そもそもこの山には平安時代に 足助氏初代 足助重長が城を築いていた。
正確に言うと 足助重長がこの地に来てその後 足助重秀が築城したとありました。
平安時代にすでに山城があった・・・・凄いことです。
お世辞にも大きな町とはいえないこの町に 末期とは言え平安時代には城があった。
歩いて見ると典型的な山城の縄張りが感じられます。
空堀らしきものを超えて分岐から登ると三段になった曲輪が見られます。
初めの曲輪 は可愛いお家が建ちそうなぐらいあります。 更地で見ると案外狭く見えるので きちんと計るとかなり広いに違いありません。
階段を上ると二段目の城塁です。
尾根上にある感じです。
左側をのぞき込むと 城塁を抱き込むように巻道があります。
結構高いです。上から石を投げたり 矢を投げたりするには効果ありそうです。
登ったすぐの所にはこんな風に岩が積み上げてありました。 初め小さなお庭でもあったのだろうなんて思ったのですが この頃の山城は居住としては使われていなかったので違いますね?
人工的な感じがしたので
細長い土地です。本当はこの場所の写真を撮るはずだったのに 先に女の人が来ていたので遠慮して少し待ちました。
東の方に立派な東屋が建っています。
後で撮ろうと思っているうちにすっかり忘れてしまって 主閣の様子が伝えられないのが残念です。
わっかるかなぁ????
丁度真ん中あたりのピンクの木の上に見えているんだけどね
足助城は 中世の山城が再現されていてなかなか見応えがあります。
反対側西に目をやると 黍生が見える。真ん中あたりの山頂付近の木が少しまばらになった山
今日行くはずでした。
あそこにも城があった。
東側にも同じように二段目三段目の曲輪があります。
主閣を挟んで左右対称の様な作りです。
結構高い。
あそこから何か飛んできたらひとたまりもないな。 巻道は細いし 斜面に落ちていきそうです。
帰りは 香積寺の方に降りて周回をします。暗い道でちょっと気味が悪いけれどさっきの女の人もこちらに降りてきたので 何となく安心。
何しろ今の私はすべって転んだら また治療が長引きます。
背の高い杉の林を抜けると突然現れておいなりさん。
豊栄稲荷大明神と書いてある。
ここからは香積寺の山域に入っていくようです。
もともと香積寺は 足助氏の館だったところに足助氏衰亡後 その菩提を弔うために作られたお寺です。
そのため この先の史跡は足助氏に関わるものばかりです。
足助次郎重範の子滝野は京都の戦乱を逃れて足助に来ていた二条関白義基に次女として使えていましたが男の子を出産
その子は成瀬基久と名乗り犬山城の初代城主となる。戦乱が収まり二条関白義基は京に戻り残された滝野は毎日残された装束を抱きしめて暮らしたそうな
その装束を埋めて塚としたので装束塚と言うそうですが 何とも怖いような情念ですね 私は持ち合わせていないので・・・・・
犬山城の成瀬さんはここから来たのか? 私の知り合いの成瀬さんは「俺は世が世なら犬山城の・・・・」って良く言っていたけれど足助がルーツとは言っていなかった。
この中の墓の一つに初代成瀬さんがお入りになっているとか
足助氏の衰亡後 鈴木氏の台頭
鈴木氏がその後足助の地を治めていきます。
家康が江戸に入るのを機に飯盛山城は廃城になるようですが その五代の仕事ぶりがおかしい。 徳川(松平)についたり離れたりの繰り返し
足助の位置から考えると 武田についたり松平についたり 様子見だったのかなぁ?
そんな事が続いても滅びなかったのが不思議
16羅漢さんの前に鈴木家五代の墓
あまり墓ばかり移すのはためらわれたので 羅漢さんに登場してもらいました。
これでなんとなく周回しました。
巴川沿いに 橋まで戻ります。
今日はもし歩けなかったらと考えて もう一つのプランを考えていました。
中馬のおひなさん を見に行くことです。せっかく来たのだから 寄ってみますか?