つぎの文を読んで空欄 1~10 にもっとも適する語を下の語群から選び、その記号をマークせよ。
明治維新以来、不平等条約の撤廃は朝野を問わず日本国民の悲願であった。このため政府は、1871 年に岩倉具視一行を欧米に派遣して条約改正交渉と欧米の国情視察にあたらせたが、条約改正交渉は失敗した。
この使節団には副使として参議( 1 )・大蔵卿( 2 )・工部大輔伊藤博文ら明治政府の中心人物たちが参加していた。
その後、1876 年( 3 )外務卿が交渉にあたり、税権回復につきアメリカの同意を得たが、イキリスなどの反対にあって不成功に終わった。
井上馨外務卿(後外務大臣)は、1879 年から八年間にわたって条約改正交渉にあたったが、彼は外国人の( 4 )や外国人判事の任用などを条件に、領事裁判権の撤廃と税権の一部回復をめざした。
しかし井上案に対し、法律顧問( 5 )は、日本の利益、面目、安全を損なうものと強く反対し、閣内からも( 6 )農商務大臣が反対を唱えたため、交渉を中止して辞任した。
次いで外務大臣となった大隈重信は、外国人判事の任用を大審院に限ることにして極秘に交渉を進めたが、その内容がロンドン・タイムスに報ぜられると、外国人判事任用は憲法違反だと攻撃する声が高まり反対運動が展開され、( 7 )の活動家来島恒喜に爆弾を投ぜられて負傷し、改正交渉が挫折したため、( 8 )内閣は総辞職した。
後を受けた青木周蔵は、そのころロシアの極東進出を警戒して日本に対し好意的となったイギリスと改正交渉を開始したが、( 9 )が起こり、引責辞任したため交渉はまたもや中断された。
第二次伊藤博文内閣になって、陸奥宗光外務大臣のもとで改正交渉はようやく軌道にのり、1894 年、領事裁判権の撤廃と( 10 )などを内容とする日英通商航海条約の締結に成功した。
その後、他の欧米列国とも改正条約が調印されたが、残されていた関税自主権の完全回復は、1911 年、小村寿太郎外務大巨のもとで実現された。
〔語群〕
ア.犯罪人引渡 イ.榎本武揚 ウ.内地雑居 エ.大久保利通 オ.黒田清隆 カ.ロエスレル キ.大井憲太郎
ク.井上馨 ケ.寺島宗則 コ. 福島事件 サ.最恵国待遇 シ.谷干城 ス.平民社 セ.土地の所有
ソ.井上毅 タ. 相互安全保障 チ.山県有朋 ツ. 伊東巳代治 テ.ボアソナード ト.木戸孝允 ナ.三条実美
ニ.大津事件 ヌ.松方正義 ネ.立志社 ノ.営業の自由 ハ.副島種臣 ヒ.モッセ フ.金子堅太郎 へ.ノルマントン号事件 ホ.玄洋社
[解答]
1 ト 2 エ 3 ケ 4 ウ 5 テ 6 シ 7 ホ 8 オ 9 ニ 10 サ
[解説]7.人は爆弾多く投げ。
1889年 黒田内閣 大隈重信
玄洋社