◆走馬灯のように駆け巡る記憶
旅に病んで夢は枯れ野をかけめぐる
これは旅先で病の床に臥し、臨終が近いことを悟った松尾芭蕉が辞世の句として詠んだものですが、
人生を旅とみなした芭蕉の頭の中には、
枯れ野をひとり行く自分の姿とともに、
歩んできた行程の一つひとつが、
現れては姿を消していったことでしょう。
様々な事故などで生命の危険にさらされたとき、
それまでの人生で起こった出来事が次から次へと走馬灯のように浮かんでは消えていったというのは
これらの危機を経験した人々によってよく語られることがらです。
これらの事実は、記憶が完全に失われたのではなく、
脳の奥深くに秘められているということを示しています。
そして、死に直面して人生の記憶が蘇るのは、
目の前の危機を乗り越えるための方策を脳が過去の記憶の中に探し求めているのだという説があります。
この説は現在確証を得るに至ってはいませんが、
脳の潜在能力は私たちが考えているよりも遥かに大きなものであることがうかがわれます。
記憶を取り出す回路を作り上げることができれば、
脳の中にあるすべての情報を自由自在に取り出すことも可能なはずです。
◆記憶はすべて脳の中に
それでは、「忘れてしまった」と考えられている事柄は脳のどこかに潜んでいて、何らかの刺激によって思いだせるものなのでしょうか。
答えは「イエス」です。忘却は情報の喪失ではないのです。人間の記憶はすべて脳の中に蓄積されているのです。
カナダの脳外科医W・G・ペンフィールドは、
テンカンの原因となる脳領域を特定するため、
頭蓋骨を切開し、小さな電極で脳の表面をなぞっていました。
驚いたことにペンフィールドがある場所を刺激したとき、
患者たちは突然過去の経験を思いだし始めたのです。
電極を離すとすべては消えるのですが、同じ場所を刺激すると、再び同じ記憶が蘇ったのです。
つまり、記憶は完全な状態で保存されていると言えるのです。
そしてある種の刺激やきっかけによって、それらの記憶を取り出すことも可能だということを確認できたのです。