ある資料を探していて目にとまった本です。 場所は図書館。
魚柄仁之助(うおつかじんのすけ)という 1956年生まれの食文化研究家の書いた本です。
はじめに という書き出しを目で追っただけで 読みたいと思いました。
冷蔵庫の容量が年々でっかくなっている。 それはまさに食生活の豊かさを示しているように思えるのです。 しかし同時に我々は冷凍冷蔵庫なしで は暮らせない食生活になったんだな…ともいえるのです。
という書き出しです。
そして
大丈夫なのか? 21世紀
20世紀は化石燃料を湯水のごとく使い、ハイカロリー食を飽食する時代だった。 大量生産、大量廃棄、環境汚染、温暖化 … そして21世紀の今、 そのツケがまわってきた。今日、あわててバイオエタノールに走ったり汚水処理技術で水不足に対抗したり、遺伝子組み換え食料増産をめざしたりして いるんですね、世界中で。しかし、我々の暮らしがこの先楽になる?とはまずおもえんでしょ。地球環境は劣悪化され、日本はと言えば少子高齢化。年 金なんざ、もうじき七十何歳かにならにゃもらえんようになりそうですぞ。高度成長経済を支えたのは、資源の大量使用と環境破壊だったんですね。そ れを止める暮らしをせにゃならん現代人にとって必要な心がまえは何だろうーか?
ときて 次に著者は暮らしをスケールダウンせよ と続きます。
暮らしのスケールダウン
1993年、『台所リストラ術』という本を書くにあたり、(以下省略)
スケールダウンした暮らしなら老後の経済も不安がない。21世紀の不安定な日本で生き延びるにはこうした「貧乏力」こそが必要なんじゃなかろー か?
というふうに書き出しを締めてあります。
本編は六つの章から構成されていて、内容はとても固いまじめなものなのに その文体が軽くてわかりやすい。
第一章 巨大化する冷蔵庫ー詰め込みすぎて食品をミイラ化させる現代人
第二章 「しまつ」をしようーよりよい食生活を続けるために
第三章 食の下克上ー高級食と大衆食が簡単に入れ替わる時代
第四章 食の流通ー築地市場はもういらない?
第五章 食の履歴書 ー食にまつわる実体験を公開
終章 日本の食環境は今日…
全編に著者の体験や資料が豊富に出てきて 言わんとすることがすーっっと体に染みこんでいくような読み心地です。
終章の最後に
『毎日の食事も服も、行く所もそんなに変化をつけなくていいんだと。退屈にみえるような日常でいいんだと。そしてたまーにちょっと違ったものを食 べ、ちょっとおしゃれなかっこうをし、ちょっと違った所に行くと、それが大きな変化にかんじられるんだと。 質素になれたものは、たまのゼータク で大感激するもんです。 (省略)持続可能な食環境って、ささやかな幸福感を知るってことなのかもしれない。』
どの章を読んでも 自分の意識改革をしなきゃぁと思うことでした。
それでもなかなか難しそうです。
例えば調味料の類。 世の中は 減塩 無添加にシフトしてきています。 減塩や無添加は納得出来る理由だけれども、今まで常温で保存できたものが要冷蔵になってきました。
毎回使う分だけ少量を買い求めればいいのかもしれないけれど、1.8リットル入りの調味料より 1リットルや900ミリリットルのものが割高です。 ましてやもうひとサイズ小さい500~360ミリリットル入りの調味料だとさらに割高になります。
家計を預かるものとしては どのサイズを選ぶのか 思案のしどころです。
ただ、終章の最後に書かれてあることはまさにその通りと思います。
ちょっと前までの日本人の食生活や衣生活は ハレとケにはっきりと分かれていました。 非日常と日常の区別です。
それが世の中バブリーに贅沢になり 日常と非日常の区別が少なくなってきました。
子供の頃に読んだドイツの児童図書に どきどきわくわくしながらクリスマスを迎えるまでの一月ほどの一家の生活を描いた本がありました。 読んでいる自分までが 本の中の子供たちと同じようにクリスマスまでのカウントダウンをはらはらどきどきした思い出があります。
日本だったら まずはお正月、そして節分 ひな祭り 端午の節句 お盆 十五夜 冬至 といったところでしょうか。
住んでいる地域によっては 収穫祭があったり 夏祭りがあったり。
そんなちょっと昔まで普通だった、行事にちなんだ特別な食生活を楽しみにし 普段はもうちょっと質素な食生活で暮らすというスタイルに戻す時期に まさに今の日本は来ていると思いながら読んだ本でした。
魚柄仁之助(うおつかじんのすけ)という 1956年生まれの食文化研究家の書いた本です。
はじめに という書き出しを目で追っただけで 読みたいと思いました。
冷蔵庫の容量が年々でっかくなっている。 それはまさに食生活の豊かさを示しているように思えるのです。 しかし同時に我々は冷凍冷蔵庫なしで は暮らせない食生活になったんだな…ともいえるのです。
という書き出しです。
そして
大丈夫なのか? 21世紀
20世紀は化石燃料を湯水のごとく使い、ハイカロリー食を飽食する時代だった。 大量生産、大量廃棄、環境汚染、温暖化 … そして21世紀の今、 そのツケがまわってきた。今日、あわててバイオエタノールに走ったり汚水処理技術で水不足に対抗したり、遺伝子組み換え食料増産をめざしたりして いるんですね、世界中で。しかし、我々の暮らしがこの先楽になる?とはまずおもえんでしょ。地球環境は劣悪化され、日本はと言えば少子高齢化。年 金なんざ、もうじき七十何歳かにならにゃもらえんようになりそうですぞ。高度成長経済を支えたのは、資源の大量使用と環境破壊だったんですね。そ れを止める暮らしをせにゃならん現代人にとって必要な心がまえは何だろうーか?
ときて 次に著者は暮らしをスケールダウンせよ と続きます。
暮らしのスケールダウン
1993年、『台所リストラ術』という本を書くにあたり、(以下省略)
スケールダウンした暮らしなら老後の経済も不安がない。21世紀の不安定な日本で生き延びるにはこうした「貧乏力」こそが必要なんじゃなかろー か?
というふうに書き出しを締めてあります。
本編は六つの章から構成されていて、内容はとても固いまじめなものなのに その文体が軽くてわかりやすい。
第一章 巨大化する冷蔵庫ー詰め込みすぎて食品をミイラ化させる現代人
第二章 「しまつ」をしようーよりよい食生活を続けるために
第三章 食の下克上ー高級食と大衆食が簡単に入れ替わる時代
第四章 食の流通ー築地市場はもういらない?
第五章 食の履歴書 ー食にまつわる実体験を公開
終章 日本の食環境は今日…
全編に著者の体験や資料が豊富に出てきて 言わんとすることがすーっっと体に染みこんでいくような読み心地です。
終章の最後に
『毎日の食事も服も、行く所もそんなに変化をつけなくていいんだと。退屈にみえるような日常でいいんだと。そしてたまーにちょっと違ったものを食 べ、ちょっとおしゃれなかっこうをし、ちょっと違った所に行くと、それが大きな変化にかんじられるんだと。 質素になれたものは、たまのゼータク で大感激するもんです。 (省略)持続可能な食環境って、ささやかな幸福感を知るってことなのかもしれない。』
どの章を読んでも 自分の意識改革をしなきゃぁと思うことでした。
それでもなかなか難しそうです。
例えば調味料の類。 世の中は 減塩 無添加にシフトしてきています。 減塩や無添加は納得出来る理由だけれども、今まで常温で保存できたものが要冷蔵になってきました。
毎回使う分だけ少量を買い求めればいいのかもしれないけれど、1.8リットル入りの調味料より 1リットルや900ミリリットルのものが割高です。 ましてやもうひとサイズ小さい500~360ミリリットル入りの調味料だとさらに割高になります。
家計を預かるものとしては どのサイズを選ぶのか 思案のしどころです。
ただ、終章の最後に書かれてあることはまさにその通りと思います。
ちょっと前までの日本人の食生活や衣生活は ハレとケにはっきりと分かれていました。 非日常と日常の区別です。
それが世の中バブリーに贅沢になり 日常と非日常の区別が少なくなってきました。
子供の頃に読んだドイツの児童図書に どきどきわくわくしながらクリスマスを迎えるまでの一月ほどの一家の生活を描いた本がありました。 読んでいる自分までが 本の中の子供たちと同じようにクリスマスまでのカウントダウンをはらはらどきどきした思い出があります。
日本だったら まずはお正月、そして節分 ひな祭り 端午の節句 お盆 十五夜 冬至 といったところでしょうか。
住んでいる地域によっては 収穫祭があったり 夏祭りがあったり。
そんなちょっと昔まで普通だった、行事にちなんだ特別な食生活を楽しみにし 普段はもうちょっと質素な食生活で暮らすというスタイルに戻す時期に まさに今の日本は来ていると思いながら読んだ本でした。
冷蔵庫で食品を腐らす日本人 (朝日新書059) | |
魚柄 仁之助 | |
朝日新聞社 |