▲ロバート・クライブ
●イギリス(ハノーヴァー朝)
Battle of Plassey: 3,000 British troops under Robert Clive defeat a 50,000 strong Indian army at Plassey.
避難(ひなん)困難 仏(ふつ)クライ。
1757年 フランス プラッシーの戦い
クライヴ イギリス
17世紀後半にオランダが衰えると、英・仏両国はムガル帝国の衰退に乗じて勢力争いを展開。
1744年以降、両国はカーナティック戦争で争い、インド総督デュプレクスの戦略でフランスが優位に立った。
しかし、ヨーロッパで七年戦争が起こると、1757年のプラッシーの戦いではクライヴの活躍でイギリスがブランスとベンガル太守の連合軍を破り、フランスの勢力を駆逐して、1765年にはベンガルなど三州の地租収入権を得て事実上の植民地支配を開始した。
その後、イギリスは南インドのマイソール王国を滅ぼし、中部インドのデカン高原のマラータ同盟を打ち破り、北インドで根強い反抗を続けたシク教徒を鎮圧し、1815年にはウィーン議定書でオランダからセイロン島を、1816年にはネパールを戦争によって保護下においた。