次の A・B の文を読み、空欄(a)~(i)にもっとも適当な語句または数字を下記の語群より選び、その番号を記せ。ただし、空欄内の同一英字記号は同一の語句ないしは数字であることを示す。また、下線(ア)~(オ)について、下記の設問に答えよ。解答は漢字で記せ。
日清戦争後に本格化する日本資本主義の展開は、日本社会に公害問題、都市貧民問題、労働問題など様々な問題を生みだした。公害問題は、その被害の激しさと地域の広さにおいて産銅業に典型的にあらわれる。公害問題が産銅業に集中的にあらわれるのは、第1 に、日清戦争後の軍備拡張を中心とする政府の戦後経営においては、( a )の面でも、軍需原材料としての内需の面でも、銅の持つ比重が絶対的に増加していたこと、第 2 に、産銅業に限らず日本における鉱工業の展開過程においては、生産性のみが重視され、排出物による地域住民の被害は企業にとっても国家にとっても当初は問題にされなかったこと、第 3 は、被害防止のための技術水準がこの時点ではきわめて遅れた水準にあったことなどによる。1880 年代から被害が顕在化する( b )経営の(ア)足尾銅山の鉱毒問題は、議会活動や被害住民の様々な運動、言論人・知識人・学生などの支援の運動により、1890 年代から 1900 年代にかけて大きな社会問題になるが、日露戦争後鉱毒問題は治水問題にすり替えられ、1907 年、栃木県( c )村の廃村・水没によって幕を閉じる。
一方、( d )経営の別子銅山煙害問題は、製錬所の四阪島移転によってさらに被害が拡大し、被害農民の大規模な抗議運動の結果、
(イ)1910 年には( d )と被害農民の間に操業継続を条件に鉱量制限と事実上の賠償金という妥協が行われていく。
また、資本主義の発展は、都市への人口流入と貧民問題や労働問題を生みだした。1890 年代以降、都市下層社会および労働者の劣悪な状態は新聞や出版物を通じて世に知られはじめた。1893年に松原岩五郎の『最暗黒之東京』、1899 年には『(ウ)日本之下層社会』などが刊行され、その後 1925 年には、紡績女子労働者などの過酷な労働条件と生活を描いた(エ)細井和喜蔵の著作が刊行された。政府も手をこまねいていたわけではない。(オ)1903年には、政府の1つの省によって全国労働者の実態を調査した報告書が刊行され、工場法立案の基礎資料となる。社会政策的意味合いを持った工場法は、様々な圧力によりなかなか制定に至らず、
1911 年、第2 次桂内閣でやっと制定される。( e )歳未満の就労禁止、少年・女子の深夜業禁止、( e )時間労働制(ただし業種により 15 年間を限り 2 時間以内延長可能)などを定めた工場法は、最初の労働者保護立法としての意義はあるものの、当初適用範囲が( f )人以上の職工を使用する工場に限られるなど 1 多くの問題点を持っていた。
このような社会状況の中で、社会主義の運動も勃興する。1901 年、最初の社会主義政党である(g)が結成されるが、結成直後に( h )違反を理由に解散させられる。その後、社会主義運動は様々な形を取りながら活発化していくが、政府は、1910 年の大逆事件を契機に社会主義者・無政府主義者の大弾圧を行い、翌年には( i )ら 12 名の死刑を執行した。このようにして、社会主義運動の「冬の時代」が訪れる。
〔語群〕
1.8 2.10 3.12 4.15 5・20 6.25 7.35 8.45 9.65 10.府県 11.町村 12.全国 13.集会条例 14.輸入 15.治安警察法 16.輸出 17.新居浜 18.賀川豊彦 19.川俣 20.谷中 21.幸徳秋水 22.日本社会党 23.社会民主党 24.渡良瀬 25.社会大衆党 26.堺利彦 27.古河 28.信用 29.三菱 30.三井 31.住友 32.浅野 33.治安維持法 34、山川均 35.大杉栄 36.片山潜 37.集会及政社法 38.社会主義研究会 39.過激社会運動取締法
〔設問〕
(ア) この問題を県会・衆議院へと提起し続け、1901 年天皇への直訴にまでおよんだ人物の姓名を記せ。
(イ) この妥協は政府の 1 つの省の調停で行なわれる。傍線(オ)の報告書も作成したこの省名を記せ。
(ウ) この著者の姓名を記せ。
(エ) この著作名を記せ。
(オ) この報告書名を記せ。
解 答]
a 16 b 27 c 20 d 31 e 3 f 4 g 23 h 15 i 21
ア 田中正造 イ 農商務省 ウ 横山源之助 エ 女工哀史 オ 職工事情