次の文章を読み、以下の問いに答え、記号をマークしなさい。
1882(明治15)年、政府は各国の憲法を調査するために、伊藤博文をヨーロッパに派遣した。伊藤は主にドイツ流憲法理論を学んで翌年帰国し、①憲法制定・国会開設の準備を進めた。
そして②政府顧問の外国人法学者の助言を得て③憲法が起草され、④天皇の諮問機関で審議が重ねられて、⑤大日本帝国憲法(明治憲法)として発布された。
一方、民間でも各政社などで数多くの⑥私擬憲法が発表された。
また、中江兆民の『民約訳解』・加藤弘之の『人権新説』など民権開係書の刊行や、天賦人権説など民権思想に開する論争が展開され、民権運動の高揚を助けた。
憲法発布の翌年には⑦日本最初の衆議院議員選挙が行われた。
⑧初期議会においては、旧民権派が再結集して政府に対抗し議会は紛糾したが、のち日清戦争を機に政府と政党との開係は対立から妥協へと移っていった。
問1 下線部①に関して、立憲政治を始める準備とは直接関係のないものを次から選びなさい。
ア 市制・町村制の公布 イ 内閣制度の発足 ウ 内大巨の設置 エ 貨幣法の制定 オ華族令の制定
問2 下線部②は誰のことか、もっとも適当な人物を次から選び、その記号をマークしなさい。
ア シュタイン イ ボアソナード ウ ロエスレル エ ベルツ オ グナイスト
問3 下線部③について、この憲法起草に直接関わっていない人物を次から選び、その記号をマーク
しなさい。
ア 井上毅 イ 大隈重信 ウ 伊藤博文 エ 伊東巳代治 オ 金子堅太郎
問4 下線部④の機関は1888(明治21)年に設置されたものである。その名称を次から選び、その記号をマークしなさい。
ア 元老院 イ 制度取調局 ウ 内務省 エ 大審院 オ 枢密院
問5 下線部⑤は西暦何年のことであるか。次から選び、その記号をマークしなさい。
ア 1888 イ 1889 ウ 1890 エ 1891 オ1892
問6 下線部⑤に関する説明文として間違っているものを次から選び、その記号をマークしなさい。
ア この憲法は欽定憲法で、天皇と行政府の権限が極めて強いものである。
イ 天皇は統治権の総覧者として官制を定め、文武官の任免を行い、国防方針の決定、宣戦・講和・条約の締結を行うという強大な権限を持つが、これを天皇大権という。
ウ 陸海軍の作戦・用兵などの権限に関しては、内閣からも独立して天皇に直属していたが、これを統帥権の独立という。
エ 帝国議会は貴族院と衆議院からなる。前者は皇族と華族の議員、天皇が任命する勅撰議員とからなり、後者は各府県1人の多額納税者及び選挙によって選出された議員とからなる。
オ 国民は法律の範囲内での所有権の不可侵、信教の自由、言論・出版・集会・結社の自由を認められ、議会での審議を通じて国政に参与することができた。
問7 下線部⑥について、このうち民権派の植木枝盛が起草したとされる私擬憲法私案はどれか、適当なものを次から選びなさい。
ア 日本国憲法 イ 東洋大日本国国憲按 ウ 私擬憲法案 エ 日本憲法見込案 オ 私擬憲法意見
問8 下線部⑦に関して、この時の選挙法では満25歳以上の男子で直接国税15円以上の納税者のみに選挙権が与えられた。このような納税制限がなくなったのはいつのことか、次から選びなさい。
ア 1900年山県有朋内閣 イ 1919年原敬内閣
ウ 1925年加藤高明内閣 エ 1945年幣原喜重郎内閣
問9 下線部⑦の結果、議会における勢力分野はA43%、B14%C26%D2%、無所属15%となった。A~Dの政党
名の組み合わせとして正しいものを次から選び、その記号をマークしなさい。
ア A 立憲同志会 B 立憲政友会 C 立憲自由党 D 立憲帝政党
イ A 立憲改進党 B 立憲自由党 C 国民自由党 D 大成会
ウ A 立憲同志会 B 立憲自由党 C 立憲改進党 D 立憲帝政党
エ A 立憲政友会 B 立憲自由党 C 立憲改進党 D 立憲同志会
オ A 立憲自由党 B 立憲改進党 C 大成会 D 国民自由党
問10 下線部8に関する説明文として適切なものを次から選び、その記号をマークしなさい。
ア 第一議会の時の首相は黒田清隆で、政府の政策は政党の意向によって左右されないという超然主義を主張した。
イ 第二議会の首相は山県有朋で、民党と激しく対立、衆議院を解散して総選挙を実施した。
ウ 第三議会の時の首相は松方正義で、民党の経費節減・民力休養の要求をうけいれた。
エ 第四議会の時の首相は伊藤博文で、議会で否決された軍艦建造費問題を天皇の詔書の力により修正可決し、海軍増強を行った。
オ 第五議会の時の外相は犬養毅で、民党との接近がはかられ、条約改正問題についても日英通商航海条約が結ばれた。
[解答]
1 エ 2 ウ 3 イ 4 オ 5 イ 6 エ 7 イ 8 ウ 9 オ 10 エ
[解説]1897年(明治30年)、内閣総理大臣兼大蔵大臣の松方正義は金準備が整ったとして貨幣法およびその付属法案を閣議に提出した。

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