●ローマ(帝政)
Recognition of Christianity; The Roman Emperor Constantine recognizes Christianity.
さぁいざ公認 皆(みな)の神。
313年 キリスト教公認 コンスタンティヌス帝 ミラノ勅令
ディオクレティアヌス帝は治世の末期にキリスト教の大迫害を行ったが、その勢力を抑えることは不可能であった。コンスタンティヌス帝は前代の迫害を一転し、313年にはミラノ勅令によってキリスト教を公認。325年にはニケーア公会議を開いて三位一体説のアタナシウス派を正統教義とし、アリウス派を異端として教義の統一を図った。
ニケーア公会議
コンスタンティヌス帝がキリスト教に求めたものは、帝国を統制するのに有効な政治的価値であった。そのため、彼は教会内に生じていた神学上の対立を解消しようと、325年にはニケーア公会議《三位一体説を確立したニケーア公会議と325年の年代を覚えよう!》を開いて、アタナシウス派を正当教義とし、キリストの神聖を否定したアリウス派が異端とされた《アタナシウス派は父なる神・子なるキリスト・聖霊の3者に違いは〈ナシ〉といい、アリウス派は〈アリ〉としたのである》。アタナシウス派の説は、のち三位一体説として確立し、一方ローマを追放されたアリウス派はゲルマン人の中にひろまった。