学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

「もし伊藤に会いたかったら、いつでもじぶんに連絡してくれ」(by 中越さん)

2018-12-29 | 「五〇年問題」と網野善彦・犬丸義一
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年12月29日(土)14時48分2秒

杉浦明平「伊藤律」は竹山道雄と平沢道雄という二人の「道雄」が興味深かったので長々と引用しましたが、冒頭に登場する中越可末(かずえ)なる女性については、話の展開は若干奇妙ですね。
「錚々たるメンバー」とはあまり関係ないので省略しようかなとも思いましたが、ついでなので、最後まで紹介してみます。(p189以下)

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 その話が終ると、みんなで写真をとったが、伊藤は加わらなかった。そして鳥打帽を目深にかぶり、外套の襟を立ててその中に頭部を産めるようにして寒い夜の中に消えていった。それからまもなく、土曜日の授業がおわったとき、こんどは安藤次郎という同級生─じつは一年先輩なのだが、左翼運動で停学処分をうけて同級生になった─の、「いっしょに昼めしでも食べないか」という誘いに応じて、銀座へ出かけた。コロムビアレコードの喫茶部でランチを食べていると、伊藤律がつかつかと入ってきた。安藤と打合わせてあったのだ。伊藤は、中越可末さんに会うように、と住所を教えてくれた。そのさい、短歌のこともいったが、何をいったかおぼえていない。ただ左翼系の同級生は、わたしが短歌をつくっていることを多少軽蔑した口調で話をするのがつねだったが、伊藤はもっと一生けんめいやれ、とおだててくれたようにおぼえている。
 その後わたしは中越さんと会った。二人で湯島天神の坂をおりて、上野広小路の汁粉屋で休んだ。じつをいうとわたしは女性といっしょに歩くのははじめてだったので、ぎこちなくて仕方なかった。話題もないので、もっぱら伊藤律のことだった。彼女は伊藤が胸を病んでいることを心配していたし、もし伊藤に会いたかったら、いつでもじぶんに連絡してくれといった。ひょっとしたら、ハウスキーパーだったのかもしれない。
 しかしわたしの方から伊藤に会わねばならぬという理由はなかったので、その後、中越さんと会うこともなかった。あるいは中越さんがもっとはでな女性だったら、何とか口実をつけて会ったかもしれないが、まもなく中越さんは郷里へ引揚げてしまった。その後どうしているかしらないが、アララギ会員であり伊藤律の友だちであったゆえに、学生生活中、わたしの唯一回のデートの相手として登場したのである。
 大学へ入ってから、ある日、経済学部にいる平沢が、「ちょっとめずらしい人が君に会いたいというから」と、わたしを水道橋近くの大衆食堂へ連れていった。夕方で、仕事帰りの労働者でにぎやかだった。そこへ伊藤律がせかせかと入ってきて、愛想よくわたしたちとしゃべってあわただしく夜の中に立ち去った。その晩の話では、伊藤は警察におそわれてアジトを逃げだして夜中逃げまわった。途中で痰を吐いたが、朝になったら、喀血したことに気がついたという話だけが強く記憶に残った。わたしは、それを歌によんだりした。
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「みんなで写真をとったが、伊藤は加わらなかった」云々の描写には、いかにも地下活動っぽい緊張感が漂っていますね。
杉浦が「伊藤の指示によって」出会った「中越さん」との関係が「わたしの唯一回のデートの相手」程度であったのは些か物足りない感じがしますが、視点を杉浦から見た伊藤ではなく、伊藤から見た杉浦に変えてみると、そもそも何故に伊藤は、「続々赤化」する同級生の中で一向に「赤化」せず、「秘密読書会のメンバー」でもなく、「毎月彼のために五十銭ずつカンパ」を出す程度のシンパに過ぎない杉浦に、危険な地下活動の中で何度も会い、そして「中越さん」と会わせたのか。
「中越さん」の証言が得られない以上、今となってはその理由を明らかにすることは困難ですが、まあ、やっぱり目的は金ではないですかね。
杉浦は土屋文明(1890-1990)と高崎中学の同窓生だという友人の紹介で土屋文明を訪ね、門下生に加えてもらったのだそうで(「土屋文明との出会い」、p151以下)、伊藤は杉浦を介して土屋文明を始めとするアララギ派の歌人との間にコネクションを作り、資金カンパの獲得を狙ったのではないか、と想像するのは穿ち過ぎですかね。
新進気鋭のドイツ文学者である竹山道雄すら小馬鹿にしていた伊藤は、歌人、特にアララギ派みたいな古臭い連中は軽蔑していたに決まっていますが、杉浦にはそんなそぶりは全く見せず、「もっと一生けんめいやれ、とおだててくれた」上に、「伊藤と同郷で、女子大を出て、田舎で小学校の先生をしていたらしいが、ちょうど、そのころ東京に出てきていた」、短歌を趣味とする「中越さん」との出会いを設定してくれます。
これは、「あまり美男子とも思えなかったのに女性には人気があったらしい」世慣れた伊藤が、杉浦を籠絡するのに適当と考えた「中越さん」を派遣したものの、杉浦があまりに朴念仁すぎてうまくいかなかった、ということではないですかね。
杉浦も「あるいは中越さんがもっとはでな女性だったら……」などと妄想しているので、このハニートラップが成功する可能性が乏しかった訳でもなさそうです。
少なくとも、僅かな材料だけで「中越さん」を「ひょっとしたら、ハウスキーパーだったのかもしれない」と疑う杉浦よりは、私の想像の方が蓋然性が高いような感じがします。

ハウスキーパー (日本共産党)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC_(%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A)

伊藤千代子と土屋文明
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d88dc05a507461ab7b64e20ec5043f0f

なお、安藤次郎は統計学者で金沢大学名誉教授ですね。
ただ、「社会統計学論文ARCHIVES(人生という森の探索)」というブログによれば、

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 安藤は、冒頭、自分は統計学者ではない、統計学の勉強もしっかりしたことがない、このインタビューも内心忸怩たる思いであることを、繰り返し述べている。その安藤がなぜ金沢大学で統計学の教鞭をとっていたかというと、それは全くの偶然で、東京大学で有澤広巳のゼミにいたという経歴があったというただそれだけの理由で、むしろさせられたのだと言う。【中略】しかし、有澤のゼミでは統計学の話はほとんど出なかった。有澤は博識な人だったが、統計学のことはあまり知らなかったようだと、安藤は述懐している。ゼミでは工業統計表の加工をし、山田盛太郎『日本資本主義分析』を輪読した。

https://blog.goo.ne.jp/kisawai_2007/e/b75a6768dc52f39e82a863384e273b89

のだそうです。
コメント
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