かっこうのつれづれ

麗夢同盟橿原支部の日記。日々の雑事や思いを並べる極私的テキスト

08 悪夢 その2

2009-06-14 11:11:41 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 画面の映像は、時折稲光のように白い光が瞬間的に明滅を繰り返している。一体何を、と麗夢は改めて問いかけようとしたその時、暗い画面に、突然鮮やかな色彩が浮き上がった。
「し、シェリーちゃん!」
 麗夢も、まさかここでシェリーの姿を見せられるとは思わなかった。
 仰天して食い入るように見る映像の中で、シェリーの輝くばかりな笑顔がアップになる。まるで今自分に笑いかけてきているようだ。
「ど、どうしてシェリーちゃんが出てくるの?」
 麗夢は正面を向き直って佐緒里に言った。すると佐緒里は、感情が欠落した目でまっすぐ麗夢を見つめながら、小さく口を開いた。
「私は発見した」
「な、何を?」
 恐る恐る問う麗夢に、佐緒里は答えた。
「私を完成させる因子。解けなかった全てを手に入れる鍵」
 そうして再び映像に目を向ける。麗夢もつられてシェリーの笑顔をもう一度見た。今度は少し映像が引いて、シェリーの上半身が映っている。どうやら映像の中のシェリーは、浴衣を纏っている様だった。どこで手にしたのか、ピンクがかった大きな綿菓子を右手に持っている。左手の指には、輪ゴムで口を縛った、色鮮やかなリンゴほどの大きさのゴム風船がぶら下がっているようだ。それはまるで、どこかのお祭りか縁日をそぞろ歩いているかのような光景だった。
 と、すっと映像の右端が肌色にぼけた。ぼけはシェリーに近づくに連れ焦点が合い、可愛らしい手であることが判った。その手がシェリーの頬に到達し、何かをつまみ上げて再び戻る。触れた瞬間、シェリーがいかにも「え?」と思わず声を出したかのように驚いた表情を見せ、すぐにまた少し頬を染めて明るい笑顔に戻った。
 ……一体これはなんの映像なのだろうか?
 麗夢はふと思いついた考えに悪寒めいたものを感じつつ、目の前の佐緒里に問いただした。
「あなた達、『繋がって』いるの?」
 すると佐緒里は、また麗夢に視線を戻して、幽かに頷いて見せた。
「あのデバイスの主目的は、私が完成するための因子を探し求めること。そしてそれは発見された。マスターの求めた究極の存在になるために解かねばならぬ謎の答えが、あそこにある」
「シェリーちゃんをどうするつもり?」
「私の完成因子として私に加える」
「つまりどういうことよ」
「有機体としての活動は停止するだろう。だが、その存在は私の中に移される。無くなりはしない」
 麗夢は思わずぎりっと奥歯を噛み締めた。やはり、ROMはROMでしかなかった。真野昇造は失敗したのだ。バグは修正されることの無いまま、得物を求めるための肉体を得てしまった。
 麗夢はわき上がる怒りを視線に込めて、無表情の佐緒里を睨み付けた。
「シェリーちゃんに指一本触れてご覧なさい! 絶対に許さないわよ!」
 佐緒里=ROMはただ黙して麗夢を見返すばかりである。麗夢は銃をゆっくりと構えると、銃口をまっすぐ佐緒里に向けた。
「今すぐ馬鹿な真似は止めなさい。いくらあなたが望んでも、あなたには手に入らない。命の大切さを理解できていないあなたに、屋代修一が夢見た完成の時は絶対に訪れないわ!」
「お前に止めることは出来ない」
 冷たい目に妖しい光が宿った瞬間、麗夢は躊躇いなく引き金を引いた。
 夢世界を震撼させる、重厚な炸裂音が迸った。同時に佐緒里=ROMの夢を、先端に十字の切れ込みを入れた聖なる銀弾が超高速で貫いていく。だが、魔を退ける力の象徴も、佐緒里=ROMにはなんの意味も持たないようだった。続けざまに撃ち込んだ三発の弾丸は、そのまま佐緒里=ROMの肉体に吸い込まれ、エネルギー保存則がねじ曲げられたように、佐緒里=ROMの足元にぱらりと堕ちて散らばった。
「お前を私の計画の障碍として認証する」
 佐緒里=ROMの宣言は、そのままセキュリティーシステムの起動キーワードとなった。これまで、所在なげにその銃身を得手勝手な方向に向け、あるいは垂れ、あるいは跳ね上げしていたバルカン砲群が、突然全砲口を麗夢に向けるや、いきなり真っ赤な火を盛大に吐き出し始めたのである。麗夢の拳銃に数倍する轟音が夢世界を乱打し、薬莢の散乱する悲鳴じみた金属音が、和音を無視した耳障りな合唱をわめき立てる。鼻をつく硝煙臭がもうもうたる煙と共に辺りに満ち、秒間数十発の発射速度を誇る弾丸が、麗夢の柔らかな肉体をまさにすりつぶしたと思われたその時。
「はあああぁっ!」
 気合いのこもった雄叫びが、砲声を圧して響き渡った。たちこめる硝煙を吹き飛ばす膨大なエネルギーの奔流が、真っ白な光を伴って夢世界を席巻した。佐緒里=ROMもさすがに目を細めて光の焦点を凝視したが、やがてその中心に現れた戦士の姿に、わずかな感情を揺り動かされたかに見えた。肩と膝のみ硬質のプロテクターで守る、防御よりも攻撃に徹したかのようなビキニスタイル。翻る碧の黒髪越しにかいま見えるティアラの中心に填め込まれた青い宝石。そこから発する光が、あらゆる魔を滅する清浄な輝きをきらめかせている。手にするは自らも光を迸らせる夢世界最強の破邪の剣。人の夢を守る光の戦士、ドリームガーディアンがここに降臨したのである。
「でやぁっ!」
 一声鋭く発すると同時に、振り上げた剣が宙を瞬断する。一瞬遅れて刃先から生じた衝撃波が、間断無くそそがれる砲弾を蹴散らかし、背後のバルカン砲群に襲いかかった。
 正面でまともに浴びた砲身が、異音を発して砕け散った。
 左右の砲もあるいはひしゃげ、あるいはねじ曲げられて、瞬く間にスクラップへと変じていく。
 かつてあれほど麗夢達を手こずらせたセキュリティーシステムも、夢の中では所詮ドリームガーディアンに敵う力ではなかったのである。ただ、佐緒里=ROMだけは、豊かな黒髪とワンピースをはためかせつつも、麗夢の放った衝撃波の奔流に耐えていた。麗夢は、静けさを取り戻した夢の中で、佐緒里=ROMに剣を向けた。
「もうあなたを守るものは何もないわ。観念してもらおうかしら?」
 しかし、佐緒里=ROMは相変わらず無表情のまま、ぼそりと呟いた。
「障碍は排除する」
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08 悪夢 その1

2009-06-07 09:26:43 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 夢に入るという感覚は、スカイダイビングに似ているかもしれない。
 夢の中に上下がはっきりあるわけでも無し、重力が働いていると言うわけでもない。そもそも心の問題なのであるから、現実世界の物理法則などここではほとんど意味がないと言えばそう言えてしまう。だが、いかに夢があらゆる事において自由自在だと言っても、それが人間に起こる事象である以上、自ずとその制約を受けることになる。人は、まだ重力のくびきからは逃れられていない。だからこうして夢に入るときは、形として、下へ下へと落ちていくイメージを伴うのだ。
 麗夢の周りを、30分も眺めていれば気が触れてしまいそうな極彩色の光の渦が、奇怪に歪みながら下から上に流れていく。ひしゃげたあぶくのような灰白色の塊が、ぶよぶよと蠢きながら堕ちていく自分の両脇を避けるように浮き上がっていく。そんな様子を見ると、これはスカイダイビングと言うよりは深海探査艇のそれに近いとも言える。
 ただ違うのは、いくら潜っても圧力が増すことがないことと、多分こちらの方が重要なのだが、命綱の類がないことだろう。いつもならそんなことは百も承知で飛び込む麗夢なのだが、今回に限っては、どうもいやな予感がしてならなかった。多分、アルファ、ベータがいないことや、円光等の助力も期待できないことが、余計不安を助長しているのだろう。
 でも、それよりも麗夢の心に引っかかっているのは、結局まだこのこと自体に釈然としない思いを拭えないでいることだ。今、麗夢が侵入を試みている夢。これは、黒髪のロムこと真野佐緒里嬢の夢なのである。
 麗夢は正直気乗りしなかった。第一、ROMはプログラムのバグから暴走したのである。真野昇造氏はそのことを理解し、そのバグを修正してから佐緒里嬢に移したのであろうか。真野氏はその事について何も語らなかった。つまり、最悪ROMの暴走部分を、佐緒里はそのまま受け継いでいる可能性があるのだ。それでも、まさに土下座して頼み込む昇造氏の願いを、麗夢は無下にすることもできなかった。結局首を縦に振った麗夢は、ようやく降り立った佐緒里の夢にその建物を見たとき、あの苦戦した闘いのことを思い出して、嫌な予感に囚われた。
 麗夢の目の前にそびえ立つ建物。それは間違いなく屋代修一の屋敷そのものに違いなかった。思わずごくりと息を呑むほどの威圧感を覚える。しかも今回は円光の助太刀はない。何かあっても、麗夢一人で切り抜けなくてはならないのだ。
(でもまあ、ここは夢の中なんだから……)
 前回は現実世界での闘いだったから、自ずとこちらにも力の限界があった。だが、今いるのは間違いなく夢の中。確かに普通の人の夢とはどこか違和感を覚えるが、ジュリアンの夢に比べればはるかに自然だ。それに、麗夢の持つ本来の力を掣肘する物は何もない。麗夢は懐の拳銃を確かめると、意を決して記憶のままの扉に手をかけた。
 ぎい。
 古風で重厚なドアを引きあける。
 中はうっすらとほこりが溜まり、調度品や天井には、ほこり塗れのくもの巣が乱雑にかかっている。
 永らく生きて動く者がないまま、封じられた世界。
 あの時もそうであったように、麗夢は慎重に辺りをうかがいながら、屋敷の中に足を降ろした。
 ふわっと浮いたほこりが足元を舞い、そっと降ろした足音が、小さく屋敷の奥にこだましてささやきかえしてくる。そのままじっと耳を澄ましてみるが、自分の足音以外聞こえてくるものは何もない。
 麗夢はそっと入口から離れて、三歩エントランス・ホールへ足を進めた。その背後で、再びぎいと音を立て、入り口のドアが閉まる。どうやら麗夢が侵入してきたことを、夢の主はご存じらしい。そしてその気配は決して友好的とは思えなかった。
「どうやら、ただの調査行ではすみそうにないかもね……」
 麗夢はチラとドアをかえりみると、不敵な笑みを浮かべ、まっすぐ奥へと進み出した。
 前回、屋代邸を訪れたときは、グリフィンの設置場所が判らず、闇雲にドアというドアを開けながら奥に進んだが、今回はその必要はない。
 麗夢は、左右に並ぶドアの数々を無視しながら、最奥の突き当たりに歩を進めた。
 その奥に目指すグリフィンがある。
 そして、おそらくは夢の主、ROMのプログラムで構成された、佐緒里の精神がいるに違いない、と麗夢は確信していた。
 やがて麗夢は、暖炉のある古い応接間に入り、正面にあるドアの前に立った。
 本物の屋代邸では、このドアの向こうで待ちかまえる凄まじいセキュリティシステムの波状攻撃に、円光と二人危うくやられるところであった。
 麗夢は左脇のホルスターから愛用の銃を取り出すと、左手をドアのノブにかけた。
 その奥で待つのは友好の握手の手か、はたまた手荒い歓迎の嵐か。
 がちゃり。
 思いの外軽くドアが開き、麗夢は電子の神殿、グリフィンの元へと侵入した。
 同じ光景。
 同じ雰囲気。
 唸りを上げて稼働する巨大なグリフィンが奥に鎮座し、その周囲に、かつて雨霰と弾丸を浴びせかけてきたバルカン砲の銃口が並び立つ。
 ただ唯一の違いは、一人の少女が砲列に取り囲まれるようにしてグリフィンの前に立ち、無表情にこちらをじっと伺っていることだった。
 その姿形は、さっき真野昇造の横に佇んでいたのと同じ、ストレートの黒髪に、清楚な白のワンピースといういでたちである。
「やっぱりここにいたわね。佐緒里さん、いえ、ROMと呼んだ方がいいかしら?」
 すると佐緒里は問いかけには答えず、黙って軽く首を右に振った。
 その視線の前にある壁に、突然音もなく四角い明かりが瞬いた。
 見ると四〇インチはありそうなディスプレイが壁に埋め込まれている。
 あの時はこんなのは見なかったな、と麗夢は興味深げにその画面に目を向けた。
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07 復活計画 その4

2009-05-31 11:03:16 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 真野昇造は、少しうつむいて目尻をもむように右手を上げた。多分、気を落ち着かせているのだろう。それは、真野にとっては救いがたい程積み重ねてきた失敗の歴史に違いないのだ。
 やがて真野は再び顔を上げた。
「ヒトはやはり必要な時間をかけ、必要な経験を積み重ねんと、ヒトになることはでけん。そやけど、儂の寿命はもう必要な時間をとれるほど残っとりはしません。この袋小路を破らんことには、どないしようも無かったんです。まさにそこは神の領域と言ってもええですやろ」
 さもあろうと麗夢も思った。肉体は、考えたくもないがヴィクターを初めとする研究者の手によっていくらでも成長を早め、クローンにすることもできるのだろう。だが、心はそう簡単ではないはずだ。プラモデルを組むように心を構築できるなら、誰も悩み、苦しみ、嘆く事もないのである。だが、と真野昇造は語を継いだ。
「一年前の事です。儂の研究所のメインコンピューターに、突然どこからか大量のデータが送りつけられてきよったんですわ。それが何か判ります? 麗夢さん?」
 一年前?
 目の前の佐緒里を目にしては、いやでも思い出すしかない事が一つあった。
 グリフィンの暴走。
 その時、グリフィン上で動いていた一つのプログラムが、設計者の意志を誤解し、究極の存在になるために東京を文字通り死の都にしようとしたのだ。
 曇った麗夢の顔色に、真野は微笑んだ。
「きっと麗夢さんの思てる通りや。そのプログラムは、ROMと名付けられた一連の統合プログラムやったんですわ。その一部を走らせてみた儂は、現れた姿に驚愕しました。まるで佐緒里に生き写しやないですか。もちろん癖のある金髪とか違うところもありましたが、それでも儂の目ぇには佐緒里がおるとしか見えませんでした。儂は大急ぎで他のプログラムも調べてみて、更に驚きを新たにしました。何言うたかて、完璧な人間の女の子が、そこにシュミレートされてたんやから。儂は取り憑かれたようにそのデータの解析にのめり込みました。そしてそれが、生きてる人間と同じく、自ら思考し、創造する能力を持ってる、奇跡のプログラムやと知ったんですわ」
 確かに表面上、ロムは見事に人格を持った一人の女子中学生だった。それは直接対峙した麗夢自身が感じたことだ。だが、彼女には致命的な欠陥があった。だからこそ麗夢は、彼女をその母体、グリフィンごと滅ぼさねばならなかったのである。
「誰がどんな技でこんな奇跡を生み出したのかは判りません。儂のコンピューターに流れ込んできた理由も知りませんわ。そやけど、儂はこれを天啓やと思た。これまで失敗続きやった儂の計画に、神さんが遂に味方してくれたんやと思ったんです。つまり、このプログラムを佐緒里の大脳に定着させたったら、心を持った人間として佐緒里を甦らせることが出来るんちゃうか。儂はこれが最後の挑戦と思うて、早速これまでさしたる効果を上げてこんかった大脳腑活化装置を改造し、ちょうど培養を完了した二人の佐緒里に、このプログラムを与えてみましたのや。その一人が、この子なんです」
 麗夢は改めて真野昇造の隣に立つ少女に目をやった。今となっては理由は判らないが、真野佐緒里と屋代修一がプログラムしたROMは、姿形も移植されたとしか思えないほどそっくりだったわけである。だが、心を移植した(!)と真野氏は言うが、本当にそんなことがあり得るのだろうか。こうしてみる限り、目の前の佐緒里嬢には、あの天真爛漫なロムの姿は微塵も伺うことが出来ない。まるで心など無いかのように、静かに、そして無表情に麗夢を見つめ返しているばかりである。
 麗夢は視線を真野昇造に戻して、気になっていた疑問を口にした。
「で、もう一人はどうされたんです?」
 実は麗夢には予感があった。第一ヴィクターの落ち着きぶりが気に入らないのだ。案の定、真野氏は答えた。
「ええ、実はちょっと目ぇ離した隙に逃げ出してしまいよりましてな。その足取りを追いかける途中で、貴女達と会い、矢も楯もたまらず、ここへお連れしてしもうた訳で」
「何故私達が?」
「ヴィクター博士が、人造人間の人間性を調べるんに、ある少女の力を借りたという話を小耳に挟みましたんや。それを教えてもらいたかったんです。つまり貴女のことや。麗夢さん」
「じゃあシェリーちゃんを連れ去ったのは……」
「お察しの通り、もう一人の佐緒里さんだ」
 ヴィクターの言葉に、ああやっぱり! と麗夢は大きく溜息をついた。でも、それが判ったからと言ってシェリーの安全が担保されたわけではない。麗夢は久々に怒りが沸騰するのを覚え、語気鋭くヴィクターに突っかかった。
「それで今どこにいるの!」
 すると、ヴィクターを抑えて真野昇造が答えた。
「実はお昼過ぎに加太の海水浴場で儂の部下が接触に成功したんやけど、突如乱入した一人のぼんさんのために取り逃がしてしもうたんです」
「そのお坊さんって、まさか……」
「報告やと円光いう名前らしい。儂の部下五人を、まるで草撫でるみたいに瞬く間にのしてしもうたそうや」
 自分の部下をやられたのに、何故か楽しげな真野氏の後を継いで、ヴィクターが言った。
「何故円光氏がそこに居合わせたか僕にも判らない。でもドラコニアンを杖一本で止めたほどの脅威の男が二人には付いているんだ。今は安心して、真野昇造氏に協力して欲しい」
「何をするのよ?」
「この子の夢に入ってくれませんか。ジュリアンの時のように……」
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07 復活計画 その3

2009-05-27 20:39:36 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「実は、この娘は普通の人間や無いんです。儂の身代を傾けた研究成果を結集して生み出した、クローンなんですのや」
 怒りを忘れて目を丸くした麗夢に、真野は言った。
「本物の佐緒里は二〇年も前にはかのうなってまいましてな。急性骨髄性白血病ゆう難病やったんです」
 急性骨髄性白血病とは、正常な状態なら好中球、好塩基球、好酸球、単球に成長するはずの細胞ががん化し、急速に骨髄の正常細胞を駆逐して数週間から数ヶ月で患者の命を奪う、恐怖の病である。現在では生存率七割に達するほどに対策が進んでいるが、佐緒里が発症した当時はまだ骨髄バンクもなく、骨髄移植自体が実験段階であった。そのために、真野昇造が心血を注いだ真野製薬の誇る開発陣も、必死にかき集めた全国の有能な医師達にも、その猛威をとどめる術はなかったのである。
「儂はもう本当に目の前が真っ暗になって しまいましたのや。もう生きててもしょうない。早よ死んで佐緒里の元に旅立とうって、何度首を吊り掛けたか知れません」
 そう語る真野の目尻がいつの間にか濡れていた。語りながら、当時のやるせなさ、悔しさ、絶望感を思い出したのであろう。
「そやけど、儂は結局諦めの悪い男でした。今、佐緒里を救うことは出来なんだけど、将来もっと科学が進んだら、ひょっとして佐緒里を生き返らせることが出来るんやなかろうか、と考えましたのや。幸い、儂はこの薬の世界で商いしよったおかげで、この世界の最先端の出来事は常に耳にしてました。当時、マウスの幹細胞が培養できるようになって、次はヒトやと言う話がぽつぽつ聞かれるようになってきてました。それに、ヒトの細胞はそれよりも更に三〇年ほど前に、長期培養できる方法が確立してました。儂は、それに賭けたんです」
 幹細胞とは、人間のあらゆる臓器、骨、皮膚と言った全身の器官に分化する能力を持つ万能細胞の事である。1981年にアメリカでマウスの幹細胞培養に成功したのがきっかけとなって研究が始まり、1991年、人間の幹細胞株の樹立に伴い、飛躍的に研究が進化した。
 幹細胞には主に受精卵から得られる胚性幹細胞と、骨髄など盛んに細胞分裂している組織から得られる成体幹細胞がある。ES細胞とも呼ばれ、患者自身から得た幹細胞を使って臓器を培養できれば、臓器移植最大のハードル、免疫拒絶反応を理論上クリアできる。そのため、再生医療の切り札として、世界各国で熾烈な研究競争が繰り広げられていた。その一方、この研究がクローン人間誕生に繋がる、ということから、アメリカのように研究その物を全面禁止しようと言う動きを見せる程、世界的に微妙な問題をはらんでいる。真野昇造はそんな研究の進展を睨み、佐緒里の全身から細胞組織標本を採取、液体窒素につけて保存することにしたのである。
「今にして思えばようやったと自分でも思いますが、当時はやっぱりとんでもなくあほなことしてるんちゃうか、といっつも思てました。でも、儂にはもうこれに賭けるしか手ぇがなかった。儂は、保存した佐緒里の細胞を元に研究してくれる研究者を募り、出来る限りの資金援助をしてその研究を支援しました。そして、遂にヴィクター博士の人造人間創造計画が出てきたんです。それと時を同じくして、佐緒里の細胞ライブラリーから幸運にも極めて良好な状態に保たれた胚幹細胞が見つかったんですわ。そんなこんなが合わさって、2年前には遂に佐緒里を生み出すことが出来ました」
「でも、一つだけ問題があったんだ。ジュリアンと同様のね」
 感極まって口ごもってしまった真野昇造に代わって、ヴィクターが話を継いだ。
「佐緒里さんの細胞は、細胞成長速度を極限まで引き出すため、ありとあらゆる方法を使って、培養液を満たした人工子宮内で成長させたんだ。ホルモン処理はもちろん、電気刺激、赤外線照射など、考えられる限りの方法を真野氏は採用したんだよ。おかげで驚異的なスピードで佐緒里さんは成長を遂げ、遂にこの世に生み出されたんだが、残念ながら彼女には心がなかったんだ」
「心がなかった?」
 麗夢がオウム返しに聞き返したのを合図に、真野昇造が再び口を開いた。
「麗夢さん、西行法師の話は知ってはりますか?」
「西行? ひょっとして、反魂の、法?」
「それや。西行自身が著したと伝えられる『撰集抄』第十五にある話ですわ。ある時西行法師はんが、人の骨を集めて話し相手を作ろうと思いはった。本には随分詳しいやり方も載ってますが、結局そうやって人を再生する事に成功しはったそうや。でも、その人は形は人やったけど、心はとても人のそれと違うて、まさに獣そのものみたいやった、という話ですな。まあ人がどうやって出来たかというのはともかく、重要なのは結局そうやって生み出したものがおよそ人の心を持たずにいた、という下りなんですわ。やっとの思いで生み出した佐緒里も、まさに西行の反魂の秘術同様、人の心を宿さんかったんです」
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07 復活計画 その2

2009-05-24 09:33:54 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 そんなこんなを考えつつも再びうとうととしかけたとき、突然どこからか二度と忘れないその声が語りかけてきた。
『綾小路麗夢さん』
 麗夢は、たわめたバネがはじけるようにベットに起き直った。
「ヴィクター博士をどうしたの!」
 開口一番、まずは一緒に拉致されたヴィクターのことを口にする。この部屋には看視カメラや盗聴マイクがしかけてあるに違いない。うら若き女性の寝姿をのぞき見しようなど、許し難い破廉恥漢である。その怒りを感じ取ったか、マイク越しの老紳士の声の調子は、確かに内心の反省を伺わせるに足る丁重さに満ちていた。
『ヴィクター博士はもちろん十分におもてなしさせてもろてます。それよりもあなたにはほんに申し訳ないことをしました。あなたがあの麗夢さんとはつゆ知らなかったんです。この通り謝るよって、どうか許してもらいたい』
「あなたは誰? 何故私の名前を?」
『あなたの令名は、松下はんや大豪寺君達によう聞いてました。一体どんなお人やろうと、わしも一度お目にかかりたい思てました。でも今日こうしてお会いすることができて、実に光栄です』
「そう思うなら、私の前に姿を見せなさい!」
 ぴしゃりと言い放った麗夢に、老紳士はさも申し訳なさそうに言った。
『おお、これは気づきませなんだ。どうかそのまま部屋を出て右の突き当たりまで来て下され。ヴィクター博士と一緒に、私もおりますよって』
 麗夢はベットから立ち上がると、愛用の靴がないことに気が付いた。ドア近くのボックスに置いてあったのは、確かによく似てはいるが、明らかにさっきまで足にしていた物と違う。第一いかにも今棚から下ろしてきましたと言わぬばかりの、新しい靴である。不審げに靴を手にした麗夢に、老紳士がまた声をかけてきた。
『申し訳ないんやが、靴を片一方失うてしまいましてな。急いで出来るだけそっくりなのを捜したんやがそんなものしかなくて、悪いんですが、それで我慢願いますか?』
 麗夢はふぅ、とため息を一つ付くと、靴を降ろして足を入れた。思ったよりもすっと足にフィットして、少しだけ麗夢は気を取り直した。
 いざ! と気合いを入れてドアノブに手をかけ、ぐいと引く。ドアはなんの抵抗もなくすっと内側に開き、麗夢をその部屋から解放した。
 そっと左右に目をやると、まさにホテルのフロア然とした廊下が両側に延びている。
 人気はない。
 だが、ずっと感じる視線は、間違いなく今も麗夢を監視する老紳士達の目が光っている証拠だろう。
 思わず左に進んで様子を見てみたい衝動に駆られた麗夢だったが、銃もなく、ヴィクターの行方も判らない現状では、闇雲な行動は控えるより無かった。
 結局言われるままに右に進路を取って、奥へと進む。廊下は20歩も行かぬ内に一枚のドアによって遮られ、そのまま袋小路になっていた。こうなったら突き進むしかない。麗夢は改めて気合いを込めると、ドアノブを手にしてぐいと押し込んだ。かちゃり、と建て付けのよさを誇るような小さな音がして、すっとドアが開いた。
「麗夢さん!」
 ドアの向こうには、今朝と印象が違うヴィクターの姿があった。背中越しに振り返る顔を見ながら、麗夢はそれが眼鏡が違うせいだと気が付いた。どうやら麗夢が靴を無くしたように、ヴィクターも眼鏡を落としてしまったらしい。
「ヴィクター博士、お怪我はありませんか?」
「ああ、僕は大丈夫だ。それよりあなたは?」
「私も大丈夫よ。それよりこれは一体?」
 麗夢は油断無く辺りに気を配りながら、その部屋に入った。ヴィクターから目を離し、部屋をざっと見聞する。広い部屋は一種の会議室の様である。20人くらいは余裕でかけられる、楕円形のドーナツ型をしたテーブルが真ん中に据え付けられ、リクライニングの効くイスが、その周りを何脚も取り囲んでいる。部屋の右側が一面大きなカーテンに仕切られ、天井は明るい蛍光灯が何列も並んでいる。
 そしてその一番奥の席に、麗夢は目指す人物を捉えた。麗夢はテーブルを挟んで近づくと、イスに深々と腰掛けるその老紳士に言った。
「あなたは何者なの? 私たちを捕まえて、何をしようと言うの?」
「僕から紹介しよう、麗夢さん」
「え?」
 ヴィクターが部屋を横断して、老紳士の脇に立った。
「彼は真野昇造。真野製薬の会長であり、再生医療研究所を初めとするバイオテクノロジー関連の、ベンチャーキャピタルを手がける財団の理事長だ。それに、僕の所属する学会のスポンサーでもある」
「真野、昇造……」
 名前だけは聞いたことがあった。日本経済に隠然たる影響力を誇る関西財界の老雄。気取らない関西弁で、歯に衣着せずまくし立てる論客としても知られている。麗夢自身が会うのはこれが初めてだが、なるほど、麗夢の顧客でもある大豪寺氏を「君」付けで呼ぶ訳である。
「初めまして、ドリームハンターの麗夢さん」
 ヴィクターの隣で、好々爺然とした笑顔がぺこりと頭を下げた。およそ敵とは言い難いその態度に、拉致された側としては勢いを削がれること著しい。それでも麗夢は怒りをかき立てて、一歩一歩テーブルに歩み寄った。
「こちらこそ初めまして。こんな形でお会いしたのでなければ、私もお得意様を一人増やせたと素直に喜ばせていただいたでしょうけど……」
 バンっ!
 麗夢はテーブルの際まで辿り着くと、形相凄まじく両手を思い切りテーブルに叩き付けた。
「これまでの仕打ちははっきり言って許せないわ!」 
 円光や鬼童なら肝消し飛んで、這い蹲って許しを請うたに違いない。ヴィクターもさすがにびくっと肩を震わせて、端正なマスクが引きつっている。だが、当の真野昇造は、少なくとも表面上、何の痛痒も感じていないようだった。
「お怒りはごもっともや。この通り、お詫び申し上げる」
 真野はにこやかな笑みを納め、テーブルに頭をつけた。
「誠意が足らんとおっしゃるなら、土下座でもなんでもお望みの通りいたしましょ。じゃが、どうかその後で、この年寄りの最後の願いに、耳を傾けてくれんやろうか」
 あまりに素直な真野の姿勢に、再び麗夢の怒りが水を差された。不完全燃焼のくすぶりを覚えつつ、麗夢は言った。
「最後の願い?」
「そう。わしのたっての、そして生涯最後のお願いじゃ」
 真野昇造はそう麗夢に告げると、手元のインタホンのスイッチを押した。少し顔を近づけて、二言三言呟いてからボタンから手を放す。すると、今麗夢が入ってきた扉がまた開いた。何? と振り向いた麗夢は、自分の背後に再びあの少女を見たのである。
「やっぱり、ロムそっくり……」
 艶やかな黒いストレートヘアの美少女が立っていた。車の後部座席にいたときと同じ清楚な白のワンピースを身にまとっていたが、その顔立ちや背格好は、グリフィンと戦ったときに出会ったROMと、寸分の狂いもない。
「紹介しましょ。儂の孫娘の佐緒里や」
「え? 佐緒里?」
 麗夢は驚いて真野を見返した。その間に真野から佐緒里と紹介された黒髪のROMが、すっと老翁の元に歩み寄り、ヴィクターの反対側に立ち止まった。
「貴女はこの子をROMという名前で呼ばはりましたな」
 真野は手を組んでテーブルに置くと、表情を改めて、頷く麗夢に告げた。
「実はこの子は、そのROMでもあるんですわ」
「おっしゃることが判りません。一体どういうこと?」
「少し長うなりますから、どうぞ掛けて下され」
 真野はそう言うと、手を机に突いたまま仁王立ちしていた麗夢にイスを勧めた。
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07 復活計画 その1

2009-05-23 21:48:40 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 鈍い頭痛を伴いながら、麗夢はゆっくりと目を醒ました。
なぜ自分はどうして寝ているのか。
 まだ動き始めたばかりの頭は、ぼんやりして事態を把握出来ないでいる。
 麗夢は上体を起こして薄暗い室内をゆっくり見回した。
 寝ているベットはもちろん、見覚えのない調度類が、無言で麗夢の目覚めを見つめている。
 一体ここはどこなのか。
 そして、一体何があったのか。
 いつも一緒にいるアルファ、ベータの姿もない。いや、姿だけでなく、その気配すらない。
 普段は、たとえどこか物陰に隠れていたとしても、二匹がいれば麗夢にはその存在を感じ取ることが出来る。時折麗夢の目を盗んで冷蔵庫の中身をつまみ食いしている二匹だが、気配を消したつもりでも、麗夢にはそれとなく感じられてしまうのだ。だからこそ三回に一回くらいは、「こらっ!」と怒って見せたりもできるのである。従って、今その気配が全く絶えて感じられないと言うことは、二匹が、現在麗夢の手の届かない遙か遠くへ離ればなれになっていると言うことである。
 麗夢はその事に漠然と不安を募らせながら、無意識に左脇に吊したホルスターに手を伸ばした。が、それもまた麗夢の焦燥を募らせることしかできなかった。冷たい存在感を示して安心を与えてくれる愛用の銃が、消えて無くなっていたのである。はっとなって寝ていたベットの上を見回してみても、目当ての物が落ちている様子はない。まさかとポケットを探ってみた麗夢は、すぐに携帯電話も財布も失ったことに気が付いた。明らかにしてやられたらしい。麗夢はそれ以上失われた物を捜すのは諦めて、改めて周りを見回した。
 部屋は見る限り、少し高めの金額に設定されているビジネスホテルのシングルルームに見えた。セミダブルのスプリングが良く効いたベットに清潔なシーツが掛けられ、向かい側に、まるで開けると聖書とご利用案内が入っていそうな引き出しが付いた、作りつけのテーブルとスタンドが置いてある。壁には大きな姿見が貼り付けてあり、出入り口は頑丈なスチール製のドアになっている。ドアの脇にはクローゼットの扉が見え、その向かい、ベットの後ろに当たるところの扉は、恐らくユニットバスであろう。壁紙や天井は圧迫感を覚えないようベージュに統一され、全体にゆったりとした雰囲気にまとめられてはいるが、華やかさとか美しさとはあまり縁が無い、実用一点張りの調度品類であった。だが麗夢は、ホテルなら必ずあるはずの、テレビと電話が無いことに気が付いた。壁際の窓に手をかけてみたが、頑丈にロックされている物と見えてぴくりとも開けることが出来ない。つまり、外部の状況を知ることもできなければ、誰かに連絡を取ることもできない。完全な監禁状態に置かれていることに、今更ながら気づいたのだった。
 一通り部屋をチェックした麗夢は、再びベットに戻って投げ出すように腰を下ろした。一体今が何時なのか、あれから何時間、ひょっとしたら何日も経ったかもしれない。失踪したシェリーは一体どうしてしまっただろう。ヴィクター博士も無事でいるのだろうか。鬼童、アルファ、ベータは?  アルファ、ベータなら、きっと自分が生きている限り必ず見つけだしてくれるだろう。今はその時に備えて体力を温存するのが、麗夢に出来る唯一のことであった。
 そのままぱたりと仰向けになった麗夢は、染み一つ無い天井を見つめながら、シェリーを連れ去った謎の少女のことを思い浮かべていた。
 聞き込みした外観から想像される姿はただ一人。
 苦心惨憺の末破壊した、スーパーコンピューターグリフィンの三次元インターフェースROM。
 脳裏に浮かぶその姿は、もちろんただ想像しているからこその一致とも言える。実は似ても似つかぬ全くの別人と言うことも、当然ながらあり得るわけだ。
 と、そこまで考えて、麗夢は苦笑を漏らした。
 全くの別人に決まっているではないか。ROMは所詮プログラムに過ぎない。いくら存在感溢れる挙措を示そうと、彼女がコンピューターの中から現実世界に飛び出してくることはない。せいぜい人の夢に姿を現すだけで、実在する一人の女の子と手を繋いで歩くなんてこと、到底できっこないはずなのだ。
(でも、じゃああのROMは一体……?)
 麗夢は、自分がこうして無様にも捕まることになってしまった原因を思い起こした。
 黒塗りの高級リムジン後部座席に収まった一人の少女。
 確かに髪の色や服装は違ったが、その少女はまさにROMそのものに見えるほどよく似ていた。
 そして、突然ヴィクター博士を捕まえようと話しかけてきた老紳士。彼はこちらがロムと口を滑らせたのを聞いて、確かに言ったのだ。
「お嬢さん、何か知ってはるようやね」と。
 つまりあの老紳士は、ROMのなんたるかについて、何かを知っていると言うことだ。あのアクセントからしてもこの地元大阪の人間に違いないと思われるが、ROMの起こした騒ぎは東京に限定されていたというのにどうしてその事を知り得たのか、それも不思議と言えば不思議なことであった。
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.06 円光助太刀 その2

2009-05-06 11:57:03 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「危ない!」
 卑怯にも円光の背中めがけて襲いかかった男は、瞬間、今攻撃した坊主の頭が自分の下を高速に通り過ぎるのを見て呆気にとられた。が、その思いも瞬く間にぷつんと途絶えた。次の瞬間には、男は円光達を飛び越えた末、頭から砂に突っ込んでしまったからである。カエルを踏みつぶしたときのような、いわく言い難い断末魔を上げて男が気絶するや、円光は鋭い視線を残る三人に射込み、地鳴りのような声で告げた。
「まだ手向かいするか」
 あきらかに男達が動揺を示した。どうやら自分と相手の力量を計るくらいの力はあるらしいと円光は見て取る。だが、だからといって潔く引けるかどうかはまた別問題であるらしかった。
「きぇえええっ!」
 先頭の一人が突然高々と足を蹴り上げた。同時に左右から二人が体勢を低く取って円光目がけて突っ込んだ。男の足は間合いが遠く円光には届かなかったが、もとより足技で倒そうというのではない。男は足先で多量の砂を蹴り上げたのだ。突然の目くらましに、さしもの円光も一瞬棒立ちになったかに見えた。砂を蹴り上げた男がにやりと笑みをこぼし、左右から体制低く突っ込んだ男達も、自分達の勝利を確信した。
 だが、瞬間的な交錯の後、その膝下にくずおれたのは、必殺の間合いで突っ込んだはずの二人の男の方であった。円光はほとんど動いていないように見えたのに、何時やられたのか、二人の男はうつ伏せになって円光の足元に転がっていたのである。
 円光はその二人の末路を見届ける間もなく、ずいと身体をただ一人残った男の方へ押し出した。円光が一歩進むたびに、男の方が三歩下がった。やがて円光が更に進むと、男はその眼圧に屈したかのように、腰砕けに尻餅をついた。
「これ以上の手出しは無用だ。早々に立ち去れい!」
 円光の怒声に、残った一人はひっと悲鳴をかみ殺し、そのまま這々の体で砂浜をはって逃げ出した。周りの野次馬が歓声を上げて円光の武勇を讃えたが、円光は別に大した事でもないと澄まし顔で、シェリー達に歩み寄った。
「あ、ありがとう円光さん」
「シェリー殿、久しいな。息災であったか?」
 シェリーはきょとん、として円光の顔を見つめた。シェリーには円光の時代がかった物言いが理解できなかっただけなのだが、円光の方はと言うと、しばしこれもシェリーを凝視した末、はっと驚いてシェリーに言った。
「シェリー殿! 何時の間に日本語に堪能になられたのだ?」
「あの後勉強したの。麗夢さんやアルファ、ベータとちゃんとお話しできるように」
「そうか、それは殊勝なことだ。して、そちらの方は?」
 円光は、のびている黒づくめを足でえいえいと蹴りつけている金髪の美少女を指さした。シェリーは苦笑いを隠さずに、円光に答えた。
「私のお姉さま、と言うか……」
「そうか、シェリー殿の姉君か、佐緒里殿、とこ奴らが呼びかけていたように聞こえたが……」
 すると少女は、突然くるりと振り返ると円光に叫んだ。
「あたしは佐緒里なんて言う名前じゃないの! 絶対その名前で呼ばないで頂戴!」
「お、お姉さま、助けて頂いたのだから、お礼くらい言わないと」
「別に助けてくれって頼んだ訳じゃないもん」
 ぷいと腕を組んでそっぽを向いた様子が、子供子供していてついつい円光とシェリーは吹き出してしまった。
「な、何よ何よ! 二人して気持ち悪い!」
 憤慨する少女に、円光は笑いを堪えて問いかけた。
「これは相済まぬ。して、佐緒里殿でないとすれば、貴女のことはなんと呼べばいい?」
「もちろん、シェリーちゃんのお姉さま、よ」
 ね、シェリーちゃん、とたちまち機嫌を直してその腕に絡みついた少女に、円光は改めて問いかけた。
「ではシェリー殿の姉上殿、この男達は一体何なのだ?」
「知らなーい!」
「知らぬことはあるまい。この男達は明らかにそなたを見知っていたようだが」
 なおも円光が問いかけると、少女は再び頬を丸く膨らませて言った。
「知らないものは知らないのよ! しつこい男なんて大嫌いなの!」
「ちょっと、お姉さま!」
「シェリーちゃん、海水浴はこれで終了! 次、行くわよ!」
「ま、待って!」
 強引にシェリーと腕を組んで海の家目指して歩き出した少女は、一度だけ円光に振り向いて言った。
「お坊さんも、早く服着ないとおいてくわよ」
 円光はようやく自分が下帯一枚であったことを思い出し、小さなくしゃみをして少女に笑顔を刻ませた。
(はて面妖な……。あの顔、どこかで見たような気がするのだが。うーむ、思い出せん……)
 円光は首を傾げつつ、油紙に包んで担いできた墨染め衣を肩から下ろした。
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.06 円光助太刀 その1

2009-05-03 08:51:11 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 友が島を出たときには、円光もここまで流されようとは思っていなかった。水越しにようやく現れてきた海岸に、大勢の人がごったがえしているのを見て、円光は自分の計算がかなり食い違ってしまったことに気づいたのだ。
 友ヶ島は、和歌山県と大阪府の府県境も近い、紀淡海峡に浮かんでいる島である。
 それほど大きな島ではないが、島には、役行者が開いたという葛城修験二十八宿の一番、序品窟を初め、深蛇池、閼伽井(あかい)、観念窟、剣の池の五つの修験道の行場があった。円光はこの葛城二十八宿に久々に挑もうと、はるばる関西まで足を運び、海を越えたのである。その修行の第一歩も無事済ませたので、次に進もうと海に入ったまでは良かったのだが、思ったよりも潮の流れが速く、予定よりはるか南の、加太の海水浴場が見えるところまで流されてしまったのだった。
「是非もない。これも修行」
 円光は力強く水をかくと、目標を変えて加太海水浴場に上陸すべく、再び泳ぎだした。
 加太は遠浅の砂浜で知られている。もう海岸は目鼻の先であり、これ以上流される気遣いは無いと言えた。
 ようやく足がつくようになったところで、円光は今一度海岸に目をやった。なるだけ端の目立たぬところに上がらないと、こう人が多くては面倒である。第一、肌も露わな若い女性が闊歩するような場所を、円光も好んで歩きたくはない。
 加太の海岸は幅250m余。
 円光は随分南へと流されてきたが、海水浴場としてはまだ北よりの辺りにいた。波は穏やかで海岸の様子は手に取るように判る。円光はこのまま更に北寄りに針路を変更し、その北端に上陸する事に決めて、再び泳ぎだそうとした。その動きを止めたのは、チラと見流した海岸に、見知った顔を垣間見たが故である。
 ?
 円光は今にも潜ろうとした身体を改めて水上に立ち上げ、今見えたものを確かめようと目を凝らした。
(あれは?……、そうだ、鬼童殿にせがまれて異国を旅したときに会った少女だ。名は確か……)
「シェリーちゃん急いで!」
(そう、シェリーと申した)
 よく見ると、やや大きな少女に手を引かれて走っているようだ。二人の金色の髪が西に傾きつつある日の光を跳ねて、輝いて見えるのがなかなか興趣ぶかい。と、円光の視界にどす黒い瘴気が流れ込んだように見えた。何事と目をやると、場違いな黒装束が五人、シェリーと名も知らぬ少女の後を追いかけている。
「お待ち下さい!」
「逃げないで!」
「邪魔だ! どけ!」
 二人に呼びかける口調は丁寧なようだが、それ以外にはどうも紳士とは言い難い態度である。今も若い女性が一人突き飛ばされ、砂の上に転がされていた。シェリー達は人々の間を縫うように逃げているが、体格差はいかんともしがたく、もう男達の手が今にもシェリーに届きそうである。円光は状況を読みとると、一気に水しぶきを上げて海中に潜った。
 水辺で遊んでいた人達は、突然自分達の身体の間を猛然とすり抜けていったものに、驚愕の視線を浴びせかけた。一瞬鮫かと錯覚する者が出るほどに、そのスピードは常軌を逸している。それはやがて膝高の水深になったとき、突如水面を割って飛び上がった。周囲の人間が目をみはる中、円光は、遮るもの無き海岸線を、一気呵成にシェリーまで走った。
「は、放してぇ!」
「佐緒里お嬢様! 聞き分けなさい!」
「ええ加減観念して!」
 さすがに円光と言えども、あの距離では相応の時間がかかった。海上ではまだ間があると見えた男どもと少女達の距離は、今や完全に無くなっていたのだ。もっともそれなりに抵抗したと見えて、一人はサングラスをはたき落とされ、一人は左頬に三本筋のひっかき傷を生々しく見せつけていた。それでも所詮多勢に無勢、シェリーの手を引いていた少女の腕は既に一人の黒づくめに押さえられ、シェリーはと言えば、その足元に倒れかかっている。円光は脱兎のごとく駆け寄ると、今にも少女を抱え込もうとしていた黒づくめの首筋に、鋭い手刀を叩き込んだ。
 「な! なんやこの坊さんは!」
 どすっと鈍い衝撃に、残る4人が浮き足立った。一撃で意識を闇に強制送還された黒づくめが、膝から崩れて少女の手を放す。円光は騒ぎ立てる男達を無視して、一緒に倒れ込んだ少女を助け起こすと、まだ足元で倒れたままのシェリーにも手を伸ばした。
「大事ないか、シェリー殿」
「え、円光さん!」
 シェリーの目から大粒の涙があふれ出た。余程怖い目にあったに違いない。円光は優しく手を添えてシェリーも立たせると、後ろでわめく男達に振り向こうとした。
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05 海は危険が一杯! その3

2009-04-29 15:29:17 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』


 この海は、飛行機から見た地中海の、宝石を溶かし込んだようなエメラルド・グリーンとは色合いがかなり異なっていた。
 やや暗い青色というのだろうか。空の青さとは違い、もっとくすんだ感じのする色だ。
 海岸近くは砂の色のせいか、茶色くにごっているようにも見える。
 その中を、大勢の人々が色とりどりの水着を着て、思い思いにすごしていた。家族連れや友達同士、カップルもたくさんいるが、子供達だけの集団もいるようだ。
「さあ! 私たちも早く着替えて行きましょう!」
「あ、はい!」
 海に見とれていた私の手を、お姉さまは力強く引っ張った。私は足を砂にとられそうになりながら、「海の家」の看板の立つ、粗末な小屋へと連れ込まれた。
 水着は途中のお店で調達していた。紺の競泳用という種類の、おそろいの水着。「シェリーちゃんならスクール水着が似合ったかもね」などと笑みをこぼしつつ、お姉さまが選んだものだ。ちょっと布地が薄くて着るのが恥ずかしい気がしたのだけれど、日本は繊維でも高度な技術が発達しており、これだけ薄くても肌が透けたりする心配はない、というお姉さまの言葉を信用することにした。
 海の家の更衣室を借りて水着に着替え、これもついでに購入した日焼け止めクリームを、露出した足や腕や背中にたっぷりと塗りつけた。手の届きにくいところをお互いに塗りっこしてそのくすぐったさに悲鳴を上げたりしながら、しっかり日に灼けた砂の上を海岸まで走った。
 こうして冒頭の波打ち際に至ったというわけである。
「さあ、泳ぐわよ!」
 お姉さまは言うなり、どんどん海に向かって進んでいった。人々がほどほどににぎわう中を、盛大に水しぶきをあげながら、モーゼさながらに突き進んでいく。
「待って!」
 私も水に駆け込んだ。ヒヤッとした水の感触が本当に気持ちよく、お姉さまに追いつくころには、その水が腰まで届いていた。
「ほら!」
 突然振り向いたお姉さまが、私めがけて手ですくった水を投げつけた。
「きゃっ!」
 私は思わず手を前に出して、飛沫となって飛んできた海の水を受け止めた。もちろんそんなことでよけきれるはずもなく、私は頭から水をかぶった。
「もう! 何するんですか……」
 私は抗議の声を上げようとして、開いた口に入ってきた海水の味に驚いた。
 塩辛い。
 フランケンシュタイン公国には海はない。
 水遊びくらいはバイエル湖でしたことがあるが、その水は当然ながら真水だった。私には、一応海の水が塩辛い、と言う知識はあったが、実際にそれを「味わう」のは初めてだったのだ。
 この水は確かに塩味。
 私は目を瞠ったまま、両手を添えて水をすくってみた。透明な水は見た目には何も変わらない。でも、思い切ってなめてみると、さっきの水と同じ味がした。
「塩辛い……」
 今度は口に出して言うと、お姉さまはあきれたのか、両手を腰に当てて私に言った。
「海なんだから、塩辛いのは当たり前でしょ」
 私は始めての海との出会いに興奮し、うれしさいっぱいになってお姉さまに言った。
「うん! 海だから塩辛いのは当たり前よね!」
 言いながら、私の両手がしっかり海の中を後ろから前に振り上げられ、大量の海水の飛沫を目の前のお姉さまに浴びせかけていた。油断していたお姉さまはよけることもできないまましっかり頭から水をかぶり、ぐしょぐしょになった髪の毛から海水を滴らせながら、私に言った。
「やったなこら!」
 そうしてしばらくキャーキャー言いながら水を掛け合った末、互いに心の底から笑いながら、時間を忘れて海の中を駆けり回った。すでに到着はお昼を大分回っていたけれど、夏の昼下がりはなかなか翳ろうともせず、私たちはいつまででも遊んでいられそうな気がしていた。そう、あの人たちが来るまでは……。

 それは、一通り水遊びを満喫して、ちょっと一休みするために海の家に引き上げてきたときのことだった。私は、そこにこの海岸ではついぞ見かけない奇妙な格好をした男の人たちを見つけて、不思議な思いに囚われた。皆が皆水着姿、あるいはTシャツをはおるだけのラフな格好な中で、その人達は、揃いであつらえたように同じデザインの黒のスーツと黒のサングラスをしていたのだ。この暑い中、その姿でほとんど汗をかいている様子がないのも凄く不気味だ。
「お姉さま、あの人達……」
 と言いかけて、私ははっと息を呑んだ。終始笑顔を顔に貼り付けていたお姉さまの様子が変わった。顔が明らかに引きつり、怒りとも悔しさとも言いがたい一種異様な雰囲気をまとわりつかせている。
「シェリーちゃん……」
 お姉さまが突然私の手をとった。
「え?」
「逃げるわよ!」
「え、え? あっ!」
 私の手が、また強引に引っ張られた。でも、私はこれまでとは明らかに違う強い引きに、切迫した何かを意識した。そして、その思いを証明するかのように、黒尽くめの男達の声が、背中越しに聞こえてきた。
「あそこだ! 追え!」
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05 海は危険が一杯! その2

2009-04-26 08:56:50 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 こねた小麦粉を発酵させずに丸く焼き、その中に切り身のたこを仕込んであるのだ。
 こねるときに加える水の量が多いため、外側は皮のように硬くなっても、中はこうしてとろとろの熱々になる。
 では、どうやって焼いているのか。
 俄然興味を持った私は、次の一個をとろうとして驚いた。すでにその容器の中のたこ焼きは半分になっていたのだ。
 私がようやく一個食べている間に、お姉さまは瞬く間に五個食べてしまったということになる。
 目を丸くした私に、平然とお姉さまはおっしゃった。
 「これはね、熱々をはふはふしながら食べるのがおいしいのよ」
 そう言いながら、お姉さまは次の一個に爪楊枝を突き刺すと、丸のまま自分の口に放り込んだ。いかにも熱そうに二三度思い切り口を動かしている。まさに「はふはふ」状態。
 やがてごっくん、とのどを動かして飲み込んだお姉さまは、満足げに一息つくと、容器を私に押し付けた。
 「のど渇くでしょ。ちょっと待ってて」
 そのまま薄暗い店の中に移動して、出入り口に程近いショーケースに手をかけた。
 「お茶一本もらうわよ」
 「ええよ」
 投げやりの返事も気に留めず、お姉さまは前の扉を引くと、緑色をした五〇〇ミリリットルのペットボトルを一本抜き出した。コップはどうするのかと思っていたら、お姉さまは大胆にもそのまま栓をねじり取り、ラッパ飲みにくわえるや、容器を思い切りよく傾けて、ごくごくと中の液体をのどに流し込んだ。
 そうして驚いてばかりだったのがいけなかったんだろう。私は無造作に新しい一個に爪楊枝を突き立てると、そのままお姉さまがさっきやっていたように、たこ焼きを口に放り込んでしまった。
「……っつ!」
 噛んだ瞬間、思い切り熱いのが口の中に飛び出してきた。
「これ早く!」
 いつの間にかお姉さまは私の目の前にきて、さっきラッパ飲みしていたペットボトルを差し出していた。私はもう無我夢中でそのボトルを受け取り、中の冷たい液体をお姉さまと同じく口に流し込んだ。そのまま、まだ十分に咀嚼もしていないたこ焼きごと、お茶を胃の方へ押し流す。喉とおなかの中がぐんと熱くなり、口の中は反対に少しひりひりするくらいに落ち着いてきた。
「初心者は気をつけなくっちゃね」
 お姉さまはくすくす笑いながら、もっとお茶を飲んで、と私に促した。私は、初めての緑茶をゆっくり味わう暇もなく、ペットボトルに残った200ミリリットルほどを胃に流し込んでいた。
 それでも初めてのたこ焼きは美味しかった。
 結局口の中をちょっとやけどしながらも、残りを全部平らげたのだから。もちろん今度は慎重に少しづつ啄ばみながらだったけど、おかげさまでそれ以上口の中を灼かずにすんだ。
 こうしてお姉さまの言う腹ごしらえもすんだところで、いよいよ探し物だと気持ちを新たにした私だったが、事はそんなにすんなりとはいかなかった。
「さて、それじゃあこれからどこに行こうかな?」
 なんて、お姉さまが呟くのを聞いてしまったのである。
「今、なんて言いました?」
 私は自分の耳を疑って聞いてみた。すると、ちょっとあわてた風に取り繕った笑顔を見せながら、お姉さまは答えた。
「え? あ、ああ、えーとね、どこを探そうかなって。無くしたところを思い出していたのよ」
 そんな感じだったかしら? と私は疑いつつも、一応その言葉を受け入れて、次を待った。
「で、どこに探しに行くんですか?」
「うーんと、そう! 海よ!」
「海?」
「そうよ! 夏といえば海! これで決まりね!」

 ……こうして私達は、何度か乗り換えながら2時間ほど電車に揺られ、加太という地名の海水浴場までたどり着いたのだった。
「やっぱり海はいいわねー」
 お姉さまは、車窓から海が見えるともうすっかり海水浴気分に浸って、食い入るように海を眺めていた。実を言うと私も、不安ももちろんあったんだけど、初めて間近に見る海に心が勝手に躍っていた。
 何が不安かって言うと、目の前のお姉さまの真意が今ひとつ計り知れないことが一番の不安。二番目は、結局すっぽかすことになった麗夢さんや、断りなしにほったらかしてしまった博士や鬼童さんのこと。
 恐らくずいぶん心配しているだろうと思うと胸が痛む。できればせめて一言だけでも断ってから行きたかったけれど、工場の電話番号どころか名前すら記憶になく、しかもあのたこ焼き屋さん(お姉さまは駄菓子屋といっていた)から工場までの道順もわからないでは連絡のとりようもない。ホテルだけはかろうじて名前を記憶していたけれど、これも調べてみないと電話ひとつかけられない。そこまで八方塞りなことを確かめた私は、もう連絡を取るのを諦める事にしたのだ。
(第一、私をほったらかしにした博士や鬼童さんがいけないのだし、遅刻した麗夢さんだって悪い)
 ちっともそんなこと思ってもいないのに、私は強いてそう自分に言い聞かせた。そうでもしないとあまりに申し訳なくていてもたってもいられなかったからだ。
 こうして、ようやく電車を降りてこじんまりした町並みを10分ほど歩くと、途端に視界が開けて真っ青な海が、本当に目、いっぱいに広がった。
「海だー!」
 途端にお姉さまが奇声を上げて走り出した。
「あ、待ってぇ!」
 私も釣られてその背中を追いかける。
「ほら早く! 海が逃げちゃうわよ!」
 逃げませんお姉さま。
 私は心の中でつぶやきつつも、そんな思いがあっさり吹き飛ぶほどの感動的風景に、瞬時に魅入られた。
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05 海は危険が一杯! その1

2009-04-19 10:21:05 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 白い砂浜が熱い。私は思わず火傷しそうなくらい熱くなった砂の上を、大はしゃぎで走っていた。大慌てで目の前の濡れて変色した砂まで駆けると、足が砂にくるぶしまで沈み込み、ほてった足の裏を瞬間冷却してくれる。
 遠浅の浜に打ち寄せる小さな波が、時折足下まで届いて少し冷たい。
 あれほど苛烈だった太陽も、何となくここでは優しさを覚えるようだ。
 目の前には、地球は丸かったと実感できる弧を描いた水平線があり、その向こうに雄大に立ち上がった入道雲がそびえ、手前には島が少しかすんで見える。お姉さまによると、「友が島」という島らしい。空気が澄んでいたら、更にその先の淡路島も見えるんだって。今日はちょっと見えないみたいね、とお姉さまは残念そうにつぶやいていたけれど、私は初めて目の当たりにする海の圧倒的な存在感に、完全に心を奪われていた。
 見知らぬ町で迷子になった私は、偶然このお姉さまと呼べ、と言う一人の少女と行動を共にすることになった。
 探し物をしているから手伝えというのだ。
 そのお礼に、私を仲間たちのところ、つまりヴィクター博士や鬼童さん、そして麗夢さんの下へ連れて行ってくれるって。
 では、その探し物が何か、というと、実はまだ教えてもらっていない。
 あ、ひとつだけ判っているんだっけ。
 そう、この少女の名前。
 自分の名前も探し物のひとつだ、なんて、客観的にいえば怪しいとしか言いようのない人よね。
 でも、何故か私は、この少女を信じてもいいように思った。
 どうしてだか今でも判らない。
 ただ裏表のない、心の純粋な人だと感じたから、と言うしかないんだけど、目が見えなかったころの私は、どういうわけか相手の気持ちやいい人か、悪い人かがすぐ分かった。目が見えない分、他の感覚が鋭くなっていたんだと思う。だから、あの死神によって狂わされたジュリアンでも、私には怖くもなんともなかった。
 今は目が見えるようになり、見えるもの全てが刺激的で新鮮だけど、それでも私は、目で見えるものよりも、かつて信じていた感覚のほうが確かなように感じていた。
 そんなわけでこの少女をお姉さまと呼び(最初はさすがに気恥ずかしかったけど、ようやく慣れてきた)、引っ張りまわされるままにお付き合いしているのだ。
 まず腹ごしらえよ、という彼女に連れられたのは、迷子の末たどり着いた公園から更に狭い道に入ったところにある、小さなお店だった。
 なんとなく食欲をそそる香ばしい香りを漂わせていたそのお店は、開け広げた薄暗い室内に台を置き、その上に、人の頭ほどある大きく透明な四角い容器や、上だけ開けられた箱を並べていた。それぞれの容器には、なんとなくキャンデーかな? と思うものもあれば、どう見ても何かよくわからないものまで、いろんなものが入れてある。
 壁にも透明なビニル袋に入れられた原色のけばけばしい水鉄砲などのおもちゃが乱雑にかけられ、床にも、すすけた箱の中に、確か独楽だと記憶しているおもちゃが無造作に放り込まれてあった。
 店は正面の日よけの下に簡単なベンチを置き、左側には、道側の小さな窓ごしにお客と相対する、簡単なつくりの張り出しを構えていた。その中からじゅうじゅうと何かを焼く音が聞こえ、一人の少し腰の曲がった背の低いおばあさんが立っていた。
「おばちゃん、12個頂戴」
「はいよ」
 お姉さまは、銀色の硬貨を2枚差し出した。
 おばあさんは無愛想にお金を受け取ると、白い発泡スチロールをしわだらけな手で取った。
 あっと私は、自分の財布を出そうとして気がついた。そうだ、すぐ戻るつもりで、手提げかばんを工場に置きっぱなしにしてきたんだったっけ。パスポートなどと一緒に、おじいちゃんにもらったお小遣いも全部、その中にしまいこんだままなのだ。
 自分のうかつさにもじもじしている私に気がついたのか、お姉さまはにっこり笑って私に言った。
「お金のことなら心配いらないわよ。私はお姉さまなんだし、第一私を手伝ってくれるんだから、それに関する出費は当然依頼者である私が持つべきなの。さ、それより食べよう!」
 お姉さまはおばあさんから白い容器を受け取ると、店の前のベンチに腰掛け、私にその隣に座るよう促した。
 しょうがなしに隣に座り、その容器を見ると、ピンポン玉よりも一回り小さな丸いものが、縦3列、横4列に行儀よく並んでいる。上にかかっているのは、香ばしい香りがするソース、そして、緑色と薄い茶色の二種類の粉。一番右端の玉に仲良く2本の細い棒が刺してある。お姉さまはその一本を抜いて、さあどうぞ、と私に手渡した。
「あ、あの、これなんですか?」
「これ? これはね、たこ焼きっていうこの町で一番のご馳走だよ」
「たこやき?」
「いいからまず口に入れる!」
 さっきタコが嫌いかどうかと聞いたのはこれだったのね。でも、どこにタコがあるのだろう? 
 私はなんとなく納得したような、要領を得ないような中途半端な気持ちをもてあましながら、お姉さまが召し上がるのを真似して、一個の「たこ焼き」に爪楊枝と言う名前の棒を突き刺し、そっと口元に運び込んだ。
「熱いから気をつけてね」
 私は恐る恐る重力で少しひしゃげたその玉の端を、少しだけ食いちぎってみた。もぐもぐと二、三度噛んで飲み込み、次にもう少し大きく口に入れる。
 なるほど、外側はかなり固く焼き締めた皮になっているけど、内側はとろけるように柔らかく、また熱い。いきなり口にしたら間違いなく舌を火傷してしまうに違いない。
 三口目でぐにゃりとした食感が、奥歯の間に挟まった。まさかゴム? と思った瞬間、それは歯ですりつぶされて、他の食材と交じり合ってしまった。
 そうか、これがタコだったんだ。
 私はようやくたこ焼きの正体に気づいた。
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04 再会 その2

2009-04-12 09:21:10 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
「それで、シェリーちゃんにはいつお会いになるのです?」
 榊がにこやかにケンプに言った。榊も、シェリーがヴィクターに連れられて、ここ大阪に来ていることを知っている。ケンプの目尻がますます下がり、今や溺愛する孫を見る好々爺と変化していた。
「ええ、驚かせてやろうと思っておりましてな。公式日程が終わるまで、ヴィクターにも私のことは知らせないよう、注意しているんですよ」
「なるほど、それは楽しみですな」
「ええ、全く」
 邪気のない笑いが喫茶室に流れ渡る。日程は順調。問題も皆無。公式には伏せられた「任務」ももうすぐ無事に終わり、その合間を縫って、こうして貴重な友人とコーヒーを味わうことが出来る。最大の楽しみは明後日まで取っておかないといけないが、出来ればそれまで何も起きないように、ケンプは心から祈っていた。
 ケンプの今回の任務は、訪日する皇太子、カール・フランケンシュタイン率いる外交使節団の副団長である。もともとフランケンシュタイン公国王室と日本の皇室は、ともに立憲君主制を仰ぐ歴史ある国として長らく交流を重ねてきており、昨年には日本の皇室を代表して、皇太子ご夫妻の訪問を受けていた。今回のカール皇太子の訪日は、その答礼が主たる目的なのだ。また、大阪で開かれるバイオテクニクス学会でヴィクターが基調講演するため、従兄に当たるカール皇太子も、その学会の冒頭で挨拶をする手はずになっていた。それが明後日の予定で、今日は東京からの移動日になっている。カール使節団一行はそのまま京都に入り、今頃は日本の誇る伝統美を満喫しているはずだ。ただケンプは、一部の団員を率いて一行から別行動を取り、ここ大阪湾に拡張を続ける人工島の一角で、公式日程には無い、隠された別任務を遂行していた。本来、軍の重鎮であるケンプが使節団に入る必要は無かったのだが、今回わざわざ加わったのは、この「任務」のためなのである。公式には国家への貢献著しい老将軍への、引退間近の慰労旅行という意味合いで報道されているのだが、ごく一部をのぞいて、フランケンシュタイン公国内はもちろん、日本政府や海外メディアでも真相を知るものは無かった。
 一方榊は、フランケンシュタイン公国への視察経験を買われ、使節団の接待役の一人に抜擢されていた。本来なら警備担当の中枢として使節団と行動をともにし、今頃は京都御苑を散策しているはずだったのだが、特に目の前の使節団副団長から乞われ、こうして行動をともにしているのである。
 そのケンプの脇に、ケンプと同じデザインの地味なスーツをまとった青年が一人歩み寄った。
「後5分で準備が整うとのことです」
「うむ」
 一瞬でケンプの顔が謹厳実直な司令官のそれを取り戻した。鮮やかな切り替えに感心しながら、榊は再びカップを手にとって、残りのコーヒーを喉に流し込んだ。
「では、私も仕事に戻ります。ケンプ将軍」
「ああ、そうしてくれ」
 ケンプはすっと座席から立つと、大戦で重傷を負ったとは信じられないようなすらりとした姿勢で、榊に右手を差し出した。榊も自然体で右手を出し、ケンプのそれを包み込むようにつかむ。互いに相手の握力を確かめるかのようにしっかり握手を交わしたケンプは、にやりと笑みをこぼして手を離した。
「明日は楽しみにしているよ。君の言うイザカヤと言う所をね」
「おやすいご用ですよ、将軍」
 にこやかに手を挙げてケンプが席を離れた。その背中を見送った榊は、携帯電話を取り出して、京都の様子をうかがうべく、指揮を任せた部下を呼び出そうとした。
「ん?」
 二つ折りにたたんだ携帯電話の頭の部分が、青い点滅を繰り返している。誰かが電話を寄越したらしい。マナーモードだと気づかぬことが多いな、と一人ごちながら、榊は携帯を開いた。液晶画面がぱっと明るく点灯し、着信があった旨改めて榊に注意を促した。榊はぎこちない操作で着信履歴を確認し、それが、良く見知った相手からのものであることを知った。
「どうしたんだ? 今時分?」
 時間から言って、関西国際空港でお客を迎えてからもう3時間にはなるはずだ。ひょっとしてまだ飛行機が着かない、とか何とか言うんだろうか。そんなことを私に相談されても困るんだが、と榊はまずそちらに電話をかけることにした。再び榊の指には少し小さすぎる携帯を慎重に操作して、通話ボタンを押す。電話は、一回の呼び出しで早くも繋がった。そんなに連絡を待っていたのか、と榊は少し心配になる。
「もしもし榊だ。鬼童君か?」
「遅いですよ! 榊警部!」
 連絡を取った途端これだ。
 榊はいつも通りの鬼童のせっかちぶりに苦笑を浮かべながら言った。
「一体あわてて何があったって言うんだね」
 しかし、次の一言で、榊ののんびりした気分は一瞬で吹き飛んだ。
『警部! 麗夢さんとヴィクターが何者かにさらわれました!』
「え? なんだって?」
 信じられぬ情報に思わず聞き返した榊の問いを無視して、鬼童は決定的な一言を榊の耳に叩きつけた。
「しかもシェリーちゃんが行方不明なんです! 警部!」
 何があったのか判らないが、これは十分あわてるに足る事態だった。榊は、既に見えなくなっていた将軍の残像を追いつつ、これを知らせるべきかどうか、数瞬迷った。
「すぐ来て頂けますか! 場所は……」
 榊の心情などお構いなしに、鬼童は事件現場についてまくし立てた。職業柄直ちに手帳にその情報を書き記す内に、榊はまずは真相究明が先決、と迷いを振り切った。何も判らないうちにそのことだけ耳に入れてもしょうがない。十分に情報を集めた上で、将軍には知らせるべきだろう。榊はそう決断すると、一刻も早く、とせかす鬼童に言った。
「30分でそこに行く。動かないで待っていてくれ!」
 榊はここから東大阪市までのルートを頭に描きながら、携帯電話の通話を切った。これから暴走するからには、一言大阪府警にも連絡を入れておいた方が良かろうなと考える余裕が、まだ榊にはあった。
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04 再会 その1

2009-04-05 09:30:47 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 まださっきの振動が身体の芯に残っているようだ、と、コーヒーカップを手にしたケンプは苦笑を浮かべた。
 全く、年は取りたくないものである。
 まだ小僧と呼ばれていた時分には、あれに倍する騒音と爆風に包まれながら、平然と前線勤務を続けていたというのに。ナチスドイツ自慢の重戦車の半分くらいしかない試作品のデモンストレーションに立ち会っただけで、体中が塹壕で集中砲火を浴びた時以上の衝撃に震えているのだ。これでは、フランケンシュタイン公国軍の栄えある陸戦部隊統合司令官の肩書きが泣くというものである。
 ケンプは手が震えないように意識しながら、コーヒーカップをそっとソーサーに降ろした。カップが小さく、かちり、とだけ鳴いてソーサーに納まってくれたことに、ケンプは小さく安堵のため息をついた。
「少しお疲れのようですな、ケンプ将軍」
 目の前の、顔半分を獣のごとくひげで覆った初老の男、榊真一郎が声をかけてきた。観察眼の鋭さはまさに職業柄と言うことだろう。全くめざとい男だ、と、ケンプは視線をその男に向けた。
「何、大したことはないですよ。少々過密日程でこのところ休まる暇がなかったんでね」
 アイパッチで片目を覆った謹厳実直そのものの顔に、苦笑めいたさざ波が起きる。榊はそうですか、と軽く相づちを打ちつつ、自分のカップをテーブルに戻した。
「確かにその様ですね。来日以来、こうしてゆっくりお話しするのは今日が初めてですからな」
「全く、もう少し余裕を持って日程を調整すればいいんだが、どうも我が国の典礼局は一分の隙なく精密にやりすぎるきらいがある」
「それはこちらでも一緒ですよ。こうして将軍が指名して下さらなかったら、私もその過密スケジュールの海で溺れるしかなかったですからな」
「なるほど、私も少しはお役に立った訳ですな」
 ケンプの顔から、わずかばかり苦味が消えた。榊は微笑みを浮かべながら、言葉を継いだ。
「それで、シェリーちゃんはその後いかがですかな?」
 その名前が耳に届くや、ケンプの目尻がみるみる下がった。ほほえましいことだ、と榊の心にも暖かい波がゆっくりと打ち寄せる。
「おかげさまで、目が見えるようになってからは見違えるほど元気になりましてな。少しおてんばに過ぎると困っているくらいですよ」
 そう言いつつも、ケンプの顔は今や幸せそのものの笑顔で溶けている。世界中でこの顔を見られる人間は、ほとんど片手で数えられるくらいしかいない。激戦をくぐり抜け、非情な鬼司令官として鳴らしてきた男が、ふっと気を許す瞬間である。
「それは良かった。私からもおめでとうと言わせて下さい」
「や、ありがとう。あのときは貴方にも色々ご迷惑をかけて申し訳なかった」
「いえ、私など何もしていませんよ。それにしてもヴィクター博士の腕は大した物ですな」
「……ええ、わが国が世界に誇りうる頭脳ですよ」
 人造人間ジュリアンを巡る騒動もあって、一時ケンプはヴィクターのことを蛇蝎のごとく忌み嫌っていた。ヴィクター・フランケンシュタインは、軍の貴重な資金を訳の分からぬ研究で湯水のごとく浪費した上、村一つに甚大な被害を出し、あまつさえケンプがこの世で最も大事と思っている孫娘、シェリーを危険にさらした張本人なのだ。それでも表面上こらえていたのは、相手が国王フリードリッヒ・フランケンシュタインIV世陛下の甥御だったために過ぎない。だが、このままヴィクターが罪にも問われず、のうのうとあの陰気なフロイト城で過ごしていたなら、ケンプはただではすまさなかったであろう。最悪、自分に絶対忠誠を誓う部下達を率いて、ただヴィクター断罪のためだけにクーデターを起こしていたかも知れない。それほど、ケンプのヴィクターに対する怒りはすさまじい物があった。
 その怒りが和らいだのは、勿論シェリーの目の手術をヴィクターが成功させたことにある。このときも、ケンプはヴィクターの執刀に激しい抵抗を示し、親権者として首を縦に振ろうとしなかった。それを榊や麗夢に説得されて渋々承知したのである。もっとも、本当にケンプの心を動かしたのは、シェリーの「おじいちゃんの顔が見たい」という一言だったのだが。
 それだけに、実際にシェリーから痛々しい包帯がとれ、ほとんど恐怖に近い不安でのぞき込んだケンプの顔を見て、シェリーがにっこり笑いかけたときは、文字通り神の御言葉を直接聞いたかのような感動に打ち震えた。部下の前では絶対に見せることの無かった涙を、まだ機能する右目から、ただひたすらに流し続けたのである。そのシェリーは、リハビリが進んで目を保護するためのサングラスを付けずに済むようになってからは、目にする物全てを吸収するかのように、11歳の少女にふさわしい活発な好奇心を満面に現して軽やかに飛び回っていた。こうしてようやく、ケンプは心を痛める心配から解放されたのであった。
 このおかげで、ケンプのヴィクターに対する不信と憎しみはかなりの部分昇華された。実のところ、ケンプの実直な職業軍人としての意識に、まだちくちくと感じるところも無いではない。それでも今回ヴィクターにシェリーを預けたのは、遙かに強化された信頼が、そんなわだかまりをも超えるほどに醸成されたからに他ならなかった。
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03 捜索 その4

2009-04-05 09:18:52 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 鬼童とアルファ、ベータがそれぞれの調査を終え、例の間違えた交差点に差し掛かった時である。一人と二匹の目の前を、この路地では危険としか思えない猛スピードで、三台の黒いリムジンが走り去った。にわかに募る不安に足を急がせた鬼童達だったが、ようやく遠く狭い道を塞いだ黒い車が見えた辺りで、アルファとベータが麗夢の異変を感知した。この二匹は、常に麗夢の精神波動をキャッチして、無事かどうかを確かめることが出来る。そして今、二匹が感知したのは、極めつけのエマージェンシーコールだった。
「にゃん!」
「ワン! ワンワンワンワンっ!」
 途端に、アルファとベータが脱兎のごとく走り出した。その様子を見ていた鬼童も、大慌てに走り出す。だが、車は鬼童達が到着するのを待つこともなく、おもむろにエンジン音を高めると、次々と前に向いて動き出した。
「待て!」
 鬼童は必死に叫んだが、三台の車はそんな鬼童に見向きもせず、紫煙に似た排ガスを通りに残して、見る間に走り去った。
「くそっ!」
 いくら何でも車と人の足ではスピードが違いすぎる。それでも五〇メートルほど追いすがったが、こんな下町の路地を客待ちタクシーが走ってくるわけでもなく、といってさっきの工場まで戻って車を出す頃には、もう杳として行方は判らなくなるだろう。鬼童は無念のほぞをかんだが、やがてベータがしきりに尻尾を振るのをみて気を取り直した。ベータの鼻先に、見覚えのあるものが落ちている。しゃがみ込んだ鬼童は、ポケットからハンカチを取りだして、慎重にそれを拾い上げた。思い切り踏みつけられたのか、明らかにその形は変形していたが、それは確かに友人の所有物だった。
「ヴィクターの眼鏡だ。ベータ」
「ニャーン!」
 今度はアルファが、その側で鬼童を呼んだ。鬼童がそちらに振り向くと、これも見慣れたこの世でもっとも大事な人の持ち物が目に入った。アルファの可愛い前足の先に、鮮やかな朱色を輝かせた、右足の靴が転がっていたのである。
「ヴィクターと麗夢さんがさらわれたのか?」
 鬼童の胸に、無音の戦慄がきしみを上げた。
「くうん」
「一体誰が二人を?」
 それにシェリーちゃんだ。
 まだ関係があるかどうか判らないが、あまりに唐突なヴィクターの誘拐劇は、シェリーをも巻き込んだのではないか、という疑問を鬼童に抱かせた。
 鬼童は静かにたぎる怒りを胸に立ち上がった。相手が誰かは判らないが、こういうときもっとも頼りになる人物が、この大阪に出向いているのを鬼童は知っていた。
 鬼童は急いで携帯電話を取りだした。
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03 捜索 その3

2009-03-29 10:20:14 | 麗夢小説『向日葵の姉妹達』
 大阪の下町では、金髪の少女は一際目立つのではないか。
 シェリーの姿は、まさに「可愛らしい西洋人形みたいな」女の子その物だ。ちらりと見かけただけでも、かなり強い印象を見た人に残すことが出来るだろう。麗夢とヴィクターはすがる思いで目撃者を求め、暑い通りを進んでいった。
 やがて、二人の目の前に、小さな広場が現れた。まばらな木がわずかな木陰を作り、古ぼけた遊具が辛うじてここが公園であることを教えてくれる。ここでようやく、待望の目撃者を二人は得た。 
「み、見たんですか?! その女の子!」
 家の前に水をまこうとホースを引っぱり出してきていた一人のおじいさんへ、麗夢はつかみかからぬばかりに問いかけた。
「あ、ああ、確かにこの公園におったよ。あのイスに座って」
 おじいさんはランニングシャツにステテコ姿という実にラフなスタイルで、水の出ていないホースの先を公園のベンチに向けた。
「で、どうしました?」
「もう一人と仲良ぅ手ぇ繋いで、あっちに歩いていったけどな」
 ホースの先がくるりと向きを変え、麗夢達が来たのと反対の方角を指し直した。が、麗夢はシェリーの行方よりも、その前の一言に耳を奪われた。
「もう一人って、一体誰なんです?」
「そんなん儂も知らんて。でも、こっちも可愛らしい女の子やったな」 
「女の子?」
「その、髪の毛を二つ束にした子ぉよりちょっと年かさに見えたけど、これもお人形さんみたいな子やったで」
「どんな子でした? 服とか、髪型とか、何でもいいんです。教えて下さい」
「そうやなぁ……」
  麗夢は、たどたどしく語られるその謎の少女の風体を聞いているうちに、そんな馬鹿な、と自分の想像を即座に否定した。
(それって、まるで……)
 もちろんそんなことがあり得るはずがなかった。
 麗夢の頭に去来した少女の正体は、生身の人間ではなかったからだ。
 まだ記憶も生々しい一年前。
 東京のライフラインを管理するために開発されたスーパーコンピューターグリフィンの三次元インターフェイス。
 屋代修一という一人の天才プログラマーが驚異的な演算能力を誇るグリフィン上に生み出した、完全無比な女子中学生シュミレーション。
 だが彼女は、屋代の致命的なプログラムミスによって暴走し、ドリームハッカーを名乗って東京を死の都に変えようとした。だから麗夢と円光が死力を尽くして戦いを挑み、最終的に、グリフィンごと破壊したのである。故にそれが謎の少女であるはずはない。仮にそのプログラムが何らかの原因で残っていたとしても、そもそもコンピューター上のプログラムが、現実世界でシェリーを拐かし、手を繋いで歩いていくはずがないのだ。
 麗夢は、どう考えてもあり得ない想像を振り払うと、おじいさんに礼を言い、憔悴しきったヴィクターに振り返った。
「とにかく、もう少し足取りを追いましょう。あ、鬼童さんに連絡しないと……」
 そう言って麗夢がポケットから携帯電話を取りだそうとしたその時。麗夢達が歩いてきたその方角から、道一杯に広がるように三台の黒塗りのリムジンが現れ、麗夢とヴィクターを囲い込んで停止した。
「もし、あなたはヴィクター・フランケンシュタイン博士ですな?」
 ぎょっとして固まっていたヴィクターの脇で、中央に位置する車の後部ドアの窓がするすると開き、その向こうに一人の老紳士が現れた。年の頃ならもう八〇はいっているだろうか。やせぎすの干涸らびた顔に、これだけは異様に精気あふれる視線が、射すくめるようにヴィクターに注ぎ込まれた。ヴィクターはその様子に、今もっとも顔を合わしたくない人物を思い起こして内心怖気を振るった。
「確かに私はヴィクター・フランケンシュタインだが……」
 ようやく金縛りを解いたヴィクターが辛うじて答えると、その老紳士は口だけ穏やかな笑みを浮かべ、ヴィクターに語りかけた。
「初めてお目にかかることができて光栄や、フランケンシュタイン博士。突然で失礼やが、是非この年寄りの話を聞いてくれんやろか」
「あ、後にしてくれないか。僕は今ゆっくり話をしていられる状況じゃないんだ」
「それは儂も同じ事。この機会に、是が非でも話を聞いてもらわな」
 急に視界が陰ったのにヴィクターは気が付いた。はっと振り返ると、自分とそう変わらない上背のある男達が四人、前後の車から降りたって、ヴィクターと麗夢を取り囲んだ。
「誰? 貴方達」
 この暑いのに全身黒づくめのスーツで固め、ご丁寧に漆黒のサングラスまでかけている。怪しさと言う点ではこの上ないいでたちである。しかも、そのスーツの下には、まるで海兵隊かアメフト選手ばりの筋肉が隠れているのが外観からも見て取れる。
「お嬢さんには関係ない。さあ、フランケンシュタイン博士、儂は手荒な真似はしとうないんや。ご多忙のところ申し訳ないんやが、大人しゅう車に乗って頂けんか?」
 その間にもじりじりと男達の包囲網が縮んでくる。麗夢は油断無く視線を走らせ、老紳士の座席の奥を見てはっと息を呑んだ。この世にありえないものが、そこに鎮座していたからだ。
「ろ、ロム?!」
 外観は全く似ても似つかない姿だった。豊かな髪は黒いストレートで、衣装も白の素っ気ないワンピース。だが、幼げな顔立ちは明らかに見覚えのあるあの顔だ。この喧噪にあって無表情に前を見つめているばかりだが、それは去年確かに屋代邸で葬ったはずのグリフィン3次元インターフェース、ドリームハッカーROMの顔立ちに他ならなかった。
 でもどうして? 
 彼女はしょせんプログラムで実体など無い。
 だが目の前で可愛い紅葉手を膝の上にちょこんと載せているその姿は、間違いなく実体を持って、陰影を浮かべている。
 よく見ると、額にうっすらと汗すら浮かべているようでもある。シートの沈み具合と言い、服の皺と言い、とてもCGやレーザーホログラフとは思えない、現実感あふれる姿だった。
「ほう? お嬢さん、何か知ってはるようやね。関係ない思とったけど、あんたにも来ていただこうかの」 
 老紳士の言葉が終わらない内に、麗夢の口元に何重にも重ねられたガーゼが突然押し付けられた。
「しまっ……!」
 あり得ないロムの姿に気を取られ、不覚にも麗夢は、背後に迫る脅威に気づくのが遅れた。
 有機化合物の刺激的な匂いが鼻をつく。
 それでも必死にもがいた麗夢の目に、ヴィクターが二人がかりで取り押さえられ、同じようにクロロホルムの染み込んだガーゼを口元に押し付けられているのが映った。が、それ以上は麗夢は何もできなかった。がっくり脱力した身体は、厳つい黒づくめに抱き抱えられて黒いリムジンに吸い込まれ。リムジンは何事もなかったかのように、再び狭い道を走り出していた。
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