Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

中山道を繋ぐ 和宮に思いを馳せて 御殿場まで

2010-01-20 13:30:13 | 山歩き

ハイキングコースに入ってすぐに 秋葉坂三尊

Akibasanzon 秋葉様は火防ぎの神として知られている。昔は台所にお札を貼っていたけれど 今どのくらい秋葉様のお札あるのかな? 遠州まで遠いからここでお祀り?

小さな祠に入った秋葉様。。。あ違った 秋葉様はこの石室の上に祀られていて この石室に入っていらっしゃるのは 馬頭観音と観音様だそうな

中山道を旅する人を見守ってくれているんだね。

Miti

道はハイキングコースらしく緩やかに上り下りりを繰り返す物の気持ちの良い山歩きとなる。 中山道を歩いている事を忘れ いつもの山歩きと勘違いしそう。ずっと緑の中

Kounosuitiriduka1

Kounosuitiriduka2 鴻巣の一里塚

ここだけは左右対称一対ではなく 少し(16メートル)ずれて作られていた。 地形の関係らしいけれど やっぱり二つひと組なんだね。ここから鈴鹿や伊吹 北アルプスの山々が一望できると言うんだけれど 本当? 昔の話しかしら?

Miti2 さくさくと枯れ葉を踏んで気持ちの良い山歩きが続く。

Kudari2 るんるんの下り道を楽しんで 津橋の集落へ

Sekihi_2 石組みだけが残っている山内嘉助さんのお家跡 誰?山内嘉助さん 

地元の造酒屋で豪商だったんだと・・・なぁんだ

Nouson2 農村風景の中を歩いていくとまた東海自然歩道の案内に従って山に入っていく。 木曽路だけではなく 美濃地もずいぶん山の中だなぁ

Bunki2

Fuukei おっ 良い感じやねぇ

あっという間にまた登ってしまったよ

Nobori

Nobori2 結構長くて しんどい

へとへとです。

登り切った辺りが御殿場と呼ばれるところ

皇女和宮一行が休憩出来るように作られた場所

和宮の行列は中山道の歴史に残る大行列 4-5千人がずっと続いていたのだから 休憩場所を確保するのも大変だったろうね?

上に登って行くと展望がよさげだったけれど 長い坂道にくたびれきった私はぴーちゃんを特使に任命して見てきてもらった。 さほどの展望は得られなかったけれど 御嵩富士があったと・・・ まぁ いいや。

Monimitougesita 御殿場辺りを物見峠と言うらしく そりゃきつかったはずだよ。 こんな鄙びた苔むした蔵が建っていた。

しかし 崩壊の危機が近づいているようにも。。。

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中山道を繋ぐ 歴史の忘れ物 細江宿

2010-01-20 12:25:52 | 山歩き

敢えて歴史の忘れ物と書いたのには少し訳がある。 琵琶峠の石畳が埋もれていたようにこの細江の宿も長い事忘れられていて近代化される事は無かった。 どうしてか?と思っていたけれど これは明治以降道は恵那の大井から御嵩へ行く道は釜戸経由に変っていたというのだ。

あんまりの山道を避けたのだろうけれどこの道を通らなくなって 人々の往来は無くなり 地元の人には中山道が只の生活道路でしか無くなっていた。 そんな事が幸いして今日の今までの行程そして 細江の宿に残る建造物が今に蘇っている。

庚申堂 寛政10年(1798)の耐火で類焼 享和2年(1802)に宿の主語物として再建 道内には聖号塔 観音石像 石塔等があるとか  何しろ小さな祠なので宿の人々を守ってきた仏様がびっしり並んでいるに違いない。美濃瑞浪三十三霊場になっていた。

Daikokuya2 旅籠屋の大黒屋 旅籠でありながら尾張藩の本陣も兼ねている。 立派なうだつが上がっていて 今でも旅館業を続けているのも興味あるところ

この山中に 今では泊る人もそうはいないだろうけれど こんな宿を泊まり歩いて中山道を繋ぐのも良いね。

大黒屋の前が細久手の公民館 トイレもあるので ここでお昼休憩。

お弁当を持ってくる約束だったので 高菜のピリ辛炒めと辛子明太子のご飯を詰めて 煮物などを少々。私にしては少ないお弁当。 しかしあちこちからいろいろな頂き物ですでにお腹いっぱい。 こんなことも楽しみの一つかな?

Kanban Hotokesama

石仏は そこかしこに残っている。 祠に大事に納められた事思うと ぽつんと野ざらしに・・・

人々の生活の中にある仏様なのだろうか?

私が山へ登るとき 急に信心深くなって? 山歩きの無事をお祈りするように旅の安全祈願をかけて手を合わせたんだろうね?

Tusimajinjya 足下に小さな小さな祠

津島神社と書かれている。 括弧して天王様とある。天王様

愛知県の津島神社のお祭りを天王祭りって言うなぁ。 

この津島神社は尾張津島神社 京都八坂神社 東京天王社の分身だと ええ~っ そりゃえらい事だわ

12世紀後半に津島社として文献に載り 室町時代には牛頭天王社津島様とよばれる。 牛の頭???

牛頭天王は 朝鮮新羅の牛頭山の神 インド祇園精舎の守護神等と伝えられ防疫の神様なのだそうでこの神様がある日宿を所望したところお金持ちの巨里将来は断った 兄の貧しい蘇民将来は藁の寝床に粟のご飯だったけれどごちそうをした。 その後神様は巨里将来の奥さん{(蘇民の妹)近親結婚じゃないの?}だけには茅の輪を印として頭に付けさせ そのほかの巨里の関係者をすべて抹殺したと・・・・ 怖い話し

そう言えば 蘇民祭っていうのがあって そのポスターのふんどし姿の男の人がいけないとかで話題になった事があったな あれは北国の話しだったけれど 蘇民の話しは近畿地方中心に残っている話しらしい。

泊めてもらえなかっただけでそこまでするか  私なんかいっつかあの世に行っている。神様は罰を与えるから嫌い その点仏様は・・・・ぶつぶつ ぶつぶつ

Nouson_2 そんな事を考えていたら あらら みんなどんどん先にいってしまって 待って~

道はどんどん下り坂になって突然農村風景が広がる。名前の通り細長い集落に別れを告げて・・・と思ったらまた登っている。 しかも車が・・・・

しかしすぐに左にハイキングコースが現れ 中山道は続く。

Bunki

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