学問空間

「『増鏡』を読む会」、第9回は2月22日(土)、テーマは「上西門院とその周辺」です。

第一回中間整理(その3)

2023-03-14 | 長村祥知『中世公武関係と承久の乱』

権門体制論は今からちょうど六十年前、1963年2月の『岩波講座日本歴史 中世2』に収められた「日本中世の国家と天皇」という論文において誕生しました。
この古い論文は未だに多くの中世史研究者を呪縛し続けていますが、この恐るべき還暦論文を少し読んで、そのご長寿の秘密を探ってみることにしました。

黒田俊雄「中世の国家と天皇」を読む。(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/94bbd8d3b841f0c14359be2139d97011

黒田は「国家」の定義をせず、「国家の本質」についても何も述べません。
しかし、黒田は「貴族・武士を含めて【全支配階級】が農民その他全人民を支配した諸々の機構を【総体的】に把握」、「人民支配の体制としての国家の全体的関係」などと言うので、あるいは「全支配階級が全人民を支配した諸々の機構」を国家と定義しているのかもしれません。
しかし、「全支配階級」や「全人民」といった観念は、さすがに今では左翼的な立場の歴史研究者であっても論文に使うのは躊躇われるであろう古語になってしまいましたね。

(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8fbdf80e525f4f4bd0017a2847b69dca

私自身はウェーバーに従って「国家の本質」を「正統的暴力の独占」と考えています。
そして、私のような立場からすると、はたして黒田の「中世の国家と天皇」は「国家論」なのだろうか、という根本的な疑問が生じてきます。

(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/426851a4db136612172f3824a82f81b2

黒田の権門体制論は、内容はともかく用語が古臭く、史的唯物論の臭いに満ちていましたが、これを脱臭し、思想的立場が異なる研究者でも使いやすいように蒸留・精製したのが上横手雅敬氏の「鎌倉幕府と公家政権」(『岩波講座日本歴史 五』所収、1975)という論文です。
上横手氏は権門体制論の「中興の祖」であり、現在の権門体制論者の大半は黒田直伝ではなく、上横手流に洗練された権門体制論を承継していますね。
そこで、丁寧に論ずるのであれば黒田論文の次に上横手論文を検討すべきでしたが、上横手論文も既に四十八歳と相当古くなっていますから、むしろ最新の研究動向を先に紹介した方が分かりやすいだろうと思って、秋山哲雄氏の「鎌倉幕府論 中世の特質を明らかにする」(『増補改訂新版 日本中世史入門─論文を書こう』所収、勉誠出版、2021)を見ることにしました。

秋山哲雄氏「鎌倉幕府論 中世の特質を明らかにする」を読む。(その1)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/19baebe9b4dc92ff486665b0aa746b2a

秋山氏は石井進氏が「多元的国家論」に基づいて黒田批判をしたことを高く評価されますが、私は懐疑的で、石井説は「定義なき中世国家論争」に一層の混乱を加えただけではないかと考えます。

(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5bafbbf39beb86543a14824a100ac792

さて、東国国家論の代表者である佐藤進一氏の『日本の中世国家』(岩波書店、1983)は私にとって謎の書物で、ここには承久の乱が存在しません。
これが佐藤氏の東国国家論の根本的欠点であろうと私は考えます。

(その3)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/33d6ee1e3db10ae91ea95944500c90c2

秋山氏が五味文彦氏の「二つの王権論」を検討する際に「「国家とは何か」という抱えきれないほど大きい問題」と言われている点は非常に興味深いですね。
歴史学を離れれば、別に「国家とは何か」は「抱えきれないほど大きい問題」として扱われている訳ではありませんが、なぜ歴史学においては、「国家とは何か」が「抱えきれないほど大きい問題」と思われがちなのか。
これはかつて歴史学の世界において、マルクス・エンゲルスの国家論が一世を風靡していた時代があったからですね。

(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/a1008bdcbf78597a3afc9e95ab01f86a

秋山氏は「公権委譲説」を批判した川合康氏を高く評価されていたので、私も川合氏の論文を少し読んでみました。

(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/503df80f7ac867852ebbba528d584aea

川合氏の著書を読んで、私は川合氏が権門体制論の「予定調和」の世界とはかけ離れたリアルな鎌倉幕府成立史を描き出した手腕に感動しました。
しかし、それだけに何故、川合氏が自らを権門体制論の枠内に置くのかが不思議だったので、川合氏の「鎌倉幕府研究の現状と課題」(『日本史研究』531号、2006)という論文を読んでみました。

川合康氏「鎌倉幕府研究の現状と課題」を読む。(その1)(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8d3942ccef43904d40d2affb13acd1ce
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/9dbdd561993661b7528b012cd846bc1d

川合氏は上横手氏の権門体制論との違いを強調され、「幕府の超権門的性格」を熱く語りますが、私は川合氏の「超権門的性格」論は権門体制論としては論理的に破綻しており、その破綻は承久の乱の戦後処理に最も鮮明に現れていると思います。

(その3)(その4)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c86ac9836376b48ac6ffc692e720e03a
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/445055e235c4074de2517fb032953962

岩田慎平氏のような上横手流の権門体制論者は「院政期の軍事権門の在り方」と鎌倉幕府の連続性を強調します。
しかし、川合氏は「鎌倉幕府権力」が「形成される」過程を極めてリアルに分析され、鎌倉幕府が「院政期の軍事権門の在り方とは大きく異なる特異な全国的軍事権力」であることを解明されたので、予定調和のまったり理論である権門体制論との間に亀裂が生じています。
もちろん、川合氏はその亀裂を自覚されていませんが、「超権門的性格」という表現は、客観的には権門体制論との亀裂を示唆しています。

(その5)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/605611b8db9d85327161d4bce4139188

コメント
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