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Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

畑にちんあなご?

2014-03-24 22:02:50 | 日記・エッセイ・コラム

私 あろう事か畑借りました。

縁があって近所の大地主さんと仲良くなって 話し込んでいるうちに畑を借りることに・・・・
前からやってみたかったんですけれどね

足を悪くしてから 鍛えなきゃ・・・・と思ってしまったんです。私の思考はいつも脈絡がありません。 リハビリ 頑張っていますが もともと訓練という類いのレッスンは苦手
前に手の骨を折ったときにも リハビリ代わりに 毎日手ごねでパンを焼いていたことを思い出しました。今回もその発想ですね。
訓練ではなく 楽しみながらやる

Hatake3gatu素人のやることですからね2月に借りたんだけれど まだ早いって言われて

待ち遠しくて待ち遠しくて

じゃがいもの種芋って 早くから売っているんですね? まだ植えられないのに  ブウブウ

早く買っとかないと欲しい時にはなくなるんだよとも言われ 今日はメークイン 明日は男爵 男爵はちょっと多めに

北あかりって言うのもあるよ インカの目覚めも・・・・

って気付いたら 一杯の種芋

じゃがいも12畝も植えてしまって あれれ? 他の物作る場所がないよ

Kyabetu狭い畑に 無理矢理キャベツの苗を植えて(種は間に合いません)

その横にアスパラ

なんだかおひげのように根っこが広がっているだけのおかしな苗を買ってきましたが こんなのでアスパラが出来るんでしょうか?

Asupara半信半疑で 行儀悪くとっちらかった根っこを土の中へ無理矢理押し込みました。

だって土をかけてもかけても どっかから根っこが飛び出しそうな広がり方でしたから

1ヶ月ぐらい経ちました。
毎日毎日 アスパラが気を悪くしそうなぐらい 「まだかよ あんな行儀の悪い根っこで育つとは思えん」と悪態をつきながら覗いてみる。

暖かくなって小さな草が出てきたので ちょっと摘んでみる

ん? なんだかミミズ見たいのが地面に突っ立っているじゃないの? 明るすぎて見にくいのと老眼のせいで ミミズがちんあなごにみえて

ミミズって立ったっけ?
半ば本気でそう思った割には 手で触ってみる 
あ  あ~~っ これってアスパラガス?
二本もあるよ。  チビの指ほどしかない細いアスパラだけれど・・・・

嬉しくて嬉しくて かがみ込んでずっとずっと見ていました。

ジャガイモ農家のようにいっぱいじゃがいも植えたけれど 芽は無事に出て来るでしょうか?

大根の双葉がいっぱいでています。 抜き菜にするにはまだ早い。

なんだかとても楽しみなこの頃です。

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セリバオウレン探して・・・・

2014-03-23 22:20:53 | 山歩き

小泉から 大久保 下板並までの花ロードでは見られない春の妖精
土質が違うんでしょうね?

下見会で最初に見に行った上平寺館跡で見つけたのは コセリバオウレン
何が違うって?
見た目全く一緒に見えますが 草丈の小さいこと
雪の下から見たからかもしれませんが 5センチほどしかありません。 とても儚げに見えます。

Ryouseikaオウレンには雄花と雌花 そして時には両性花があるようです。

雌花 なかなか見つかりません。
雄花は 花火の様に蘂をいっぱい出しているのでわかりやすいですけれどね。

手前の株がひょっとしたら・・・・と思いましたがあまり違いが解らないので(色もちょっと黄色っぽいとか赤っぽいとか違うらしいので)違うかもしれません。

とにかく雄花がダントツに多いです。

んじゃ 円興寺へ行ってみよう。
先週ジオンさんが個体数が減っているみたいとレポを挙げていらっしゃったのでちょっと心配です。 それにオウレンはセツブンソウよりはちょっと早いような気がしています。

Enkyouji大垣市青墓町 円興寺

あそびをせんとや うまれけむ・・・

NHKの大河ドラマで今様を舞う遊女の里として紹介されていました。

また 源朝長の菩提寺でもあります。 父義朝とここまで逃げてきて落ち武者狩りによる怪我が元で亡くなったそうですが 反対側の山に お墓があって お参りに行ったことがあります。

とても歴史のある場所なのです。

話がそれましたが お寺の山域にセリバオウレンはあります。 有名らしく 駐車場に車を止めて山に向っていると カメラだけを持って上がっていらした女の人にも会いました。

Seribaourenセリバオウレン

先程のコセリバオウレンと比べるととても草丈が高いです。

10センチ以上あるようです。 
さっきとても小さな株ばかりを見ていたので 巨大に感じます。

やっぱり雄花が多いですね。

Mebanaこれ 雌花と思ったのですが 両性花かもしれません。

緑の蘂の回りにやっぱり白く少しだけ短めの蘂がでています。

オウレンの葉っぱは下の方に広がっているので目立ちませんが 手で下がってみると確かにせりの葉っぱのようです。

Ourenこんなのもありました。 
それでも両性花のように見えます。 黄色い玉のような物は何が変化した物でしょうか?

これだと葉っぱがよくわかります。

Ouren2

初めてここへ来たとき山を下りてくる斜面がまっ白だったのでびっくりしたことを思い出します。

ジオンさんは時期が早かったのでしょうか? やっぱり辺り一面花火でまっ白です。

もっとセリバオウレンの咲くところがあるよ
と言われて向ったところは岐阜薬科大学の薬草園
絨毯のように咲いているよ

オウレンは確かに 薬草です。
詳しくは解らないけれど根っこの方から取り出すオウレンというのが生薬だそうです。
おなかの薬の成分として聞いたことがあります。
抗菌作用 炎症作用があるベルベリンというアルカロイドが含まれているとか

でもこの株数は研究のためと言うよりはもともとこの山に群生していたのだと思われます。
他の沢山の薬草は畑で栽培されていましたから
凄いですね

Ouren3いろんな表情のオウレンがありましたが オウレンの雌花にはおしべが全く無いとのことなので 雄花と両性花しか見つからなかったような・・・・

Kuriセリバオウレンの他に こんなのもいっぱい。

円興寺見つけた物

栗・・・・とても大きな栗がいっぱい落ちていました。 ところが取りだしてみると ポロぽろっと崩れる。

栗って野では春まで置けないのですね。許されることなら秋に採りに来たいです。

Kanaoiなんか私のことみてる・・・

薬大のセリバオウレンの斜面にまるで万人のように目を光らせていましたよ。

ん? 視線の先はこれかぁ
カンアオイの花が目玉のおやじのようにぎょろぎょろ見ていました。

薬大には当然ながら見たい薬草いっぱいありましたが そろそろ閉門

セリバオウレン見られただけでも御の字と岐阜駅まで送ってもらってご機嫌で帰途につきました。

本番までに雪溶けていますように・・・・・

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3/9 春の妖精を訪ねて

2014-03-19 22:26:48 | 旅行記

伊吹山ネットワークの世話人を仰せつかりました。
私の居住地安城から伊吹山までは結構遠いのと 介護で自由がきかないこともあるというわけで 本当は影で応援したかった。

覚悟を決めるしかありません。 と言うわけで 15日の総会後の観察会の下見をしなくてはいけません。 関ヶ原で駅を降りて歩いているとYさんの車が・・・・
今日は二人で下見会のようです。

ま 気ままと言えば気ままです。 行きたいところにもいけます。

で 最初にコースにない 上平寺城麓京極氏の館にやってきました。 ここにコセリバオウレンがあります。

Jyouheiji何と! 雪がいっぱい残っているではありませんか?
先週ジオンさんから今年は思ったよりセツブンソウ早そうなので小泉に行きませんか?
とお誘いがあったけれど 今日の約束が先だったので お断りしたのでした。

暖冬なはずが時々寒の戻りがあって この辺にも沢山の雪が降ったようです。

こりゃぁ 無理かぁ・・・・・
観察会の日を早めたのも裏目に出たかもしれない。  (´・ω・`)

Koseribaourenでも 咲いていましたよ
雪の中にそっと咲いていました。

わっかりにくい~~

白い雪に白い花 おまけにコセリバオウレンは背丈がとても低い。

雄花がダントツに多かったけれど 雌花も確認して 本来の下見に出かける。

Jinjyaまずは小泉のへ

神社の裏手と隣のお寺に

ここは例年だと セツブンソウの群落と 福寿草が見られるはず

しかしやっぱり雪が・・・・

Fukujyusou福寿草
まだ日のあたりが悪いので閉じているの多かったけれど

花はもうそろそろ終わりかけ?
葉っぱがよく茂っています。
咲き始めの頭でっかちの花がなんだかユーモラスで好きなのですが

Setubunsou2セツブンソウ 雪の中でした。とても健気に頭を持ち上げて頑張っています。

雪を割って出て来るセツブンソウ好きですが 何しろ一週間後に観察会を控えています。
その時にみんなに群落を見せてあげられるかしら? にわかに不安になって来ます。

Setubunsouあ でも 陽の当たるところにはこんな子達もいましたよ。

中の青い蘂が綺麗です。

来週は頑張ってね

いつもの水場に行ってみます。 ここはこの地域では一番早くにいろんな花を咲かせてくれるからです。
しかし・・・・残念です。 どうしたことか気配もありません。
ここではいつも スズシロソウ セントウソウ スハマソウ セツブンソウ カテンソウなどが見られるのですが  来週に間に合うような気がしません。 本当に不安です。

Ookubo大久保のへ移動です。

雪でまっ白

ここが来週行われるセツブンソウ祭りのメイン会場

ここで見られなかったら目も当てられません

Setubunsou3ありました

雪が多いにもかかわらず沢山のセツブンソウが咲いています。
大久保の人々に守られているためでしょうか?
株も増えている気がします。

ただ いつも見られるスハマソウやキバナノアマナには早かった

Fukinotou美味しそうな蕗の薹がいっぱい出ています。

食べたい 

大きくならないうちに取れば良いのに・・・・と自分の財産でもないのにね

Dankoubai林道を上ってダンコウバイを見に行きましたが これもまだ早かった

春にまず咲く花をマンサクって言う説もあるけれど 飛騨の方ではダンコウバイを春告げ花と言うんだ・・って聞いたことがある。

惣持寺の方へ登ってきました。 ここならいくつかの花が見られそう・・・・
あれれ? 土盛りにいろんな花が咲いていたのに 石垣積んでコンクリートで固めてある・・・
花が無くなっちゃたよ

わずかな期待を持って毘沙門堂の裏手に回ってみる

Mitumata三椏の花もまだ硬い。
これ咲くと案外良い匂いするんだけどね

Roubaiロウバイは早くに咲くから そろそろ終わりだね。

あたりに良い匂いを漂わせていました。

Kibananoamana雪の重みで倒れてしまっていたけれどキバナノアマナ

ありましたねぇ

来週はしゃき~~んと立っていることでしょう。

Suhamasouスハマソウもありました。

スハマソウは実を言うとセツブンソウより少し遅いので 両方見られるのはラッキーと言うべきでしょうね

可愛い花です。

毘沙門堂の裏手の山はちょっとした山野草の庭のようでいつも思いがけない花に出会います。

もう一つ見たい花の群落があります。

板並地区  ここにはアズマイチゲが・・・・
どうしたことが毎にメインの花が違うんです。

Azumaitige大暈けですがアズマイチゲ

昼なのに咲いていない・・・・したの畦のような所も見たのですが
残念です。

でも一週間したらきっと咲いているでしょう

何とも不安いっぱいの下見になってしまいましたが 天気予報では 中頃から暖かくなると・・・・

祈るような思いで下見会は終了です。

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足助城の秘密

2014-03-16 22:09:34 | 旅行記

足助城の外観だけでも充分心躍る時間が過ごせますが もっと詳しく話を聞くと大ファンになります。

前の記事でボランティアのおじさんのこと少し書きましたが 実は特にお願いしなくてもつきっきりでボランティアさんが説明をしてくれます。 一日あたりの来訪者が少ないこともあると思うのですが 至れり尽くせりです。

南の丸ところで待っていて下さいました。 ここから足助城の秘密をいっぱい聞きます。
Tataki台所の役割をしていたと思われる曲輪のところで待っていて下さいました。

「下を見て下さい。これはたたきです。 土に塩を混ぜて作ってあります。」
そこまで聞いて私 あ 塩? ひょっとしていざというときに土の中の塩を利用するの? まさかねぇ・・・・

と思ってしまったので
「えっ? まさか舐めるのでは」と言ってしまったのでちょっとご気分を害されたようでした。

「今から説明するから」 あ はい

ご自分のシナリオ通りにいかないとちょっと嫌なんでしょうね? 私も人の話をもっと上手に気か無いといけません。

かちかちのたたき 子どもの頃近所の家はこんな風でした。 上から歩いて固めるので黒光りしていました。

これはいざというときに舐めるわけでは無いのですが 水を混ぜて湧かし塩を抽出し それを利用できるようにと言うことなんだそうです。 実際に使われたかどうか解りませんが  凄いサバイバル

ついでにわかりやすい画像なので書いておきます。
足助城は 建物は上に置いただけの物なのだそうです。 工事現場で当たり前に見る土をいっぱい掘って 基礎を作り 柱を立てるという構造ではないのだそうです。ほんの数センチだけを彫って建てた。

「それじゃぁ 弱くてすぐ倒れるじゃないですか」
「弱い部分は横板で補強しているから大丈夫。」
「木が腐ったりしないのですか?」
「案外大丈夫なんですよ」
と言うことでしたが 他のサイトで見たらやっぱり腐りが入って何本かは取り替えているそうで
長く使うことよりも 早く形を整えることが大事だったのでしょうか?

Warajiわらじ色々

見たことあるものですが 一つだけ気になったのは竹筒の隣の隣にある 半分サイズの草鞋

子供用か思ったら わざと半分のサイズで作ったと

まさかこの時代からダイエット?

いやいや あり得ん

実は藁がとても貴重だったので 少しでも節約したくて半分にしたのだと・・・・
それ きついね

Ro中に炉が切ってあった。
幟旗は鈴木家の物
表紋は下がりフジ 裏紋は何?
何処の家にもあるけれど表紋しか意識したことないな
あ 裏門は奥様の実家の紋だからあまり使われないのか・・・・

大きな自在鉤が下がっている。
竹の筒 松で作られた鯛の飾り 鉤の部分はなんだっけ? 
忘れちゃったけれど火を使うと言うことは神聖な物への敬意をも考えて拘っている。

昔 おじいさんの家に囲炉裏があった。 自在鉤をひょいと引っ張って鍋を引っかけていたけれどどういう構造なの?

外に竈があったので見て見ましょう

Kamado鉤の部分が横木にはまっている。
この切り込みが絶妙な角度で重い鍋を支えているらしい。
よく見ると 変則的な切り込みになっていた。 外すのはちょいとずらすだけ

一度はめ込むとお 上からどんなに力を入れてもびくともしなかった。
恐るべし 昔の人の技術 知恵

To建物の右の方に見えるとは跳ね上げ式(しとみ)って言うのに似ています。
少し暗いのでわかりにくいですが

で手前のはスライド式です

戸が二重になっていてスライドさせるとピタッと隙間をふさぐようになっています。 この方が防犯?上良いかもしれません。

Suraidodo雨戸のようですね?

Tensyuこの建物を見ても 堀立柱建物って解りますね?

柱を突き立てると言うより 石の上にプレハブを乗せた見たいな様子になっています。

手前の建物にも 秘密があります。
覗いて見ましょう。

武者だまりだったようですが 廊下のような巾しかなくて狭いです。

Kazari名前は忘れたけれど でっかいわら細工

一抱えもありそうです。

これ鉄砲を撃つときに銃身に差し込んで使うのだそうです。 発砲の時の衝撃は相当な物でそれを矢わげるために使うと・・・・

でも重そうです。 銃身だけでも充分重いのに これ付けて戦場へ赴くって かなりの体力を消耗しそうですよ

Hari_2奥行きのない部屋で撮ったのでゆがんでしまってごめんなさい。

これは梁と柱の図です。

普通 柱の上に梁があるものですが この部屋はずれています。

これも建物の強度を考えると 弱い気がするけれどどうしてこうなったのでしょう?

説明のおじさんは 作る人の意見が合わなくて喧嘩しないようにそれぞれの主張を大事にしたようなことおっしゃいましたが・・・・
だから間尺に合わないって言うんだ・・・・と

この説明ではちょっと違いましたね?

Yaneひわだぶきって言うのでしょうか? 材料がよく解らないので檜皮と決めるのは駄目かも

板の厚さに変化を付けて屋根の厚さが一定になるように(正確に言うと 少し端っこで上に沿っているような気もする)拭かれている。

比べる写真がないけれど(撮り忘れ)この屋根は長屋の方 隣の高櫓にはもっと分厚い板が使われている。
屋根でさえ 城主との差別を計っている。

Madowaku窓枠の柱が面白い。

四角柱の辺がこちらを向いている。
初めて見る並び方だけれど これも意味があるのだそうだ。

たとえば鉄砲の弾が飛んできたとき 平面より斜めの方が中に被害が及びにくい。 縦断は斜面に当たると北方向と反対に跳ね返る。 これは他の実験で見たことがある。

また この柱には黒い色を絶対塗らないとか

黒い色は中を見やすくしてしまう。 戦国時代は のぞきが当たり前だったので(それだと城の意味がなくなる気もするけれど)白い色を塗って 光の反射で中を見えにくくしたのだそうです。

強い光の中携帯の文字が見えなかったり ナビが見にくかったりするので手で影を作るのと似ている?

凄い知恵ですね?

Jyoudan中に入ってみます。

城主の部屋です。 私達の知っている城と比べると粗末で居心地悪そうです。
それでも城主には畳二畳分のスペースが与えられ 少し高い場所にしつらえてあります。

家来は畳半畳だそうで 座って寝ていたとか・・・・・そんなぁ

戦時中だから仕方ないのかなぁ 何でも無いときは下でお屋敷に帰るわけだから

城主の部屋の上には部屋は作らないんだって 外から見るとまっすぐズドーンと建っていたようだったけれどな。 城主は言ってみれば神様の様な物で神棚や仏壇の上には建物を作らないのは神仏への畏れからだって言うのだけれど 私の家神棚の上に私の部屋あったな
だから私の人生は不幸な星の下にあるのか・・・・なんてね

もしも作ってしまったときには 上に天と書いた紙を貼ると 神様の上には天がありますよって言う意味になって 災いを防ぐのだそうですよ
マンション どうすりゃいいんだ?

Tensyu4あの白い壁の手前の辺にさっきの城主の畳がありました。 う~~ん 少し外に出ているかな?

そして屋根の出ている位置を覚えていて下さい。
屋根は窓のすぐしたから出ています。そして屋根の厚み 上の屋根と比べると厚みがあるような気がします。

Kakusibeya実は窓の下にこんな部屋が隠されていたのです。

この城は天井には仕掛けありませんでした。 私の実家にあったようなよくある天井でした。 
壁は全部板張りです。
よく見ると下の方に穴が空いています。見えますか?

これに指をかけて持ち上げると壁が持ち上がり手前に引くと外れます。
あらら 向こうに隠し部屋が・・・・

それも部屋の回り全部がそうなっているようです。 どのくらい入れるでしょうか? 結構な忍者?が入れますよ。

ボランティアのおじさんの言葉を借りると この時代はのぞきや 聞き耳の世界だそうです。

Tensyu5裏から見ると(どっちが裏か解りませんが)よくわかります。

さて足助城 ボランティアのおじさんの丁寧な説明で楽しく回ることが出来ました。
私が登山靴履いていたのでおじさん少し遠慮したのか城主の部屋の二階しか上がっていませんが もっと沢山見ることができるようです。

全国的にも例がない魅力的な城  もっと沢山の人に見てもらいたいなと願って降りてきました。

 

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蘇る中世の山城 足助城

2014-03-14 22:28:26 | 山歩き

今世間はちょっとした城ブーム
それでもたぶんこの城はあまり脚光を浴びていないような・・・・

中世の山城足助城   白壁の美しい城は沢山見ていますが この城はそんな城が出来る前の形です。

Asukejyou本格的な発掘調査に基づいて再現された山城は全国初だそうです。

竹下内閣の時のふるさと創生基金を利用して何かを残したいと作られました。

本当は先程行ってきた飯森山に作りたかったようですが 飯盛山はすでに県の史跡指定を受けていることなどがあって隣の真弓山に決まったようです。
飯盛山よりも高い真弓山が本城かと思ったら飯盛山が本城だと言う事ですが

Map足助七城と呼ばれる城がありました。
飯盛山城 真弓山城(足助城) 黍生城 成瀬城 城山城 大観音城 臼木ヶ峰城・・・・ あれ?鶏足城は真弓山のすぐ隣にあるけれど違うのかな?

この七城は鈴木氏の時代と戦国期とで少し違うらしいけれど

ともかく 山間の集落にしてはお城が七つもあった・・・・ちょっと驚きです。
足助が以下に大事な場所であったかを表しているような気がします。

Mon  

城門をくぐります。

中世の山城っぽいでしょ?
前はここをくぐると 陣太鼓のようなお触れの音が出ていました。

ど~~ん ど~~ん 殿のおなり~~

見たいな
これが結構気恥ずかしかったのですが 今回聞こえなかった。 気付かなかっただけかもしれません。
あの音は上にいるボランティアのガイドさんへの合図のようにも思えるからです。

Nawabari縄張り地図がありました。

あろう事か英語版を撮ってしまったのでちょっとわかりにくいですが

真ん中の点線で囲んである部分が再現された場所のようです。

Map2こんな感じです。

何年か前に来たときと比べると 随分わかりやすく整備されている気がします。

このプレートを見ながら順路に従って歩きます。

Ido井戸跡です。

よくあるつるべ井戸を想像していたので何処だよ?と探しましたが あの石組みの下のようです。
丸い土盛りがあります。

池のような物だったようです。それは別の井戸跡で確認出来ましたので

Ido2これがそうです。
山の斜面からのわき水をためた池のような井戸です。 大きなひしゃくで汲んで使っていたようです。

Minamimagekuruwa南の曲げ曲輪跡です。
ちょっとわかりにくい画像ですね。石組みの向こうに削った丸い土地があります。 

この曲げ曲輪 上下二段になっています。

Minminomaru南の丸が見えます。

案外高いです。 ここは台所になっているようです。

先に西の丸に行きます。 腰曲輪の上に西の丸
Nisinomaru_2馬防柵のような仕切りで野趣満点ですが これで守れるのでしょうか?

この右側には物見台があります。

Kibyuu西の丸からは 足助七城の一つ黍生城跡が見えます。

Monomidai西の物見台です。

柵が素朴なのに比べると しっかりした建物です。 人も住めそうな・・・・・

この中は見ることができませんでした 

物見台を右に降りて先程の南の丸に行きます。

Kosimagewa先程通り越した南の腰曲輪が見えます。
したから見上げていたときよりも高い事を感じます。

Mimaminomaru2南の丸へ登ります。 左に見える給水塔見たいのは南の物見台です。
西と比べると簡易物見台ですね

Haneagedoこれ凄く良い

跳ね上げ戸  こんな簡単な作りで城を守っている素朴さがなんだか良い。
中世の山城を強く感じます。

城である事を忘れそうです。 中から子供たちの声も聞こえてきそうで・・・・

Daidokoro台所と思われる棟が二軒建っていました。

中に炉が切られていました。詳しい事は後で

Minamimonomidai物見台の場所に立つと すぐ目の前に鶏足城があった山が見えます。
声が届きそうなぐらい近いです。

Minaminomaru3物見小屋から渡り廊下を通って本丸へ移動です。

すぐしたには先程の南の丸

Honmaruいよいよ本丸です。
ここで暮らしていたわけでは無いので小さな天守ですが やはり野趣あふれていてわくわくします。

Sionomiti飯田街道(塩の道)が 谷に沿ってずっと山の向こうまで繋がっていることが見えます。

山里で閉鎖された土地と思っていましたが全然違っていました。
回りを山に囲まれているのだから外の世界は見えないのだと思い込んでいましたが 恵那山も 御嶽山も見えます。

Tensyu

Tensyu2

Tensyu3戦国時代に あるいはもっと前にタイムスリップしたかのような山城を再現されて 実に興味深い場所なのですが まだ宣伝が行き届いていないので沢山の人に見てもらえないのが残念。

この城すばらしいので同じ愛知の田峯城を再現するときに勉強にいらしたそうです。

田峯城も馬防柵のような柵が張り巡らされた城でした。

次は足助城の秘密に迫ります。

 

 

 

 

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