投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年12月11日(木)10時29分37秒
>筆綾丸さん
>関東還府
私も何のことか全然分かりませんでしたが、三国干渉の結果、遼東半島を返還する旨の詔勅が出されたのが1895年(明治28)5月10日とのことなので、「遼東還付」の二字誤植みたいですね。
臥薪嘗胆、列強への警戒を怠るな、という警告の記念日なんでしょうね。
国立公文書館サイト内
http://www.jacar.go.jp/nichiro/18950510.htm
山口県文書館サイト内(PDF)
http://ymonjo.ysn21.jp/user_data/upload/File/ags/4-3-2-025.pdf
>長尾龍一氏の『日本憲法思想史』
これは未読なので、早速読んでみます。
長尾氏は東大教養学部教授を長く勤めておられ、私も時期的には重なっているのですが、講義は受けたことがなく、顔も思い浮かびません。
昭和四年六月、京大に講演に来た蓑田胸喜を宇都宮徳馬・水田三喜男・勝間田清一らが攻撃して追い返した一件はこの掲示板でも少し触れましたが、蓑田を京大に呼んだのは長尾龍一氏の父親だそうですね。
『天皇と東大』から少し引用してみます。(下巻、p60以下)
--------
この滝川の文章でも、先の座談会の末川発言でも、誰が蓑田を呼んだのか分からないことになっているが、『京都大学百年史』では、次のように記されており、誰が呼んだかわかっている。
「同年六月には慶応大学予科教授の蓑田胸喜に講師を依頼した(これは猶興学会員-法学部学生長尾群太(ぐんた)の提言によるものという─子息長尾龍一東大教授の談<平成八年十一月三十日>)」
ここに出てくる猶興学会というのは、当時東大の七生社とならび称された有名な学生右翼団体で、三年後の血盟団事件では、この団体から三名の学生テロリスト、田倉利之、森憲二、星子毅が出たことは前に述べた。長尾群太は、猶興学会の幹事長をずっとつとめていた学生で、京大右翼の指導者だった。(後略)
--------
『天皇と東大』を読んだ後、長尾龍一氏のエッセイ風の著作にいくつかあたって、父親のことが書いてないかなと探したのですが、見当たりませんでした。
長尾龍一氏はウェブサイトも運営されていますが、「私事を語らないこと、思いつきの雑文を慎むことを基本ルールとするつもりでおります。その原則が破られたときは、ぼけた時とお考えください」とのことなので、父親への言及もないのでしょうね。
長尾龍一 Website OURANOS -ウーラノス-
http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/index.html
宇都宮徳馬と蓑田胸喜
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7582
『京都帝国大学学生運動史』
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7585
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7603
>筆綾丸さん
>関東還府
私も何のことか全然分かりませんでしたが、三国干渉の結果、遼東半島を返還する旨の詔勅が出されたのが1895年(明治28)5月10日とのことなので、「遼東還付」の二字誤植みたいですね。
臥薪嘗胆、列強への警戒を怠るな、という警告の記念日なんでしょうね。
国立公文書館サイト内
http://www.jacar.go.jp/nichiro/18950510.htm
山口県文書館サイト内(PDF)
http://ymonjo.ysn21.jp/user_data/upload/File/ags/4-3-2-025.pdf
>長尾龍一氏の『日本憲法思想史』
これは未読なので、早速読んでみます。
長尾氏は東大教養学部教授を長く勤めておられ、私も時期的には重なっているのですが、講義は受けたことがなく、顔も思い浮かびません。
昭和四年六月、京大に講演に来た蓑田胸喜を宇都宮徳馬・水田三喜男・勝間田清一らが攻撃して追い返した一件はこの掲示板でも少し触れましたが、蓑田を京大に呼んだのは長尾龍一氏の父親だそうですね。
『天皇と東大』から少し引用してみます。(下巻、p60以下)
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この滝川の文章でも、先の座談会の末川発言でも、誰が蓑田を呼んだのか分からないことになっているが、『京都大学百年史』では、次のように記されており、誰が呼んだかわかっている。
「同年六月には慶応大学予科教授の蓑田胸喜に講師を依頼した(これは猶興学会員-法学部学生長尾群太(ぐんた)の提言によるものという─子息長尾龍一東大教授の談<平成八年十一月三十日>)」
ここに出てくる猶興学会というのは、当時東大の七生社とならび称された有名な学生右翼団体で、三年後の血盟団事件では、この団体から三名の学生テロリスト、田倉利之、森憲二、星子毅が出たことは前に述べた。長尾群太は、猶興学会の幹事長をずっとつとめていた学生で、京大右翼の指導者だった。(後略)
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『天皇と東大』を読んだ後、長尾龍一氏のエッセイ風の著作にいくつかあたって、父親のことが書いてないかなと探したのですが、見当たりませんでした。
長尾龍一氏はウェブサイトも運営されていますが、「私事を語らないこと、思いつきの雑文を慎むことを基本ルールとするつもりでおります。その原則が破られたときは、ぼけた時とお考えください」とのことなので、父親への言及もないのでしょうね。
長尾龍一 Website OURANOS -ウーラノス-
http://book.geocities.jp/ruichi_nagao/index.html
宇都宮徳馬と蓑田胸喜
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7582
『京都帝国大学学生運動史』
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7585
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7603