Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

中山道を繋ぐ 琵琶峠から細久手へ

2010-01-17 01:00:20 | 山歩き

琵琶峠の石畳日本一長いのだそうだけれど さほど感じなかった。明治以降歩く人も少なくなって長い事埋もれていたらしいのだけれど昭和45年に発見 今の形に復元されたそうだけれど 良かった~。歴史の証拠が無かった事になってしまうのは寂しい。 時々でも昔の人々の思いに触れてこれからの自分を考える事大事でしょ?

Kazunomiyahi 皇女和宮が江戸に下るとき中山道を通られた。ここに都を後にしての気持ちを歌にした碑が刻まれていた。

結婚は 一大事。 それも見も知らない場所に 習慣も暮らしも違う所へ向かう心細さはいかばかりか。。。

Yasezawaitiriduka 八瀬沢一里塚

ここではたと気付いた事

馬籠から落合に降りて来るときに一里塚があった。そのとき少し離れていたけれど一里塚の盛り土は確かに二つあった。 そのとき できた古さの違いだろう とぐらいにしか思っていなかったけれど ここでも二つある。

私の家は東海道のすぐそばにあり 一里塚も少し行けば見る事が出来るのだけれど二つ揃って盛られている事は無い。 街に二つの大きな盛り土は必要なくて一つが取り壊されてしまったのだろうか? それとも中山道と東海道では違うのだろうか?

「登り用と下り用と二つあるんだね。」と言われたけれど 人が二三人並べばいっぱいの道幅登り用と下り用必要だろうか? 

これは門のような感覚で作られているのではないだろうか? 神社の狛犬 門松 二つひと組の文化?の様なもの  そんな感覚で作られているのでは無いだろうか? そんな事を思ってしまったけれど 誰か知っている人 教えてください。

遠くからの目印になったのかな?とも思ったけれど 山の中でどのくらい目立ったのか はてな?だし・・・・

ここでの一里塚印は 江戸へ91里 京へ43里です。中山道三分の二ほど来た事になります。

この手前に見晴台があったらしいのだけれど見落としました 残念。 昔の人も自分のいる位置を確かめたくて絶対登ってみたと思うの。

Kudari 西側高低差83メートル 東側53メートルの難所と言われる琵琶峠 伊吹山や御嶽山の展望が得られるときけば 旅人の感動は大変なものだったに違いない。

Tenjintujinojizou 道はやがて穏やかで平坦な道に変っていて 時々東海自然歩道と交錯するようになり 間違って違う道を行かないように気を付けながら歩く。

この道は歴史から忘れ去られていた時代があった事 山の中であった事などが幸いして(と私は思うのだけれど)石仏もあちこちに残っていて嬉しい。 どこか懐かしい素朴なお顔の仏様に気持ちがなごむ。

Benzaitennnoike 弁財天の池

緑の池は近づくととても住んでいて 何と大きな大きなジュンサイがゆらゆらしていた。 う 美味しそう

中央の小島には石祠があって中には八臂の弁天様が祀られている。元文5年(1740年)に彫られたものだそうだ。

Ike

Okunodaitiriduka 奥之田一里塚

やはりここでも一対。

道は林の中をどんどん行っていたけれど やがて鄙びた集落にやってきて

Syougakkkouato 小学校跡の碑を見つけ

Kousindou 庚申堂への道に幟旗がいっぱい立っているのを見て 道が細久手に来ている事に気付く。

ここまで6キロ 今日の行程のほぼ三分の一 ずいぶん歩いたと思うけれどねぇ

ここでお昼休憩。 はぁ お腹空いたよ。

コメント (6)
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