか、落ち着いて正確に説明してくれないか」

 10分後、榊から大体の状況を聞いたケンプは、ここまで連れてきた信頼厚い腹心中の腹心4名を、応接室に集めた。
「殿下は御無事か?」
「はい。現在殿下は大阪への移動を見合わされ、京都で待機なさっておられるとのことです」
「そうか、では心残りはないな」
「閣下?」
 先任のハイネマンが、怪訝な顔でケンプに問いかける。ケンプは軽く手を挙げて未然にその疑問を封じると、おもむろに口を開いた。
「既に諸君もこの大阪の街を襲う脅威について知っているだろう。私の孫娘が置かれた状況も」
 無言で四つの厳つい顔が頷いた。
「フランケンシュタイン公国軍陸戦部隊統合司令官として命じる。貴官等はこれより直ちにカール皇太子殿下の元に参じ、その御心を安んじたまえ」
 思いもよらないケンプの言葉に騒然となる仲間を抑え、静かにハイネマンが問いかけた。
「閣下はどうされるのです?」
「儂はたった今除隊させてもらうことにした。一日遅れにしていたが、ちょうど良い機会だ。今度こそ陛下には儂のわがままを聞いていただこう」
「お嬢様を救いにいかれるのですね?」
 ケンプはこくりと頷くと、四人に言った。
「これまで皆よく儂に付いてきてくれた。これでさらばだ。貴官等の未来に栄光のあらんことを」
 ケンプは言いたいことは言った、とばかりに、手を振って解散を命じた。が、四人は動かなかった。
「どうした、一刻も早く殿下の元にいけ! これは命令だぞ」
「いいえ、その命令、お受けできません」
「何?」
 静かに、しかしきっぱりとハイネマンは言った。
「閣下はたった今除隊された以上、我々に命令する権限はありません。我々は、自ら情勢を判断し、行動させていただきます」
「な、何を言うのだハイネマン」
「貴方一人を行かせはしません。閣下」
「ば、馬鹿なことを言うな! これは儂の問題だ! 貴官等まで付き合うことはない!」
 ケンプが激するほどに、ハイネマンは盤石の岩のごとく静かになった。
「ケンプ将軍。我々はフランケンシュタイン公国軍陸戦部隊士官でありますが、それ以前に、栄えある公国騎士団の一員であります」
「公国騎士団……」
 フランケンシュタイン公国軍の組織は、古く公国騎士団をその母体としている。時は移り、戦いが騎馬戦から戦車戦へと変化しても、その気高い敢闘精神と高潔なる魂は、代々受け継がれてきた。特にケンプが直率する陸戦部隊は、精鋭を持って鳴るフランケンシュタイン公国軍の中でも、特段に高い戦闘力と厚い忠誠心を誇る、文字通り現代の騎士達なのである。
「そうであります! 公国の騎士たる我らは、我が国に徒なす邪悪なる者達をうち払い、公国の平和と安寧を守る義務を負っております!」
 ハイネマンの隣で、自他共に熱血漢で鳴るモーリッツが叫んだ。
「それぐらい判っている。だから儂は殿下を、と……」
「いいえ。あの少女も、れっきとした我が公国の民です。我らが今これを見放したとなれば、神の身元に召されるとき、我らの居心地が悪くなります」
「その通りです閣下。閣下は我らに天国において先達達の笑い者になれとおっしゃりますか?」
「ヨハン、シュナイダー……」
 次々と部下達が反旗を翻し、ケンプは呆気にとられてそれぞれの顔を見た。
「もう良いでしょう、閣下。我らもシェリーお嬢様救出の栄に浴したいのです。同行を許可願います」
 最後にハイネマンが締めくくり、ケンプの決断を迫った。ケンプは右目を瞠って四人の顔を順に見た。どの顔も、けして自分から目を離さない、強い意志を内に秘めている。ケンプは再びハイネマンのところで視線を止めると、おもむろに呟いた。
「皆、私に力を貸してくれるのか?」
「はい」
「もちろんですとも」
「閣下!」
「一言ご命令を。ついて来い、と」
 ケンプはじっと一人一人の目をもう一度見つめ、もはやその意志を覆すことなど出来ないことを否応でも悟った。それはそうだろう、とケンプは思った。皆、儂が手塩にかけて一から叩き込んできたのだから……。
 ケンプは決断した。
「では改めて貴官等に命ずる。この街を蹂躙する化け物を倒し、友邦国の街と市民を守るのだ」
「閣下、シェリーお嬢様は?」
「この街の市民保護を最優先とする。だが、私は一人の人間として諸君らにお願いしたい。どうかシェリーを助けるのに、手を貸して欲しい」
 四人は、敬愛する将軍がどれほど孫娘を大切に思っているかを痛いほど理解している。恐らく将軍は、今すぐでもこの部屋を飛び出していきたいに違いない。だが、敬愛する鉄の魂は、部下に対してあくまでも公務を優先するよう命令した。それでも四人の考えは微塵も揺らぐ事がない。将軍をお助けしてシェリーお嬢様を救出する。それが自分達の最優先任務であると理解したのである。
「閣下、さしあたってどうしましょう。この国の軍に武器を借りる訳には恐らく無理でしょうが……」
 場合によっては強奪してでも、と言外に匂わせたハイネマンに、ケンプは自信ありげに答えた。
「武器ならある。ここにもっとも頼りになる我らの剣が」
 ケンプは落とした書類を拾い上げ、にやりと笑みをこぼして見せた。それは、かつて無敵と言われた鍵十字軍団を迎え撃った時と同じ、獰猛な戦士の微笑みであった。
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11 決断 その1

2009-08-09 17:12:28 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 夜も一〇時を過ぎようとしている。
 ケンプはようやく終えた一連のテストのデータを、疲労の滲む右目で睨み付けた。
 秘密裏に事を運ぶため、公式日程の合間に無理矢理組み込んだ視察だったが、まあ結果は悪くなかった。主力戦車ドラコニアンの後継は、我が国を守る楯として、十二分な働きを示してくれるだろう。ただ、ケンプにとって残念なことに、最もテストしておきたかった「特殊装備」の性能までは今回試せなかった。そもそもそんなものを試す方法があるのかどうかさえケンプには判らないのだが、何とかして方法を見つけ、有効性を確認しておかねばならないとは、実戦経験豊富な指揮官として当然の要求であろう。ましてやあのような理解不可能な敵が相手とあっては……。
 ケンプの脳裏に浮かんだのは、ジュリアン事件の真犯人の姿である。
 漆黒の闇その物をまとったようなその姿は、歴戦を経たケンプでさえ、背筋にぞっとした冷気が下るのを禁じ得なかった。
 それに、強力無比なドラコニアンを初めとするフランケンシュタイン公国軍の精鋭を翻弄し、甚大な損害をもたらした化け物達。
 今でもあれは夢ではないのか、と疑うほどの信じがたい存在だが、自身前線で、その戦慄すべき光景をいやと言うほど見せつけられては、もはや疑う余地はない。それまで、新鋭戦車としてその性能に絶大な自信を持っていたドラコニアンを急遽改良するよう指示を出したのは、あの惨劇を目の当たりにしたからなのだ。わざわざヴィクターの友人である鬼童海丸の指導を仰ぎ、この日本において搭載させた新システムであるが、あの「精神物理学」なる胡散臭い学問の成果が本当に役に立つのか、ケンプには正直疑問であった。
 それでもその装備を中心に据えるよう指示を下したのは、現状ではそれしか手がなかったからに他ならない。
 つまり、そんなものに手を出すほどに、ケンプはかつてない焦燥感を覚えていた。それは、いつか近い将来、あの化け物達と我々人類が、その未来を賭けて雌雄を決しなくてはならないのではないか、と言う予感である。しかも、ドラコニアンがまるで通用しなかったように、現代の兵器工学ではあの化け物達に対処できないことは明らかだ。
 対抗可能な力。
 例えばケンプがまだ生まれる前の世界でなら、それは教会の聖職者達に期待できるだろう。いや、今でもまともに対峙できるのは、それ以外にはなかろうとケンプは思う。だが、実のところ当てにしていいのかどうか、ケンプには確信が持てなかった。それというのも、ジュリアン事件を調べるうちに、ヴィクターの研究グループの一員であるボリスと言う科学者が、ジュリアン暴走の引き金を引いたことが判りつつあったからだ。
 このボリスはただの科学者ではない。
 バチカン科学アカデミーに所属する、正真正銘の聖職者なのである。その聖職者が、人造人間という存在を許容できず、自ら処分しようとしたのがジュリアンを狂わせたきっかけだったらしい。
 聖職者にしてこの体たらく。単にボリス一人が神の恩寵を受け損ねた堕落者だったという可能性もあるが、ケンプには、彼ら聖職者達の実力を計る術がない。万一、普段は教会の聖壇でしかつめらしく説教を垂れている坊主どものほとんどが、いざというときボリス同然だったと知れでもしたら、我々は一戦もせぬうちに滅亡の憂き目を見せられるだろう。彼らの力を確かめられない以上、自分達に出来ることを精一杯やるしかない。それがたとえ胡散臭い代物だったとしても、いずれ研究が進めば、更に有効な手だてが出来るかも知れないではないか。その時に備えて、今手に入る機材で可能な限り経験を積んでおくことは間違っていない、とケンプは信じていた。
 分厚い報告書の束を一旦閉じたケンプは、目に手をやって瞼の上から圧迫した。軽い疼痛と心地よさが同時にじんわりと広がる。明日は再び使節団の一員となり、殿下の共をして大阪を表敬訪問しなければならない。だが夜には、気の置けない異国の友人とくつろいだ一時を過ごせるだろう。それまでの辛抱だ。
 ケンプは連日の激務に軋む体を叱咤して立ち上がった。そろそろ投宿地のホテルに引き上げなければならない。
「閣下、榊警部より連絡です。大至急ケンプ将軍に取り次いで欲しいとか」
 ケンプがちょうど立ち上がったところへ、部下のスーツ姿が扉を開けて携帯電話を差し出した。
「大至急だと?」
 ケンプは、首を傾げながらその携帯を受け取った。まず疑ったのは、皇太子殿下に何かあったのかということだ。だが、それなら榊からでなく、侍従の誰かからまず連絡が入るだろうとすぐに思い直した。しかし、他に思いつくことはと言うと、せいぜい日本側で探知したテロ計画でもあったかというくらいのことである。
「私だ。ケンプだが」
『ケンプ将軍! 大変ですぞ!』
 ケンプは苦笑しながら榊に言った。
「榊警ち着きたまえ、君らしくもない……」
 しかし、榊はケンプの言葉を無視したまま、口早に言った。
『お孫さんが、シェリーちゃんが大変なんです!』
「何?」
 さすがにその名前にはケンプの眉もぴくりと上がる。いったいシェリーの身に何が……。その疑問を問う前に、榊がまくし立てた。
『テレビ! 将軍の近くにテレビはありませんか!』 
「テレビだと?」
 ケンプは部屋をねめ回し、部屋の隅に、少し古ぼけた大型テレビが一台、鎮座しているのに気が付いた。テストレポートに目を通していたときには、ついぞ気にも止めなかった代物である。
「確かにあるにはあるが……」
『とにかく点けて! チャンネルはどこでもいい!』
 ケンプはなおも首を傾げつつ、自らテレビに近づくとスイッチを入れた。ぶぉおん、とブラウン管独特の起動音を奏でて、テレビの画面が明るく代わる。
「なんだこれは?」
 ケンプは、ようやく灯ったその映像に、不快その物の声で言った。
「おい、君は私にこんな子供番組を見せて何が言いたいんだ?」
『子供番組ではありませんぞ! よく見て!』
 榊は切迫した声を崩さず、ケンプを叱責した。
「閣下! お嬢様が、シェリーお嬢様が!」
 傍らで電話が終わるのを待っていた部下が、わななく指でテレビ画面を指さした。
「貴官まで何を言って……」
 ケンプはそう言いかけて、アップとなったその一部に今度こそ愕然となって目を瞠った。
「な、……ど、どうしてシェリーがあんなところに……」
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10 巨大怪獣 その2

2009-08-02 12:58:34 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 ついさっきまで見事な花火が、ちょうど大阪城の背景をなすようにして空を染めていた。やや距離があるためか、あるいはこのビルの防音が完璧なためか、榊の耳に花火独特の爆発音は一切届かない。ただ色とりどりの火炎の華が、広がっては消えていく光景が見えるばかりである。
 榊は申し訳ないと思いつつも、その一種幻想的な光景に目が向いていた。
 大阪ビジネスパークの一角にそびえ立つビルの一室。
 一時は行方不明になった麗夢達の足取りを探るため、東大阪市にまで出向いた榊だったが、その後、鬼童にヴィクターから連絡が入り、その件についてはあっさり片が付いてしまった。榊としてはそのまま京都に戻る手もあったのだが、麗夢の無事やシェリーの所在を確かめてからでも良かろうと、誘われるままここまで付いて来たのだ。
 ところが事態は思ったよりも複雑に絡んで、榊の足を止めた。
 まず真野昇造と名乗る老人の話を聞き、その孫娘にしてクローン人間(!)の佐緒里の事を知って驚きつつも安堵した束の間、その佐緒里の夢に入っている麗夢の様子がおかしいと、アルファ、ベータが言い出した。ただ調査に赴いたにしては、麗夢の気が異常に高ぶっていると言うのだ。そのことに不安を抱くやいなや、今度は麗夢がピンチだという第二報が榊の脳髄を貫いた。テレパシーとは便利なものだと感心する間もなく、二匹が相次いで麗夢の傍らで眠りにつく。結局榊は、麗夢達が目覚めるまで、待機することにしたのである。
「天神さんのお祭りですな。花火も年々派手になって、今年は四千発上げるそうですわ」
 いつの間にか傍らに真野昇造が歩み寄っていた。鬼童とヴィクターはやや離れたところで、高度な専門用語を駆使して何やら議論を戦わせている。真野氏としては、比較的暇を持て余しているように見える榊の相手をしようと腰を上げたのであろう。
 花火は既にクライマックスの連発を終わろうとしていた。おもむろに時計を見ると既に10時近い。
「真野さん、貴方心配ではないのですか? 佐緒里さんの夢の中では、どうやらただならぬ事態が生じているみたいですぞ」
「とはいえ、儂には何もしてやれることはない。黙って麗夢さんを信じるばかりです。貴方もそうですやろ?」
 そう言われては榊も返す言葉がなかった。仕方なくまた窓の外を眺めてみたが、花火はさっきのが最後の一発だったらしく、もう見えることはなかった。
「もう一人の佐緒里さんを迎えに行かなくても良いのですか?」
「そうですなぁ。祭も終わったし、ぼちぼち帰って来い言わなあきませんな」
 そう口では言いながら、真野はなかなか動こうとはしなかった。恐らく一緒にいるという円光を信頼しているのだろう。榊もそれは承知しているので、それ以上真野をせかそうとはしなかった。
「しかし、もしこれで佐緒里さんの心がやはり人間のそれとは違うと判定されたら、どうなさるおつもりなんです」
「うむ、儂はそんなことはないと信じてますけど、万一の時はやり直さなしゃあないでしょうな」
「で、佐緒里さんはどうするんです?」
「今までと一緒です。データ取って処分します」
 あっさり言い放った真野の言葉に、榊はちょっと驚いた。いくら何でもそれはないのではなかろうか?
「随分冷酷におっしゃりますな。仮にも貴方が生み出した命でしょう?」
「そうはゆうても、人の形をした人でないもんを、世間は受け容れてくれますか? 人の心はそんな強うない。ばれたらきっといらん軋轢が生じて、お互い不幸になるしかない。佐緒里もそんなことは望んでないですやろ」
「しかし……」
「法律にも触れてへんはずや」
 真野の強弁に、ちょっと待てよと榊は突っ込んだ。
「いや、2000年に「ヒトに関するクローン技術の規制に関する法律」で禁止されたでしょう? 貴方がご存じ無いはずない」
 すると真野は、しれっとした顔でこう言った。
「あんな阿呆な法律、守る価値があるとは思えませんな。でもそれはともかく、あれが規制しているのは個人の複製であるヒトクローン胚などを、人や動物の体内に移植して育てることや。一方うちのは、全部人工培養で一切生きモンの体はつこてません。どないです? 儂はどこかまちごうてますかな?」
 詭弁だな、と榊は感じた。第一真野はまだ命をそう軽々しく扱っていいのか? という榊の問いに答えていない。だが、それを正面から伝えても、この孫娘を生き返らせたいと必死に念じている老人の耳には届かないだろうことも、榊には判った。
 もはや是非の問題ではないのだ。しかもそういう風に開き直られると、もう榊には言う言葉がない。法律は、次々と革新されていく科学技術に対しては、どうしても後手に回らざるを得ない。クローン人間の国籍や戸籍はどうするのか、人権はどうするのか、いや、そもそもクローン人間を、人として認知するのか?
 その問題が法的に明確にならない限り、警察官としての自分には、真野老人に対し言えることはない。ただ一人の人間として、実験失敗と生み出した命をあっさり絶ってしまうその感覚に、強い嫌悪感を覚えるばかりである。
 榊が窓外の夜景から目を離し、真野に一言そう言ってやろうとしたその時。突然、榊の目が、窓の外から飛び込んできた膨大な光を感知した。思わず振り向き直った榊は、眼下でライトアップされた大阪城の向こう側に、赤い光の柱が高々とそそり立つのを見た。
「まだ花火が残ってたんかいな」
 真野はのんびりそう言ったが、到底それは花火くらいで生じる明るさではなかった。
「違いますぞ! あれを見て!」
 榊は、光の柱の中に浮かび出た、人型の影を指さした。やがて光が薄れ、人の形がはっきりと見えてくる。榊と真野が見つめるうちに、その姿が遂に動き出した。
「そ、そんな阿呆な……」
 真野が腰砕けにその場に座り込んだ。榊自身も、驚愕の余り動けない。そこに、軽快な着信音が真野のポケットから鳴り響いた。真野は感電したようにびくっと震えると、慌ててポケットから携帯電話を取りだした。
「ど、どないしたんや! なんやて? 佐緒里がおっきいなったやとぉ?!」
 それは、佐緒里、シェリー、円光につかず離れず尾行していた、真野の部下からの連絡であった。
「鬼童君! ヴィクター博士! 大変だ!」
 榊もようやく呪縛を解かれ、まだ向こうで議論を重ねている二人に、緊急事態の到来を告げた。
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10 巨大怪獣 その1

2009-07-26 09:56:58 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 巨大な火柱が桜之宮公園を真昼に変えた。
 と同時に漆黒の瘴気が渦を巻き、突風を伴って公園内を席巻した。
 既にJR桜之宮駅構内はじめ、帰路についていた祭参加者130万人の目が一斉に振り返った。
 中には、花火が終わったと思ったのは早合点だったか、と慌てて踵を返した者もいるが、大多数の人々は、堪能した花火よりもはるかに高く沖天を焦がすその火柱に、漠然とした恐怖を抱いた。
 まだ公園付近に残っていた人々は、その火柱を中心に、突如発生した強烈な風にあおられ、吹き飛ばされた。
 大勢の男女が目の前の安治川に放り込まれて盛大な水しぶきをあげ、あるいは根こそぎにされた木やバラバラに砕け散る屋台の残骸に巻き込まれながら突き転がされていく。プロパンガスのボンベが衝撃で爆発し、ショートした発電器が、自身奇怪な燭光を放ちつつ飛び去っていく。
 円光自身、あっと思ったときには、既に10mも吹き飛ばされ、無理矢理そんな残骸の中に叩き込まれていた。それでも辛うじて受け身をこなして着地するや、殺人的な勢いで突っ込んでくる残骸や人体を避けてその火柱を見た。
 円光はこの突風に辛うじて耐えた柳の木に寄り添いながら、強風をものともせずに目を見開き、今は瘴気に包まれ姿が見えなくなったシェリーの姿を追い求めた。
(迂闊だった)
 と円光は無念のほぞをかんだ。
 ようやくにして思い出したのだ。あの、天真爛漫な悪魔の姿を。
 麗夢と二人でようやく倒した魔の姿をどうして今まで思い出すことが出来なかったのか。
 ひょっとして、女子中学生にやられそうになったと言うことが、自身の記憶にある種の封印を強いていたのかも知れない。
 そう。あの少女の名前はROM。
 ドリームハッカーを名乗り、人の夢を喰らい尽くしてやまない狂ったコンピューターの産物。
 それがどうして実体を得て現れたあげく、こうしてシェリーを拉致するまでに至ったか。
 それは円光には判らない。
 だがこの禍々しき力の漲りは、心を挫かんばかりな負の圧力はどうであろう。
 かつて、屋代邸で対峙したスーパーコンピューターグリフィンとは比較にならない強烈さではないか。下手をすると智盛並みの、いや、智盛すら凌駕するとんでもない化け物が現れるかも知れない。
 円光は上空はるか見上げつつ、その信じがたい想像に思わず呼吸が乱れるのを必死で抑えていた。
 やがて、大阪の街に立ち並ぶ高層ビルよりも高く上がった火柱が、さっきまでの花火と同じく、頂点から細かい光の粒子となって崩れだした。オレンジに輝く中心部も、次第に色あせて透けてくる。同時にその柱の中に、ちょっとしたビルディングほどもある奇怪な影が浮かび上がった。影は薄れゆく光の中で徐々にはっきりした形をなした。
 袖の膨らんだピンク地に赤い格子縞のワンピースと真っ白なエプロンドレス。
 ボリュームのある金髪の上にそそり立つピンクのリボンが二柱。
 大きな目とあどけない唇は無表情に辺りを睥睨し、真っ赤な靴が大地を踏みしめた。
 それは、身長数十メートルにも及ぶ、巨大なROMの姿その物であった。
(あ、あれは!)
 思わず息を呑んだ円光は、目ざとくその巨大ROMの胸の辺りに気が付いた。
 何かを大事に抱え込むように胸の前に組まれた手の中に、シェリーを発見したのである。
 円光は無意識に拳を握りしめ、今は地上30mの高みに離れた少女の姿を凝視した。
 ぐったりと脱力しているのを見ていると、もはや絶命しているのではないか、と不吉な予感がふとよぎる。だが、と円光は頭を振ってその予感を振り払った。まだ死んだと見極めがついたわけではない。
(しかしどうやって助ければよい? あの巨体をかいくぐり、どうすれば……?)
 円光が思案する間もなく、ROMの巨体が蠢きだした。南向きの巨体が、公園の木々を蹴散らしながら一歩足を踏み出す。その先には、別名錦城の名を戴く天下の名城が、夜目に輝く優美な姿を、夏の夜空に誇示していた。
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09 亀裂 その4

2009-07-19 09:50:49 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「これを?」
「今日一日付き合ってくれたお礼よ」
 お姉さまは、私の手にビニールの口を絞っているピンクの紐をかけようとした。私はその手を一旦拒んで、お姉さまに言った。
「でも、私いただいても困ります」
「どうして?」
「私、飼ってあげられないし、第一持って帰ることもできないわ」
 私は旅行者なのだ。食べ物ならともかく、生き物を連れて歩くわけには行かない。その事を説明すると、お姉さまは耳を疑うことを言った。
「なんだそんなこと? 邪魔になったら、捨てちゃえばいいのよ」
「えっ?!」
 私が目を丸くしてお姉さまの言葉を受け止めかねていると、更にお姉さまは私に強烈な一撃を見舞った。
「それに、夜店の金魚って弱いからすぐ動かなくなるわ」
「そ、それって、死んじゃうって事?」
「うーん、良く判んないけど……。どうしたの暗い顔しちゃって?」
 私はさっき円光さんに顔色が悪いと言われたが、きっと今はもっと悪化しているだろう。それに加えて金魚のことを思うと、気分が落ち込んでくるのを止められない。
「……そんなの、可哀想だわ……」
 でも、お姉さまには一向に私の気持ちは通じそうになかった。お姉さまはきょとん、としたまま、なんで? と私に言ったのだ。私はつい意地になって、お姉さまに言った。
「だって狭いところに押し込められて、散々子供達に追い回されて、あげくにすぐ死んじゃうなんて、可哀想と思わないの?」
 でも、お姉さまの関心は、私とは随分ずれていた。
「シェリーちゃん、この金魚がそんなに大事なの? それなら動かなくなったら、クローンでも作ってまた動かしてあげるわよ」
「違うよ、そんなのじゃない。判らないのお姉さま。死んじゃうのよ。おもちゃの電池が切れるのとは訳が違うのよ」
「同じじゃない。壊れたら直す。直せなくなったら捨てる。そんで、必要なら同じ設計図と部品でまた作る。生物もおもちゃも、理屈は同じよ」
 お姉さまの屁理屈に、私は次第に気分が高ぶってきた。
「同じじゃない! 命はそんな簡単なものじゃないわ! じゃあもし私がここで死んだら、お姉さまは悲しくないの?」
「びっくりはするけど……、すぐ細胞を採取してクローンを作るから平気よ」
 あまりに平然と答えられ、私は絶句した。そんな私にお構いなく、お姉さまは呟いた。
「ま、それはともかく、シェリーちゃんはこれいらないって事ね。私も別に欲しい訳じゃないし」
 お姉さまは金魚の入った袋の紐に人差し指を通すと、突然ぐるぐる大車輪のように袋を回し、勢いが付いたところで袋を放り投げた。
「あっ!」
 思わず悲鳴を上げた私は、その袋がどんぴしゃりですぐ側に設置されたゴミ箱へ飛び込むのを見た。私は思わず駆け寄って、ゴミ箱の中に手を突っ込んだ。汚れた割り箸や発泡スチロールのトレイがあふれる中、重量のあった袋は結構奥まで飛び込んでしまったらしい。私は必死でゴミを掻き分け、そのピンクの紐の付いた袋を求めた。
 あった!
 私は袋の紐を掴んで引っ張った。でも、私の努力は及ばなかった。袋の中身は飛び込んだときの衝撃で既にゴミ箱に飛び出し、肝心の金魚は、その下にたまたまたまっていたソースの海に飛び込んで、二、三度尻尾を跳ねていたのである。
 私は改めて手を入れて金魚をゴミ箱から救い出したけれど、私の掌でぴくぴくしていた金魚はすぐに動きを止め、揺すっても叩いてももう二度と動くことはなかった。
「駄目じゃない。汚れるわよ」
 お姉さまはのんびり私に呼びかけた。その様子に、私の頭は、たちまち血が上った。
「お姉さま、何て事を……」
「いらないって言うから捨てただけじゃない。ちゃんと分別は守ったわよ」
「そんなこと言ってるんじゃない! この子はこれでも一生懸命生きていたのよ? それを、それを貴女は勝手に無理矢理止めちゃったのよ! それがどれだけ罪深いことか、判らないの?!」
「わ、判らないわよ!」
 とうとうお姉さまも怒鳴り返してきた。私は、私の言葉がお姉さまの地雷を踏んだことに気づかなかったのだ。
「さっきも言ったでしょ! 死んじゃったのが惜しいなら、クローン再生でも何でもして生き返らせればいいのよ!」
 でもこの時、私も疲れで余裕を無くし、怒りで心が暴走して、お姉さまの突然の変化に驚いたり訝しく思ったりすることが出来なかった。私はお姉さまの声に倍する勢いで、言い返した。
「じゃあこれまでこの子が生きてきた時間は?! 楽しかったり悲しかったりした記憶や経験は?! この子の生きてきた価値は取り戻せると言うの?! そのクローンがお友達やお父さん、お母さんに会ったときに、前に生きていたときと同じように仲良く出来るの?!」
「そ、そんなこと……、そんな、事……」
 お姉さまの様子がおかしい、と気づいたのは、言いたいことを叫んでようやく私の心が余裕を取り戻したときだった。でも、それは少し遅かった。ひょっとしたら、電車の中で叫んでいた麗夢さんは、このことを教えてくれていたのかも知れない。もう、文字通り後の祭りだけれど……。
 お姉さまは見る間に狼狽し、頭を抱えてしゃがみ込んだ
「そんなこと判んない……。判らないわ……。私……、私……」
 冷静さを取り戻した私が、お姉さま? と呼びかけようとしたとき、お姉さまの様子が変化した。それは、まるで電気のスイッチをぷつん、と切り替えたかのような、劇的な変化だった。
「私の捜し物はお前だ」
 お姉さまはすっくと立ち上がると、抑揚のない平板な声で私に言った。何時もはじけるような笑顔を浮かべていた顔も目も、今は全く笑っていない。いや、あらゆる感情がその表情から抜け落ちた、仮面のような顔で私を見つめている。
「もらうぞ、そのデータ」
「な、何を……」
 思わず後ずさりした私の背後で、切迫した円光さんの声がはじけた。
「シェリー殿離れるんだ!」
 しかし、私の視界はその瞬間漆黒に塗りつぶされ、お姉さまも円光さんも見えなくなっていた。
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09 亀裂 その3

2009-07-12 11:45:37 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 目を丸くした私の手を取って、またまたお姉さまは走り出す。慌てて円光さんが後を追いかけてきたけれど、帰路についた人々の間を縫うように進むお姉さまと私には、到底付いてくることが出来ない。
 たちまち円光さんの姿が見えなくなると、さすがに腹が立ってきた私は、お姉さまの手を振り払ってその場に立ち止まった。
「いい加減にして下さい!」
 するとお姉さまは、きょとん、とした表情で振り向いた。
「どうしたの? シェリーちゃん」
「どうしたのって! 一体何時になったら捜し物をするんですか!」
「シェリーちゃん、楽しくなかった?」
「私はそんなことを聞いてるんじゃありません!」
 楽しいか楽しくないかを問われたら、楽しかったに決まっている。
 生まれて初めてたこ焼きという食べ物を口にしたし、憧れの海で遊ぶ事もできたし、言葉に出来ないほど美しい花火を見ることもできた。
 でも、もう夜は更けた。遊ぶ時間は終わったと言っていいだろう。
 私は、捜し物を手伝う代わりに、私を麗夢さんやヴィクター博士の元に連れていってくれるという約束で付いてきたのだ。
 私もさすがに今日は疲れた。
 もういい加減、その約束を守って欲しいと言ってもバチは当たらないと思う。
「もう夜は遅いです。今日捜し物が見つからないのなら、明日も手伝います。だから今日は……」
「あー金魚すくいだ!」
 お姉さまは私の話が終わるのも待たずに、側にあった屋台の一つに駆け込んでいった。ずらりと並んだ屋台の列は、まだ人が残っているせいもあってどれも明るい灯火を軒に吊し、最後のお客を得ようと頑張っている。私は、もう! と悪態を付くと、そのピンクの背中を追いかけた。
 ようやく追いついて覗いてみると、膝くらいの高さに水を張った四角く浅い水槽の中に、小さくてきれいな赤い魚が一杯泳いでいた。確か金魚という日本独自の観賞魚だ。数人の子供達が掌くらいの大きさの、白くて丸いものを持って、水槽にへばりついている。何をするのだろう、と更に見ていると、私の左下にいる小さい男の子が、やにわにその白いものを水に突っ込み、金魚を追い回し始めた。その横で、そっくりな顔をした少し大きな男の子が、叱りつけるように声をかけている。
「あかんて! そんな元気なでかい奴より、こっちの小さいのにしとき!」
 でも白いのを持つ男の子は、そんな声はまるで届かないと見えて、ひたすら目立つ大きめなのを追い回し、やがて白い丸の中央にその金魚を載せるや、思い切りよく水から白いのを持ち上げた。私は思わず両手を拳にして見ていたが、次の瞬間、その白いのが消えたのを見て、目をしばたかせた。
「ほーらいわんこっちゃない! 破れてもうたやないか!」
 よく見ると、その白い丸は針金で出来た枠に紙を貼り付けたものだった。それを水につけ、大きな金魚を載せて持ち上げようとしたものだから、当然のように中央から破れて枠だけになってしまったのだ。
 大きい方の子供は、泣き出しそうに悔しげな小さい方に嘲りとも慰めともつかない言葉をかけながら、水槽の向うの男の人に銀色の硬貨を何枚か渡し、同じ形の白い紙を受け取った。
「まあ見とけ。こういうのはな、こつがあるんや」
 私はついお姉さまの事を忘れてその子の様子を見、素直に感嘆の溜息をついた。
 なるほど、言うだけのことはある。
 小さい男の子の手つきとは大分違い、水につけている時間も短かければ、全体を水につけたりもしない。
 まるでさっとかすめ取るように、水際近くの小さめの魚を次々とすくい取っていくのだ。
 さっきあんなにあっけなく破れた紙と同じものとは到底思えないほどその紙は長持ちし、反対の手で持ったお椀一杯に赤い魚がひしめき合うようになって、ようやく破れた。思わずほっと溜息をついたとき、お姉さまが言った。
「シェリーちゃんもしない?」
 そうだ! お姉さまを追いかけてきたんだった。
 でもお姉さまは私に文句を言わせる隙を与えなかった。さっきの男の子が持っていたのと同じものが、私の視界を遮ったのだ。
 またのせられている……。
 わたしはさっきの憤懣を燻らせながらも、お姉さまの左側にしゃがみ込んだ。
 お椀を一つ受け取り、水の中をじっと見つめる。
 金魚は赤いのばかりでなく、黒いふわふわした尻尾を持った、妙に頭の大きなのもいた。出目金と言うんだそうだ。
 私は意を決して、目の前にふらふらと泳いできたそれ目がけて、手を水に入れた。
 ひゃっとした水の感じが、私の気持ちを少ししゃきっとさせる。金魚達が一斉に逃げ、私はつい夢中になってそのうちの目を付けた一匹の後ろから、そのポイと呼ばれる白いので追いかけた。でも、それはさっきの小さい方の男の子と同じ轍を踏む行為だった。気が付いたときには、私のポイは大きな出目金に中央を押し破られ、ゲームオーバーを告げられていた。
 溜息をついて隣をみると、お姉さまは結構上手に金魚を追い回していた。左手のお椀にも既に数匹の金魚がすくい上げられている。その嬉々とした姿はほほえましい限りだけれど、じっとその様子を見ているうち、私は追いかけられる金魚が可哀想になってきた。
 狭くて浅い逃げ場のないところに押し込められて、子供達の遊び相手をさせられる境遇。それも、ポイで無理矢理追い回されるという遊びに付き合わされるのだ。何となくその境遇が自分に似ているところがあるようにも思えてくる。
 私は使えなくなったポイをお店の人に手渡すと、そっと立ち上がってその場を離れた。
 円光さんはまだ私たちに追いつけないでいるらしい。すぐ近くにいるとは思うのだけれど、少なくとも今私の側にはいない。
 私は少し心細くなって、早くお姉さまが金魚すくいを止めてくれればいいと思った。
 やがて、お姉さまはようやく満足したのか、うれしそうに笑顔をみせながら、屋台から出てきた。
「はい、これ上げる」
 お姉さまは、手にした透明なビニール袋を私に差し出した。中には水が入れられ、その水の中に、今追い回していた金魚が一匹、何も知らずに泳いでいた。
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09 亀裂 その2

2009-07-05 11:10:50 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』


「やっぱりお祭りは浴衣じゃないとね」
 まずお姉さまが飛び込んだのは、駅に隣接した大きなデパート。その三階にある日本の民族衣装のお店だった。
 時ならぬ外国人の来店にお店の人は仰天していたが、私が日本語が出来ると判ると途端に愛想が良くなって、お姉さまの求めるままに、色んな柄の浴衣というその民族衣装を次々と奥から引っぱり出してきた。
 お姉さまは嬉々として、私と自分を着せ替え人形にしてその衣装をあてがっていく。
 結局取っ替え引っ替えした末、お姉さまは薄くぼけた赤い格子入りのピンク地に、帯という名の赤い幅広のベルトを締め、私には水色に白い水玉模様の入ったものを着せて、濃紺の帯を巻き付けてくれた。
 靴も脱いで、草履というサンダルをあてがわれる。
「どう?」
 お姉さまは恥ずかしがる私の肩を押し出し、店の入り口で所在なげに待っていた円光さんに聞いた。円光さんは私達が近づいてくるのに見とれていたのだろうか? お姉さまの声にようやく我に返ったように、しどろもどろになりながらもよく似合っているとほめてくれた。
 続いて再び駅に向かい、さっきとは違う、オレンジ色の電車に乗る。車内を見回すと、大勢の女の子が私達と同じ様な格好をして明るくはしゃいでいる。
 今度はほんの10分も乗らないうちに、目的地の駅に着いた。
 「桜之宮」と言うきれいな名前のその駅は、既に信じがたい大勢の人でごった返していた。
 蠢く無数の人の群にめまいを起こしかけたほどだ。
 まさに想像を絶する光景。
 さっきの電車の中の光景が、そのまま地平線まで続いているのではないか、と私は本気で疑った。
 その隙間無く並んだ人々が、今度は電車の中と違って皆一つの方向に向けて動いていく。
 見ているだけで気分が悪くなりそうなのに、お姉さまは私の手を引いてどんどんその激流の最中に乗り込んでいく。
 もうどこをどう歩いているのかなんて私には理解することなど到底不可能だった。
 途中、ずらりと並んだ屋台の前を通り抜けているうちに、お姉さまは綿菓子やトウモロコシと言った食べ物や、水と空気の入った大きなリンゴほどの大きさのゴム風船などを次々と屋台から手に入れてきては、私にあてがって笑いかけた。
 そうしてお姉さまは縦横無尽に私の手を引いて周り、私が気づいたときには、いつの間にか川縁の公園に立っていた。
 空はようやく暗くなってきていたが、公園には煌々と明かりが灯され、私の周りには相変わらず人が大勢いる。目の前の川にも大小さまざまな船が浮かび、目が痛くなるような派手な飾り付けをして、大勢の人を乗せていた。
 でも、少し開けた、緑多いその場所は、私に久々の落ち着きを与えてくれた。
「シェリー殿、少し顔色が悪いようだが、大事ないか?」
 気遣わしげに問いかけてくれた円光さんに、私はなんとか笑顔を作って答えた。
「ええ、大丈夫。ちょっと目が回っちゃって」
 するとお姉さまが言った。
「良かった、間に合って」
 何? と聞こうとした私の耳に、突然、空気を圧する爆発音が飛び込んできた。
 ひっと思わず息を呑んだ私の耳に、周り中の人の歓声が飛び込んでくる。同時に頭上が明るく輝き、思わず見上げた私の目に、巨大なオレンジの花が飛び込んできた。
 次の瞬間、また同じ爆発音が体を揺さぶった。
 さっきよりも左よりの空高く、今度は緑の花が開く。無数の火の粉が色あせながらゆるゆると落ちかかると、それを待っていたかのように次の爆発音が鳴り響き、違う色の花が空に広がる。
 その後は規則正しく音が空にこだまし、そのたびに大きさも色も異なる様々な花が空を焦がした。
 花火だ。
 花火はフランケンシュタイン公国でもお祭りの時によく打ち上げる。ただ私はまだ見たことがなく、音だけを楽しみ、その光景を想像していた。
 でもこの花火の巨大さはどうであろう。
 音一つとっても今まで聞いたことのない迫力で、赤青緑オレンジ黄色とめくるめく豊かな色彩や、空一面を覆い尽くすばかりな巨大さは、まさに言葉を失う迫力だ。
 気が付くと、お姉さまが私の肩を支えてくれていた。
 私は花火に圧倒されて足もとから崩れそうになっていたらしい。がくっと膝から力が抜けた瞬間を目ざとく見て取って、咄嗟に手を貸してくれたのだ。おかげで私は、安心してその夏の夜の夢の光景を、気絶することなく堪能することが出来た。
 それがいつまで続いたか、私には記憶がない。
 目の前の光景に呑み込まれた私には、時間なんてあっても無いのと同じだった。
 そのうちに花火は、最後のクライマックスを迎えていた。
 間髪を入れず続けざまに打ち上げられた花火が次々と炸裂する、絢爛豪華な狂乱の渦だった。
 その最後の一発が今開き、無数の火炎が名残惜しげに散りながら、白煙が満ちる夜の空をちらちらと落ちてくる。周囲の人々も、ほうっと誰ともなしに同時に溜息をついてしばし音と光を失った空を見上げ、やがてめいめいが動き出した。
「終わりましたな」
「ええ」
 私は、全てが完了した気怠い満足感を覚えつつ、円光さんのしみじみした声に答えた。
 でも、私の考えは甘かったらしい。私の肩を抱いていたお姉さまは、いきなりくるっと私の体を半回転させると、元気良く宣言した。
「なーに言ってるの! お楽しみはこれからよ!」
 ええーっ!
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09 亀裂 その1

2009-06-28 10:45:59 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「夏と言えばお祭りよお祭り!」
 ちょっとしたアクシデントで海水浴を中止したお姉さまこと佐緒里? こと謎の少女は、それまでと同じく私の手を力一杯引っ張りながら、また電車にと駆け込んだ。
 「ど、どこへ行くんですか?」
 朝、関西国際空港に到着してからずっと走り詰めのような気がする私は、さすがにへとへとになってきた。隣でなんの屈託もなく楽しげに鼻歌を奏でるお姉さまの様子がちょっと勘にさわる。
 ただ、これまでと違うのは円光さんがピッタリくっついて来てくれること。それだけでも、何となく心強い感じがして、少しだけ気持ちに余裕が出来る。
「さっきも言ったじゃない。お祭りよ」
 すると、隣で腕を組んで何やら考え事をしていた円光さんが、急にぽんと手を打った。
「そうか! 今日は7月25日、すなわち天神祭の日ではないか!」
「今まで考えてたの? 信じらんない。シェリーちゃんはともかく、貴方日本人でしょ? 7月25日と言ったら天神祭以外あり得ないじゃない」
 容赦なくお姉さまの呆れ声が飛ぶ。
「面目次第もない。拙僧、修行中は特に日取りなど考えることもない故、今日が何の日かすっかり失念していた」
 律儀に頭を下げる円光さんに、お姉さまはまんざらでもなさそうに笑みを浮かべると、私に言った。
「つまり、そう言うことよシェリーちゃん。今日のこの日に、日本のそれも大阪に来たからには、参加しない手はないわよ」
「しかしシェリー殿はキリスト教徒であろう? 天神祭は文字通り日本の天神を祀る宗教行事だ。シェリー殿は抵抗はないのか?」
 円光さんの言葉はもっともだ。私自身は確かにクリスチャンだから、他の宗教の行事に参加しようとは思わない。
 とはいえ、お祭りごとはきらいじゃない。それに、お姉さまによるとこれは日本でも代表的なカーニバルだそうだ。そう言われてはこれを見ずに帰ることもできないだろう。
「郷に入りては郷に従え、って聞いたことがあります」
 私は、こういうときに便利な日本語を口にして、ほんの一時だけ、敬虔なクリスチャンである自分を忘れることにした。
「なるほど、確かに」
 円光さんがしきりに感心したように頷く。お姉さまはにこにこして私に言った。
「じゃ、決まりね」 
「あ、でもお姉さまの捜し物は……」
「お祭りに行ったらきっと見つかるわよ!」
 本当? 
 私はいい加減適当に遊ばれているのではないのだろうか?
 実際ここまでの行動を思い返してみても、この人が何かを探しているような気配は微塵もなかった。
 疑わしげに見つめる私に、お姉さまはなんの衒いもなく華やかにほころんでみせる。私は疲れもあったのか、取りあえず疑問は疑問のまま棚上げにすることにした。どのみち聞いて答えてくれる訳でも無し、今は考え事をするには頭がうまく働いてくれない。
 私は幸いお姉さまと隣り合わせに座ることが出来た電車の座席で、自分でもまるで気づかないうちに眠り込んでいた。
 ……………………
「ほら起きて! 着くわよ!」
「れ、麗夢さん?……」
 突然肩ががくがくと揺すられて、私は唐突に目を覚ました。
 何かさっきまで麗夢さんが哀しげに呼びかけてくる夢を見ていたようだ。
 勝手に遊び回ってごめんなさい、と私は確かに謝っていた。
 そこをいきなり起こされたものだから、私は一瞬、自分が今誰とどこにいるのか、判らなくなっていた。
「もう、寝ぼけてたら一瞬で迷子になっちゃうわよ!」
 私はお姉さまの叱咤でようやく我に返った。
 なんだか異様に騒々しい。
 私たちの前にボディーガードのように立った円光さんの体が、すぐ目の前に迫っている。
 ちょっとどぎまぎして目をそらした私は、何故そうなっているのかに気が付いて愕然とした。
 ひとヒト人……!
 乗るときも結構混雑していて、これが噂に聞くラッシュと言うものか、と思っていたのだけれど、今、目の前に展開する光景は、自分が本当に何も知らないのだと言うことを思い知らさせてくれた。
 人ってこんなに固まりになれるものなの?
 日本語のすし詰め、と言う単語を思い出した。
 円光さんが私達の前で頑張ってくれていなければ、たちまち大勢の足で私達の足が踏みつぶされていたかも知れない。
 やがて、電車がぐうんと坐っていても体が持っていかれそうになるほど急激に減速した。
 立っている人達の体が、電車の進行方向に向かって一斉に倒れるのが見える。
 でも崩れるところまでいかない。
 皆、強い風に耐え忍ぶ木々の様に、足はしっかりと床について頑張っている。
 いや、あの押し合いへし合い状態では、倒れるための余裕すらないのかも。
 さしもの円光さんも、腰を軽く落として踏ん張っている。
 そうするうちにも電車はようやく止まり、開いたドアから一斉に人々が飛び出していった。まるで水が一杯入ったダムが放水するみたいに、皆怒濤の勢いで瞬く間に流れていく。
「さあ、行くわよ! はぐれないようにしっかり付いてきなさい!」
 私の手をぎゅっと握りしめ、お姉さまが立ち上がった。
 私もその引きにあって自然と腰を上げる。
 円光さんも少しほっとした様子で、私達が人の流れに呑み込まれないよう先導してくれた。
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08 悪夢 その3

2009-06-21 10:01:55 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 この期に及んで何を? となおもその華奢な姿に迫ろうとした麗夢の全身に鳥肌が立った。身体を圧する驚異的な威圧感が、肌をピリピリと震えさせる。麗夢は、気を奮い起こして目の前の佐緒里=ROMを凝視した。その背後、グリフィンの中心から、漆黒の闇よりも濃い負のエネルギーが、渦巻きながら吹き出していた。
 暗黒の瘴気だ。
 瘴気は、所々で不気味な稲光をちらつかせながら急激に佐緒里=ROMの夢を侵食していった。
 更に所々で一段と濃く凝り固まった瘴気から、実体を得た悪魔の手先が生まれていった。
 人の夢を啜り喰らい、悪夢へと落とし込む夢魔の群である。
 麗夢は背筋にぞっとした冷や汗を覚えつつ、醜く変容した佐緒里=ROMの夢を凝視した。
「なぜ夢魔がここに?」
 すると佐緒里=ROMは、今や幾百とも知れぬ数まで膨れ上がった夢魔達に囲まれながら、麗夢に言った。
「人間達の夢を集めていたとき、その一つから彼らを取り入れた。私の完成に不可欠な因子の一つだ」
 まさか! 麗夢は思わず出かかった叫び声を呑みこんだ。
 かつて、ROMは人間の心を理解するため、その精神を根こそぎ奪い取っていった。人口一千万人を超える東京都中心部が、そのために目覚める者とて無いゴーストタウンに変じたのだ。だが、その夢の中に、夢魔に苛まれていた人がいたとしたらどうだろう。ROMはなんの区別もしないままその悪夢を取り込み、保存したのではないか。そしてその解析にも取り組んでいたのであろう。その課程でROMが夢魔に汚染されてしまったとしたら……。純粋なプログラムであったが故に、人間なら多少は備えている太古の呪いへの抵抗力を、ROMは持っていなかったに違いない。それが佐緒里=ROMと言う格好の器を得たとき、悪夢と直結した佐緒里=ROMの夢は、そのまま悪夢の噴出口としてその火口を現実世界に開いたのだ。
「まさかプログラムが夢魔に侵されるなんて、正直思わなかったわ」
 麗夢は一人突然のピンチに唇をかみしめながら、剣の束をぐいと握り直した、その時である。
「にゃーン!」
「ワンワンワンっ!」
「アルファ! ベータ!」
 突然空から降ってきた二色の毛玉が、麗夢の左右に見事な着地を決めた。右のオレンジは子猫のアルファ、左の焦げ茶は子犬のベータである。二匹のテレパシーが、鬼童と共に、大阪ビジネスパークの一角にそびえる真野製薬のビルディングに駆け付けてきたのだと告げていた。間一髪と言えたかも知れない絶妙のタイミングに、麗夢の気合いが一段と高まった。
「ありがとうアルファ、ベータ! それじゃ、この悪夢をきれいさっぱり掃除しちゃうわよ!」
 麗夢の言葉を待っていたかのように、二匹はその持てる力を解放した。ドリームガーディアン降臨に匹敵する光の柱が二本、麗夢の左右に噴騰し、掌に乗りそうな小さな身体が、人の背丈を超える巨大な姿に生まれ変わった。鋭い爪、長大な牙、あらゆる物を噛み砕く強靱な顎を備えた二頭の魔獣が、麗夢の左右に出現したのである。
「行くわよ、アルファ、ベータ!」
「グゥオウワゥオゥ!」
 肝魂も消し飛ぶほどな咆哮の二重奏が闇をうち払った。横溢する力を光に変えて惜しげもなくなびかせながら、三本の光芒が一気に飛んだ。
 麗夢の斬撃が闇を裂き、アルファ、ベータの爪と牙が瘴気を打ち払う。一陣の颶風となって夢魔達を屠りまくった三つの光が、瞬く間に佐緒里の夢を席巻し、数だけは圧倒的多数を誇った夢魔が見る見る討ち減らされる。遂に最後の一体があえなく消滅し、麗夢、アルファ、ベータは、三方から佐緒里=ROMを取り囲んだ。だが、佐緒里=ROMは一向にひるむ様子もなく、相変わらず無表情に麗夢を見つめて言った。
「これまでのデータを解析した結果、現状でお前達を排除するのは不可能であるとの結論に達した」
「賢明な判断ね。降参する気になったの?」
 すると佐緒里=ROMは、抑揚のない平板な声で答えた。
「準備が整った。私の主体を向うの私に移動させる。この肉体はもういらない」
「どういう意味よ!」
 見ると、既に佐緒里=ROMの体が足元から薄く透け始めているではないか。麗夢の視界の端に、あの大きな液晶ディスプレイが映った。その中のシェリーちゃんが、信じられないことに声を荒げて怒りをぶつけているようだ。やがて映像が不安定に揺れ、シェリーちゃんの顔を外れて、その足元へと急に移動した。
「いずれお前達のデータもいただく。お前達も私の完成に必要な因子かも知れない」
 佐緒里=ROMは今や全身透明感を増しながら、麗夢に最後の一言を告げた。
「待ちなさい!」
 麗夢は思わず叫んだが、佐緒里=ROMは遂にくすりとも笑うことなく消滅した。
 その途端、佐緒里=ROMの夢が急激に光を失った。
 奇妙に歪み、明らかに崩れはじめている。
 たちまち麗夢、アルファ、ベータは現実感を喪失し、次の瞬間には、意識そのものを鷲掴みにされて、猛烈な勢いで投げ飛ばされた。
 はっと気が付いたとき、麗夢達は、既に佐緒里=ROMの夢から強制的に排除されていた。いや、その母胎を動かす命というエネルギーが唐突に失われたため、佐緒里=ROMの夢もまた消失してしまったのだ。そのために麗夢達の意識が居場所を失い、一気に本体に帰ってきたのである。
 麗夢は、まるで静かに眠ったままに見える佐緒里=ROMの首筋に手を当てながら、近寄って鼻を鳴らすベータに言った。
「どう?」
 麗夢の問いかけに、ベータは難しい顔のまま首を左右に振った。命の匂いがしない。すなわち、たった今、佐緒里=ROMは生命活動を停止したのだ。
 まるで、コンピューターののスイッチをぷつりと切ったときのように。
 麗夢はやりきれない思いを持て余しながら、とにかく立ち上がった。今はシェリーちゃんを助けないといけない。
 きびすを返し、仮眠室に当てられた部屋を出ようとした麗夢の耳を、真野昇造翁の悲鳴が駆け抜けていった。
 どうやら一刻の猶予もないようだ。
 麗夢、アルファ、ベータは、文字通り脱兎の如く駆け出した。
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