投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月 1日(土)21時18分49秒
二つ前の投稿で、
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(1)については、少し前の「女工の出身地」という部分で、『生糸職工事情』から「女工の多くは貧しい農家の娘たち」(p91)だったとか、岡谷製糸業における「女工は、いずれも小作ないし自小作に属する貧農の出であった」(同)などと言っているのですが、『生糸職工事情』にはそんなことは書かれておらず、また、中村は「明治四三年の山梨県の一製糸工場における女工の出身階層をしらべたことがある」(同)だけで、日本全国はもちろん、諏訪の製糸工場に限っても、「製糸女工の基本的出身階層はたしかに小作貧農であること」は全然証明されていないですね。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a7f625b2fffaf3361a9cb1c002819fbe
と書いたことは、対象を黒く描いてからその黒さを批判するというやり方であり、あまり芳しいものではなかったので、公平を期すために中村の言い分は全て紹介しようと思います。
ついでに「インド以下的低賃金」に関する部分(p168以下)も紹介します。
まあ、説教臭くてビンボー臭い話がちょっと続くことになりますが、事前の毒消しとして、そうした左翼版の勧善懲悪物語とは異質な史料をひとつ紹介しておきます。
中林真幸氏の「製糸業における労使関係の形成」(『史学雑誌』108編6号、1999)からの引用です。(p21以下)
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三 優勝劣敗・賞罰必至・自働自営
最後に、諏訪製糸業と社会との結節点としての、工女の生活と心性について検討しよう。
史料二〇 〔「諏訪製糸工女」、『信毎』一八九三年八月二六日〕
唯一の目的は嫁入支度に在り 女子十一二才より二十才位に至るまで、貴賤貧富の別なく殆ど製糸工女とならざるものなく、而して其得る所の金銭は、未来に於ける事業の資本となるにあらずして、皆之れ変じて不生産的の虚飾品、即ち彼等の嫁入支度となる、希望は辛苦に克つ、彼らが星を戴いて出で月を踏んで帰へり太陽を見ること稀に終日孜々として稼ぎ溜むる所の目的は、一に彼等が他に嫁入る時に着飾る綾羅を得んが為めなり、左れば此地方に於て婦女が熱心に語る所のものは嫁入支度の多少にして、母親の十七八才に至れる娘を持てるものは、明け暮れ娘の支度を案じ煩ひ殆んど寝食を忘れて心配し、其支度を多くせんがためには、故らに嫁期を延して二十才以上となし(娘も亦支度が少なければ世間へ対し外聞悪しとて動かず)、中等の家にても箪笥三個、長持一個、振袖拾枚(一枚金五円位より二三十円までにて大抵十円前後が多し)を持たせて遣るを通常とし、尚ほ追々華奢に趨むく風あり。
諏訪郡の農家の娘が製糸工女となる動機が「嫁入支度」にあり、そのために長時間労働を甘受するという指摘は、工女の「家」に対する「没人格的融合関係」の指摘とも合致する。製糸家が盆暮に工女に「贈物」を与える場合にも、「帯」、「着物」、「箪笥」、「長持」といった「嫁入支度」の要求に積極的に対応した(『信毎』一八九五年一一月二九日)。
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この新聞記事は「百円工女」続出の1919年(大正8)ではなく、その四半世紀前のものですね。
中村の「女工の多くは貧しい農家の娘たち」「女工は、いずれも小作ないし自小作に属する貧農の出であった」などという主張とは矛盾しそうですが、果たして中村の主張が基本的には正しくて、上記は諏訪だけの極めて例外的な事象なのかが問題となりそうです。
なお、<「没人格的融合関係」の指摘>は、注37を見ると東條由紀彦『製糸同盟の女工登録制度』(東大出版会、1990)p55の見解ですが、中林氏が東條氏に賛成しているらしいのはちょっと意外ですね。
東條由紀彦氏は少し変わった、癖のあるタイプの研究者で、私は中林氏の『近代資本主義の組織』を読む前に『製糸同盟の女工登録制度』を四苦八苦しながら読んでしまい、順番を間違えたなとちょっと後悔しました。
東條由紀彦(明治大学サイト内)
https://www.meiji.ac.jp/keiei/faculty/01/toujyo.html
二つ前の投稿で、
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(1)については、少し前の「女工の出身地」という部分で、『生糸職工事情』から「女工の多くは貧しい農家の娘たち」(p91)だったとか、岡谷製糸業における「女工は、いずれも小作ないし自小作に属する貧農の出であった」(同)などと言っているのですが、『生糸職工事情』にはそんなことは書かれておらず、また、中村は「明治四三年の山梨県の一製糸工場における女工の出身階層をしらべたことがある」(同)だけで、日本全国はもちろん、諏訪の製糸工場に限っても、「製糸女工の基本的出身階層はたしかに小作貧農であること」は全然証明されていないですね。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a7f625b2fffaf3361a9cb1c002819fbe
と書いたことは、対象を黒く描いてからその黒さを批判するというやり方であり、あまり芳しいものではなかったので、公平を期すために中村の言い分は全て紹介しようと思います。
ついでに「インド以下的低賃金」に関する部分(p168以下)も紹介します。
まあ、説教臭くてビンボー臭い話がちょっと続くことになりますが、事前の毒消しとして、そうした左翼版の勧善懲悪物語とは異質な史料をひとつ紹介しておきます。
中林真幸氏の「製糸業における労使関係の形成」(『史学雑誌』108編6号、1999)からの引用です。(p21以下)
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三 優勝劣敗・賞罰必至・自働自営
最後に、諏訪製糸業と社会との結節点としての、工女の生活と心性について検討しよう。
史料二〇 〔「諏訪製糸工女」、『信毎』一八九三年八月二六日〕
唯一の目的は嫁入支度に在り 女子十一二才より二十才位に至るまで、貴賤貧富の別なく殆ど製糸工女とならざるものなく、而して其得る所の金銭は、未来に於ける事業の資本となるにあらずして、皆之れ変じて不生産的の虚飾品、即ち彼等の嫁入支度となる、希望は辛苦に克つ、彼らが星を戴いて出で月を踏んで帰へり太陽を見ること稀に終日孜々として稼ぎ溜むる所の目的は、一に彼等が他に嫁入る時に着飾る綾羅を得んが為めなり、左れば此地方に於て婦女が熱心に語る所のものは嫁入支度の多少にして、母親の十七八才に至れる娘を持てるものは、明け暮れ娘の支度を案じ煩ひ殆んど寝食を忘れて心配し、其支度を多くせんがためには、故らに嫁期を延して二十才以上となし(娘も亦支度が少なければ世間へ対し外聞悪しとて動かず)、中等の家にても箪笥三個、長持一個、振袖拾枚(一枚金五円位より二三十円までにて大抵十円前後が多し)を持たせて遣るを通常とし、尚ほ追々華奢に趨むく風あり。
諏訪郡の農家の娘が製糸工女となる動機が「嫁入支度」にあり、そのために長時間労働を甘受するという指摘は、工女の「家」に対する「没人格的融合関係」の指摘とも合致する。製糸家が盆暮に工女に「贈物」を与える場合にも、「帯」、「着物」、「箪笥」、「長持」といった「嫁入支度」の要求に積極的に対応した(『信毎』一八九五年一一月二九日)。
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この新聞記事は「百円工女」続出の1919年(大正8)ではなく、その四半世紀前のものですね。
中村の「女工の多くは貧しい農家の娘たち」「女工は、いずれも小作ないし自小作に属する貧農の出であった」などという主張とは矛盾しそうですが、果たして中村の主張が基本的には正しくて、上記は諏訪だけの極めて例外的な事象なのかが問題となりそうです。
なお、<「没人格的融合関係」の指摘>は、注37を見ると東條由紀彦『製糸同盟の女工登録制度』(東大出版会、1990)p55の見解ですが、中林氏が東條氏に賛成しているらしいのはちょっと意外ですね。
東條由紀彦氏は少し変わった、癖のあるタイプの研究者で、私は中林氏の『近代資本主義の組織』を読む前に『製糸同盟の女工登録制度』を四苦八苦しながら読んでしまい、順番を間違えたなとちょっと後悔しました。
東條由紀彦(明治大学サイト内)
https://www.meiji.ac.jp/keiei/faculty/01/toujyo.html