敢えて歴史の忘れ物と書いたのには少し訳がある。 琵琶峠の石畳が埋もれていたようにこの細江の宿も長い事忘れられていて近代化される事は無かった。 どうしてか?と思っていたけれど これは明治以降道は恵那の大井から御嵩へ行く道は釜戸経由に変っていたというのだ。
あんまりの山道を避けたのだろうけれどこの道を通らなくなって 人々の往来は無くなり 地元の人には中山道が只の生活道路でしか無くなっていた。 そんな事が幸いして今日の今までの行程そして 細江の宿に残る建造物が今に蘇っている。
庚申堂 寛政10年(1798)の耐火で類焼 享和2年(1802)に宿の主語物として再建 道内には聖号塔 観音石像 石塔等があるとか 何しろ小さな祠なので宿の人々を守ってきた仏様がびっしり並んでいるに違いない。美濃瑞浪三十三霊場になっていた。
旅籠屋の大黒屋 旅籠でありながら尾張藩の本陣も兼ねている。 立派なうだつが上がっていて 今でも旅館業を続けているのも興味あるところ
この山中に 今では泊る人もそうはいないだろうけれど こんな宿を泊まり歩いて中山道を繋ぐのも良いね。
大黒屋の前が細久手の公民館 トイレもあるので ここでお昼休憩。
お弁当を持ってくる約束だったので 高菜のピリ辛炒めと辛子明太子のご飯を詰めて 煮物などを少々。私にしては少ないお弁当。 しかしあちこちからいろいろな頂き物ですでにお腹いっぱい。 こんなことも楽しみの一つかな?
石仏は そこかしこに残っている。 祠に大事に納められた事思うと ぽつんと野ざらしに・・・
人々の生活の中にある仏様なのだろうか?
私が山へ登るとき 急に信心深くなって? 山歩きの無事をお祈りするように旅の安全祈願をかけて手を合わせたんだろうね?
津島神社と書かれている。 括弧して天王様とある。天王様
愛知県の津島神社のお祭りを天王祭りって言うなぁ。
この津島神社は尾張津島神社 京都八坂神社 東京天王社の分身だと ええ~っ そりゃえらい事だわ
12世紀後半に津島社として文献に載り 室町時代には牛頭天王社津島様とよばれる。 牛の頭???
牛頭天王は 朝鮮新羅の牛頭山の神 インド祇園精舎の守護神等と伝えられ防疫の神様なのだそうでこの神様がある日宿を所望したところお金持ちの巨里将来は断った 兄の貧しい蘇民将来は藁の寝床に粟のご飯だったけれどごちそうをした。 その後神様は巨里将来の奥さん{(蘇民の妹)近親結婚じゃないの?}だけには茅の輪を印として頭に付けさせ そのほかの巨里の関係者をすべて抹殺したと・・・・ 怖い話し
そう言えば 蘇民祭っていうのがあって そのポスターのふんどし姿の男の人がいけないとかで話題になった事があったな あれは北国の話しだったけれど 蘇民の話しは近畿地方中心に残っている話しらしい。
泊めてもらえなかっただけでそこまでするか 私なんかいっつかあの世に行っている。神様は罰を与えるから嫌い その点仏様は・・・・ぶつぶつ ぶつぶつ
そんな事を考えていたら あらら みんなどんどん先にいってしまって 待って~
道はどんどん下り坂になって突然農村風景が広がる。名前の通り細長い集落に別れを告げて・・・と思ったらまた登っている。 しかも車が・・・・
しかしすぐに左にハイキングコースが現れ 中山道は続く。