気温が高い。昼過ぎ3℃。
雪緩む。家の周りの除雪。気分がよい。
夕方秋元湖に散歩。
色を失った、墨絵のような秋元湖の風景が美しい。
雪の中の生活、人一倍春の到来、その忍び寄る足音に耳をそばだてる・・・
そんな春を探しに福島の花見山に行く。
園に近づくや濃密なロウバイの香り、あぁ、確実に春がやってきつつある、と思ったが・・・
今年はどうしたことか、そのロウバイはまだほとんどつぼみ、一分咲き、こんなことがかってあっただろうか。
マンサクもまだ固いつぼみ、今年の春の訪れはいったい、
春は必ずやって来るのだけれど・・・
山用のGPSアプリを調べていたら、偶然カシミール3Dというfreeソフトの存在を知る。試しにPCにダウンロード、早速試してみた。そしてこんなfreeソフトが存在することに愕く。
カシミール3D地図上で若い頃歩いた北アルプスを詳細に辿る。稜線、谷、渓谷、峰峰、拡大、縮小しながら。あぁ、荒れ谷高瀬川に今では高瀬ダム、七倉ダム、2つもダムができている。
東京オリンピックの年、昭和39年の初夏、信濃大町より高瀬川を遡り、濁り沢出会いで幕営、梅雨末期の豪雨、あっという間に沢に架かるトロッコの橋は濁流に流され、本流では濁流に押し流される巨岩がぶつかり合う音がまるで落雷のように谷間に轟く。
巨岩が水中でぶつかり合い火花を散らす、濁流があちこちで光りを発する、物理的にありえることだろうか?だが自身信じられないと思いつつも、まぶたにその光景がありありと浮かぶのである。
その後も悪天候続き、雲の平までが精一杯。槍、上高地の時間はない。
伊藤新道・・・夢中で降った、だが実に不思議な、現実離れした夢の世界を彷徨ってのような、それでいて半世紀前に通った道とは思えないほど部分的ではあるが鮮烈な記憶として残っている。
辿るカシミール3D、三俣蓮華岳から湯股川に降るその伊藤新道のルートを辿る。地図上道は存在している。
だが、実際調べれば昭和58年に廃道になってしまた。
湯股川に架かっていた5本の吊橋もすべて落ちてしまったのだろう。実に惜しい、単に三俣蓮華への最短距離というだけではない、夢のような山深い魅力ある山道であった。
できれば伊藤新道を遡り、天上の楽園、雲の平に行ってみたい・・・と激しく思う。
DIY GPSにカシミール3Dを入れたiphoneを持って伊藤新道から雲の平に行ってみようか、だがこれは体力的にまったく無理、空想するだけにしよう。(写真 1964年7月14日の伊藤新道)
夜半から降り出した雪もあがり、昼近くには青空。
青空に新雪がまぶしい。
久しぶりに秋元湖、遥か遠い氷上にはワカサギ釣りのテント、巻き上がる雪煙、白くそびえる箕輪山、
きょうは何かいいことが、そんな気がしてくる。
じっとしていられぬほど気分がよい。
郡山に行く。磐越道は雪、雪道にもかかわらず皆80㌔以上のスピード、すごいなと毎度思う。
郡山のインターチェンジは渋滞、雪のためだろうか、一つ先の郡山東で降りる。
買い物を終え、帰路も磐越道、だが磐梯熱海、猪苗代間事故のため通行止め、あのスピードでは事故も起ころう、と思う。
下道、R49は渋滞、そこで久しぶりに母成峠を越える。ほとんど行き交う車はない。
静かな雪道を楽しみながらゆっくり、ゆっくりと吹雪の峠を越える。
一面の雪の原になってしまった甲府沼、3月いっぱい雄大な景色に囲まれた、
甲府沼はワンちゃんたちが飛び回れる、それは素敵なプライベートドッグラン・・・
気温が春の日のように高い、といっても1℃。雪はぐずぐず、始末が悪い。
昨年の夏を越した窓辺のシクラメンが花盛り、今年も咲いてくれた・・・
日本では鉢植えがほとんど、街の冬の花壇、葉牡丹ばかり目立ち、シクラメンを見た覚えがない。
比較的温かい気候の日本、不思議な気がする。
このごろ大塚博堂、村下孝蔵のCDを暇さえあれば聴いている。
村下のアルバムGUITER KOZO、中でもとりわけ初恋、春雨、特に春雨はにいたってはもう・・・
博堂、Memorial Best、ダスティン・ホフマンになれなかったよ、めぐり会い紡いで・・・
いずれもごく最近知った人、そして悲しいことにいずれもあの世の人、自分よりずっとずっと若くしてあの世の人に。
それゆえことさら心に染み入るのだろうか・・・
昼の気温2℃、温かくまるで春のように感じる。
ちょっと動くと汗をかく。
屋根からの落雪でストーブの煙突が飛ぶ。
梯子を出したり、部品を探したりでおよそ2時間、雪の中もぐりながら煙突取り付け作業。
2階の軒先の樋が邪魔して雪がまっすぐ落ちないのが原因のようだ。
冬前に樋をはずすべきだった、今悔いても遅い。今年の秋には必ず、と今は思うが、はたして・・・
毘沙門沼からの磐梯山、春霞がかかったかのように朧に霞む。
やっと雪が止んだ。気温0℃、とても暖かい。屋根の雪、およそ半分ほど落ちる、今年は除雪作業中の事故が頻発している。通常以上に注意せねば。
落ちたところから除雪開始、昨日の猛烈な雪は水分を含んだ思い雪、除雪作業も手間取る。
明日はさらに気温があがるらしい。屋根の雪、ボイラー室の庇から6,70cmせり出した雪もすべて落ちることだろう。
さぞ気分もよかろう・・・
窓辺のロックヒル・ピーチティーが早くもほころびようとしている。
雪の毎日、ほとんど日照がない。それなのにけなげに花を開かそうとしている。
一輪一輪、花は小さいもののとても貴重なバラ、冬のバラ。
冬にバラはいりません。5月に雪がいらないように・・・誰かの言葉にありましたね。
冬、無理にバラを咲かせる、欲張りすぎかな・・・
一時期、モームの小説を夢中になって読みふけった、そんな若い頃があった。人間の絆、月と6ペンス、要約すると、コスモポリタンズ、レザーズエッジ、お菓子と麦酒、雨、手紙・・・
特に人間の絆は何度読み返したであろうか、4冊(中野好夫訳 出版当時の新潮文庫は4分冊であった)の文庫本がボロボロになるまで。これほど何度も読んだ本も少ない。
主人公、フィリップが画学生としてパリで生活していたとき、サロンで入選したスキャンダラスなマネのオランピアが画学生の間でよく話題になる。
フィリップ自信もオランピアの絵の前でジョコンダ(モナリザ)を観たいという友人に、彼自身信奉したばかりの革新的見解を滔々と述べ立てる。
君、ジョコンダは文学に過ぎんよ。オランピア一枚さえあれば古い大家連中は一切合切くれてやってしまってもいい。ただ例外はベラスケスとレンブラントとフェルメール。
フリップ(モームといっていいかもしれない)にそう云わしめたオランピアとはいったいどんな絵か、当時私は見たことがなかった。いったいどんな絵なのだろうか?
その後、複製画でオランピアを見、本物はオルセーに存在することも。
数年前、オルセーを訪れる機会があった。何はさておきオランピアを、一目散、だが馬鹿なことだ、いつもあるべきオランピアの壁は空白、小さな複製画と貸し出し中文字が・・・
草上の昼食とは対面したものの・・・
今年のイタリアの旅・・・ナポリのホテルの部屋に入るや、思わずぎょっとする。なんと・・・
それはベッドの上の壁一面にオランピアの模写が描かれていたからである。憧れのオランピア・・・
実際のオランピアのサイズはおよそ130 cm × 190 cm、壁の模写は一回り大きく、さらに左右逆に描かれている。どうして逆に描いたのだろうか?
ナポリの2日間、このオランピアとにらめっこする事になる。(ホテルの壁に描かれたオランピア、写真ではつぶれてしまっているが黒猫もちゃんと描かれている)
時々窓の風景が霞むほどの激しい降雪。
家にじっとしている。
退屈を紛らわすためか、妻があらさとからいただいたそば粉を見つけ、昼は蕎麦をつくるという。
10数年ほど前、会津若松で蕎麦名人の指導による蕎麦打ち教室に参加したことはあったが・・・
初めて打った蕎麦、その出来ばえたるや・・・ひどいものだった。
もう蕎麦の殿様になりたくない。食べられる蕎麦を打ってくれよ、といい加減に返事。
ところがどうだ、蕎麦100㌫、繋ぎナシ、一時間もしないで出来上がった蕎麦、ちょっと短いものの、うまい。
蕎麦打ちの道具無しで、天才、ほめすぎか。あらさとのそば粉がよかったのだろう。一口食べ、写真に収める。
それにしても休業中のあらさと、早急に再開してほしい。あらさとの蕎麦が食べたい、あらさとで酒を飲みたい。