投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2019年 8月19日(月)11時44分56秒
佐伯真光氏の『アメリカ式・人の死にかた』(自由国民社、1973)をパラパラ眺めてみたところ、ハーヴァード大学に三年間留学していただけあって文章は全然抹香臭くなく、「南無シュワイツァー大明神─つくられた神話とその信者たち」といったタイトルのセンスはポップでアメリカンですね。
また、佐伯氏が住職をされていた横浜の宝生寺は古くからの由緒を誇るなかなかの名刹だそうです。
「青龍山宝生寺。旧古義眞言宗法談所、東国八十八ヵ所霊場、横浜磯子七福神の寿老人」(『猫の足あと』サイト内)
https://tesshow.jp/yokohama/minami/temple_hori_hosho.html
さて、前回投稿で紹介した部分の後、佐伯氏が、昭和35年にアイゼンハワー米大統領来日(予定)時の明治神宮参詣計画に対し日本のキリスト教徒が反対運動を起こしたことに触れて、天皇のウェストミンスター・アベイ参拝には反対の動きがなかったことを指摘すると、関口氏は、
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関口 そういう混乱は外にもたくさんありますね。刑務所での教誨活動も公共施設における宗教的行為だし、ライ療養所などの国有財産のなかにつくった宗教的施設の問題もある。アメリカでは大統領や最高裁の判事がバイブルに手をおいて宣誓するし、従軍牧師もいる。それは欧米諸国では千年来の習慣としておこなわれているようですね。こうした問題は世界中にあるようですが、とにかく私としては、戦争中の神道の横着なやり方、軍閥との癒着、戦争責任、そして靖国神社問題などに対して闘わねばならぬと思っているわけです。
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と答えます。(p291以下)
関口氏も国家と宗教の完全分離には困難が伴うことを、国内・国外の諸事例を通じて認識している訳ですが、自分はとにかく神社と闘うのだ、という姿勢ですね。
次いで佐伯氏が高裁判決の感想を聞くと、関口氏は、
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関口 ひじょうに格調の高い判決だと思いましたね。あのころの情勢は、だいぶ右翼的な司法反動化があり、三人の裁判官もこれまで労働運動に関してあまりよい判決を出していない。裁判長は高齢で、もちろん青法協でもありません。あのような判決を出したことに感服しました。同時に、判決文を見ても私たちの答弁書をよく理解されたところがあり、この点、私たちの努力が認められたといえるんで、うれしく思いました。
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と回答します。
関口氏の立場から見て「三人の裁判官もこれまで労働運動に関してあまりよい判決を出していない」というのは、藤林益三にも当てはまりますね。
また、「裁判長は高齢」とありますが、伊藤淳吉裁判長は名古屋高裁の後、札幌高等裁判所長官を勤め(1973-74)、これを最後に定年退職しているようなので、1974年に定年の65歳とすると、1971年の名古屋高裁判決時には62歳くらいとなりますね。
さて、この後、佐伯氏が国家と宗教が交わる事例について色々質問しますが、郵便局のクリスマスツリーに関連して、関口氏は、
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関口 保育園や孤児院の施設に市長などが、クリスマスにサンタクロースの恰好をして贈物を配りに行く。私は市長に、サンタクロースの姿は北欧の風俗を借りたのだからよいとしても、十字架をかけたり、キリストの話をしたり、讃美歌をうたわせたりするのは止めるべきだと話した。市長もよくわかったといっていました。
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と答えます。(p294)
関口氏の立場からすればサンタクロースの恰好をすること自体がダメ、というのが素直だと思いますが、なかなか微妙な区分ですね。
また、社寺の文化財に国が補助金を出す問題については、
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関口 文化財として保護するのは別ですが、どこまで政府として保護するのか、その限界はむつかしい。
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と関口氏にしては些か歯切れが悪く(p295)、更に宗教法人の幼稚園に政府が助成金を出す問題についても、
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関口 それはおかしいことだ。ただ日本の場合、公立学校の施設が足りず学生生徒を収容しきれないので、国や自治体が私立学校に助成するということはありますね。
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という具合に私立学校一般の問題に論点をずらしてしまってしまっています。(p295)
ちょっと面白いのが、佐伯氏が西ドイツの憲法では「宗教」(キリスト教)教育をせよと書いてある、と質問したのに対し、関口氏が、
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関口 東ドイツも、例えば裁判で宣誓するときに共産党員でも「神に誓って」というのだそうですね。私も共産党員ですが、日本の共産党の人でも選挙などになると「必勝を祈る」という。また葬式で「在天の霊、これを享けよ」という弔辞を読んだり「安らかにお眠り下さい」などという。これは明らかに何らかの宗教思想を前提とした宗教的発想ですよ。
「祈る」というのは、お前が当選してほしいという直説法ではなく、神の加護があれかしという間説法ですからね。私はいつも仲間にそういっているんですが、どうもそれが普通のようになっているところがあり、これは問題だと思っています。
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と答えている点で(p295以下)、「必勝を祈る」まで駄目という主張は、共産党「仲間」の中でもあまり評判が良くなかったようですね。
このあたり、共産党の支援がなかった背景事情を語っているようでもあります。
佐伯真光氏の『アメリカ式・人の死にかた』(自由国民社、1973)をパラパラ眺めてみたところ、ハーヴァード大学に三年間留学していただけあって文章は全然抹香臭くなく、「南無シュワイツァー大明神─つくられた神話とその信者たち」といったタイトルのセンスはポップでアメリカンですね。
また、佐伯氏が住職をされていた横浜の宝生寺は古くからの由緒を誇るなかなかの名刹だそうです。
「青龍山宝生寺。旧古義眞言宗法談所、東国八十八ヵ所霊場、横浜磯子七福神の寿老人」(『猫の足あと』サイト内)
https://tesshow.jp/yokohama/minami/temple_hori_hosho.html
さて、前回投稿で紹介した部分の後、佐伯氏が、昭和35年にアイゼンハワー米大統領来日(予定)時の明治神宮参詣計画に対し日本のキリスト教徒が反対運動を起こしたことに触れて、天皇のウェストミンスター・アベイ参拝には反対の動きがなかったことを指摘すると、関口氏は、
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関口 そういう混乱は外にもたくさんありますね。刑務所での教誨活動も公共施設における宗教的行為だし、ライ療養所などの国有財産のなかにつくった宗教的施設の問題もある。アメリカでは大統領や最高裁の判事がバイブルに手をおいて宣誓するし、従軍牧師もいる。それは欧米諸国では千年来の習慣としておこなわれているようですね。こうした問題は世界中にあるようですが、とにかく私としては、戦争中の神道の横着なやり方、軍閥との癒着、戦争責任、そして靖国神社問題などに対して闘わねばならぬと思っているわけです。
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と答えます。(p291以下)
関口氏も国家と宗教の完全分離には困難が伴うことを、国内・国外の諸事例を通じて認識している訳ですが、自分はとにかく神社と闘うのだ、という姿勢ですね。
次いで佐伯氏が高裁判決の感想を聞くと、関口氏は、
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関口 ひじょうに格調の高い判決だと思いましたね。あのころの情勢は、だいぶ右翼的な司法反動化があり、三人の裁判官もこれまで労働運動に関してあまりよい判決を出していない。裁判長は高齢で、もちろん青法協でもありません。あのような判決を出したことに感服しました。同時に、判決文を見ても私たちの答弁書をよく理解されたところがあり、この点、私たちの努力が認められたといえるんで、うれしく思いました。
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と回答します。
関口氏の立場から見て「三人の裁判官もこれまで労働運動に関してあまりよい判決を出していない」というのは、藤林益三にも当てはまりますね。
また、「裁判長は高齢」とありますが、伊藤淳吉裁判長は名古屋高裁の後、札幌高等裁判所長官を勤め(1973-74)、これを最後に定年退職しているようなので、1974年に定年の65歳とすると、1971年の名古屋高裁判決時には62歳くらいとなりますね。
さて、この後、佐伯氏が国家と宗教が交わる事例について色々質問しますが、郵便局のクリスマスツリーに関連して、関口氏は、
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関口 保育園や孤児院の施設に市長などが、クリスマスにサンタクロースの恰好をして贈物を配りに行く。私は市長に、サンタクロースの姿は北欧の風俗を借りたのだからよいとしても、十字架をかけたり、キリストの話をしたり、讃美歌をうたわせたりするのは止めるべきだと話した。市長もよくわかったといっていました。
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と答えます。(p294)
関口氏の立場からすればサンタクロースの恰好をすること自体がダメ、というのが素直だと思いますが、なかなか微妙な区分ですね。
また、社寺の文化財に国が補助金を出す問題については、
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関口 文化財として保護するのは別ですが、どこまで政府として保護するのか、その限界はむつかしい。
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と関口氏にしては些か歯切れが悪く(p295)、更に宗教法人の幼稚園に政府が助成金を出す問題についても、
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関口 それはおかしいことだ。ただ日本の場合、公立学校の施設が足りず学生生徒を収容しきれないので、国や自治体が私立学校に助成するということはありますね。
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という具合に私立学校一般の問題に論点をずらしてしまってしまっています。(p295)
ちょっと面白いのが、佐伯氏が西ドイツの憲法では「宗教」(キリスト教)教育をせよと書いてある、と質問したのに対し、関口氏が、
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関口 東ドイツも、例えば裁判で宣誓するときに共産党員でも「神に誓って」というのだそうですね。私も共産党員ですが、日本の共産党の人でも選挙などになると「必勝を祈る」という。また葬式で「在天の霊、これを享けよ」という弔辞を読んだり「安らかにお眠り下さい」などという。これは明らかに何らかの宗教思想を前提とした宗教的発想ですよ。
「祈る」というのは、お前が当選してほしいという直説法ではなく、神の加護があれかしという間説法ですからね。私はいつも仲間にそういっているんですが、どうもそれが普通のようになっているところがあり、これは問題だと思っています。
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と答えている点で(p295以下)、「必勝を祈る」まで駄目という主張は、共産党「仲間」の中でもあまり評判が良くなかったようですね。
このあたり、共産党の支援がなかった背景事情を語っているようでもあります。