Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

中山道を繋ぐ 歴史の忘れ物 細江宿

2010-01-20 12:25:52 | 山歩き

敢えて歴史の忘れ物と書いたのには少し訳がある。 琵琶峠の石畳が埋もれていたようにこの細江の宿も長い事忘れられていて近代化される事は無かった。 どうしてか?と思っていたけれど これは明治以降道は恵那の大井から御嵩へ行く道は釜戸経由に変っていたというのだ。

あんまりの山道を避けたのだろうけれどこの道を通らなくなって 人々の往来は無くなり 地元の人には中山道が只の生活道路でしか無くなっていた。 そんな事が幸いして今日の今までの行程そして 細江の宿に残る建造物が今に蘇っている。

庚申堂 寛政10年(1798)の耐火で類焼 享和2年(1802)に宿の主語物として再建 道内には聖号塔 観音石像 石塔等があるとか  何しろ小さな祠なので宿の人々を守ってきた仏様がびっしり並んでいるに違いない。美濃瑞浪三十三霊場になっていた。

Daikokuya2 旅籠屋の大黒屋 旅籠でありながら尾張藩の本陣も兼ねている。 立派なうだつが上がっていて 今でも旅館業を続けているのも興味あるところ

この山中に 今では泊る人もそうはいないだろうけれど こんな宿を泊まり歩いて中山道を繋ぐのも良いね。

大黒屋の前が細久手の公民館 トイレもあるので ここでお昼休憩。

お弁当を持ってくる約束だったので 高菜のピリ辛炒めと辛子明太子のご飯を詰めて 煮物などを少々。私にしては少ないお弁当。 しかしあちこちからいろいろな頂き物ですでにお腹いっぱい。 こんなことも楽しみの一つかな?

Kanban Hotokesama

石仏は そこかしこに残っている。 祠に大事に納められた事思うと ぽつんと野ざらしに・・・

人々の生活の中にある仏様なのだろうか?

私が山へ登るとき 急に信心深くなって? 山歩きの無事をお祈りするように旅の安全祈願をかけて手を合わせたんだろうね?

Tusimajinjya 足下に小さな小さな祠

津島神社と書かれている。 括弧して天王様とある。天王様

愛知県の津島神社のお祭りを天王祭りって言うなぁ。 

この津島神社は尾張津島神社 京都八坂神社 東京天王社の分身だと ええ~っ そりゃえらい事だわ

12世紀後半に津島社として文献に載り 室町時代には牛頭天王社津島様とよばれる。 牛の頭???

牛頭天王は 朝鮮新羅の牛頭山の神 インド祇園精舎の守護神等と伝えられ防疫の神様なのだそうでこの神様がある日宿を所望したところお金持ちの巨里将来は断った 兄の貧しい蘇民将来は藁の寝床に粟のご飯だったけれどごちそうをした。 その後神様は巨里将来の奥さん{(蘇民の妹)近親結婚じゃないの?}だけには茅の輪を印として頭に付けさせ そのほかの巨里の関係者をすべて抹殺したと・・・・ 怖い話し

そう言えば 蘇民祭っていうのがあって そのポスターのふんどし姿の男の人がいけないとかで話題になった事があったな あれは北国の話しだったけれど 蘇民の話しは近畿地方中心に残っている話しらしい。

泊めてもらえなかっただけでそこまでするか  私なんかいっつかあの世に行っている。神様は罰を与えるから嫌い その点仏様は・・・・ぶつぶつ ぶつぶつ

Nouson_2 そんな事を考えていたら あらら みんなどんどん先にいってしまって 待って~

道はどんどん下り坂になって突然農村風景が広がる。名前の通り細長い集落に別れを告げて・・・と思ったらまた登っている。 しかも車が・・・・

しかしすぐに左にハイキングコースが現れ 中山道は続く。

Bunki

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中山道を繋ぐ 琵琶峠から細久手へ

2010-01-17 01:00:20 | 山歩き

琵琶峠の石畳日本一長いのだそうだけれど さほど感じなかった。明治以降歩く人も少なくなって長い事埋もれていたらしいのだけれど昭和45年に発見 今の形に復元されたそうだけれど 良かった~。歴史の証拠が無かった事になってしまうのは寂しい。 時々でも昔の人々の思いに触れてこれからの自分を考える事大事でしょ?

Kazunomiyahi 皇女和宮が江戸に下るとき中山道を通られた。ここに都を後にしての気持ちを歌にした碑が刻まれていた。

結婚は 一大事。 それも見も知らない場所に 習慣も暮らしも違う所へ向かう心細さはいかばかりか。。。

Yasezawaitiriduka 八瀬沢一里塚

ここではたと気付いた事

馬籠から落合に降りて来るときに一里塚があった。そのとき少し離れていたけれど一里塚の盛り土は確かに二つあった。 そのとき できた古さの違いだろう とぐらいにしか思っていなかったけれど ここでも二つある。

私の家は東海道のすぐそばにあり 一里塚も少し行けば見る事が出来るのだけれど二つ揃って盛られている事は無い。 街に二つの大きな盛り土は必要なくて一つが取り壊されてしまったのだろうか? それとも中山道と東海道では違うのだろうか?

「登り用と下り用と二つあるんだね。」と言われたけれど 人が二三人並べばいっぱいの道幅登り用と下り用必要だろうか? 

これは門のような感覚で作られているのではないだろうか? 神社の狛犬 門松 二つひと組の文化?の様なもの  そんな感覚で作られているのでは無いだろうか? そんな事を思ってしまったけれど 誰か知っている人 教えてください。

遠くからの目印になったのかな?とも思ったけれど 山の中でどのくらい目立ったのか はてな?だし・・・・

ここでの一里塚印は 江戸へ91里 京へ43里です。中山道三分の二ほど来た事になります。

この手前に見晴台があったらしいのだけれど見落としました 残念。 昔の人も自分のいる位置を確かめたくて絶対登ってみたと思うの。

Kudari 西側高低差83メートル 東側53メートルの難所と言われる琵琶峠 伊吹山や御嶽山の展望が得られるときけば 旅人の感動は大変なものだったに違いない。

Tenjintujinojizou 道はやがて穏やかで平坦な道に変っていて 時々東海自然歩道と交錯するようになり 間違って違う道を行かないように気を付けながら歩く。

この道は歴史から忘れ去られていた時代があった事 山の中であった事などが幸いして(と私は思うのだけれど)石仏もあちこちに残っていて嬉しい。 どこか懐かしい素朴なお顔の仏様に気持ちがなごむ。

Benzaitennnoike 弁財天の池

緑の池は近づくととても住んでいて 何と大きな大きなジュンサイがゆらゆらしていた。 う 美味しそう

中央の小島には石祠があって中には八臂の弁天様が祀られている。元文5年(1740年)に彫られたものだそうだ。

Ike

Okunodaitiriduka 奥之田一里塚

やはりここでも一対。

道は林の中をどんどん行っていたけれど やがて鄙びた集落にやってきて

Syougakkkouato 小学校跡の碑を見つけ

Kousindou 庚申堂への道に幟旗がいっぱい立っているのを見て 道が細久手に来ている事に気付く。

ここまで6キロ 今日の行程のほぼ三分の一 ずいぶん歩いたと思うけれどねぇ

ここでお昼休憩。 はぁ お腹空いたよ。

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中山道を繋ぐ 大湫から琵琶峠

2010-01-15 23:45:02 | 山歩き

中山道 信濃路を過ぎて美濃地に入ったのだから これで一安心 少しは楽な道になると 勝手に思っていた事がとんでもない勘違いと知ったのは大湫分岐に向かうタクシーの中だった。

山小屋さん一行とJR釜戸に向かう電車の中でいっしょになり 釜戸駅で手配してもらっていたタクシーに乗る。 距離にして3キロ 歩けない事もないけれど今日はメインの行程が18キロほど ここは余計に歩く事は無いな。

そんな軽い気持ちでいたのだけれど 登る 登る どんどん登る タクシーがひっくり返りそうな山道をどんどん登っていくのを感じて「良かった~」と思った。

標高どのくらいあるのだろう? 低いところに道を造らなかったのはなぜ?

Kousatuba 分岐には高札場がある。 大湫のクテは 湿地の意味だそうで こんな高いところでもじめじめした湿地だったらしい。大湫の宿場町は前回みんなは踏破しているので 今日は途中からの参加という事になる。

Uenodan 古い物を模したと思われる案内に 上の段と書かれている。見ると細い道が上の方の集落に延びている。

メイン道路二本かぁ

Batousam 標識は新しく整備されているけれど 比較的いろんな物が残っているようで 道路脇には いろんな表情の仏様が

これは馬頭観音

二つ岩

Horoiwa 大きな岩に縦に線が付いていたのでこれが二つ岩かと思えば 少し先に

Ebasiiwa もう一つの岩が 

先のが母衣岩

後のが烏帽子岩

二つ合わせて二つ岩

回りは二三日前に降った雪がまだ残っている様子。 東濃は雪はあまり降らないけれど 凍みる(冷えて凍る)と子どもの頃聞いた。

Biwatouge 琵琶峠 美濃16宿の中で一番高いところにある峠だそうで標高は588メートル  そりゃ高いはずだわ 

標識から右に折れて山道を進んでいく。 大湫が湿地という意味だから道がぬかるんで大変だったんだろうか?石畳が綺麗にしかれている。

熊野古道 馬越峠でもそうだったけれど 石畳は水を流しやすくするために傾斜を付けてしかれている。 ここの石畳はあそこほどきつい傾斜は無いけれど 大きな岩がごろんごろんしている感じの石畳だった

整備された石畳全長700メートルだそうだ。

Isidatami 東の登り口から 西の登り口まで 頑張るぞ~

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天空の散策路から 観音寺城址へ

2010-01-08 12:43:50 | 山歩き

天空の散策路と言ってもこの度は博物館側から登ったので あんまりそんな感じしないけれどね。

Kucyuukairou こんな感じだった前回。 きついけれど見通しが良くて気持ちの良い山だった。 今回は観音寺に降りた後 観音寺城を経て 桑実寺から博物館へ行く事にする。

もう登らなくても良い。 ふ~ぅ

Tozandou3 稜線歩き その後は下りなので気分はるんるん

前にみんなでランチをした 広めの窪地は今は草ぼうぼうで 木もいくらか育っていて とても休める場所では無くなっていたけれど 回りを意図的に囲まれた感じがするから ここもお城の一部だったに違いない・・・と私は思っている。

ここから大下り 前回と違う回り道をしたらしく見た事のない道だったけれどね

Sumire 何と菫だよ

今は初冬 けなげに咲いている菫だけれど 本当はとても強いのかもしれない。 いっぱい広がっていた。

Fuyuitigo_2 食後のデザートに イチゴが・・・とはいえお腹いっぱい 食べませんでした・・・ホントです。

大下りの後観音寺に付いたけれど何と裏側に出てしまった。

Niousama そしてあろう事か 由緒ある観音寺の写真を撮るのを忘れている。

またまた二年前のを・・・ポリポリ

観音城寺は高いところにあるから善男善女が登ってこれるわけでも無いらしく そこは慈悲深い観音様(だよね?)仏様の指に紐を巻き付けて下のお詣りするところまでなが~く 長く伸ばして 誰でもがお詣りできるようになっている。

あ これ 善光寺でも見た事あるな。

さて 奥に戻って観音寺城 Yaburan

Isidan 前に使った道は 学術調査中とのことで閉鎖されていて 今日は中央の石段から登る。

苔むしていて時の流れを感じる。

おなり~~ぃ

Siroato 六角氏の城

歴史的な事は 後に歴史に詳しいネット友に教わったけれど 難しい事と 間違って伝えてはいけないので ここで書くのを止めます。

ここからは未踏の道です。 前に歩いたとき 「桑の実寺経由だと 通るだけで500円いるんやで。」とか言われて 止めたので 今回は500円の価値を確認に行きます。

Tosandou4 穏やかな道です。 膝も少々悲鳴を上げ始めていたので有り難い。

Tozandou4 時々岩ごろの道があるも穏やかな山歩きは当然距離が長くなり。。。。 少し飽きたなぁ

突然現れたのは 関所のような取り立ての門

ははぁ こういう仕組みだったのか  通りで通るだけでお金取れるはずや

赤外線センサーが付いていて通ると鳴る。 ぴんぽ~ん

恐るべし 近江商人 違った近江寺

済みません罰当たりな事言いました 罰を与えないでください。

Mon

Kuwanomidera 開創1300年という古刹らしくこじんまりしているけれど 優しい感じのお寺。

中を見るように勧められたけれど 登山靴を脱ぐのも面倒なので(本当はまだ500円にこだわっているのかも)

天智天皇の勅願寺院として建てられた桑の実寺は 薬師如来がご本尊らしい。 たくさんの人々の病を治して来たんだろうね? 桑実寺 と書いてくわのみでらと呼ぶその読み方は優しくて好き

大分降りてきたけれど まだ山の中腹 ここからもう少し降りて行く。反対になってしまうのだけれどこの参道が素敵。 行けども行けども絵になる石畳

Isidatami 石畳と 苔と 落ち葉のゾーンが計算し尽くされた感じがする美しい参道。 いいねぇ

ここの銀杏も変っているよ。 切り込みがいっぱいある葉っぱです。 何銀杏?

Icyou

Isidatami2

Isidatami3 しつこいぐらいの参道ですが 綺麗でしょ?

こんな道好きです。

と思って気分良く歩いていたら・・・・

Min2 あらら またもや無粋な

あれですよ ピンポーン

でも参道が綺麗だったので 500円 払っても良いよ。

Kouyou2_2 

門を出たらあっけなく人家のいっぱいの通りに出て ここから博物館の駐車場まで歩く。ジョギングする人や散歩する人に交じって少し足を引きずりながら・・・

今日も良く歩いた~ 歴史を辿る道は楽しいよ。

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天空の散策路から安土を見る

2010-01-06 12:36:38 | 山歩き

次は安土城考古博物館に戻って 繖山に登る。 何時だったか?亥年の年の冬 安土から少し行った所猪子山から繖山に縦走した事があった。 水曜会の仲間といっしょだったので 私とはレベルが違い 長い長い縦走にかなりばてた思い出

しかし 天空にかかった橋のような登山道はなかなか素敵で 何時かもう一度と思っていた。標高432.5メートルしかないのに どうしてあんなにきつかったのだろう? あれは観音寺城があった山。 あれだけきついと登城も大変だろうに

Tozanguti 登山道入口は 博物館の一番奥 茅葺きの建物の後になる。 入口では山茶花が赤い花をびっしり付けて歓迎してくれる。

Sazanka 花の無い時期の 山茶花は嬉しい。

思わずズームイン

Sazanka2 Tozandou_2

緩やかな階段が続く。

いぇーい 思ったより楽なんじゃないの? 下から見てもさほど高い山には見えないし。

と 昔とてもきつかった事を忘れてるんるん

階段も整備されて気分良く歩いていくと 青空が広がり見通しの良い道に入っていく。

まるで森林限界を超えていくような・・・そんなわけはない たかだか400メートルほどの山なんだから。

まだ昔の山火事の後が残っている。時々黒こげの丸太が転がっている。

Kaidan4 Rekihaku  

山登りの起点となる安土城考古博物館が見える。安土城の天守を模したと思える ハイカラな?(こんな言葉通用する?)様子だ。

Kirinnsou 何とアキノキリンソウだよ

もう12月ですけどぉ。。。。でもなかなか美人だね

Tenbou 何だか急に階段がきつくなったねと思っていたら あららぁ ずいぶん上った事

みてこの階段 先が見えないよ

左に少し見えている山はさっきまでいた安土山だよ。後には琵琶湖も光っている。

う~ 信長様のお城より高いのか・・・と思ったら時代がこちらの方が先らしい。 後で行く観音寺城は六角氏の城で 城の場所としては高すぎ?

Kaidan5 まだまだ続くきつい階段 

Akaimi

Kaidan6 あそこまで行けば頂上だっけ? と早くもぼやき節

こんなにきつかったっけ? 思い出すに獅子山から縦走したとき 地獄越えのきつい坂から見た登山道はまるで雲の上を行く天空の

回廊の様だった。 まだそこからの分岐が無いじゃん。 まだまだだ

Sikimi Kaidan7

Kaidan8 しつこいけれど 階段

まるではしご段を立てかけたような階段が続き 休みたくても後にひっくり返りそう。

しかし 一歩ずつすすめば何時かは辿り着く物で 振り返るとこの展望

Azutiyama安土山全景

Nisinoko3

Lunch 繖山 標高432.5メートル

美しい展望に恵まれ ここで至福のランチタイム

多賀のサービスエリアで買った速弁 近江牛の弁当 スープは海鮮お焦げ ゆで卵 おにぎり おせんべい お寿司 ロールケーキ等々 

どれだけ食べるんじゃい! やせるわけ無いよな

上品なご夫婦が反対方向から登っていらして 物静かに「すばらしい景色に誘われてここまで来てしまいました。」と 

言ってみた~い!

ちなみにここの三角点はとんでもないところにあるんだよ。 何と階段の真ん中に。

Kinugasasankaku その上品なご夫婦 堂々と腰をかけて。。。ありゃわからんだろう

コメント (2)
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