原敬を首班とする立憲政友会内閣(1918~21)。
1918年9月、米騒動で倒れた寺内正毅内閣のあとをうけて組閣。
陸軍・海軍・外務の3相を除く他の大臣を政友会で占めた最初の本格的政党内閣であった。
1918年、大戦景気をうけて、技術者の養成と供給を合理化するため、大学令・高等学校令を公布。
私立大学・単科大学などを公認した。
また、鉄道建設・産業振興政策を行い、その財源は巨額の公債発行と増税であった。
シベリア出兵を継続し、尼港事件をおこし、八八艦隊実現に努力。
陸・海軍省費は’21年度には’18年度の2以上の7億3100万円で、軍と資本家を助ける一方、普通選挙に対しては終始反対したが、選挙資格を直接国税3円以上とした。
’21年11月、原首相が暗殺され総辞職した。
●米騒動
ベック式暗記法!
行く人は米 腹に入れ。
1918年 米騒動 原敬内閣