❶
著者の『日本語誕生の時代』、『増補版上野三碑を読む』と拝読してきた。今回の著作を三度読んだ。一回目は断片的に教えられる知識が発見できた。だが全体の構造を把握に至らず二回目に書き込みしながら、精読した。三回目は著者の研究の方法と叙述の方法を理解しながらひとつひとつを味わいながら読んだ。
❷
現代書館から刊行された本書の帯を、読了後に眺めはっとした。
「従来の都中心の古代国家成立論とは一味違う、列島全体を俯瞰した歴史書の誕生!」
明瞭な本書の特徴を一文に集約している。
出雲、大和など日本列島を西日本から次第に勢力を拡大させて、より北東部へと広がっていった、そう思い込んでいた私は、「天」「東」「夷」の三層構造の著者の指摘に驚いた。東国(あづま、あづまのくに)という具体的な地域概念に重要な意義を発見している。京都大学理学部学生時代から古代史を学び続け、自らが大学教授として群馬学センター副センター長を歴任する長いプロセスで足元の群馬遺産を実証的に調査・研究を続けてきた。県内の山上碑・多胡碑・金井沢碑=上野三碑の実証的研究によって著者は、ユネスコ「世界の記憶」に上野三碑を登録する理論的実務的の実質的指導の役割を果たしてきた。その裏付けが、本書の大きな仮説を実証する上野三碑の長年のフィールドワークでもあった。
❸
「建国記念の日」が政府によって決定される時に、それが戦前の紀元節の復活として国民から強い反対の運動が起こった。「古事記」「日本書記」は神話であって歴史書ではない、という根拠が叫ばれた。
しかし著者の手法は画期的な検証によって、読者に新鮮な驚きを抱かせる。「古事記」や「日本書記」の内部において、中国や朝鮮の古典史書や古典文学、国の内外の歴史遺産の実証的点検と的確な推理と仮説―論証の蓄積をわかりやすく明示する。
第三章「東国で国家を準備した者たちの出自と伝承」、第四章「東国貴族の登場―東国六腹朝臣」、第六章「東国貴族と日本という国家の成立」は、東国の具体的地理学、東国の歴史、東国をリードした貴族の実際、国家成立に関わる日本と東国貴族との軋轢などが次々にあきらかにされている。
❹
東国に派遣された貴族と渡来人によって、東国は古代史に重要な役割を果たした。日本古代史は、古代中国・古代朝鮮との関わりによって重要な間柄であり、多くの古文書や歴史碑など具体的史料の大規模な点検によって解明を進めることができた。
著者の科学的な論理と方法論は、文科系の思い入れやレトリックであいまいにすることなく、重要な歴史的仮説を蓄積された客観的データを提示することで実りある展開を繰り広げている。
高校生の頃、著者は高崎哲学堂に連なる広範な文化的営みの中にいた。高崎白衣観音慈眼寺僧職橋爪良恒氏らと月に数回「聞法会」講話に参加していた。生徒会長としてピラミッド型組織でない自由な形態をめざして高校活性化に尽力していた。学年の級友たちは、日本で初めてノーベル賞を受賞した物理学者湯川秀樹氏のように、京都大学理学部で学び将来を期待する声が集まった。
著者が「おわりに」に記した京大理学部以来の親友水野寛氏への友情と同期の71S5の同級生たちの友愛に感謝の気持ちを述べている。開かれた心と自然と人間の歴史に対する著者の学問的人間的関心。同時代を生きる著者のマインドは、挫折や苦悩を知り、たえず希望を堅持して学問と社会に対する開かれた半生を貫いている。
著者の『日本語誕生の時代』、『増補版上野三碑を読む』と拝読してきた。今回の著作を三度読んだ。一回目は断片的に教えられる知識が発見できた。だが全体の構造を把握に至らず二回目に書き込みしながら、精読した。三回目は著者の研究の方法と叙述の方法を理解しながらひとつひとつを味わいながら読んだ。
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現代書館から刊行された本書の帯を、読了後に眺めはっとした。
「従来の都中心の古代国家成立論とは一味違う、列島全体を俯瞰した歴史書の誕生!」
明瞭な本書の特徴を一文に集約している。
出雲、大和など日本列島を西日本から次第に勢力を拡大させて、より北東部へと広がっていった、そう思い込んでいた私は、「天」「東」「夷」の三層構造の著者の指摘に驚いた。東国(あづま、あづまのくに)という具体的な地域概念に重要な意義を発見している。京都大学理学部学生時代から古代史を学び続け、自らが大学教授として群馬学センター副センター長を歴任する長いプロセスで足元の群馬遺産を実証的に調査・研究を続けてきた。県内の山上碑・多胡碑・金井沢碑=上野三碑の実証的研究によって著者は、ユネスコ「世界の記憶」に上野三碑を登録する理論的実務的の実質的指導の役割を果たしてきた。その裏付けが、本書の大きな仮説を実証する上野三碑の長年のフィールドワークでもあった。
❸
「建国記念の日」が政府によって決定される時に、それが戦前の紀元節の復活として国民から強い反対の運動が起こった。「古事記」「日本書記」は神話であって歴史書ではない、という根拠が叫ばれた。
しかし著者の手法は画期的な検証によって、読者に新鮮な驚きを抱かせる。「古事記」や「日本書記」の内部において、中国や朝鮮の古典史書や古典文学、国の内外の歴史遺産の実証的点検と的確な推理と仮説―論証の蓄積をわかりやすく明示する。
第三章「東国で国家を準備した者たちの出自と伝承」、第四章「東国貴族の登場―東国六腹朝臣」、第六章「東国貴族と日本という国家の成立」は、東国の具体的地理学、東国の歴史、東国をリードした貴族の実際、国家成立に関わる日本と東国貴族との軋轢などが次々にあきらかにされている。
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東国に派遣された貴族と渡来人によって、東国は古代史に重要な役割を果たした。日本古代史は、古代中国・古代朝鮮との関わりによって重要な間柄であり、多くの古文書や歴史碑など具体的史料の大規模な点検によって解明を進めることができた。
著者の科学的な論理と方法論は、文科系の思い入れやレトリックであいまいにすることなく、重要な歴史的仮説を蓄積された客観的データを提示することで実りある展開を繰り広げている。
高校生の頃、著者は高崎哲学堂に連なる広範な文化的営みの中にいた。高崎白衣観音慈眼寺僧職橋爪良恒氏らと月に数回「聞法会」講話に参加していた。生徒会長としてピラミッド型組織でない自由な形態をめざして高校活性化に尽力していた。学年の級友たちは、日本で初めてノーベル賞を受賞した物理学者湯川秀樹氏のように、京都大学理学部で学び将来を期待する声が集まった。
著者が「おわりに」に記した京大理学部以来の親友水野寛氏への友情と同期の71S5の同級生たちの友愛に感謝の気持ちを述べている。開かれた心と自然と人間の歴史に対する著者の学問的人間的関心。同時代を生きる著者のマインドは、挫折や苦悩を知り、たえず希望を堅持して学問と社会に対する開かれた半生を貫いている。