丹後の旅から戻ってきた次の日 遅い朝ご飯を食べていたら 滅多にならない電話がなる。
亭主がでて 何だか要領の得ない話しをしている。最近 怪しげな電話が多いので 奴は相手も確かめないで けんもほろろに電話を切る事が多い。 私もそうなんだけれど・・・
と 「野麦峠が・・・」と言う言葉が聞こえてくる。 おっと こりゃいけない。
「代わって 代わって」
それは野麦峠の館の館長さんからだった。 前に野麦峠行ったとき 私たちは野麦の村に車を置いて峠までの野麦街道をあるいた。 4時頃 ソロソロ戻らないと・・・と思ってあるいていたときに「資料館見て行って。」と呼び込まれたのが館長さん。
時間がない私たちを 5時まで待ってくれたら野麦まで送るから・・・と言われ館長さんの車をタクシー代わりに甘えてしまった私たち。
後に お礼の文面をしたためて 父との思いでと野麦峠との関わりを書いて 送った。 ジオラマ風に作っていた床飾りの写真を添えて。。。。
え~~っ そんなひどい写真では恥ずかしいからと 調子に乗って 両親が作った人形一式と 父が書きためた原稿を送った。 誤解が無いようにとの思いだったのだけれど 結果として押しつけになってしまったね
「コーナーを設けて飾ります。」との 電話だった。
山奥の小さな資料館。それでも飛騨が好きで好きで 父の言ってみれば魂をはぐくんだ飛騨 そこに父の分身が眠る事になった。
早速母に電話。 少し涙声で「お父さん 喜ぶねぇ」
館長さんの優しさに感謝してベランダに出たら 留守の間にふくらんだ野牡丹が青い花を付けていた。 これも 父との思い出の花。