余りにも当たり前のことなので書き忘れていましたが、中世の起請文は全て漢文で書かれています。
起請文の宛所は神仏であり、従って起請文は最大限の礼節をもって書かれるべき厳格な文書なので正式な漢文で書かなければならず、「有明の月」の起請文のように仮名交じりのお手紙風に書くことは許されません。
この点でも「有明の月」の起請文は変なのですが、この当たり前の事実を明確に指摘した研究者を私は見た覚えがありません。
さて、「有明の月」はおどろおどろしい起請文を書いた後に直ぐ死んで「三悪道」に墜ちたのかというと、そんなこともなくて、巻三に入っても重要人物として繰り返し登場し、その死後も二条が三回忌を営んだことが描かれます。
しかし、宮廷編での濃厚な存在感に比べると、巻四・五では二条が回想の中で「有明の月」に触れることは一切なく、二条が産んだという「有明の月」の子への言及もなく、完全に無視されているのは奇妙です。
そこで、起請文研究の最新動向である「機能論的」研究に倣って、「有明の月」ストーリーが『とはずがたり』全体の中でどのような「機能」を果たしているのかを少し検討してみたいと思います。
なお、国文学界における『とはずがたり』研究の最新状況については、早稲田大学教授・田渕句美子氏の「宮廷女房文学としての『とはずがたり』」(『歴史評論』850号、2021)に即して検討したことがあるので、適宜参照願います。
田渕句美子氏「宮廷女房文学としての『とはずがたり』」(その1)~(その9)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/84e5907f46183010c2aad8fc813df671
【中略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/101d046a0dda8e66d178d933a3b05826
「被害者としての女性史」の限界
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/117f163a5897ef1bb9da15c2f2d9e188
田渕句美子氏の方法論的限界
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e561cd5f2b6ad2e0750379f3cfb62e71
「有明の月」ストーリーの大きな流れを掴むには次田著の目次が便利なので、「有明の月」に関係ない部分は要約にとどめるなど、若干改変した上で整理してみます。
「有明の月」が直接登場する場面には(☆☆)、間接的に話題になっている場面には(☆)をつけておきます。
まず、巻二は、
1 元旦の感懐
2~5 (「粥杖事件」)
6 有明の月から恋の告白を受ける(☆☆)
7 亀山院来訪、遊宴ののち文
8 長講堂供養、御壺合せ
9 院の病中有明と契る(☆☆)
10 六条殿供花、伏見の松取り
11 院「扇の女」と逢う
12 雨中に捨ておかれた傾城出家
13 有明から文、作者応ぜず(☆☆)
14 出雲路で有明と逢う、絶交を決意(☆☆)
15 有明から起請文、御所での出会い(☆☆)
16 院と亀山院小弓、負態に女房蹴鞠
17 負態の女楽の計画、作者の琵琶の来歴
18 祖父隆親の措置に怒り出奔
19 関係者作者を探す、醍醐に移る
20 隆顕父隆親と不和、作者隆顕と面会(☆)
21 雪の曙来訪、隆顕と三人で語る
22 小林に移る、曙との女児の病(☆)
23 院来訪、作者御所にもどる、着帯
24 曙との女児に再会
25~29 (「近衛大殿」エピソード)
と展開します。
個々の場面の説明は次の投稿で行います。
※追記
「余りにも当たり前のことなので書き忘れていましたが、中世の起請文は全て漢文で書かれています」などと書いてしまいましたが、平仮名・カタカナ交じりの起請文もそれなりにあることが分かったので、(その4)で訂正しておきました。
ただ、「有明の月」は仁和寺御室らしく描かれた高僧なので、このクラスの僧侶が書く起請文であれば、漢文でない起請文を見つけるのは困難だと思います。
「有明の月」ストーリーの機能論的分析(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e8f88d8ae89753cd0e912b28a1f872eb