Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

万葉ゆかりの地 大和三山 天香具山 畝傍山へ

2012-02-20 21:56:41 | 山歩き


大和三山 前から気になっていました。 前からってどのくらいかというと ン十年前です。

そのそばは何度も通っているのにね

前にぽんちゃんが行ったことを知っていつか行ってみようと思っていました。 丁度名鉄のハイキングに組まれていました。 行こう

で2月の17日出かけることになりました。 先週三日続けて寒空で遊んだせいか 月曜日から熱を出していたので 無理は出来ません。(ホントに今年は良く寝込むこと) 

大和三山は 耳成山 天香具山 畝傍山です。 どうしてか耳成山は遠くから見るだけになりました。

Siryousitu_2まず藤原京跡にある資料室に寄ります。 JAの二階を借りた資料館ですが ボランティアの人が待機していて説明をしてくれます。

地図や資料も充実していて見ていても楽しい。

いくつかの資料をいただいて出発です。

持統天皇即位後 695年に地鎮が始まり 694年藤原京遷都です。大宝律令が出来たのもこの都でのことでした。 持統天皇が亡くなって710年に平城京へ遷都するまでの15-6年の間の都でしたが立派な都のようでした。

いま残してあるのはほんの一部ですが その大きさに驚きます。 平城宮跡の様に更地にして一部に柱をモニュメントのように建てて 当時のことが偲ばれるようにしてあります。

ここを中心に左手に(東に)耳成山 正面(みなみ)に天香具山 右手(西)に畝傍山があります。 本当に町を見守っているようです。

Fujiwarakyouseki

Hasira

Setumei
こんな風に 発掘の結果分かったことを説明版に書き込んでいます。

平城京跡ほどではありませんが 充分に当時を偲ぶことが出来ます。

Hasuda
藤原京跡を突っ切ってまず天香具山に登ります。

この辺は蓮田が多い。

資料室で貰った綺麗な絵には菜の花と耳成山 コスモスと畝傍山 はすと香具山がのっていました。

千年以上前からここでは蓮が植わっていたようです。

Takadonocyou車が通るのはとても無理と思われる狭い道を歩きます。

静かで綺麗なとおりです。

鄙びているのだけれど 少し雅な様子も見せるお家が並びます。

Jyourakiji_2
常楽寺 地図には載っていないのでさほど古いものでは無いのかもしれません。

でも 生活とともにあるお寺のように見えました。

毘沙門天が祀られているようです。

Jinjyaすぐ隣の敷地にありました。

これも神社とあります。

祠はありません。 私が知っている神社のありようとは違うので もともと祠には入っていないのかもしれません。

Jyuutakuこんな立派な住宅が多いです。

そして塀に特徴があるのに気付きました。 濃い色と白のツートンカラーに塗られています。

この色が住宅にも続いているところもあります。 素材は違っても色を塗るというところで共通しているようで どんな意味があるのだろう?とちょっと気になって・・・

Douhyou_3
古い道標に導かれていよいよ天香具山に向います。

Kaguyama標高152メートルの 小さな山ですが 特別な山です。

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天まで焦がせ  鳥羽の火祭り

2012-02-20 15:29:05 | 旅行記


亭主が 小さな新聞の切り抜きを見つけてきた。 彼はこういうの得意である。

「赤い電車に乗って鳥羽の火祭りを応援しよう」というものだった。 条件は名鉄電車に乗って三河鳥羽に降りてそこで火祭りの謂われなどを聞いて 神社に行こう

吉良吉田から蒲郡までの路線が廃止の憂き目にあいそうなので みんなでのって盛り上げよう・・・と  一日乗っただけで 盛り上がるかどうかは知らないけれど よ~しその話のった~

午前中麒麟の翼を見て 午後に備える。 早めの夕食を終えて 電車の人になる。

Eki_2
私 赤い電車応援団なの?・・・・

鳥羽の火祭り応援団のつもりだったのに・・・・

ま 良いか

そのお詫びかどうか知らないけれど 蒲郡蜜柑一袋 がまぽん パンフレットを貰って並ぶ。

さむいぞ~

Posuta駅にあった 案内

すごいなこれ

大きな火に 人が群がっている。

鳥羽の火祭りは二本の10大火祭りに数えられていて平成16年に国の重要無形文化財に指定されたとのこと。 1200年も前から伝えられているからすごいね。

海の街のお祭りだから海の神様に捧げるものかと思ったけれど・・・・

吉良にある福地 乾地の勝敗によってその年の天候 豊凶を占う神事だと言うから 海のお祭りというわけでもなさそうだった。

鳥羽神明社につくと 境内右手に大きなたいまつが

Suzumi_2
これはすずみと呼ばれるもので言ってみればどでかい松明。

前日の境内で二つのすずみをつくってくっつける。

一つ一つの涼みにはご神木と一年の付きを表した12縄を納める。

これを当日火を付けて 燃えさかる松明の中に入っているご神木と12縄を取りだし 神前に供えられて祭りは終わる。

占いは火の燃え方とどちらがご神木を取りだしたかで行う。

本日 私達が涼みの前に陣取る前に 行われたことがある。

福地と乾地から選ばれた神男は三日前から社殿に籠り 朝晩と水をかぶり身を浄める。 さぶっ

当日 15時 神男と 奉仕者(後で説明します)が神明社から海へみそぎに出発。

15時半に寒風の中海に入り 身を清める。 その後19:30から境内で神事です。

私達は すずみの前で身動きできません。 人で一杯で動くのは危険です。

Housisha
ねこと呼ばれる奉仕者が入ってきます。 海辺の小さな町で こんなに男の人がいたか?と思えるほどつぎからつぎへと

奉仕者は火がついたすずみに飛びかかりご神木や12縄を取り出すのです。

火がついても燃えにくいようにでしょうか? 使い古した日本手ぬぐいを縫い合わせた衣装を着ています。

この人たちが猫と呼ばれるのは 火に飛び込むとき髪を焼かないように目だけを出した白い頭巾をかぶるのです。

頭巾の端が耳のようにつんとなって まるで猫のように見えるのでこう呼ばれるようです。

Hiuti
火打ち石の係の人がやってきます。 火打ち石の小さな歩のをを次第に大きくしてすずみに点火します。

大事な神様のお使いです。

Tijiおやおや 大村愛知県知事も見学のようです。

Sinji_219:30分 神殿では神事が始まっています。 こちらでは水をかけて その時を待ちます。

水をかけると燃えにくいと思うのですが どうしてか分かりません。 お清めの意味でしょうか?

Sinji2_2
火打ち石の後に神男 その後に猫が続きます。

ゆすり棒と呼ばれる箒のようなものを掲げているのが神男です。 人混みで見えませんが

先についている藁で火打ち石の火を付けます。

Housisha2
奉仕者は桜の枝を持っています。

火打ち石の火が大きくなった瞬間です。

Tenka

Hi

Hi2茅に火がつき 炎が立ち上ります。

きれ~ぃ あったかい~

いえいえ そんなこと言っている場合じゃなく。。。。

あの中に奉仕者の人が飛び込んでいくのですから

Neko2_2
あ 猫が右の方から登っています。そして早く燃やすように揺すっているのです。

熱くないのでしょうか?

熱くないはずがないよね

水をひしゃくでかける係もありますが 追いつきません。

Neko3_2
火のついたすずみを揺する手は手甲をしているもののすでに近い。

背中に火のついた木が乗って払っても落ちません。

どきどきしてきます。

Neko4もうすずみはすずみではなく 火の塊です。

危ないとひやひやしていたはずなのに しらぬまに手に汗握る大興奮です。

熱さに耐えかねてすずみから飛び出す奉仕者

この姿が猫に似ていると言う事からも猫と言われるようです。

Neko6
こうしてすずみは崩れ 中から無事にご神木と12縄を最初に取りだしたのは 今年は福地

豊作の年になりそうですよ。

去年は辛い事が多すぎました。 今年良い年であって欲しいですよね

Gosingiご神木が運び出されます。

見えませんが・・・・ まだ炎が上がっています。

Housisha3_3
大仕事を終えた奉仕者たちが戻ってきます。

すすで真っ黒 やけどをしなかったのかしら? と心配になります。

驚いたのは奉仕者の年齢

若者はともかく 中学生と思える子から お年寄りまで・・・・

町全体でこの祭りを盛り上げていることを感じます。

Take燃え残った竹は 持ち帰りが出来ます。

竹の箸を箸をつくると 無病息災で暮らせるとのことでした。

私も50センチほど切って貰いました。

何時箸を作れるかどうか分かりませんが  

Sinmeisha帰り道 振り返ってみると 神明社の森を 空を まだ赤々と焦がしています。

三河の海辺のこの町は 吉良上野介ゆかりの土地です。

平安時代からみんなの心に刻まれているお祭り 

「吉良家のお家取りつぶしがなかったら 祭りは どんなものになっていただろう?」と案内人に言われた言葉が何時までも心に残りました。

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江ゆかりの地  知多大野を歩く

2012-02-18 22:54:05 | 旅行記

御在所から戻ってまだ時間がありそう。 二人っきりの生活は晩ご飯の支度の心配もいりません。

「セントレアまで行って晩ご飯食べよ」と言われて乗り気ではなかったけれど ま 行ってみるか・・・と名古屋から電車を乗り換える。

途中で ふっと気が変わって 「ねぇ 大野駅で降りてみよう」

わざわざ行くことは無いかもしれないけれど ちょっと気になる 知多大野

去年の大河ドラマゆかりの地なので 少し脚光を浴びたみたい。 ここは江が初めて嫁いできた場所だった。 とは言え11才の時 あのドラマでのやりとりは何か違和感を感じる。

駅前には江ゆかりの散策路と書かれた道が提案されていて 一周1時間半ぐらいとか。 4時近くなっていたので 急げば回れそう。

Map
佐治氏をよく知りませんでした。 だからもし秀吉が江を邪魔と思ったとしても(私だけの考えです)いかにも釣り合いが取れない・・・・と思っていたのです。

佐治氏の跡取り佐治一成は江とは従姉妹だったのですね?

信長の妹 つまりお市の方の姉弟を佐治家に嫁がせていたのでした。

このあたりの海を治めていた水軍としての力を評価しての事だったそうですが

大野町には世界最古の海水浴場があるのだそうです。 どのくらい古いのか分かりませんが 知多の小さな海沿いの街にそんな歴史がある事は面白い。 しかし何を持って世界最古って言うんだろうね?

まず斎年寺に向います。 狭い町並みを縫うようにして歩きます。 雰囲気ありますよ。 昔はこのあたりとても栄えていたのだそうです。

Matinami

Sainenji萬松山齋年寺

佐治家の菩提寺です。

はじめは大野城の敷地内にあったのですが大野城落城とともに家臣によってここに移されたとのこと。

Sainenji2
豪華さはありませんが

街にひっそりと溶け込んでいます。

時間が遅いので通り過ぎるだけです。 

Matinami2
うう~~ん 昭和の匂いがする。

小学校を巻いて更に行くと 小高い丘にお城が見えます。 正確に言うと落城したのだから いまは後かららしく作った展望台です。

ここで江は何を見ていたのでしょう? 早速行ってみます。

駅からの歩きですので 北口から登ります。 これが結構きつかった。 南口からだと住宅地がすぐそこまで来ていて 近いらしいのだけれど 標高が変わるわけで無し

Kaidan階段が整備されていますが・・・・

Hiroba_3
多目的広場

もう少し登ると遊具広場 昔の郭の跡だと分かります。

Monいくつかの階段をはぁはぁ良いながら登って行ったところに門が

おなり~ぃ

Tenbousyo_2
展望所は 天守を模してある。 4時までと書いてあったけれど開いていたので入って見る。

いや~ 何これ?

360度の展望

Tenbou1伊勢湾

関係ないけれど まん丸いデザイナーズハウス見たいのが建っている。南側はすぐそこまで住宅地が迫ってきている。

Tenbou2_2
ん? あれは 養老山脈?

Tenbou3
海に突き出しているのはセントレア いまは飛行機の離発着が無いけれど・・・

これ 江が見たらひっくり返るだろうな

Tenbou5北側は中京地区工業地帯とでも言うのだろうか?

工場の煙突が立ち並び ガスタンクなども並んでいる。

タイムスリップした戦国時代から現代を見ている。

佐治氏というのはもともと平氏の流れを汲む氏族で甲賀が出身らしい。 先にここで一色氏が城を築いていたらしいのですが 足利氏から要職を解かれてから 衰退の一途を辿りその後に力を見せたのが佐治氏と言うことらしい。

江が嫁いだ頃はまだ 力があったんだね。 

佐治氏が城から出て行ったのは 織田信雄の起こした小牧長久手の戦いで 敵方の家康に味方したことで秀吉を怒らせたことにあります。 3年ほどの短い結婚生活(ままごと)を無理矢理終わらされ その後取りつぶしです。

後に織田信長の弟織田長益が入るけれど 水利の悪さを嫌って下の方の大草に城を建てたと言うことで この城は用無しになってしまいました。

こうして歴史から消えていったのです。

Sajijinjya
天守の南側に空堀があったらしいのですが確認できませんでした。 代わりにと言ってはなんですが 佐治神社

ここで無念じゃ・・・って言っているのでしょうか?

Youhaisyo
桃山御陵遙拝所です。

明治天皇陵にお参りに行けない人のための遙拝所がここにありました。

もちろん割合最近のものですが こんな風に見えないものに祈ることが出来る日本人 不思議です。

かくいう私も時々そうしています。

森の中を下って行きます。 今度は田園風景を進みながら お寺を回って駅に戻ります。

Enkei
見上げて見るとさほど高くないのにねぇ

とにかくきつかった。

Sankouin三光院

Matuyaここはマツヤ足袋という会社がお客様をもてなすために作った別館だそうで レトロな匂いが一杯の建物でした。

時間が遅くて中には入れませんでしたが 食事も出来るようです。

Itimidou市見堂

11面観世音菩薩が安置されている。

何とも鄙びたお寺と思ったら この前で昔は市をやっていたのだそうです。

市を見守る観音様だったようで。

幕末から明治にかけてこのお堂を拠点に俳句活動が行われていたそうです。

運河のような川を越したらすぐに駅です。

今日は時間も無いので 1時間半の超特急散策でした。 まだ半分ほどしか見ていない気がしています。 また来ましょう

セントレアでの食事はやめにして りんくうのマルハで美味しい海の幸をいただいて帰りました。 なかなか充実した一日でしたよ。

今年も良い一年になりますように

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今年の樹氷は? 青空こそ似合うのに・・・

2012-02-18 12:20:03 | 旅行記

2月11日 私の誕生日である。

いまでは終わりに向ってカウントダウンの真っ最中ではあるけれど まだまだ気分良く生きていたい。 誕生日だからと言って何も望まないけれど この何年か亭主のおごりで湯の山温泉で食事をして 御在所まで行くと言う過ごし方をしている。

何年か前 家族揃って行ったお正月の御在所が楽しくて仕方なくて その時のことを思い出すと言うのもある。 あのときの樹氷は 宝石のように美しかった。

このところ三重や奈良へ行く機会が多くて 朝は白く輝いている山も 夕方には黒くなっているのを見て「あんまり樹氷ついていないんじゃ無いの?」と思っていた。

当日 朝から良い天気~~ やったね

ところがである。 あろう事か三重県に入ると なんだか御在所あたりだけ黒い雲が・・・・そんなアホな

ロープウェーで進むと 決定的

Ropewayあらら 真っ白です。

さっきまで下を覗いてはカモシカが寝っ転がってる 人が歩いている・・・・とテンション高く叫んでいた同乗の子供たちもだまり

やがてロープウェーの中の人以外は何も見えなくなってしまった。

停まるなよ

それでも 無事ついて 山上駅を出ようとしたら 気温何とマイナス7.9度

ひえ~  最近科学館でマイナス30度の世界を体験した時よりもはるかに厳しい寒さ。 風のせいだろうか? うひょ~ リフトで移動したら寒かろうね?

と言うわけで時間が許す限り歩くことにする。

Jyuhyou1_3
小さな雪粒が一杯ついている。

胡麻みたい

Kouyoudai
偽の山頂・・・と言うわけではないが ここに標高を書いた標識がたっているので

本当の山頂はもっと歩いたところにある。

ここから琵琶湖が 伊吹山が 四日市が・・・・・見えるよ と書かれていても 今日は真っ白で何も見えない

それどころか時々吹雪いてくる

Jyuhyou2
おお~ 見事な樹氷や

これで青空があったら 樹氷はダイヤモンドに変わるのにねぇ

Jyuhyou3
樹氷のトンネル

右の方から ひょこっと登山者が顔を出す。 中道からのようだ。

Jyuhyou4
ここは風の通り道なんだろうか?

歯ブラシのように長い 結晶がついている。 エビのしっぽって言うよりやっぱ歯ブラシだ

触ってみると 硬い

Jyuhyou5
青空よ 戻ってこーい

Kanaami金網にまでびっしりついている

足下雪がそれなりに深かったので 思ったより歩きやすかった。 ところが亭主雪のないところばかりを選んで歩こうとしてすってん

雪は踏まれると滑るんですよぉ

あんまり何度も転ぶので(一度は2メートルほど滑っていきましたよ)ホテルに戻ることにした。

今年の御在所は 雪たっぷりで樹氷も文句なしのできだったけれど やっぱり青空と一緒でないと その美しさが生きない

今年の誕生日はグリーンホテルで思いっきり雪見露天風呂を楽しんで よしとしました。

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干支の山 龍王山を訪ねて 古墳群を歩く

2012-02-15 12:16:55 | 山歩き

Tozandou7
登山道は ひたすら丸木の階段。

ただ有り難いことに高さが無いので膝に優しい。 いつもなら悪い方の足をかばって同じ足で着地していたのに 

あっという間に奥の院への分岐につく。

道をそれて40メートルぐらいとの案内。

そこですれ違った人から横穴式の古墳がむき出しであるところがあると聞く。

行ってみよう

丸太ん棒の倒木をまたいで行くこと50メートルぐらい?

Kofun1突然右にぽっかり空いた穴が見える。中は竹の根も張ってお墓とは思えないけれど

崖や山腹等自然の地形を利用している横穴式の墳墓は珍しいものらしい。

Kofun2_2
真っ暗で中見えない。 おそるおそる近づいてフラッシュ焚きながら撮ってみた。

お~~ 確かに石室だ

こんなのがあちこちにあるんだよね

戻って奥の院へ ほんの数メートル山側に入ったところ

Okunoin
祠があるはずと思って探したけれど見つからず。 不動明王の後ろに積み石の跡があるところを見ると 昔はここに祠があったのかもしれない。

今は鎌倉時代に作られたというお不動さんがひっそりと佇んでいる。お顔の優しいお不動さんだ。

Tozandou8
時々 里と間違うような緩やかな道も出てきて このあたりから龍王山古墳群となる。

龍王山の西斜面 標高150~450に点在する古墳群。円墳と横穴がそれぞれ300基合わせて600基の古墳が点在

お墓の団地?だね

6~8世紀の古墳らしいけれど まだ調査が進んでいないんだとか

これからどんな発見があるのだろう? それともこのまま永遠の眠りに?

しかし山全体がお墓って考えたね

権力者だけのお墓だったとしても あまりにでかいお墓はやがて場所が無くなる。

Yokoana
ほい ここにもあったよ

中は盗掘されているのか何も無い。

Enfun
木の根元を見ると 丸い土盛り

あれが円墳 何も無かったように上には木が生い茂ってますが 確かにぽこっぽこっっと

こんな感じでずっと下まで続きます。

Ojizousan
お地蔵さんらしいです。

長い年月になにがあったか 上がかけてしまっているけれど6体地蔵だそうです。

何処がどうなっているのか・・・・?

古墳群がほぼ終わった頃 分岐を右にとって川沿いに歩きます。

Tozandou9
所々登ったり降りたりしている内に里の景色になって来ます。

Sato
う~ん 今日も良く歩きました。 ここまで22000歩 足慣らしとしては良いでしょう。

あと少し 崇神天皇陵を通って黒塚古墳を見て来ます。

Yamanobenomiti
山辺の道とぶつかりました。 元の高さに戻ってきたようです。

トレイルセンターの方へは回らず崇神天皇陵を右手に見て歩きます。

でかい

今まで山の中で見た墳墓と比べると豪邸と犬小屋ぐらいの違いはあります。

Undonyama崇神天皇陵は 元々は行燈山古墳と言っていたらしいです。

航空写真で見ると 周りに4基の古墳があるのが見えます。

アンド山古墳 南アンド山古墳 櫛山古墳 大和天神山古墳

これらは陪塚だそうです。

Sujinntennnouryou大きすぎて全容はかなりはなれないと分かりません。

前方後円墳です。

池には冬になるとマガモやおしどりがやってくるそうで・・・・

きょろきょろ・・・・見つかりません。

そのまま のどかな田園地帯を歩いて黒塚古墳を見に行きます。 こちらは公園風に整備されているようです。

Izanagi

Kurodukakofun
黒塚古墳です ここも前方後円墳

円墳の方から登れるように階段がついています。 崇神天皇陵ほどではないけれど やはり立派です。

ここは三角縁33面神獣鏡 更に一面も出土して一躍有名になった古墳だそうです。

Kurodukakofun2

Sekisitu
石室の再現です。

何人も入れそうなぐらい長いよ

中が真っ赤なのはなぜ? 分析の結果水銀朱だそうで 腐敗を防ぐ効果があったのだろうか?

Ryuuousan円墳の上に立つと龍王山が見えます。

山頂のちょっとだけ切れている場所 あれが南城かなぁ?左の尾根から右の尾根を歩いたんだね

山歩きは面白いけれど それに歴史とかチェックする場所があると足の痛いことも忘れて歩ける。 しばらくは こんなスタイルで歩いて見るかなぁ

そんなことを考えながら 家路についたのでした。

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