1. バーブル の時の領土
2. アクバル の時の領土
3. アウラングゼーブ の時の領土
重要地名
a. カーブル
b. デリー
c. アグラ
d. ボンベイ(ムンバイ)
e. ゴア
f. カリカット
g. ポンディシェリ
h. マドラス(チェンナイ)
i. カルカッタ(コルカタ)
j. シャンデルナゴル
主な反ムガル勢力
A. シク教徒
B. ラージプート諸侯
C. マラーター王国
1. バーブル の時の領土
2. アクバル の時の領土
3. アウラングゼーブ の時の領土
重要地名
a. カーブル
b. デリー
c. アグラ
d. ボンベイ(ムンバイ)
e. ゴア
f. カリカット
g. ポンディシェリ
h. マドラス(チェンナイ)
i. カルカッタ(コルカタ)
j. シャンデルナゴル
主な反ムガル勢力
A. シク教徒
B. ラージプート諸侯
C. マラーター王国
▲赤がオスマン帝国軍、青がティムール軍
●トルコ(オスマン=トルコ)・中央アジア(ティムール帝国)
Battle of Ankara: An invading Timurid Dynasty force defeats the Ottoman Sultan Bayezid I, who is captured.
一生(いっしょう)不安 ヤバイって。
1402年 アンカラの戦い バヤジット1世 ティムール
1396年のニコポリスの戦いでキリスト教連合軍に勝利したオスマン=トルコのスルタンバヤジット1世はドナウ川以南を征服。
1402年、ティムールは小アジアの諸侯を圧迫するオスマン=トルコに対抗し、アンカラの戦いでオスマン帝国の軍を破り、バヤジット1世を捕虜とした。
中央アジアから西アジアを統合したティムール自身も、1405年明への遠征途中にオトラルで病死した(年を越さずに ティムール死)。
▼バヤジット1世
地図問題.アンカラの戦いが起こった場所(アンカラ)を a から g の中から選べ。
解答.c
解説.b はニコポリスの戦いが行われたニコポリス
A オスマン帝国 B サファヴィー朝 1 ブルサ 2 アドリアノープル 3 イスタンブル
4 ウィーン 5 ヴェネツィア 6 ローマ 7 ダマスクス 8 カイロ 9 メディナ 10 メッカ
11 アデン 12 バグダード 13 タブリーズ 14 イスファハーン 15 ホルムズ島
a コソヴォの戦い b ニコポリスの戦い c アンカラの戦い d チャルディランの戦い e モハーチの戦い
f プレヴェザの海戦 g レパントの海戦
●中央アジア(ティムール帝国)
Timur completes his conquest of Central Asia and parts of Persia, establishing the Timurid Empire.
いざ名(な)を上げた ティムール様。
1370年 ティムール帝国 サマルカンド
1370年、西チャガタイ=ハン国の豪族ティムールは、サマルカンドを都にテムール帝国を開き、西トルキスタンを統一。続いて東トルキスタンを併せ、イランに侵攻、中央アジアの大部分を制圧した。オスマン=トルコのバヤジット1世をアンカラの戦いに破り、明の征服をも試みたが、遠征途中に病死した。その後ティムール帝国は1500年にウズベク族に滅ぼされた。
【問】次の文章を読んで、後の問に答えなさい。
新航路開拓の先頭を切ったポルトガルは1498年に海路インドに到達した。
ディウ沖海戦で紅海・アラビア海の制海権を握ると(あ)インド半島西岸に拠点を確保し、ここから東方貿易の独占を図った。
ポルトガルは16世紀末には勢力を失い、それに代わってオランダ、イギリス、フランスが進出した。
まもなく3国はそれぞれ(い)東インド会社を設立してアジア貿易を推進し、アジアの諸地域に植民地を建設するにいたった。
18世紀半ばを中心に(う)イギリスとフランスはインドにおいて勢力拡張をめぐる激しい争いを展開した。
その争いは(え)ヨーロツパにおける戦争の勃発を契機に一層激しさを増し、デュプレクスが総督になると、インド人諸侯相互の争いもからんで、戦争が頻発した。
(お)南インドでは前後3回の戦争の結果、イギリスが勝利し、南インドの支配権を確立した。
北インドにおける英仏の争いは、(か)1757年のベンガルにおける戦闘の結果、イギリス側の勝利に帰した。
こうしてイギリスは、ほぽ独占的なインド経営を進めることになる。
18世紀に入ると、第6代皇帝の死後(き)ムガル帝国は急速に崩壊をはじめ、(く)各地で有力な勢力が独立した。
こうしたインドの内部分裂と、割拠する地方の王侯同士の反目は、イギリス東インド会社の進出に絶好の機会を与えた。
(け)会社はムガル皇帝から徴税・行政権を獲得し、インドの土地と人民を支配する権力機構へと性格を変えた。
この変化によって東インド会社はイギリス政府からの強い干渉を受けるようになり、最終的には19世紀半ばの(こ)反英大反乱を機にイギリス政府は会社を解散させ、インドを直接支配の下におき、さらに1877年には(さ)イギリス国王を皇帝とするインド帝国を成立させた。
解答
あ‐1.ウ あ‐2.オ
解説
解 答
あ‐1.ウ あ‐2.オ い‐1.ア い‐2.ウ う‐1.ケ う‐2.ウ え.オ お.オ か.イ き.オ く.ア け.オ こ‐1.ア こ‐2.エ さ.エ
解説.う‐2.「ガンジス川下流のイギリスの大港湾都市」は「カルカッタ」。お.