れれれ 勝手神社のあたりで山伏がほら貝を吹いて 寄付を募っている。
震災の為の寄付らしいけれどみんな優しいお顔で とてもあの荒行をなしている修行僧には見えなかった。
このあたりから歩行者天国になっている。観光の人でいっぱい・・・・のはずだけれど
なんだか少ないんだよね。
勝手神社を見ないで吉水神社の分岐に来てしまった。 おかしいなぁ?
吉水神社 役行者が創設した吉野修験宗の僧坊だった。その後南朝の元宮になり後醍醐天皇 そして忠臣だった楠木正成などが関わっていく神社になる。 神社と言ってもどう見てもお寺で このあたりの特徴である神仏混合って言うものだね。
吉野に逃れた源義経と静御前の話もある。先ほど見落とした勝手神社は本社殿が火事で焼けて以来 この吉水神社に間借りをしている。
しずやしず しずのおだまきくりかえし・・・・ とかの舞は勝手神社の舞殿で踊ったと聞いたことがある。
枕の下に石走る音
吉野山 峰の白雪 踏み分けて
入りにし人の跡ぞ
近くは豊太閤吉野の豪華花見の舞台。 ここまで姫様方どうやって登ってきたんだろう?と少し思うけれど とにかく豪華なイベントだったらしい。この吉水神社を本殿として 何泊もして歌の会 お茶の会 能の会を催して楽しんだとか
南朝の舞台でおきた悲しい出来事と比べると 何と華やかで贅沢だったことか・・・寄贈品も半端ではなく 次に行く蔵王堂にもその印があった。
吉野って好きだ~
ここに 呪文とその作法が書かれています。
臨 兵 闘 者 皆 陣 烈 在 前
宇宙皇子のシーンを思い出しながら やってみる。 なかなかかっこよくは出来ないけれど
社殿の中にはたくさんの秘宝 重要文化財があるんだけれどね 写真付きでご紹介出来ないので。。。。次行ってみよ~~
階段を少し登って蔵王堂へ到着 あれれ? なんだかイベントの後片付けをしている。
そうかぁ 今日だったんだ
毎年 10日がそうだと思っていた花供会式。
吉野の友達に聞いていて一度みたいと思ってはいたけれど とにかく大混雑とのこと 諦めていた
しかしもう終わっていたのでやっぱり見られなかった。
奴行列をはじめに 金峯山の鬼 お稚児さん 山伏 僧侶などの行列が続くらしい。蔵王権現のご神木 山桜の満開をご本尊に報告する嬉しいお祭り あぁ 残念でした。
役行者が一本の桜を彫ってご神体を作られたと聞いたことがあります。ここから修験道が始まったと思うとなんだかわくわくするし 身の引き締まる感じがするのです。
蔵王堂の前の4本の桜は 大塔宮護良親王が吉野落城を覚悟して最後の酒宴をされた場所です。 哀れです。
このお堂はとても重厚で美しく それでもこのぐらいの建物はいっぱいあります。でもすごいなって思うのは中のとてつもなく大きな柱です。 天然のあるがままの四本の木が天井まで突き抜けていて杉だとか 梨だとか(梨だよ梨)が枝を払ったままで柱になっている。 このような大きな木もすごいけれど 屋根まですっくと伸びた巨木にも驚き
ここの大権現様も大好きです。
前に世界遺産登録の時の御祝で ちいさな部屋で大権現様と対峙する機会をいただき 理由は今でもわからないけれど 心からあふれ出るものがあって いつまでも号泣していました。
http://dora2.web.infoseek.co.jp/yosino-aki.htm
2004年の秋の事でした。
さて あと一時間を切っています。どうしてもお友達に会いたい。
毎年ここで春の忙しいときだけアルバイトしているはずです。
いつもおいしい野菜やお米を届けてくれる。 昔一緒に大台ヶ原行ったきりですが 元気でしょうか? 去年からメールが返ってくるようになりました。年賀状は来るんですがね。 心配でした。
南朝行宮跡に降りてバス駐車場に向かいます。
反対から入ったので仁王門はしたから見上げることになりました。立派です。
更に赤(銅)の鳥居を越えて・・・・ウグイス ウグイス・・・ あったぁ~
いつもなら人があふれている門前町?だけれどとても人が少なくて お店に入ろうとしたらみんな並んでいらっしゃいませ~
あ~~ やんさ~ん こうして何年ぶりかの再開を果たしました。
くずきりと ぜんざいをいただきながら短い時間でしたがお話が出来ました。赤外線で 変わってしまったメールアド交換。 良かった~ 元気でした。