学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「ヒューマンライツ・ナウ事務局長」

2012-02-25 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月25日(土)23時49分51秒

伊藤和子氏は弁護士だそうですね。

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気仙沼市の西八幡前仮設住宅、小原木小学校住宅、旧月立小学校住宅の合計3箇所がハザードマップ上、土砂災害の危険地域と指定された場所に建設されている。
西八幡前仮設住宅住民によれば、入居から2か月ほど経過した頃に市の職員が訪れ、ハザードマップであることを告知した文書を手渡され、その場面を写真撮影され、市職員はそのまま説明せずに帰ったが、その後によく読んで初めてそのような危険地帯の仮設住宅であるとわかり衝撃を受けたという。危険に脅えながら暮らしている住民は、「津波の被害を受けたのに今度は山津波の危険と隣り合わせ」と嘆いている。
山の斜面に接した同仮設住宅は日当たりが悪く、「土台はべニアにタイル張りで、畳も敷かれずカーペットを敷いているが、布団で寝て起きると布団が著しく濡れている」「結露やカビも生じやすい。扉が凍って外出から帰ってきても扉があかないこともある」と住民は訴える。工事の手抜きのために部屋に隙間があいていて、家の中から外が見える状態で、市民団体が見かねて応急措置を講じたという。水道管が破裂して流れた水で、仮設住宅の前の道路面は長らく凍結していた。この仮設住宅にも食糧支援や医師・看護師の訪問支援もなく、仮設住宅のかくも劣悪な状況にあるにも関わらず、行政による対応はなされていない。
政府は、仮設住宅に対する寒さ対策として、畳の設置、断熱材の追加、水道管等の凍結防止(水抜き、断熱材追加、凍結防止ヒーター整備)を災害救助法上の国家補助の対象となるとするが(厚生労働社会・援護局 社援総発0928第1号等)、気仙沼市ではこうした寒さ対策は実現しないまま水道管凍結・破裂等の事態を迎え、未だに対策は不十分である。
(中略)
被災地では支援格差が深刻化している。被災地のなかには、行政の対応やボランティア組織の対応により、比較的支援が届いている仮設住宅も存在する。同じ宮城県でも石巻市では気仙沼では一切認められていない畳が敷かれており、移動が困難な仮設住民への移動支援もきめ細かい。
(中略)
「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」「西八幡前仮設住宅」の住民はヒューマンライツ・ナウ調査チームに対し「ここは姥捨て山だ」と訴えたが、仮設住宅のあまりにも過酷な条件、そして行政の対応の欠如が、被災者にそのような感想を抱かせている。
 声を挙げにくい立場に置かれた被災者にひたすら我慢と犠牲を強いたままでは、真の復興はありえない。
 国、宮城県、気仙沼市はこうした住民放置の実態を速やかに調査し、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が実現するよう、緊急の対策を講じるべきである。

http://hrn.or.jp/activity/topic/1-2/
http://worldhumanrights.cocolog-nifty.com/blog/

「西八幡前仮設住宅、小原木小学校住宅、旧月立小学校住宅」のうち、私は小原木(こはらぎ)小学校の近くには行っています。
「ハザードマップ」にどのように書かれているかは知りませんが、「津波の被害を受けたのに今度は山津波の危険と隣り合わせ」というのはちょっと変な感じがしますね。
本当に危険だとしたら、そのような場所に長期間小学校を設けていたことの方が重大問題でしょうね。
リンク先のブログに写真が出ていますが、あまり危機感は感じられません。
http://green-mapnikki.seesaa.net/article/222593010.html

月立小学校には公式サイトがありますが、「本校の概要」を見ると、

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学区は気仙沼の市街地から北西10kmほどに位置した宮城県の北端にある。南北8kmに広がる八瀬地域と呼ばれている地域で,その中央に本校は位置している。校舎は平成18年に新築移転し,光と風をテーマとした温かみのある明るい木造校舎である。現在の校舎の南側には,大正11年に建てられた木造2階建ての旧校舎があり,文化庁の有形文化財に登録されている。
http://www.k-macs.ne.jp/~tuki-s10/

と書かれていて、トップページの写真と照らし合わせてみると、旧校舎近辺が特に危険とは思えないですね。
仮設住宅を撮った写真を見ても、同様の印象を受けます。
http://mission-swtj.blogspot.com/2011_11_01_archive.html

「西八幡前仮設住宅」がどれほどの傾斜地にあるのか、ネットでも適当な写真が見つからないのでよく分からないのですが、小学校は地域の中ではむしろよい土地にあるのが一般的じゃないかと思います。
もともと山が海に迫っていて平らな土地が少ない中で、でも子供のために頑張って良い土地を確保しました、という場所が多いんですね。
だから、小学校の敷地の仮設住宅が危険だ、というのはにわかに信じがたいですね。
気仙沼も暫く行っていないので、ちょうどよい機会だから、近いうちに「西八幡前仮設住宅」を含め、三か所を実際に見てみたいと思います。
ところで、伊藤和子氏は気仙沼市に比べて石巻市は行政の対応が良いように書いていますが、仮に石巻市の雄勝町あたりを訪問していたら、ずいぶん違った印象を受けたんじゃないですかね。
気仙沼市の行政担当者も厳しい状況の中で頑張っているのに、「国、宮城県、気仙沼市はこうした住民放置の実態を速やかに調査し、憲法が保障する「健康で文化的な最低限度の生活」が実現するよう、緊急の対策を講じるべきである」などと居丈高に言われると、わずか二日程度駆け足で眺めただけで偉そうなことを言うな、と怒り出すんじゃないですかね。
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「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」

2012-02-25 | 歴史学研究会と歴史科学協議会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月25日(土)23時05分19秒

保立道久氏のブログを見たところ、「ヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子」氏の「東日本大震災からまもなく1年、今も「生存」が脅かされる仮設住民たち」という文章がそのまま転載されていました。

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1 東日本大震災からまもなく1年が経過しようとしている。
各自治体が復興計画を策定する陰で、支援が遅れ、存在すら十分に知られていない孤立した仮設住宅があり、被災者は未だに「生存」が脅かされている。そして、こうした事態は冬の寒さとともに深刻さを増している。
2 国際人権NGOヒューマンライツ・ナウは、2012年2月18日、19日の二日間にわたり、宮城県気仙沼市の仮設住宅、なかでも地元住民が「特に深刻だ」と訴える仮設住宅を訪問した。
 ヒューマンライツ・ナウ調査チームが訪れた「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」は、傾斜の厳しい山間に位置し、車がないと市街地への移動は困難である。
 しかし、最寄りのバス停までは1kmほどで、街灯も十分に設置されていない。住民は「夜は真っ暗だし、周辺には熊、鹿、まむしがいて外出するのが本当に怖い」と、実情を訴える。
 この仮設住宅に入っている56世帯中、36世帯が独居老人というが、行政からは食糧支援や医師・看護師の訪問支援は全くない。
 集会場に顔を出す住民は80名中10名くらいに過ぎないが、引きこもった住民への心のケアや、孤独死対策も行政はほとんど講じていない。
 車等の移動手段のない高齢者・障がい者への移動支援も全くなく、こうした人々は、通院のために有料・高額の介護タクシーを利用せざるを得ず、所持金を使い果たしていく状況という。
 この仮設住宅は山間に位置するため、周辺地域に比べて気温は5度くらい低い。ところが、暖房器具が入ったのは、昨年12月20日であったという。
 仮設住宅の水道設備の凍結防止が十分なされないまま、水道管は長らく凍結していた。この仮設住宅に限らず、気仙沼市では昨年10月末頃から水道管が凍結して使えなくなってしまうことが多いという。
 こうした事態に見かねた、地元や県外からの個人ボランティアの連日・無償の活動により食糧・物資供給等がなされ、人々の生存がなんとか支えられている状況であるが、今後どこまでそうした支援が続くのか懸念される。
独居老人の孤独死等、あってはならない事態をどうやって防ぐことができるのであろうか。
http://hotatelog.cocolog-nifty.com/blog/2012/02/1-6578.html

「赤岩牧沢テニスコート仮設住宅」は、「傾斜の厳しい山間に位置し、車がないと市街地への移動は困難」とありますが、検索すると住所は「気仙沼市赤岩牧沢138-6」ですね。

http://www.actiz.jp/mypage.html/?tid=15031

地図を見ると、ここは海から3㎞、国道45号線から1.5㎞ほど離れた場所で、近くに「リアス・アーク美術館」や気仙沼西高、病院などもあります。
国道45号線まで行けば「マイヤ」という地元の大きなスーパーもあるような場所です。
まあ、東京の感覚だと「最寄りのバス停までは1kmほどで、街灯も十分に設置されていない」のは大変な場所でしょうけど、三陸だったら驚くような話ではないですね。
もっと厳しい条件の仮設住宅はいくらでもあります。
更に検索してみると、「Global UNI Community」という団体のサイトでは、仮設住宅住民よりの支援へのお礼の手紙に、

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昨年は大変なご支援をいただき皆様の暖かい心のこもったご協力に感謝いたします。
私たちの仮説の場所は山のてっぺんに建てられていますが、すり鉢状になっている中に、9棟56世帯で住んでます。周りは草ぼうぼうでまむしや日本鹿、りす、小鳥、たまに子どもの熊などが出てきます。
http://www.npouni.net/blog/20120126-020647

とあるそうで、「周辺には熊、鹿、まむしがいて外出するのが本当に怖い」という表現は間違いではないとしても、「たまに子どもの熊」という住民の牧歌的な表現と比べると、いささか大げさではないかと思います。
三陸は、主要地方都市の繁華街を除くと、だいたいそんなもんなんですね。
まむしとか鹿とか熊とか、まあ出るんですよ。普通に。
「傾斜の厳しい山間に位置」というのも変な表現で、そもそも市営のテニスコートなんだから傾斜地のはずがないですね。
テニスというのは平らな土地でやるものですから。
一番変なのは「山間に位置するため、周辺地域に比べて気温は5度くらい低い」云々で、地図をみたらここは標高100メートル程度です。
住民の「山のてっぺん」というのもユーモアを込めた表現で、上記ブログの写真で明らかなように、実際には緩やかな丘陵地ですね。
周辺地域がどこと書いている訳ではありませんが、まあ、気仙沼市の海沿いとして、標高100メートルで気温5度違うというのはありえないでしょう。
標高1000メートルだったら50度違うという割合ですからね。
率直に言って、「ヒューマンライツ・ナウ事務局長 伊藤和子」氏は物事を誇張し過ぎです。
保立道久氏は一応、実証的な歴史学者なんだから、せめて地図を見るくらいのことをしてから紹介したらどうですかね。
どこかの市民団体から得た情報を右から左に流すだけというのは、少なくとも東京大学教授、史料編纂所元所長、歴史学研究会元事務局長という要職にある(orあった)人にはふさわしくない軽率な行為だと思いますね。
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八沢浦排水樋門

2012-02-25 | 東北にて
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 2月25日(土)19時59分56秒

2011年12月7日に訪問した「八沢浦排水樋門」(その1)(その2)をアップしました。

http://chingokokka.sblo.jp/article/54133765.html
http://chingokokka.sblo.jp/article/54153970.html

ブログの方にも書いておきましたが、八沢浦の津波被害については、「農業農村工学会災害対応特別委員会東北関東大震災特別委員会(山形大学チーム)」の以下の二つの資料が役立ちますね。

「東日本大震災における農地・農業用施設の被害─福島県浜通り地方─」
http://www.tr.yamagata-u.ac.jp/~okutake/poster.pdf
「東日本大震災現地調査報告(速報-2)平成23年5月2日」
http://www.jsidre.or.jp/newinfo/touhokujishin/yamagata.pdf

河口には次のような碑がありました。

「明治三十九年十二月岐阜県出身山田貞策氏八沢浦干拓に着手
同四十四年岸壁海口に手動式樋門八基を据付け太平洋相手の自然的悪条件を克服し三百町の美田を造成せり
その後海口閘門は年々の改修にも拘らず老朽その極に達し機能を充分に発揮し得ざるに至る
昭和二十九年三月八沢干拓土地改良区創立同時に県営かんがい排水事業として一億余の巨費をもって海口閘門六百粍及千二百粍ポンプの改修並びに新設工事に着手
本海口閘門は大豊式ケーソン工法により昭和三十五年三月竣工せり
  昭和三十五年九月十四日
    八沢干拓土地改良区
    施工 大豊建設株式会社」

大豊建設株式会社のサイトを見ると、

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1957年(昭和32年)に築島方式に代わる工法として、わが国で初めて福島県の八沢浦海口閘門に鋼殻ケーソン(当時は「浮沓」と称した。)を採用しました。 締切り・築島が不要となり、経済的で河川断面阻害率を低減できます。
http://www.daiho.co.jp/tech/nk1/technology.html

とありますね。
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