世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

6月15日(水)のつぶやき

2016年06月16日 | ライフスタイル
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トレッキング

2016年06月15日 | 
普段どれだけ歩いていないかを痛感させられた。

久々の山歩き。

しかもヒマラヤの麓。

カトマンズから約35Kmのところにあるナガルコット。

標高2100m。


ここは「ヒマラヤの展望台」とも言われていて、

天気がよければエベレスト(チョモランマ)やポカラのアンナプルナなどヒマラヤの7,000m~8,000m級の山々が望めるはずだった。

やっと頂上の展望台にきたが、


     汗びっしょり 風が気持ちいい!

雲って見えなかった。

でも、いい景色。


チョモランマ、飛行機の上から見たからいいか?



ま、旅は道連れ。

お婆ちゃんも頑張ってる。



足は、又擦れ(んなことないか)

でも、足がパンパン。

マッサージ行こ!


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ネットのない生活

2016年06月14日 | 
一日中ネットがない生活を余儀なくされた。

山の中だから仕方ないといえば、仕方ない。

マア、それはそれで貴重な体験だ。

ずっと続くとまずいな。

カトマンズに行けば使えるかな?
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6月12日(日)のつぶやき

2016年06月13日 | 熊本地震
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アー、Wi-Fi

2016年06月13日 | 熊本地震
空港から、いきなりネパールの山に来た。

Wi-Fiがない。

えー、ブログ更新できないじゃん!
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ネパールへ

2016年06月12日 | 
もう一度訪れてみたい国だった。

1996年だから、ちょうど20年前に世界一周の途上で立ち寄、しばらく滞在した。


      20年前、若かったな

ずいぶん変わってるだろうな。


その時は、カトマンズというより、

アンナプルナを有するポカラと

中央ネパールの南部に位置する世界遺産のチトワン国立公園が印象的だった。

特にポカラはボクの大好きな場所の一つだ。

そういえばポカラで泊まった宿のオーナーが日本に来てくれた。

まだ元気でいるだろうか。


今回は、とりあえずカトマンズを目指す。

言わずと知れた8,848m、世界最高峰のエベレスト(チョモランマ)がある。
(標高は地震で変わったらしいけど)


山登りが目的ではない。
(高所恐怖症(-_-;))

とはいえ、チョッと奮発してトレッキングシューズを買った。



ま、ハイキング程度には出かけるかもしれない、と思ったからだ。


そしてカトマンズといえば、

昨年の4月マグニチュード7,8の地震が起き、

8,000人以上の人が犠牲になったところだ。

一年後だが、どこまで復旧してるのだろうか。

きっと地震談議に花が咲くだろう。


今回のネパール訪問の主な目的は、瞑想にある。

気が向けば、インドにも足を伸ばそうかと思っているが、

できればあまり動かず、瞑想に集中したいところだ。

行ってみなければわからない。

宿も決めていない行き当たりバッ旅なのだから。


ただ、カトマンズまで行けるのかいささか不安がある。

中国経由で入るからだ。

しかも、北京、成都と2か所経由である。

さらに、成都で一泊を余儀なくされる。


エアラインもエアチャイナ(中国国際航空)、初めての利用になる。

価格重視でサービスに期待はしていない。
(以前、中国東方航空で懲りている)

ただ、無事に飛んでくれればそれでいい。

そして荷物もちゃんと届いてくれれば。


何が起きるのかわからないのが旅の醍醐味。

生きてる限り、人生とくハプニングを楽しみたい。


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未知の世界へ

2016年06月11日 | 熊本地震
今まで、学生時代のアルバイト(30業種以上)、

商社マン時代(財務管理、人事労務、鉄鉱石輸入、石油化学全般)で、

かなりの業種はかじったりこなして経験してきた。


だが、アルバイトでトラックの運転手や助手は務めたことがあるが、

今回携わることになったいわゆる運輸業界は初めてである。


運輸は、単純に言えば品物を送り届けるだけだが、

国内津々浦々、世界の隅々にまでその範囲は広がり、

商品も数えきれないくらい多岐にわたっている。



運輸会社が外国に進出する場合は、

ほとんどが輸出入といった国際輸送の分野だ。

だが、この会社は違った。

ミャンマーにおける国内輸送に携わるという。


    今回の仕事を紹介してくれた広島の友人(ミャンマー人ではありません)

ヤンゴンからマンダリンまでの600Kmが主な輸送ルートだ。

外資系の輸送会社が他国の国内運送に特化して携わる例はほとんどないという。

そして、今年の11月正式にオープンさせ軌道に乗せる計画だ。
(そのお披露目の日には、アウン・サン・スーチーさんを呼ぼうという話も出た)

それだけでもこの会社のこの企画に対する情熱を感じた。

そしてボクの興味を激しくくすぐった。


      社長と友人と一献傾ける


友人の紹介でもあり、

この社長ならお手伝いさせていただいてもやりがいがあると思った。


    バーで深夜まで夢を熱く語り合った

友人の恩義に応え、

僭越ながら、この会社の社長の夢を実現させて差し上げようと覚悟を決めた夜だった。


運輸業界にほとんど経験がないが、

とりあえず一か月間行ってみて、

というこれまた社長の太っ腹のお言葉。


具体的な仕事内容は実際のところ行ってみないと分からないが、

ひとまず現地社員の教育担当を仰せつかった。


国内輸送であるからして、

現地スタッフにいかに日本の合理的かつ近代的輸送システム及びサービス精神を理解してもらうか。

どうやらその辺がポイントらしい。



ミャンマーは2~3年前から訪れてみたいとずっと考えていた。

そして、3度ほど行く計画を立てたが、

いずれもそのビザの取得の煩雑さから延び延びになっていた。

今回4度目の正直となるだろうか。


思い続ければ思考は必ず実現するのだ。

それが思い描いていた形とは違っていてもだ。



それはそうと、

明日からはネパールに行く。

こちらもつい一月ほど前に思い立った。

瞑想修行という目的で。


ところがなんとミャンマーもまた瞑想の国である。
(瞑想ビザというものがあるらしい)

実は、瞑想修行にどこの国を選ぼうかと考えたとき、

インド、タイ、ネパールとミャンマーの4か国が脳裏に浮かんだ。

そして今回はとりあえずネパールにしようと決めた矢先の

ミャンマー行きの話が降って湧いたという経緯(いきさつ)である。


ということで、7月予定だった阿蘇の「瞑想センター」オープンはしばらく延期ということになろう。

だが期せずして、ミャンマーでも瞑想修行ができることになったわけだ。

インドやタイにだってすぐに行ける。

瞑想にもっともっと磨きをかけることができる。


なんだか止まっていた運命の歯車が

どうやら地震の衝撃でギシギシと音を立てて回り始めたようだ。


人生は面白い。

いや、面白すぎる。

自分の身の周りの人々、自分に起きる現象のすべてに感謝。


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6月10日(金)のつぶやき

2016年06月11日 | 熊本地震
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急展開

2016年06月10日 | 熊本地震
「英語が出来て、交渉能力のあるやつはいないか?』

広島の中堅運送会社の社長の投げた言葉に、

『いますよ』と即座に応えた古い友人から電話があったのは

つい一週間前のことであった。


昨日その会社の社長に広島で会って2時間後、

来月からミャンマーに行くことが決まった。

即断即決。

条件は一任した。

知らない業界、
 
知らない世界。

また新しい挑戦が始まる。

ワクワクが止まらない。

人生とはかくも面白いものなのだ。



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6月9日(木)のつぶやき

2016年06月10日 | 熊本地震
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地に足を付けて

2016年06月09日 | 熊本地震
阿蘇・西原村に今週から帰ってきている。

熊本地震で被害が最もひどかった地域の一つだ。

今は唯一我が家といえる場所になった。


        この時季アジサイが心を癒してくれる

しかしながら、依然として土砂災害の危険性があり

雨が降ればすぐに避難指示が出される。

その場合はまた車中泊を余儀なくされる。

それを覚悟で帰ってきた。

いまだに身体に感じる余震は一日1~2回あるが、

やはりぐっする寝れる場所には違いない。

もう震度3程度の揺れには慣れ切ってしまったせいもあるのだろう。

片付けはまだまだ手付かずだが、

ひとまず地に足がついた感じだ。


ここにはメインの建物が3棟ある。

築120年になる母屋のアジアン雑貨の店(Dream Catcher)は未だ休業中である。
(屋根がほんの一部損傷)



シェアハウスとして貸している宿泊棟(納屋を改装しもの)の住人は、

今月で引っ越していく。
(こちらの建物はほとんど無傷)




敷地の山の方に10年ほど前に建てたカントリーハウスがボクのねぐらである。

今後、状況が安定すれば、阿蘇瞑想センターとして運営してく計画を立てている。
https://www.facebook.com/asomeditation/


ここに帰ってきたといっても、

今日から広島に一泊の予定で行く。

4日目にしてまたまた熊本脱出である。

さらに一日置いてネパールへと旅立つ。


そういう意味では、

実質的に地に足はなかなかつかない。

だいいち、タビストにとって

地に足を付けるということは自殺行為に他ならない。


地に足がついていないとお叱りを受けるのは無理ないことだ。

それがタビストに課せられた宿命なのだから。


【追記】

地に足をつけるとは、どういうことなのか。

ボクの解釈では、大きく二つの意味を持つ。


まず一つ目は、物理的意味合いであって、

ちゃんとした定職を持ち、

一つ所に住居を構えて落ち着いた生活を送ること。

この意味では、ボクは全く地に足がついていない。

あっちフラフラ、こっちフラフラ、今や失業中。


二つ目は、精神的意味合いである。

つまり、自分の信念を持って、ぶれないこと(揺るがない)を意味する。

ボクの信念とは、

難事にあっても決して浮足立たず(動じず)、

自分のタビストとしてのライフスタイルを堅持しつつ

愛する人はもちろん、

一人でも多くの人のために寄与することである。

ひいてはみんなが仲良く、

世界平和につながるよう貢献することを目的としている。
(ボクを嫌う人はいても、嫌いな人はいない)


その具体的手段の中で、

試行錯誤を繰り返し、失敗もし、

自分の至らなさから迷惑もかけることがあることは

心苦しく思っている。


それでも、ボクの信念に揺るぎはない。

とはいえ未だ勉学、修行の途上にあることは否定できない。

ボクの生き方に完成という文字はないからして、

死ぬまで未完成のままで終わることは免れない。

なぜなら、死ぬまで進化(成長を伴った変化)し続けるからである。

体力は落ちても、

気力と脳力は老いてますます磨きがかかっている。

精力もまた然り。(蛇足=言わんでもいいこと)


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6月8日(水)のつぶやき

2016年06月09日 | 熊本地震
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二つの事件

2016年06月08日 | 熊本地震
一つ目、

4回目の片付けボランティアの方々の協力で

フリートークの看板を下ろした。



ビルに無数の亀裂が入り、

修復の目途も立たず、

これ以上経営を続けることは無理だと判断。

ついに断念、看板を外すことにしたのだ。


断腸の思いだったが、意外と寂寥感は感じなかった。

むしろ、吹っ切れた清々しい気持ちに包まれた。

それは精一杯やり切った達成感にも似た感情であったのだろう。


また一つ肩の荷が下りた。

こうして一つ一つ人生の断捨離が進行していく。

諸行無常。(All worldly things are transitory.)

人の人生もまた大自然(宇宙)の流れの中にある。

これも又節理(nature's blessing;natural law)というものかもしれない。


5年と2か月という短い期間でしたが、

楽しい充実したフリートークライフを満喫できた。

多くの方々との交流の中、いろんな勉強をさせていただいたことに感謝している。

そして、多くのお客様にご利用いただき心より感謝いたします。

ありがとうございました。



二つ目、

地震の影響で延び延びになっていた貸金等請求事件の初の口頭弁論があった。




10分前に到着すると、

書記官が一人、録音機のセッティングを行っていた。

静まり返った法廷であったが、

ドラマで見るような張りつめた空気はほとんど感じなかった。


そして、時間きっかりに裁判官が現れ、

事件名が告げられ被告不出廷のまま裁判が始まった。


傍聴人もおらず、

裁判官と書記官とボクの3人で、

ボクが提出した訴状の確認が淡々と行われた。

慣れ親しんだ(?)法定で、

まったく緊張感のない、むしろ和気あいあいと言った雰囲気さえ漂っていた。


それもそのはず、裁判官はまだ若き女性であったのだ。

この美貌で、素晴らしい頭脳の持ち主なのだろうと、

視線を逸らすことなく、そのくせ質問は上の空で聞いていた。

イメージとして裁判官官らしからぬ優しい口調に、胸のトキメキさえ覚えそうになった。
(ここでも不謹慎男の性が露呈してしまった、てか、単なるエロオヤジだ(-_-;))

天は二物をお与えになるものなのだと妙に感服した。


裁判官の涼しげな眼を見て、

ボクは証拠物件を示しながら、

彼女、いや裁判官の質問に一つ一つ答えていった。

請求内容が多岐にわたったため、

異例の約一時間という時間を要した。


次回は8月25日。

被告は原則2回欠席することはできない。


被告が出廷すれば話し合いの場を持ちましょうね、との裁判官のこれまた優しいお言葉。

一瞬ホロリとしそうになった。

話し合いで和解ができれば望むところだ。

無駄な争いはしたくない。


では本日はこれにて閉廷いたします。

起立して深々と頭を下げた。

顔を上げた時、裁判官の姿はそこにはなかった。


被告は逃げずに済々堂々と話し合いに臨んでほしいと思っている。


こちらが負ける裁判ではない、

あるいは損をする裁判ではないので、

終始気楽で笑顔で最初の公判を終えることができてほっとした。


一日で二つの出来事に一区切りがついた安堵感を覚えた。

人生流転、

時は否応なく流れていく。


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6月7日(火)のつぶやき

2016年06月08日 | 熊本地震
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破壊から創造へ

2016年06月07日 | 熊本地震
満を持して熊本に帰ってきた。

この一か月間、福岡に潜伏(?)していた。


      滞在していた旅館にて

さあ、反撃開始!

といっても、

この熊本にドッカリ居座るのではない。

今までは静かに動きを止めていた。

誰から何と言われようが、静観を決め込んでいた。

だから、これからはタビストらしく動きに動きまくるのだ。

水を得た魚のように。


フリートークもだいぶ片付いてきた。

西原村までもう10往復くらいは必要だろうけど。

今日もこれからボランティの方々がお手伝いに来てくださる。

助かる―。

何ともありがたい。

感謝!感謝!大感謝!


"Scrap & Build"

常に破壊の中から創造は始まる。

破壊は一瞬である。

創造には想像を絶するほど時間がかかる。


では何を創造するのか。

buildの部分が問題なのだ。

今まであったものと同じものを作り直すのではあまりにも能がない。


さて熊本大地震はボクを含め多くの人々に破壊をもたらした。

これからどう生きるかという命題を突き付けられた格好だ。

復興、復興、ガンバレ、ガンバレと叫びのはいいが、

その姿が見えてこない。

カラ元気に聞こえてしょうがない。


熊本城はシンボルである。

シンボルの復元も結構だが、

もっと根本的にやらなければならないことがあるはずだ。

被災者のの生活の確保だ。

つまり広義のライフラインの充実だ。


今、あらゆる面でパラダイムシフトが起こっている。

この現象に気付く核付かないかで、方向性は180度違ってくる。


未だに高度成長期時代やバブル時代の再来を望む時代錯誤の人たちがいる。

破壊の後にはあたかもバブルが来るかのように。

いわゆる膨大な需要が生まれると勘違いしている。


投資や消費が伸び、所得が増えて景気が良くなるという

20世紀型教条主義的古典経済学から脱却できない古い頭の持ち主だ。

インフラ整備に伴ういわゆるゼネコン主導型の景気対策に期待しているのだろう。


こういう人たちが未だ蔓延って熊本を牽引しようとすること自体、

熊本の再建、発展を大きく阻害している巨悪の根源である。

希望的観測としてはいいのだろうが、愚かな妄想に過ぎない。


基本的にこういう考えの持ち主は未だに物欲に長け、

金儲け主義の人たちが多い。

個人的に商売に専念されること自体は何ら否定しないが、

こういう古典派を排除しないと、

真の熊本のこれからの発展はあり得ない。



それではこれからの熊本の発展のためにはどうすればいいのか。

キーワードは「2S+O」である。


一つ目のSは、Soft。

世はhard から soft へと移行している。

IT業界ももそうだ。

アプリの開発がシステム作りにつながる。

箱物Hardより、その内容Softがより重要となる。


もう一つのSは、Spiritual。

ひところはやった占い的なスピリチュアルブームとは違う。


新しいスピリチュアル文化が生まれている。

それは、瞑想を基盤とした、氣であり、

姿として、座禅であったり、ヨガであったりする。

それは人から占いめいたものを聞くのではなく、

呼吸法を通じて自然のエネルギーを受けて自らつかみ取っていくものである。


Oは、昨日のベタOversea(海外志向)である。


人の判断も、見かけよりその人の生き様に焦点が当たるだろう。

すなわち、赤裸々に見せる可視化現象。

積極的に見せる見世物文化の時代なのだ。

自ら発信し、実況中継をしていく。

広告媒体を使わず、

SNSなど無料の媒体で、

個人個人が素人でも発信できる時代である。

しかも、世界中のあらゆるところから。


個人の個性が光る時代だ。

人と同じでなければ叩かれた没個性の時代は終焉し、

人と違うことが賞賛される時代に移行している。

もちろん奇を衒うようなパフォーマンスはすぐに見破られ、長続きはしない。

いわゆる一発芸的一過性に終わるだろう。


だが、それでも形を変え、地に足を付けて表現すれば

マスコミなど表に出ない形で十分に生き延びて行けるのだ。


人の敷いたレールに乗るのではでなく、

自分でレールを敷きなさい。


人の作った土俵の上で勝負するのではなく、

自分の土俵を作りなさい。


自分の好きなこと、得意なことを好きなように作って表現する。

一人一人がアーティストになれる時代が到来している。


アーティストとしての生き様を可視化させる。

それがこれからの人生を謳歌する生き方なのだ。

自らの生き様こそ熊本発展の原動力となる。



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