学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

伊藤千代子と土屋文明

2015-10-19 | 石川健治「7月クーデター説」の論理
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年10月19日(月)10時05分35秒

清宮四郎から田中耕太郎に脱線中、更に脱線気味になりますが、私には少し共産趣味があるので、「京城日報」1929(昭和4)年7月23日付記事には猫にマタタビ的な感じで惹きつけられてしまいます。
記事に登場する165名には岩田義道・亀井勝一郎(文芸評論家)・島野武(元仙台市長)・「徳田久一」(球一)・「野坂参弐」(参三)・「野坂りゅう子」(龍)・福本和夫・水野成夫(元産経新聞社長)・渡辺義通(歴史学者)など、その世界の有名人がたくさんいますね。
志賀義雄の三つ前に出てくる「下田富美子」は野呂栄太郎夫人の塩沢富美子のことですが、塩沢著『野呂栄太郎とともに』(未来社、1986)には東京女子大で知り合った伊藤千代子という人物が出てきて、第三章のタイトル(「上級生伊藤千代子」)にもなっています。
「京城日報」記事には「東京女子大学から三名の共産主義者犯人を出したがその三名の共産主義犯人中二名までも裁判官の令嬢であることは注目に値する」とありますが、伊藤千代子(記事ではチヨ子)は「裁判官の令嬢」ではない三番目の人ですね。
伊藤は逮捕された後、24歳の若さで市ヶ谷刑務所内で病死してしまいますので、共産主義運動史上の特別な業績はありませんが、歌人・土屋文明が諏訪高等女学校で教員をしていたときの教え子で、土屋文明に「高き世をただめざす少女等ここに見れば 伊藤千代子がことぞかなしき」という歌があります。
ま、私も土屋文明の歌でこの人の名前を知ったのですが、どういう人かはよく分からず、しばらく後になって『野呂栄太郎とともに』を読んで、やっと一応の知識を得ました。
「千代子こころざしの会」という団体のサイトを見ると、1997年には郷里の諏訪に顕彰碑が建てられたそうですね。

http://www.lcv.ne.jp/~tiyoko17/index.html

『万葉集私注』全20巻で有名な土屋文明(1890-1990)はアララギ派の重鎮の、まあ今の目から見れば少し古風な歌人で、特に共産主義に好意的だった人でもありませんが、昭和初期には、

小工場に酸素溶接のひらめき立ち砂町四十町夜ならむとす

といった社会派っぽい歌も作っていますね。

土屋文明(「群馬県土屋文明記念文学館」サイト内)
http://www.bungaku.pref.gunma.jp/profile
コメント
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