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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

干支の山 龍王山を訪ねて 南城跡

2012-02-14 20:35:02 | 山歩き

また五叉路に戻ってきました。 今度は南城跡 イコール山頂へ行って周回してまたここへ戻ります。

途中までは相変わらず アスファルトです。

Ryuuousha1
可愛らしい龍王社があります。藤井田龍王社と言うようです。

龍王さんは 元々雨乞いの神様だと思いましたが・・・毎に雨乞いの神様をお祭りしているのでしょうか?

Tozandou6途中から右手に上がっていきます。 どこかからエンジン音がするので不思議に思っていたのですが 登ってみて分かりました。

何とバイクで登っていたお兄さんがいたのです。下へ置いておくと無くなりそうで心配なのでしょうか?

Kitasirohoumen下の方に東屋が見えます。 あれはさっきの散策路の途中にあった。と言うことは北城跡はこの左手の方だろうか?

Kuruwa
連郭式であることがよくわかります。 稜線上にあるいくつかの開けた場所を確かめながら 登って行きます。

Kuruwa2

Sancyou
こちらの山頂にもフィールドアスレティック様のものがあります。

どうして分かりませんが

石の三角点は少し離れたところにありました。

さて ここは実に良い展望が得られる場所です。 見て見ましょう

Tenbou2ちょっと霞んでいますか?

真ん中に二上山 特徴のある形をしているので分かります。

あの稜線がダイヤモンドトレイル?

葛城山が思ったより高いです。 確かに登ってくるまできつかったですが

生駒方面も見えます。ダイトレとの隙間から明石大橋が見えるらしいですが・・・

う~ん 見えるような見えないような

中世の殿様は 奈良番地をすっぽり見渡せる場所で どんなことを考えていたのか

いつか滅ぼされるなんて思いもしなかったでしょうね だってここにいると奈良盆地独り占めみたいな気分になるよ。 そうそう あちこちに緑の塊が見えますが あれは全部古墳です。

私の住む街にもいくつか古墳がありますが 全然違う雰囲気です。

下の郭まで戻ったら周回コースを取ります。

Ryuuousha2
柳本龍王社です。

最近作り直したのでしょうか? 祠が新しいのですが 全体の雰囲気としては地元の人々の信仰の対象として長い間大事にされてきた感じがします。

毒蛇注意とあるので 早々に退散です。

Bunki
分岐に戻ってきました。

面白いですね? ここは中世のターミナルでしょうか?

さて ここから最後のコース 古墳群のある尾根を下っていきます。

膝ががくがくしてきましたが もうひとがんばりです。

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干支の山 龍王山を訪ねて 北城(龍王城)跡

2012-02-13 19:33:12 | 山歩き

Kitasirohe
北城へ行く道は 舗装道路です。 車でも来られるようです。

こういう道大嫌いです。

途中散策路とあって左に上る道がありましたが 効率よく北城にたどり着けるかどうか分からないので ぐっと我慢のアスファルトの下りです。

こんなに下って 又登るんだぜ いえぃ

と空元気で・・・・

散策路のおしまいは馬池で一緒になりました。 あ~あ  馬池 今は池の真ん中にも木を植えてしまったので池が分からないけれど 今でも隅っこから水が湧き出してきて渇水期でも枯れたことが無いんだって

ここまで苦労して登ってきた馬をねぎらい水をあげた場所だそうだ。

Map_2
地図を見て驚いた。 何と大きな城だったことか? 北城だけでなく南にも城が築かれている。

南の城は尾根に沿って縦に築かれているので連郭式山城と言い この北城は本丸を中心に郭を巡らしてある環状式山城と言うんだって

城の形式から言って北城の方が後で出来たのではないかと・・・・

標高520は城としては高すぎるんじゃない? 中世の豪族十市氏が築いた山城

後に松永氏 秋山氏が入場 織田信長によって廃された。どっちにしろ 奈良県に残る城跡としては信貴山の次にでかいんだって。

信貴山前に行ったときそんなに大きいと思わなかったけれど ま何処まではお寺で 何処までがお城かよくわからなかったから仕方ない。

Koguti南小口と思われます。 土塁の横にあります。 ここの小口は円形をしていて 下から来ると土塁が右 左に互い違いになっていて先へ進もうとすると弓の手が逆手になって攻めにくいのだとか

見上げると辰巳の櫓が 高くそびえ立っていました。

Kaidan_2
本丸への階段は急です。 いえ 現代の道ですがね 沢山の人々がここを訪れた証拠でしょうか壊れて登るのが大変 降りるのはもっと危険です。

Kitasiroato
ひょこっと飛び出してみると・・・広い

子供ならサッカーも出来そうな広さ 上から覗くと郭が あちこちにあるのが見える。

なぜか場違いなフィールドアスレチックのような遊具も置いてある。

Tenbou
奈良盆地が見渡せる。 向こうに見えるのは葛城山 二上山

十市氏はここからの奈良を見て何を思っていたのでしょうね?

この地を我がものと思っていたら滅亡の日がやってくる。

戦国の世の習いだけれど

この地にジャンジャン火伝説って言うのがあるらしい。 長岳寺の血染めの天井に続き少々オカルトっぽいけれど

十市氏の怨霊が火の玉になったと その火の玉は今にも雨が降りそうな夏の夜に現れ見たり叫んだりすると襲われるとか・・・怖っ!

Tokinomaru
郭の一つと思われる。

さて今度は南の城跡まで行かないと・・・ アスファルトの道をたらたらと上って行く。 しかし 覚悟していたからか 案外何でも無かった。 ほっ

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干支の山龍王山を訪ねて 長岳寺から分岐まで

2012-02-13 16:04:51 | 山歩き

龍王山への道 山辺の道 このあたり 歩く道がいっぱいあるらしく 天理トレイルセンターまで作られている。 いたれり つくせり

長岳寺をでてから のどかな里の道を歩き出す。

Kajyuen
左側は果樹園

この辺の果物って言うと・・・・浮かばないのだけれど 柿だろうか?

ずっと続いている。

正面奥にあるのが龍王山かな?

長い尾根歩き 標高差500メートルの模様。

Nobotoke
畑の脇には仏様

古いものから新しいものまで混在している。

元気で行ってきま~す

Tozandou1

畑を過ぎると狭い山道に入っていくけれど まだ里の匂いが一杯。ずっとこんな道を行くのかしら?

Tozandou2
こんな道も・・・

全体に明るい。 山に入る感じがしない。

Hatake
果樹園越しに天理の街が見えるようになって来た。

Hotokesama

Jizouぽつぽつと仏様が・・・

村人はこの道をいつ頃まで使っていたんだろう?

Tozandou3岩盤露出した箇所も所々にあるが 全体としてはひたすら階段を登って行く。

細かい段差なので歩きにくくは無いけれど 背中で心臓がどくどく言っている。

Tozandou4
ふむ

だんだん歩きにくくなってきたよ。 ちょっと苔むしたりしているから滑らないかとどきどき

 

汗も一杯出てきて ダウンはじっとりしてるが 道が狭くて脱ぐ場所が無い。 

もう少し我慢我慢

Ofudousanお不動さんと石箱仏

お不動さん 怖い顔とおもいきや なんだかひょうきんでちょっと笑ってしまった。 罰当たるかな?

Tutiningyou_2
土人形が出来ている。

この山も倒木が一杯で 水をためておけなくて 山が壊れかけているのかもしれない。

Yanohige
綺麗な色のジャノヒゲの実

Tozandou5道は大分なだらかになって来ました

そのご右に長岳寺奥の院300メートルの案内がありましたが 帰りの周回コースからも入れるので ここはまっすぐ行くことにします。

似たような道を上ってついたところは5差路の分岐です。

ここから左に道を撮ると龍王城跡地(北城跡)に行きます。まっすぐ行くと南城 および山頂につき途中から周回してこの道に戻ります。

もう一つは右手に下る道です。 帰りはこの道を辿り 古墳群の中を通って下山です。少々疲れていたけれど 頑張りましょう。

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干支の山 龍王山を訪ねて  長岳寺

2012-02-13 14:35:06 | 山歩き

特に干支の山に拘っている訳ではありませんが 山を選ぶときの参考にはなります。 干支の山を登ったのは 何年か前の猪子山 そして寅年には大きな虎の張り子がある信貴山・・・

龍の山は沢山あります。 ちょっと思いつくだけでも 竜爪山 滋賀の竜王山・・・

2月11日私の誕生日に亭主と一緒に行く予定にしていたのは奈良の龍王山 前に歩いたことのある山辺の道 長岳寺の後ろにある山です。 ところが亭主 11日は湯の山温泉と御在所へ行くと言い出し すっかりその気になっていた私は むむっ

いいもん 一人で行くもん

と10日に出かけることにしました。

今回も近鉄てくてくマップに詳しい地図があります。 平面的な地図なので山岳地図も用意します。

まずは長岳寺です。 前に山辺の道を歩いたとき なぜかこのお寺に寄らなかったので心残りでした。

Cyougakujisanmon釜口山 長岳寺と書いてあります。 のどかな山里に佇むこのお寺は釜口のお大師さんとして親しまれているそうです。

関西花の寺19番ともあります。 どんな花が咲くのでしょうか?

重要文化財である地蔵堂は長岳寺48坊会った塔中のうち 唯一残っているものだそうです。こじんまりとした美しい建物でした。 仏様は庫裡の持仏堂の中で優しいお顔をしていらっしゃいました。

Roumon_3
鐘楼門 重要文化財

この門をくぐって本堂へ向います。 日本最古の鐘楼門だそうで弘法大師がこのお寺を創建したときからの唯一の建物だそうです。

二階に鐘を吊った遺構があるそうです

そういえば たいていのお寺の鐘は別に釣り鐘堂があるよねぇ

824年に弘法大師によって創建されたこのお寺は一時は広大な寺領を持ち 大変栄えたらしい。本堂 五重塔 十羅刹堂 真言堂 経蔵 宝蔵 愛染堂 大師堂 宿堂および寺中坊舎42坊 外客坊 浴室などがあったと聞くと かなりな物だと思われる。

今の様子から見ると修験者の僧院と言うよりは 静かな里のお寺という感じでしたがね

応仁の乱でお寺はほとんど焼けてしまい その後秀吉に寺領を取り上げられ・・・・ところが家康はこの寺の由緒を大事に思い援助を行った。 明治時代にまた存続の危機を迎えるけれど釜口の大師さんとしてみんなに大事されている事を考え残されたんだと・・うん そんな感じのするお寺でしたよ。

Hondou本堂です。

実はここの天井 血染めの天井として有名です。 娘に聞いていたのですが 気味が悪くて・・・

本堂の天井は升の様に区切られた枠に絵が書いてあったので 手前の天井だったのかもしれません。

見つけられませんでした。

調べてみると 誰が見ても足跡ってはっきり分かる。

長岳寺の裏手 これから登る予定の龍王山には 十市氏のお城がありました。松永弾正久秀に攻められたときこのお寺も戦場となり十市方の兵がここで打ち果てたと

その時の足跡が縁側についてしまったので 天井に持って行って張り替えた・・・え~~っ? 何とも信じがたい感性ではあるけれど 平気なんだろうか? 何でも それからは逆さまに歩く幽霊がでるって言われているらしいよ

Zoucyouten_2
このお寺 写真撮影駄目と書いてなかったのでどきどきしながら撮りました。

フラッシュは止めましたよ。 文化財ですものね

阿弥陀三尊の脇に多聞天と増長天です。

Amidasama
目には石が入っているようで光っていました。

Daisidou奥の方に弘法大師のお堂があります。

そのほかに大石棺佛 大師像 十三重塔 鐘堂と続きます。

Niwa_2
小さいけれど美しい庭は 花の季節には更に優しい表情になるようです。

さてと・・・ ここから標高差500メートルの山登りです。

十市氏の城跡にも興味あります。

急がなきゃね。

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海民の信仰を集める 山上の古刹 青峰山正福寺

2012-02-07 21:52:48 | 山歩き

三年ほど前に 三重の伊勢山上に登ったときに 面白い本を見つけた。 NAGIという季刊誌

そこ山寺ハイキングの特集があって 伊勢山上の他に いくつかの山寺が乗っていた。 朝熊岳 金剛鐙寺 鶏足山野登寺 霊山寺 大峰山寺 等がのっていた。

面白そう 行ってみたい・・・・と朝熊岳と霊山は行った。 その後つなげないでいた。

「今度の日曜日は 小学校の同級生と京都へ行く。」と言う亭主の一言で 決まった。一人で行ってみよう。青峰山

Map近鉄てくてくマップというのがある。 いろんなコースが提案されてて その中の一つにこのコースがある。

歩いている間に眼鏡を出さないと分からないほどびっしりと情報が載っている。

これで大丈夫だけれど最近地図を見て歩くことを怠けるようになったので 今回は地図も持って行く。

よ~し 準備OK

Aonominesanどうもあの山のようです。

岩がごつごつしていますが あそこは通らない模様。

あの岩は長者岩と言って黄金伝説やUFO基地説もあるらしい。

Tozanguti沓掛のを通り過ぎて少し山の方へアスファルトの道を行くと登山口。

旧道と書かれているけれど 道は悪くない。

1丁(約109メートル)毎に丁石が置かれているので 自分の市の把握もしやすい。

Tozandou
山道は ゆっくりした傾斜で明るくて気持ちの良い散歩道といえる。

この時期はマンリョウ センリョウなど赤い実が見えるが 花は見つからない。

Tozandou2

Tozandou3_2
昔は石畳もひいてあったのだろうか? 所々握り拳大の石がごろごろして歩きにくい。 石畳が壊れたもののように見える。

Sindou10丁を過ぎたあたりで車道とぶつかる。 視界が開けて大分登った気がするけれど ここで旧道は左の細い道を上って行く。

もう一度車道と出会うのが14丁ぐらいだったか?

Isidan_2

Matoyahoumen
駐車場があり その先が開けていたので行ってみると 的や方面の展望が開けている。

思っていたより遠く ボッとしてるが パルケエスパーニャのとんがり屋根も見える。

あそこまで行くと見事なリアス式海岸が見えるのになぁ・・・と思いながら登山道に戻る。

駐車場があるのだからもうお寺に近いはずで 思ったより軽い山歩きで目的の半分を歩けたことを喜ぶ。 とは言え 長いこと歩いていなかったので 足の付け根と 腰の痛さは半端ではなかったけれどね。

正福寺の入り口手前に青峰山への道があった。ただね 私の大嫌いな道。 

Tozandou4しかも ひどく急です。

たっていると足の付け根が痛くなるほど。 坂道をジグザグ ジグザグと歩いて行くしかないです。

ピストン20分ぐらいなので辞めても良いのだけれど 今日は頑張りたい。

観音山を越えて更に登って着いたところは鉄塔が建ち展望あまりよろしくない。 はぁ

Sancyouこんもりした木々の中でひっそりとあるのは天跡山 天の跡って?

青峰山の別名らしいのだけれど なんだか謂われがありそう

標高336.3メートル。

Hi
倭姫の命皇大神を始めて鎮座し奉った天跡山

明るすぎて良く読めないけれど(他にも理由があるだろうって?)

そんなことが書いてあるらしい。

だから天跡山かぁ

展望がないのでさっさと降りる事にする。

転げそうな山道を戻るとすぐ左手に 正福寺が見えてきました。

Syoufukuji
ここからは まだこのお寺がどのくらい立派なのか分かりません。

正福寺は全国でも三つしかない海上守護の第一霊峰なんだそうです。

海の守護神が山にあるというのは不思議です。 ここから海が見えるかというとそうでも無いし・・・

しかし1200年もの歴史があるのです。 行基様が建立した真言宗のお寺だそうで近づくと その立派さにびっくりです。 全国から船の安全を願ってお参りに来るわけです。

Sanmon
この山門作るだけで30年もかかったそうです。

こうして見ると分からないけれど 近づくと 様々な彫刻が施され見ていて飽きません。 

伊勢エビが隠れていると聞いていたので 片っ端から見たのですが・・・・どうしても見つけられず。 悔しいですっ!

Tourouこの灯籠 7メートルもあるのだそうですが 大阪の樽船問屋の寄進になる者と書かれています。

すごいね

そしてこの山門のあまりの立派さに 鳥羽藩には過ぎたるものって言われたんだって・・・

失礼な こうしてみんなで今まで守ってきてくれたのにね

Cyoukoku_3

Cyoukoku2_2

Cyouzu

Hondou本堂も沢山の彫刻が施されています。

昔は色が綺麗に塗ってあったのでしょうか?

この日厄払いの集まりがあると言うことで何人かの檀家さんが集まっていましたが ご住職インフルエンザだとかでご祈祷してもらえないと・・・・

海の神様は インフルエンザには弱いらしい

Cyoukoku3正福寺のご本尊は11面観音様 秘仏として祀られ 見ることができない。

年一度のお船祭りの時に見られるそうな

昔相差の海から鯨にのっておいでになったそうで ここまで来て鯨くんご用が無くなったと 本堂の池にドブン

Daisidou

Benzaiten

Kujiraiwa

鯨岩がありましたよ。 小さな鯨ですけれどね

お寺は17丁 と言うことは ここから松尾駅までの道の方が遠いって事? あらら大変 急がなきゃ。

Tozandou5
お寺から車道に出て左の小さな階段を登って行くと また稜線にでる。

景色は実によく似ている。

ま 言ってみれば参道だしね

なぜか丁石はまだまだ続く 22丁石で護摩岩

Gomaiwa弘法大師が ここで護摩を焚いたと言われる。

弘法大師の謂われがあるからか この丁石から 松尾まで 今度はだんだんカウントダウンを始める。

Cyoubou
眺望岩があったので 足場を気にしながら降りてみたけれど 期待するほどの展望はなく 遠くに賢島方面だろうか? 海が光っていた。

Nobotoke

Amakobouka所々に奇岩が見られる

あまかぼうか岩

あまかぼうか? なんやそれ?

女か男か・・・とい意味らしく 妊娠した子供の性別を知りたいときに 上の岩にぶつけて落ちた方で 性別を占うものなんだそうな

Darumazaubamegasi達磨座ウバメガシ

大きな岩にしっかり座っているように見えるウバメガシ

そういえば沢山切り倒されていた木はウバメガシだったの?

炭を焼いているようには見えなかったけれど

Masukiti
ますきち岩

船の船首に似ている。 昔ますきちと言う男がオオカミに追いかけられて あの岩のうえによじ登り難を逃れたと言う言い伝えもある。

Tozanguti2
昔 海の男たちは 古道の階段を上って正福寺に海の安全祈願をしに行った。

たかが336.3メートルの山もそう楽ではなかっただろう  山の上に海の守り神を置く。

その距離が 行であり祈りの道だったに違いない。

途中であった人が 私のカメラを見て「撮りたい場所ありました?」と聞く。 実は全長7.5キロほどの道は ほとんどが似たような景色で そういう意味ではメリハリは無かった。

しかし 一度お船祭りを見て見たい。 大漁旗はためく海の祭りは見応えがあるのではないか? そんな様子を想像しながら とても楽しい気持ちで家路についたのだった。

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