大河ドラマ最終回をきっかけに「逆輿」について少し調べてみたところ、いささか予想外の展開となりました。
私としては、流罪に際して「逆輿」にすることは朝廷の古くからの慣習であって、先行研究もたくさんあるのだろうな、などと思っていたのですが、まずは調べものの定石として図書館で小学館の『日本国語大辞典』を見たところ、「坂輿」はあるものの「逆輿」の項目が存在しません。(但し、初版。第二版以降は未確認)
ちなみに「坂輿」は、
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さか-ごし【坂輿】《名詞》手輿の一種。山坂の小路を通行する際に四方輿の柱を除き屋形を取り去って、台だけにした輿の称。*輿車図考-上・坂輿「二水記云永正十七年十一月二十八日早旦参伏見殿今日四宮御方御入室<梶井>御登山也<略>俗中従是乗坂輿力者舁也云々」
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というものです。
「坂輿」はあるのに「逆輿」はないのは変だなと思って、「さか」ではなく「ぎゃく」かなと考えて「ぎゃく……」も全てみましたが、やっぱりありません。
あれれ、と思って吉川弘文館の『国史大辞典』を見ると、こちらも「坂輿」のみ、しかも「四方輿」を見よ、という指示だけです。
そこで「四方輿」を見ると、
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しほうごし 四方輿
中世の貴族乗用腰輿(ようよ)の一種。屋形の前後左右に青簾を懸け垂れただけの吹放しの造作から四方輿という。上皇・摂関・大臣以下の公卿をはじめ、僧綱などの遠行の際の所用とした。四方吹放しは、高所からの眺望がよいためと、左右いずれよりも乗降しやすいためであり、ときに前面からも降りた。棟(むね)は、俗人は左右に流した庵形(いおりがた)、僧侶は唐破風(からはふ)とした雨眉形(あままゆがた)で、網代張りを例とした。輿舁きの力者(ろくしゃ)は六人で一手という。前後各三人で、中央の一人は轅(ながえ)の中に入り、綱を肩に懸けて舁き、左右両人は轅に手を副えて付随する。長途の際は手替りとして二手、または三手を召具とする。また急坂・険阻の山路の際は、棟や柱などを撤去して手輿(たごし)として用い、坂輿ともいう。『康富記』嘉吉三年(一四四三)五月二十八日条の延暦寺参向に「到雲母坂之麓、於不動堂前、撤四方輿之棟柱等、為手輿、被登山」とみえる。→輿(こし)
(鈴木敬三)
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とあります。
このあたりで、もしかしたら「逆輿」は慈光寺本『承久記』だけにしか出てこない言葉ではなかろうかという疑惑が浮かぶとともに、慈光寺本に、
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去程〔さるほど〕ニ、七月十三日ニハ、院ヲバ伊藤左衛門請取〔うけとり〕マイラセテ、四方ノ逆輿〔さかごし〕ニノセマイラセ、伊王左衛門入道御供ニテ、鳥羽殿ヲコソ出サセ給ヘ。女房ニハ、西ノ御方・大夫殿・女官〔によくわん〕ヤウノ者マイリケリ。又、何所〔いづく〕にても御命尽〔つき〕サセマシマサン料〔れう〕トテ、聖〔ひじり〕ゾ一人召具〔めしぐ〕セラレケル。【後略】
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5ec3d9321ac9d301eca3923c022ea649
とある「四方ノ逆輿」は、単に「四方ノ坂輿」の誤記ではなかろうか、という疑惑も浮かんできました。
『新日本古典文学大系43 保元物語 平治物語 承久記』(校注担当は益田宗・久保田淳氏、岩波書店、1992)の「四方ノ逆輿」の脚注には、
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進行方向と逆にかく輿。逆馬逆輿は罪人を送る時の作法。「先例なりとて、「御輿さかさまに流すべし」といふ」(とはずがたり四)。
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とありますが(p355)、『とはずがたり』(とそれを受けた『増鏡』)の記述が「四方ノ逆輿」の解釈に影響を与えた可能性も一応考慮した方がよさそうです。
ま、それは後でもう一度考えるとして、「逆馬逆輿は罪人を送る時の作法」が本当に存在するのかが当面の最大の問題ですが、『国史大辞典』の「輿」の項を見ても、「逆輿」への言及はありません。
ここでウィキペディアを見たところ、法政大学出版局の「ものと人間の文化史」シリーズに『輿』(櫻井芳昭著、2011)というタイトルの本があるのを知り、さっそく入手して通読してみたところ、若干のエッセイ風の雰囲気はあるものの、実に丁寧に「輿」に関する文献を渉猟して分かりやすく解説している良書でした。
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『ものと人間の文化史156 輿(こし)』
輿は天皇を初めとする貴人の乗用具として、古代から明治初期まで、千二百年以上にわたって用いられてきた。その延長としての神輿(みこし)は、神の乗り物として現在の祭礼にも受け継がれている。本書は、その種類と変遷を探り、天皇の行幸や斎王群行、姫君たちの輿入れ、さらには葬送における使用の実態を明らかにするとともに、輿を担いだ人々の生活や諸外国の人担乗用具にも言及する。
https://www.h-up.com/books/isbn978-4-588-21561-2.html
しかし、同書にも「逆輿」に関する記述はありません。
そこで、最後の希望を託して『古事類苑』「器用部二十九 輿」を見たところ、全部で63頁もあるのでちょっと確認に手間取りましたが、「逆輿」に関する記述はありません。
ということで、初歩的な調べものとしては一応の手を尽くしてみた結果、私の暫定的な結論は、「逆馬」はともかく、「逆輿」が「罪人を送る時の作法」というのは、少なくとも古代から連綿と続く慣習などではなく、『とはずがたり』に初めて出て来る東国武家社会の慣習なのではないか、というものです。