Fuu

ある日には山 ある日には畑 自然体で気分良く暮らしています。

塩の道の中継地として賑わった町 足助

2014-03-12 21:41:00 | 旅行記

飯盛山を降りてからどちらへ行くか少し迷ったけれど 中馬のおひなさんを覗いてみることにした。 この時期限定だからね。
本当を言うとあまり好きでは無い。 理由はそのうち・・・・・

Posuta足助は伊那街道(中馬街道) 今の153沿いにあります。

伊那街道は 三河や尾張から信州までをむすぶだいじなみちです。 何が大事かって 重要な公益物 塩を運ぶ道だったのです。

塩は吉良の方から運ばれていたそうで(吉良のお殿様は自分の所の塩を大事にする為に赤穂の殿様を嫌っていたと言う話を聞いたことがあります)
川を使って運んできた塩をここから山道を運ぶために 積み荷を詰め替えました。

牛や馬で運びやすくするためです。

足助塩とか足助直しと呼ばれるようになった由縁です。

塩の道は塩のおしまい 塩の最後 塩の尻・・・・と言うことで伊那街道の終点は塩尻です。

交易ですから塩尻まで行くと代わりに通常は信州の産物を積んで帰ってくるわけですが 急ぎの便は 足助で引き返します。 
そんな事から中馬街道とも言われたようです。

Kanedaya巴川を挟んで両側に細長く続く町並ですが 安永の対価で町並は焼失
その後再建されたので今ある町並は江戸後期から 明治末までのものが多いそうですが 今でも風情あります。

信州への道は 近年中央線に取って代わりだんだん衰退するのですが 足助って凄いところで それだけでは終わらなかった。

何年か前観光ソムリエなる位をもらった人が足助にいます。 まだ全国で10人ほどしかいない頃です。

足助は年寄りが生き生きしている町だと思います。

町内の百年草という施設には ZIZI工房(爺工房)というソーセージの工房があったり バーバラハウス(婆ハウス)というパンやさんがあったり      

Asukeyasik 巴川沿いにある三州足助屋敷という施設では村の暮しや産業などを伝えていたり

何処でも主役は年寄りです。 生き生きしています。

こんな町の暮し方 ちょっと真似してみたい。

あ それで 毎年おひな様の頃になると 各家が自分の所のお雛様を飾って観光客にも披露鶴のです。 古くから栄えた町だけに 驚くような立派なおひな様がいっぱいです。

Hina

Hina2

Hina3

Hina4 一杯のおひな様があるうち 古いものを少し並べてみました。

どれも間違いなく芸術品で見惚れてしまいます。 でも続けてみていると「おひな様ないうちの子は寂しいな」とかいらんことを思ってしまう ちょっと屈折した私がいます。

特に当家の○○女誕生の折どこどこの実家から送られた物・・・・とかも注釈がつくと

この辺は節句の御祝は実家から立派な物を贈るのが習わしですからね

Uma 可愛い馬の張りぼてがありました。

これ欲しい~~ 

乗っても大丈夫なんだって
売り物でした。

Manrinkouji 狭い土地をいっぱいにつかって家を建てています。

河岸段丘になるのでしょうか?同じ人の家ですがだんだんになって上がっています。

こんな小路がいっぱいあります。

Tutibina土雛もいっぱいあります。

子どもの頃嫌いでした。だってあんまり綺麗じゃないもん

でも今見るとちょっと味があって良いね

この雛様達(雛じゃないか?) 歌舞伎に登場するキャラクターのようです。

Cyasitu和菓子屋さんの庵でしょうか?

なかはお茶室になっています。 加茂一揆の時の打ち壊しの時にで来たと言われる刀傷が・・・・・

Asukejyou正面に足助城が見えるところで引き返すことにしました。

今から 足助城に行きます。

Syouka

Lunchあ その前に腹ごしらえです。

足助の洋食屋さん 参州楼です。

本当はお弁当作っていたんですが あまりの寒さに 山では食べる気がしなくて

それに参州楼前から気になっていました。ハンバーグ定食 野菜一杯で美味しかった。

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足助氏に始まり鈴木氏の城 飯盛山城

2014-03-09 23:48:34 | 山歩き

そもそもこの山には平安時代に 足助氏初代 足助重長が城を築いていた。
正確に言うと 足助重長がこの地に来てその後 足助重秀が築城したとありました。
平安時代にすでに山城があった・・・・凄いことです。
 お世辞にも大きな町とはいえないこの町に 末期とは言え平安時代には城があった。

歩いて見ると典型的な山城の縄張りが感じられます。

空堀らしきものを超えて分岐から登ると三段になった曲輪が見られます。

Nisimagewa初めの曲輪 は可愛いお家が建ちそうなぐらいあります。 更地で見ると案外狭く見えるので きちんと計るとかなり広いに違いありません。

Nidanme

階段を上ると二段目の城塁です。

尾根上にある感じです。

Makimiti

左側をのぞき込むと 城塁を抱き込むように巻道があります。

結構高いです。上から石を投げたり 矢を投げたりするには効果ありそうです。

Syukaku一番上の主閣と思われる場所はかなり広いです。

登ったすぐの所にはこんな風に岩が積み上げてありました。 初め小さなお庭でもあったのだろうなんて思ったのですが この頃の山城は居住としては使われていなかったので違いますね?

人工的な感じがしたので

細長い土地です。本当はこの場所の写真を撮るはずだったのに 先に女の人が来ていたので遠慮して少し待ちました。

東の方に立派な東屋が建っています。 
後で撮ろうと思っているうちにすっかり忘れてしまって 主閣の様子が伝えられないのが残念です。

Asukejyou東に目をやると足助城が見えます。

わっかるかなぁ????

丁度真ん中あたりのピンクの木の上に見えているんだけどね 
足助城は 中世の山城が再現されていてなかなか見応えがあります。

Kibyuu反対側西に目をやると 黍生が見える。真ん中あたりの山頂付近の木が少しまばらになった山

今日行くはずでした。

あそこにも城があった。

東側にも同じように二段目三段目の曲輪があります。
主閣を挟んで左右対称の様な作りです。

Makimiti_2巻道を使って戻ります。

Syukaku2主閣の方向を見上げてみます。

結構高い。

あそこから何か飛んできたらひとたまりもないな。 巻道は細いし 斜面に落ちていきそうです。

帰りは 香積寺の方に降りて周回をします。暗い道でちょっと気味が悪いけれどさっきの女の人もこちらに降りてきたので 何となく安心。

Tozandou所々 すべりそうな下りがあって緊張

何しろ今の私はすべって転んだら また治療が長引きます。

Fujiん? 誰かの落とし物
中身はないけれどね

Fuji2あら あなたでしたか?

Inari

背の高い杉の林を抜けると突然現れておいなりさん。

豊栄稲荷大明神と書いてある。

ここからは香積寺の山域に入っていくようです。

もともと香積寺は 足助氏の館だったところに足助氏衰亡後 その菩提を弔うために作られたお寺です。

そのため この先の史跡は足助氏に関わるものばかりです。

Syouzokuduka装束塚

足助次郎重範の子滝野は京都の戦乱を逃れて足助に来ていた二条関白義基に次女として使えていましたが男の子を出産

その子は成瀬基久と名乗り犬山城の初代城主となる。戦乱が収まり二条関白義基は京に戻り残された滝野は毎日残された装束を抱きしめて暮らしたそうな

その装束を埋めて塚としたので装束塚と言うそうですが 何とも怖いような情念ですね  私は持ち合わせていないので・・・・・

犬山城の成瀬さんはここから来たのか? 私の知り合いの成瀬さんは「俺は世が世なら犬山城の・・・・」って良く言っていたけれど足助がルーツとは言っていなかった。

この中の墓の一つに初代成瀬さんがお入りになっているとか

足助氏の衰亡後 鈴木氏の台頭
鈴木氏がその後足助の地を治めていきます。

家康が江戸に入るのを機に飯盛山城は廃城になるようですが その五代の仕事ぶりがおかしい。 徳川(松平)についたり離れたりの繰り返し  
足助の位置から考えると 武田についたり松平についたり 様子見だったのかなぁ?
そんな事が続いても滅びなかったのが不思議

Rakansan  

16羅漢さんの前に鈴木家五代の墓

あまり墓ばかり移すのはためらわれたので 羅漢さんに登場してもらいました。

Ikoujyakuji飯盛山 香積寺 です。

これでなんとなく周回しました。

巴川沿いに 橋まで戻ります。

今日はもし歩けなかったらと考えて もう一つのプランを考えていました。

中馬のおひなさん を見に行くことです。せっかく来たのだから 寄ってみますか?

 

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3/7今年初めての山歩き 飯盛山in足助Ⅰ

2014-03-08 11:10:27 | 山歩き

豊田市の北部に足助がある。 もっとも今は平成の大合併で今はここも豊田市になっているけれど

膝を痛めてから 懸命な?リハビリの成果も少し出てきたようで 歩いて見たい ちょっと様子を見てみたい・・・と思い 丁度ひな祭りをやっている足助に行ってみようと思い立った。
リハビリの先生も 少しずつ歩く距離を増やしてその影響を観察しましょう・・・・と

黍生に行くつもりだった。 標高374メートルは今の私にとって高いか 低いか よくわからないけれど いけるところまで行けば良いと思うと気が楽である。
しかし 駐車場が解らなくて 結局今日は断念。 飯盛山に変更

Iimoriyama標高254メートルの 低山 標高差推して知るべし

飯盛山 紅葉の名所で有名な香嵐渓の傍らにあります。麓に香積寺が有り ここの住職が紅葉を植えて見事な紅葉の山にしたのだと聞いたことがあります。

ですから この時期は街道筋は連日車が連なり 地元の人は仕事に出かけるのも難しいと言っていました。
バイパスが出来たけれど焼け石に水です。

今から行く 飯盛山です。 
北側の斜面はカタクリの花が群生していることで有名です。 今日はちょっと早いでしょうね?

Tomoegawa赤い橋が見えるでしょう? あの橋紅葉の頃は 橋が落ちるのではないかと思うくらい人でいっぱいです。

Katakuriカタクリの葉っぱでてました。

私のようなひねくれものもあって良いなと思って探しましたが 見つからず

やっぱちょっと寒いかぁ

後で道普請のおじさんに聞いたら蕾はでているよって。

あまりに沢山あって見つかりませんでした。

Katakuri2カタクリが咲き出すと 道路からも紫色に染まった山の斜面がみえるくらいなのにね

ま今日は 目標は足慣らしですからかまいません。

Simobasira こんなのもあります。

寒いはずです。 そういえば私ダウンの上に更に ゴアのジャケット着ています。それでも寒いです。

ちなみにこの日は最高気温5度だったそうで・・・・そりゃ寒いはずです。

Usubasaisin ウスバサイシン
あ 花もあるね
黒ずんでいるけれど 今年の花じゃないかな?

Aoitama リュウノヒゲかジャノヒゲかよくわからないけれど まだ花の無いときに美しい青色は目を引く。

Akaimi ツルアリドオシかな?

こんなのもね

Sansakuro_2 少し登ってきました。

観光客を意識した山なので整備が行き届いています。 こちら側を歩いている限りやまあるきを感じる事はないかも・・・です。

時々空堀かな?と思うような大きなくぼみを見つけます。

そう この山は鎌倉時代にこの地を治めていた足助氏の城があった山なのです。

Sugi雨降っていなかったけれど 大きな大きな杉の木が傘を差して私を守ってくれました
違うかぁ・・・・

Mameduta おや マメヅタが胞子葉を出している。

ちょっと花みたいで嬉しいね

Bunki 分岐へやってきました。 香積寺の方へ降りると周回になります。

飯盛山城の縄張りの地図を見ていませんが このあたりから山城らしくなってきます。

ここまで足はどうだったかな?

足よりも心臓がばくばく言っています。 たかが30分もかからない山なのに 情けない。 足を悪くしてから歩かなかったこと これがますます体力を落とす現任になったようです。

それでもここまで いろんなものを見つけながら歩くこと
それは楽しい。  忘れていた山歩きの(?)醍醐味を思い出します。

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ババちゃん大嫌い!

2014-03-07 21:19:45 | 日記・エッセイ・コラム

孫はへたれである。

とてもやんちゃで 手に負えない位なのに 気が小さくて冒険が出来ない。
近所の公園にある滑り台も 一番傾斜の緩い短いものしかやろうとしない。 そのくせ嫌いかと思うと 何度でも何度でもやりたがる。

娘夫婦は仕事を持っているのと 住んでいる環境から 簡単にあちこち連れ出して経験させることは難しいので うちに来たときには何かしら新しい経験をさせるようにしている。

Skijyou今回は ここ

茶臼山スキー場

と言っても膝が悪い私がスキーを教えることはとても出来ないので今回はそり滑り

茶臼山スキー場は 大きなそり滑り専用コースがある。

膝の調子はまだ悪いけれど 近いうちに茶臼山に登ってみようと その下調べもかねて

すべって転んで これ以上膝を悪くしてもと登山靴で歩く。

Sori娘がやってみる。

喜んでいるように見えた。 傾斜もなさげで これは良いと思ったんだけど

Sori2大きな声でわめいている

「怖いよー」

イヤイヤ楽しそうですよ

Naki

と思ったら そりからずり落ちそうに反り返って泣いている。

これで帰る訳にはいかないよ

歩く歩道ならぬ なんちゃらゲーターって言う道の利用券も買ってしまってあったし なだめすかして また登る

あらら 下から見たら平坦に見えた斜面もそりですべるとなると

おお~~っ 凄いスピードだぁ・・・・・ 面白ッ!

スピードを調節しようと靴でブレーキをかけると 雪のしぶきがもろ顔に当たる。

「ババちゃん 嫌い! 大嫌い!」

何と・・・・・・・ そこまで言うか

利用権を近くにいたファミリーに譲って 雪遊びに変えた。  奴 私のこと嫌いって言った・・・

Yukiasobi

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A列車で行こう  熊本から三角へ

2014-03-07 20:49:50 | 旅行記

九州は電車が面白いところである。

前から あそぼーいや ゆふいんのもり号 SL人吉号・・・・名前を挙げるとキリがないけれど 三戸岡鋭治さんの斬新で 人をわくわくさせるアイデアの詰まった観光電車は 今では 九州に限らず 広がりを見せている。

残念ながら 我が家の近くにはないので 一度乗ってみたいと思っていた。

水前寺公園を出てから 飛行機の時間までまだ5-6時間ある。 人吉へ行こうかとも思ったけれど ちょいと時間が足りない。

あ 熊本からA列車がでているではありませんか? 天草へ行く途中でくるまの中から見たんだった。   で  またもや天草の入り口 三角まで電車旅となる。

Ramen 駅で 熊本ラーメンを食べて準備

こってりしていたけど それだけではない味の広がりがあって 美味しかったよ。

隣で食べていたお兄さんも あとで同じ電車の人になった。

Hitoyosi Asoboy みんなここからでるんだね

チビを乗せてやりたかったな

Atrain 来た~~A列車

今話題の七つ星・・・・・とまでは行かないけれどちょっとシックで良いね
大人の電車って気がする。

Seat シートのプリントが素敵
アーリーアメリカン風というか こんな素敵なワンピース着てみたい

この時点でテンションマックス

A列車のロゴも素敵
黒っぽい枠がアクセントになってお洒落

窓にはステンドグラスがはまっている
なんて綺麗な電車なんでしょう

Bar バーカウンターもあるんだよ。

そうそう そういえば電車に入ったときからずっとA列車で行こうが流れている

本当に小さな異空間です。
夢のような異空間です。

亭主はバーカウンターでビールを飲みたかったようで 早速買いに行きます。
あ 写真の人ではありませんよ。 
(写真の人目に線を入れたかったんだけど どうしても出来なかった。 ごめんなさい。 強制的に登場願いました。 出演料は出ません。)

Counter 窓側にもカウンターテーブルが外を向いてついている。
有明海を見ながら かんぱ~~い・・・・かな?

Okosiki

宇土へやってくると 海岸線がちょっと面白い

鬼の洗濯板みたいな あるいは棚田のような模様が見えてきました。

今は手前の方に現れていますが 潮の満ち引きによってこれが三日月型の干潟(砂干潟)が現れるのだそうです。

Okosiki2 もっと潮が引いて砂紋が広がり 夕日が差す それに対岸の普賢岳が加わると絶景だそうで 日本の渚百選 日本の夕日百選 に選ばれているそうです。

御輿来って面白い名前ですが 昔景行天皇が九州遠征の時 あまりに美しい海岸線に 思わず御輿を駐めて見入ったと言う由来があるそうですが

今日は潮の具合がまだ良い時期ではなく 想像するしか仕方ありませんでした。

Bar2おかしなもので 長いと思っていた電車旅は あまり風景を楽しむでもなく 電車の中をうろうろふらふらしているうちに三角に着いてしまいました。

私だけでは無かったですよ。

席に着いている人ほとんどいませんでした。

限られた空間をプロデュースする事は難しいかもしれません。 

その中で わくわくするような空間を作り出す三戸岡さんって凄い

そして それを受け入れるJR九州の英断も凄い

おかげで 楽しい時間を楽しめました。

帰りは 普通の電車でことこと帰りましたよ。特急料金往復はもったいないですから。

Misumieki

三角駅 
余談ですが この駅の名前も景行天皇に由来しているとか

景行天皇がおいでになった。

御門

三角

読み方が変わったと言う事です。

さてと 熊本から天草まで二往復  次は何度も何度も通った空港まで 行くよ~

そういえば A列車の模型のストラップをチビに買っていったら これ何?って言う。

A列車って言う電車だよ

って言うと 不思議そうに車輪を見て「これがついているよ。 電車にはこれはない。ディーゼル?」って

やれやれどっちか知らないけれど チビのくせにめんどくさっ!

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