学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「唯一の目的は嫁入支度に在り」(『信濃毎日新聞』1893年8月26日)

2018-12-01 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月 1日(土)21時18分49秒

二つ前の投稿で、

-------
(1)については、少し前の「女工の出身地」という部分で、『生糸職工事情』から「女工の多くは貧しい農家の娘たち」(p91)だったとか、岡谷製糸業における「女工は、いずれも小作ないし自小作に属する貧農の出であった」(同)などと言っているのですが、『生糸職工事情』にはそんなことは書かれておらず、また、中村は「明治四三年の山梨県の一製糸工場における女工の出身階層をしらべたことがある」(同)だけで、日本全国はもちろん、諏訪の製糸工場に限っても、「製糸女工の基本的出身階層はたしかに小作貧農であること」は全然証明されていないですね。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a7f625b2fffaf3361a9cb1c002819fbe

と書いたことは、対象を黒く描いてからその黒さを批判するというやり方であり、あまり芳しいものではなかったので、公平を期すために中村の言い分は全て紹介しようと思います。
ついでに「インド以下的低賃金」に関する部分(p168以下)も紹介します。
まあ、説教臭くてビンボー臭い話がちょっと続くことになりますが、事前の毒消しとして、そうした左翼版の勧善懲悪物語とは異質な史料をひとつ紹介しておきます。
中林真幸氏の「製糸業における労使関係の形成」(『史学雑誌』108編6号、1999)からの引用です。(p21以下)

-------
  三 優勝劣敗・賞罰必至・自働自営

 最後に、諏訪製糸業と社会との結節点としての、工女の生活と心性について検討しよう。

史料二〇 〔「諏訪製糸工女」、『信毎』一八九三年八月二六日〕

唯一の目的は嫁入支度に在り 女子十一二才より二十才位に至るまで、貴賤貧富の別なく殆ど製糸工女とならざるものなく、而して其得る所の金銭は、未来に於ける事業の資本となるにあらずして、皆之れ変じて不生産的の虚飾品、即ち彼等の嫁入支度となる、希望は辛苦に克つ、彼らが星を戴いて出で月を踏んで帰へり太陽を見ること稀に終日孜々として稼ぎ溜むる所の目的は、一に彼等が他に嫁入る時に着飾る綾羅を得んが為めなり、左れば此地方に於て婦女が熱心に語る所のものは嫁入支度の多少にして、母親の十七八才に至れる娘を持てるものは、明け暮れ娘の支度を案じ煩ひ殆んど寝食を忘れて心配し、其支度を多くせんがためには、故らに嫁期を延して二十才以上となし(娘も亦支度が少なければ世間へ対し外聞悪しとて動かず)、中等の家にても箪笥三個、長持一個、振袖拾枚(一枚金五円位より二三十円までにて大抵十円前後が多し)を持たせて遣るを通常とし、尚ほ追々華奢に趨むく風あり。

 諏訪郡の農家の娘が製糸工女となる動機が「嫁入支度」にあり、そのために長時間労働を甘受するという指摘は、工女の「家」に対する「没人格的融合関係」の指摘とも合致する。製糸家が盆暮に工女に「贈物」を与える場合にも、「帯」、「着物」、「箪笥」、「長持」といった「嫁入支度」の要求に積極的に対応した(『信毎』一八九五年一一月二九日)。
-------

この新聞記事は「百円工女」続出の1919年(大正8)ではなく、その四半世紀前のものですね。
中村の「女工の多くは貧しい農家の娘たち」「女工は、いずれも小作ないし自小作に属する貧農の出であった」などという主張とは矛盾しそうですが、果たして中村の主張が基本的には正しくて、上記は諏訪だけの極めて例外的な事象なのかが問題となりそうです。
なお、<「没人格的融合関係」の指摘>は、注37を見ると東條由紀彦『製糸同盟の女工登録制度』(東大出版会、1990)p55の見解ですが、中林氏が東條氏に賛成しているらしいのはちょっと意外ですね。
東條由紀彦氏は少し変わった、癖のあるタイプの研究者で、私は中林氏の『近代資本主義の組織』を読む前に『製糸同盟の女工登録制度』を四苦八苦しながら読んでしまい、順番を間違えたなとちょっと後悔しました。

東條由紀彦(明治大学サイト内)
https://www.meiji.ac.jp/keiei/faculty/01/toujyo.html
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「糸目テトロ」の謎

2018-12-01 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月 1日(土)18時11分47秒

>筆綾丸さん
>ティトラツィオーネとは糸の等級を決める作業のこと

山本茂実『あゝ野麦峠』を見たら、

 工女殺すにゃ刃物は要らぬ
 糸目テトロ(検査)でせめ殺す

とありますね。(角川文庫版、1977、p95)
中村がテトロを「繊度」としているのに対し、山本は「検査」であり、また、「しめ殺す」ではなく「せめ殺す」ですね。
そもそも「糸目」とは何かというと、中林『近代資本主義の組織』によれば「原料繭1杯(4升=7.216リットル)当たりの繰糸量」です。
中林著から「第2部 工場制工業の発展」「第5章 賃金体系による誘因制御」の関連部分を引用してみると、

-------
3 近代製糸業における賃金決定の仕組み

 それでは, 諏訪郡の近代製糸業における女性繰糸労働者の賃金決定の概要を確認しておこう. 労働者は寄宿舎に生活し, 食費をはじめとする生活費は企業が負担する. 労働者の賃金は, 年度末(12月)に一括して支払われる. この賃金を決定するために, 1900年代半ば以降, 企業は各女性繰糸労働者について,

・労働生産性:「繰目〔くりめ〕」. 1労働日(人工〔にんく〕)当たりの繰糸量.
 単位は匁(3.75グラム).
・原料生産性:「糸目〔いとめ〕」. 原料繭1杯(4升=7.216リットル)当たりの繰糸量.
 単位は匁. いかに原料繭を節約しているかが問われる.
・生糸の繊度の均一性:繰糸された生糸の繊度(太さ)のばらつき. 繊度の単位
 「デニール」によって計られる. いかに繊度の均一な生糸を繰糸しているかが問われる.
・生糸の光沢:繰糸された生糸の光沢の良し悪し.

の4項目の検査結果を記録するようになった. 原料生産性, 繊度の均一性, 光沢はいずれも丁寧な繰糸作業によって向上し, 労働者の能力と努力水準を所与とすれば, 労働生産性とはトレード・オフの関係にある. それらは半月ごとに項目別に集計され, さらに12月下旬の閉業後に合計されて年間成績が算出された. この成績点から, 相対評価に従って賃金額が決定される. すなわち, 同一期間, 同一業務に従事する全労働者の平均成績に対する, 各労働者の成績の総体的な優劣によって, 各労働者の賃金額が決定された. 【後略】
-------

ということで(p248)、糸目と繊度(太さ)は関係ありません。
そして、山本の「検査」で意味は通り、筆綾丸さんご指摘の「ティトラツィオーネとは糸の等級を決める作業のこと」と整合性も取れるので、こちらが正しいようですね。
うーむ。
1976年の中村助教授、何故にここまで雑なのか。
時間と手間を無駄にさせられて「しめ殺」したくなる、とまでは言いませんが。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

テトロ 2018/12/01(土) 12:28:16
小太郎さん
いえいえ、こちらこそ勉強になります。

https://ja.glosbe.com/it/ja/titolo
La titolazione è l'operazione che determina il titolo di un filo o di un filato.
は、ティトラツィオーネとは糸の等級を決める作業のことである、と訳せ、titolo 本来の意味は等級で、糸とは無関係ながら、製糸業の世界でテトロに繊度という意訳が定着したのでしょうね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「インド以下的水準にある」研究者たち

2018-12-01 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月 1日(土)12時23分3秒

中村政則は「女工賃金は一家を養うだけの高さを必要とせず、家計の補充になれば足りるということから低賃金でもすむ」などと頻りに製糸工女が「低賃金」であったと強調するのですが、そもそも何と比べて低いのか。
普通の論理的思考力のある人だったら、諏訪の笠原製糸場の「女工の賃金用途」を縷々分析した後に「低賃金」について述べている以上、製糸工女が同じ製糸工場で働く男子労働者より「低賃金」であったとか、他の地域の工場で働く製糸工女より「低賃金」であったとか、あるいはもっと一般的に、同年代の他の職業に従事する女子労働者より「低賃金」であったとか、比較の対象を明示するはずですが、中村が何と比較して「低賃金」と言っているのか、私には理解できません。
中村は山田盛太郎の『日本資本主義分析』に言及して、「(山田が)女工の得る賃金が低賃金であること、たとえば紡績女工の賃金がインド以下的水準にあることは証明されたが(一六八ページ以下参照)」などと言っているので、インドの紡績女工と比較しているのかな、とも思いますが、そもそもインドと比較して何の意味があるのかが分かりません。
山田盛太郎や中村は、自分がインドの大学教授・助教授より高い賃金をもらっていることが「判明」すれば喜ぶのか。
逆にインド以下であることが「判明」したら嘆き悲しむのか。
まあ、インドへの言及とかになると、「講座派」のディープな世界に通暁している特殊な研究者以外にはさっぱり理解できないし、説得力もないですね。
さて、改めて中村の頓珍漢な主張をできるだけ分りやすく理解しようと努めてみると、中村は、「女工の得る賃金が低賃金であること、たとえば紡績女工の賃金がインド以下的水準にあること」は山田盛太郎に丸投げして「証明」したことにした上で、

(1)製糸女工の基本的出身階層はたしかに小作貧農であること
(2)その賃金の圧倒的部分は家計補充部分として一家の家計を補充していること

を自分が「証明」したと言いたいようです。
(1)については、少し前の「女工の出身地」という部分で、『生糸職工事情』から「女工の多くは貧しい農家の娘たち」(p91)だったとか、岡谷製糸業における「女工は、いずれも小作ないし自小作に属する貧農の出であった」(同)などと言っているのですが、『生糸職工事情』にはそんなことは書かれておらず、また、中村は「明治四三年の山梨県の一製糸工場における女工の出身階層をしらべたことがある」(同)だけで、日本全国はもちろん、諏訪の製糸工場に限っても、「製糸女工の基本的出身階層はたしかに小作貧農であること」は全然証明されていないですね。
また、(2)については、たかだか笠原製糸場という諏訪の一工場の「女工の賃金用途」を調べただけでずいぶん壮大なことを言っているのですが、阿呆としか思えません。
中村が笠原製糸場の「女工の賃金用途」を分析して分かったことは、せいぜい女工が得た賃金が家計内でどのように配分されたか、だけであって、笠原製糸場の女工が「低賃金」だったどうかの問題とすら全く関係ありません。
まあ、普通に考えれば、少なくとも1919年の賃金はどう見ても「高賃金」だと思いますが、中村は「大正八年は生糸ブームで糸価が高騰し、平均賃金が一〇〇円をこえ、「百円工女、百円工女」といって農家をおどろかせた年でもあった」などと言いながら、素通りしていますね。
以上、私は現在の研究水準に照らして、中村政則が古臭いことを言っているから駄目だ、と批判しているのではなく、1976年に中村が書いた文章だけを見て、何の論理性もなく、支離滅裂だなと思っている訳です。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする