投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年12月24日(日)11時51分11秒
昨日までの投稿で二条師忠を良基の祖父と書いていましたが、これは曾祖父の誤りでした。
二条家の家祖・良実から良基までの系譜は、
二条良実(1216-71)
二条師忠(良実男、1254-1341)
二条兼基(良実男、兄師忠の養子、1267-1334)
二条道平(兼基男、1287-1335)
二条良基(道平男、1320-88)
となっていて良基の祖父は兼基であり、師忠は兼基の実兄かつ養父なので、良基から見ると曾祖父になりますね。
一応修正しておきましたが、見落としがあるかもしれません。
さて、前斎宮・西園寺実兼・二条師忠の奇妙な三角関係について、井上宗雄氏は、
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この実兼らとの関係は何によったのかわからない。小説的な話のようでもあるが、照明なども乏しい往時には、こういう悲喜劇も間々あったのであろう。
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と述べられていますが(『増鏡(中)全訳注』、p233)、問題の本質は照明の有無ではありません。
今まで私は堀川具親が後醍醐帝の御所から大納言典侍を盗み出した話や岡本関白・近衛家平の男色の話、そして後深草院と異母妹・前斎宮の一夜限りの交情の話など、『増鏡』からかなり変な話を択んで紹介してきましたが、『増鏡』の主軸は鎌倉時代の公家社会の変動をトータルに描いた格調高い歴史物語であって、愛欲エピソードはあくまで添え物です。
しかし、添え物とはいえそれなりに面白い数々のエピソードの中で、この前斎宮・西園寺実兼・二条師忠の三角関係ほどシュールな脱力感、どーでもいいだろ感に溢れたエピソードは珍しく、何でこんな話をわざわざ入れたのかが不思議です。
そして、それは作者を二条良基ないし良基関係者と考える研究者の場合、きちんと検討すべき課題です。
現代の歴史研究者はあくまで歴史的事象の客観的な観察者であって、例えば大久保利通の孫である近代史研究者の大久保利謙氏が明治維新を描く場合、大久保利通がご先祖様だからという理由で、実際の役割以上に大久保利通だけ偉大な存在のように記述することはありません。
井上馨と桂太郎の孫である井上光貞氏は古代史研究者ですが、仮に井上氏が近代史を描いたとして、井上馨と桂太郎を客観的根拠なく称揚すれば研究者仲間から笑われます。
飛鳥井雅道氏は飛鳥井伯爵家の御曹司として生まれた人ですが、仮に客観的根拠なく「明治大帝」に飛鳥井家の一族がこんなに貢献しました、みたいな話を書いたら、左翼的な研究者仲間からだけでなく、研究者の世界そのものから放逐されてしまったはずです。
しかし、『増鏡』の時代には歴史物語の筆者には歴史叙述の客観性といった研究者倫理は全くありませんから、それなりに事実に即して書こうという立場の人であっても、その人の身分・家柄といった主観的事情がある程度反映するのが自然です。
まあ、先祖に誉めるべき事績が全くないのだったら、その種の事績を捏造するのはためらうかもしれませんが、先祖の愚行や不名誉な話をわざわざ載せるはずはないと思います。
そう考えると、二条良基が『増鏡』の作者だとする木藤才蔵氏らの研究者は、『増鏡』に描かれた二条師忠像についてそれなりに検討を加えるべきだったはずなのですが、その種の考察はなされていないようです。
そして、二条良基監修者説の小川剛生氏の場合、更に深刻な問題を抱えています。
大久保利謙(1900-95)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E8%AC%99
井上光貞(1917-83)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%85%89%E8%B2%9E
飛鳥井雅道(1934-2000)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E9%9B%85%E9%81%93
昨日までの投稿で二条師忠を良基の祖父と書いていましたが、これは曾祖父の誤りでした。
二条家の家祖・良実から良基までの系譜は、
二条良実(1216-71)
二条師忠(良実男、1254-1341)
二条兼基(良実男、兄師忠の養子、1267-1334)
二条道平(兼基男、1287-1335)
二条良基(道平男、1320-88)
となっていて良基の祖父は兼基であり、師忠は兼基の実兄かつ養父なので、良基から見ると曾祖父になりますね。
一応修正しておきましたが、見落としがあるかもしれません。
さて、前斎宮・西園寺実兼・二条師忠の奇妙な三角関係について、井上宗雄氏は、
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この実兼らとの関係は何によったのかわからない。小説的な話のようでもあるが、照明なども乏しい往時には、こういう悲喜劇も間々あったのであろう。
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と述べられていますが(『増鏡(中)全訳注』、p233)、問題の本質は照明の有無ではありません。
今まで私は堀川具親が後醍醐帝の御所から大納言典侍を盗み出した話や岡本関白・近衛家平の男色の話、そして後深草院と異母妹・前斎宮の一夜限りの交情の話など、『増鏡』からかなり変な話を択んで紹介してきましたが、『増鏡』の主軸は鎌倉時代の公家社会の変動をトータルに描いた格調高い歴史物語であって、愛欲エピソードはあくまで添え物です。
しかし、添え物とはいえそれなりに面白い数々のエピソードの中で、この前斎宮・西園寺実兼・二条師忠の三角関係ほどシュールな脱力感、どーでもいいだろ感に溢れたエピソードは珍しく、何でこんな話をわざわざ入れたのかが不思議です。
そして、それは作者を二条良基ないし良基関係者と考える研究者の場合、きちんと検討すべき課題です。
現代の歴史研究者はあくまで歴史的事象の客観的な観察者であって、例えば大久保利通の孫である近代史研究者の大久保利謙氏が明治維新を描く場合、大久保利通がご先祖様だからという理由で、実際の役割以上に大久保利通だけ偉大な存在のように記述することはありません。
井上馨と桂太郎の孫である井上光貞氏は古代史研究者ですが、仮に井上氏が近代史を描いたとして、井上馨と桂太郎を客観的根拠なく称揚すれば研究者仲間から笑われます。
飛鳥井雅道氏は飛鳥井伯爵家の御曹司として生まれた人ですが、仮に客観的根拠なく「明治大帝」に飛鳥井家の一族がこんなに貢献しました、みたいな話を書いたら、左翼的な研究者仲間からだけでなく、研究者の世界そのものから放逐されてしまったはずです。
しかし、『増鏡』の時代には歴史物語の筆者には歴史叙述の客観性といった研究者倫理は全くありませんから、それなりに事実に即して書こうという立場の人であっても、その人の身分・家柄といった主観的事情がある程度反映するのが自然です。
まあ、先祖に誉めるべき事績が全くないのだったら、その種の事績を捏造するのはためらうかもしれませんが、先祖の愚行や不名誉な話をわざわざ載せるはずはないと思います。
そう考えると、二条良基が『増鏡』の作者だとする木藤才蔵氏らの研究者は、『増鏡』に描かれた二条師忠像についてそれなりに検討を加えるべきだったはずなのですが、その種の考察はなされていないようです。
そして、二条良基監修者説の小川剛生氏の場合、更に深刻な問題を抱えています。
大久保利謙(1900-95)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E4%B9%85%E4%BF%9D%E5%88%A9%E8%AC%99
井上光貞(1917-83)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E4%B8%8A%E5%85%89%E8%B2%9E
飛鳥井雅道(1934-2000)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E4%BA%95%E9%9B%85%E9%81%93