一味公認半分を。
(観応半済令)(美濃・近江)(尾張)
[point]
1.観応(かんのう)の半済令は、美濃・近江・尾張の3国に限られた。
[解説]
1.幕府は、観応の擾乱(南北朝の動乱の初期、1350(観応元)年~)中、地方武士を動員するために、守護の権限を大はばに拡大した。
2.足利尊氏の幕府は、観応の半済令(1352)で、守護に軍費調達のため、一国内の荘園や公領の年貢の半分を1年限り徴発する権限を、動乱の激しかった近江・美濃・尾張の3国に限定し、認めた。
3.守護の得た権限強化の効果は大きく、守護はこれを利用して国内の荘園や公領を侵略し、これを領域内の武士たちに分けあたえて、彼らを統制下にくり入れていった。
4.応安の半済令(1368)以降、全国的に、また永続的におこなわれるようになり、しかも年貢だけでなく、土地(下地)そのものを分割するようになった。
〈2016上智大・法(地球)済(営)総人(社福)
問9 下線部g「守護」の権限はしだいに強大化し、半済令もその適用範囲が拡大していった。1352年に発令された半済令が、当初対象としていた国はどこか。次の中からlつ選びなさい。
1山城(1国のみ)
2山城・丹波の2国
3大和・紀伊の2国
4山城・大和・近江の3国
5近江・美濃・尾張の3国
(答:5)〉
〈2016立命館大・全学部
〔2〕一、寺社本所領の事 6)観応三・七・廿四御沙汰
諸国7)擾乱に依り、寺社の荒廃、本所の牢龍、近年倍増せり。而るに適静謐の国々も、武士の濫吹未だ休まずと云々。働て守護人に仰せ、国の遠近に依り日限を差し、施行すべし。承引せざる輩に於いては、所領の[ D ]分の一を分ち召すべし。所帯無くば、流刑に処すべし。(中略)
次に[ E ]三ヶ国の本所領半分の事、[ F ]所として、当年一作、軍勢に預け置くべきの由、守護人等に相触れ訖(おわ)んぬ。半分に於いては、宜しく本所に分かち渡すべし。若し預人(あずかりにん)事を左右(そう)に寄せ、去(さり)渡さざれば、一円に本所に返付すべし。
(『[ G ]』)
問h 下線部6)に関連して、この年の通達ののちに足利義満が3代将軍となった年にも、天皇領と殿下渡領を除く荘圈の下地を、無期限に折半する内容の法令が出されている。この法令が出された、もっとも適当な西暦年を下から一つ選べ。
あ 1352年 い 1359年
う 1368年 え 1394年
問i 下線部7)は、ある人物が、将軍派の武将として権勢をふるい将軍の弟との対立を深めていくなかで生じた内紛である。「ある人物」は、のちの管領にあたる役職を帯びていた。この役職名を答えよ。
問j 空欄[ D ]にあてはまる、もっとも適当な漢数字を答えよ。
問k 空欄[ E ]にあてはまる語句の組み合わせとして、もっとも適当なものを下から一つ選べ。
あ 越前・近江・美濃 い 近江・美濃・尾張
う 美濃・尾張・三河 え 山城・越前・加賀
問l 空欄[ F ]にあてはまる、もっとも適当な語句を答えよ。
問m 空欄[ G ]は、御成敗式目を基本法として継承した、室町幕府の法令集である。これにあてはまる、もっとも適当な出典名を漢字6文字で答えよ。
(答:hう(史料は観応の半済令だが問うているのは応安の半済令)、i執事(ある武将とは高師直)、j三、kい、l兵粮料(所)、m建武以来追加)〉
〈2013早大・文:「
室町幕府が施行した半済令について正しく説明したものを1つ選び、マーク解答用紙の該当する記号をマークしなさい。
ア 1352年、足利尊氏は大和・河内・摂津に半済令を施行し、南朝の京都侵攻に対処した。
イ 半済令は、室町幕府に反抗した守護についても降参した後、その半分の年貢取得を認めるものであった。
ウ 半済令は観応の擾乱に際して、足利尊氏が関東諸国の守護を味方につけるために施行したものである。
エ 1368年の応安半済令以降は荘園の下地まで分割されることとなり、事実上無期限となった。
オ 応仁の乱以降、半済令により守護は水田一段ごとに五貫文の銭貨を徴収できるようになった。)」
(答:エ ※ア×近江・美濃・尾張の3国の誤り、オ×一定額の銭貨ではなく半年貢である)〉