祖父の「四条兵部卿」隆親から「局などをきちんと片づけて退出しなさい。夜になったら車を迎えにやろう」という手紙をもらった二条は、事情が分からなくて後深草院の御前に行って、「何事でしょうか」と尋ねても御返事はなく、当時は三位殿と言われていた玄輝門院(洞院実雄女、熈仁親王母、1246-1329)に事情を聞いても「私も知りません」という返事。
そうかといって出ない訳にもいかないので、準備していると、四歳の九月から参上していた御所を出るのは非常につらく、涙にくれていたところ、例の「恨みの人」、即ち「雪の曙」が来て、泣き濡れている二条に「どうしたのです」と尋ねてくれたがつらくて答えられないので、祖父の手紙を見せるも、「雪の曙」も何のことか分からず、誰も合点が行かない、というのが前回引用した部分の内容です。
そして、次のように続きます。(p140以下)
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おとなしき女房たちなどもとぶらひ仰せらるれども、知りたりけることがなきままには、ただ泣くよりほかのことなくて、暮れゆけば、御所ざまの御けしきなればこそかかるらめに、またさし出でんもおそれある心地すれども、今より後はいかにしてかと思へば、今は限りの御面影も、今一たび見参らせんと思ふばかりに迷ひ出でて、御前に参りたれば、御前には公卿二三人ばかりして、何となき御物語のほどなり。
練薄物の生絹〔すずし〕の衣に、芒〔すすき〕に葛〔つづら〕を青き糸にて縫物にしたるに、赤色の唐衣を着たりしに、きと御覧じおこせて、「今宵はいかに御出でか」と仰せ言あり。何と申すべき言の葉なくて候ふに、「くる山人のたよりには訪れんとにや。青葛〔あをつづら〕こそ嬉しくもなけれ」とばかり御口ずさみつつ、女院の御方へなりぬるにや、立たせおはしましぬるは、いかでか御恨めしくも思ひ参らせざらん。
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年長の女房たちも言葉をかけてくれるけれども、ただ泣くよりほかにできないまま暮れ方になると、院の意向でこうなっているのだろうから、御前に出るのははばかられるけれども、これが最後かと思うと、もう一度だけお会いしたいと思って迷い出ると、院は公卿ニ、三人と雑談をしていた。
私は練薄物の生絹の衣に、芒に葛を青い糸で刺繍したものを着、赤色の唐衣を着ていたが、院はチラッと横目で見て、「今宵、出て行くのか」という仰せ言。返事もできないまま控えていると、「その模様は、来る手蔓があったらまた参ろうという訳か。青葛は嬉しくもないね」とだけ口ずさみつつ、東二条院の御方へか、御立ちになったのはどうして恨めしく思わずにいられよう。
ということで、衣裳にまで嫌味を言う後深草院は冷酷です。
そして、
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いかばかり思し召すことなりとも、「隔てあらじ」とこそあまたの年々契り給ひしに、などしもかかるらんと思へば、時のまに世になき身にもなりなばやと、心一つに思ふもかひなくて、車さへ待ちつけたれば、これよりいづ方へも行き隠れなばやと思へども、ことがらもゆかしくて、二条町の兵部卿の宿所へ行きぬ。
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後深草院の対応に絶望した二条は、すぐに出家しようなどと思うものの、とりあえず事情を知りたいので、隆親が用意し、二条の退出を待っていた車に乗って「二条町の兵部卿の宿所」に行きます。
そこで、
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みづから対面して、
「いつとなき老いの病と思ふ。このほどになりては殊に煩はしく頼みなければ、御身のやう、故大納言もなければ心苦しく、善勝寺ほどの者だになくなりて、さらでも心苦しきに、東二条の院よりかく仰せられたるを、強ひて候はんも憚りありぬべきなり」
とて、文〔ふみ〕を取り出で給ひたるをみれば、
「院の御方奉公して、この御方をばなきがしろに振舞ふが、本意〔ほい〕なく思し召さるるに、すみやかにそれに呼び出だして置け。故典侍大もなければ、そこにはからふべき人なれば」
など、御みづからさまざまに書かせ給ひたる文なり。
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ということで、隆親は東二条院からの手紙を出して、東二条院が隆親に二条を引き取るように命じたことが判明します。
隆親の言葉の中に「善勝寺ほどの者だになくなりて」とあるので、ここで「善勝寺大納言」四条隆顕が既に死んでしまっていることになりますが、これもずいぶん唐突な話です。
隆顕は巻二までは頻繁に登場していましたが、巻二の最後の方、「近衛大殿」エピソードの「酒宴の後、院の黙契で大殿作者と契る」(28)場面で、
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かねの折敷に、瑠璃の御器にへそ一つ入れて、妹賜はる。 後夜打つほどまでも遊び給ふに、また若菊を立たせらるるに、「相応和尚の破不動」かぞゆるに、「柿の本の紀僧正、一旦の妄執や残りけん」といふわたりをいふ折、善勝寺きと見おこせたれば、我も思ひ合はせらるるふしあれば、あはれにも恐ろしくも覚えて、ただ居たり。のちのちは、人々の声、乱舞にて果てぬ。
という具合いに、白拍子が歌う今様の一節、「柿の本の紀僧正、一旦の妄執や残りけん」から「有明の月」を連想して、二条を「きと見おこせ」たのを最後として、巻三に入ると全く登場しませんが、ここで既に死んでしまっていることが明かされます。