投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年12月16日(火)16時07分39秒
蓑田胸喜を慶應に招いた広瀬哲士は人名辞典の類を見てもあまり出ていないのですが、「レファレンス協同データベース」に「広瀬哲士(ひろせてつし)について知りたい」という質問があって、『岡山県歴史人物事典』(山陽新聞社、1994)に基づく回答を見ることが出来ますね。
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勝南郡瓜生原村(現津山市瓜生原)出身の仏文学者。1883(明治16)年9月9日~1952(昭和27)年7月26日。津山藩絵師広瀬台山の家系に生まれる。津山中学校の第1回生で、第一高等学校を経て東京帝国大学文科大学仏文科を卒業する。慶応義塾大学仏文科の教授となり、永井荷風らと「三田文学」を創刊。1912(大正元)年、フランスの哲学者ベルグソンの研究評論『生の進化』で文壇に登場した。1928(昭和3)年には、雑誌『仏蘭西文学其他』を創刊し、フランス近代・現代文学を紹介した。若いときから短歌にも親しみ、与謝野鉄幹、晶子とも親交があった。『イタリア全史』(相模書房 1938年)、『概観フランス史』(白水社 1938年)、『笑の観察』(三省堂 1930年)、『ルソー人生哲学』(東京堂 1943年)などの評論のほか、『耶蘇』(ルナン著 東京堂出版 1924年)などの翻訳がある。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000041509
この経歴を眺めてみても原理日本社との接点を見出すのは困難だと思いますが、予備知識があれば「フランスの哲学者ベルグソンの研究評論『生の進化』で文壇に登場」に注目することになりますね。
そして、「若いときから短歌にも親しみ、与謝野鉄幹、晶子とも親交があった」で、なるほどおそらくここで三井甲之との接点があるのか、と想像できます。
ついで国会図書館で広瀬哲士の名前で検索すると49件ヒットしますが、ブールジュ『真昼の悪魔』、テエヌ『芸術哲学』、ルナン『耶蘇』、ルソー『新生の書』、『トルストイ恋愛聖書』等の翻訳が大半で、この種の本の翻訳と原理日本社に関係があるとは思えず、結局のところやはりベルグソンの翻訳だけが唯一の接点、という感じですね。
ベルグソンの『笑い』は岩波文庫の林達夫訳しか知りませんでしたが、広瀬哲士も大正3年(1914)に『笑の研究』として慶応義塾出版局から出していますね。
林達夫訳は昭和13年(1938)なので、広瀬哲士の方が24年も先行しています。
まあ、原理日本社くらい「笑い」と縁がなさそうな集団は考えにくいのですが、広瀬哲士にとっては『笑いの研究』と原理日本社の活動は密接な関係を持っていたのでしょうね。
https://ndlopac.ndl.go.jp/F/X5DTAI32K1DI6D1BV1JGAF917JVLPDPP27NKI2XG76P88J4U5P-02891?func=find-b&request=%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%93%B2%E5%A3%AB&find_code=WRD&adjacent=N&filter_code_4=WSL&filter_request_4=&x=58&y=10
蓑田胸喜を慶應に招いた広瀬哲士は人名辞典の類を見てもあまり出ていないのですが、「レファレンス協同データベース」に「広瀬哲士(ひろせてつし)について知りたい」という質問があって、『岡山県歴史人物事典』(山陽新聞社、1994)に基づく回答を見ることが出来ますね。
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勝南郡瓜生原村(現津山市瓜生原)出身の仏文学者。1883(明治16)年9月9日~1952(昭和27)年7月26日。津山藩絵師広瀬台山の家系に生まれる。津山中学校の第1回生で、第一高等学校を経て東京帝国大学文科大学仏文科を卒業する。慶応義塾大学仏文科の教授となり、永井荷風らと「三田文学」を創刊。1912(大正元)年、フランスの哲学者ベルグソンの研究評論『生の進化』で文壇に登場した。1928(昭和3)年には、雑誌『仏蘭西文学其他』を創刊し、フランス近代・現代文学を紹介した。若いときから短歌にも親しみ、与謝野鉄幹、晶子とも親交があった。『イタリア全史』(相模書房 1938年)、『概観フランス史』(白水社 1938年)、『笑の観察』(三省堂 1930年)、『ルソー人生哲学』(東京堂 1943年)などの評論のほか、『耶蘇』(ルナン著 東京堂出版 1924年)などの翻訳がある。
http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000041509
この経歴を眺めてみても原理日本社との接点を見出すのは困難だと思いますが、予備知識があれば「フランスの哲学者ベルグソンの研究評論『生の進化』で文壇に登場」に注目することになりますね。
そして、「若いときから短歌にも親しみ、与謝野鉄幹、晶子とも親交があった」で、なるほどおそらくここで三井甲之との接点があるのか、と想像できます。
ついで国会図書館で広瀬哲士の名前で検索すると49件ヒットしますが、ブールジュ『真昼の悪魔』、テエヌ『芸術哲学』、ルナン『耶蘇』、ルソー『新生の書』、『トルストイ恋愛聖書』等の翻訳が大半で、この種の本の翻訳と原理日本社に関係があるとは思えず、結局のところやはりベルグソンの翻訳だけが唯一の接点、という感じですね。
ベルグソンの『笑い』は岩波文庫の林達夫訳しか知りませんでしたが、広瀬哲士も大正3年(1914)に『笑の研究』として慶応義塾出版局から出していますね。
林達夫訳は昭和13年(1938)なので、広瀬哲士の方が24年も先行しています。
まあ、原理日本社くらい「笑い」と縁がなさそうな集団は考えにくいのですが、広瀬哲士にとっては『笑いの研究』と原理日本社の活動は密接な関係を持っていたのでしょうね。
https://ndlopac.ndl.go.jp/F/X5DTAI32K1DI6D1BV1JGAF917JVLPDPP27NKI2XG76P88J4U5P-02891?func=find-b&request=%E5%BA%83%E7%80%AC%E5%93%B2%E5%A3%AB&find_code=WRD&adjacent=N&filter_code_4=WSL&filter_request_4=&x=58&y=10