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世界がモヤモヤする「日本の奇蹟」を裏付ける"国民集団免疫説"
京大教授ら発表 死者数がここまで少ないのはなぜ 2020/05/27 11:00
研究グループによると、新型コロナウイルスには3つの型があるという。S型、K型、G型だ。最初にS型が発生し、それが変異したものがK型。武漢でさらに変異した感染力の強い型がG型だ。
【・今年インフルエンザ感染者が少なかった真の理由】
今年、日本ではインフルエンザの感染者が少なかったといわれている。新型コロナウイルスへの警戒で手洗いが励行された結果と見る向きもあるが、実は日本人が早期に新型コロナウイルスに感染していたため、インフルエンザにかからなかったというのが上久保教授らの見解だ。
実は、インフルエンザに感染すると、新型コロナウイルスに感染しなくなる。逆もしかりである。これをウイルス競合、あるいはウイルス干渉と呼ぶ。先駆け(sakigake,S)であるS型は、無症候性も多い弱毒ウイルスなので、インフルエンザに対するウイルス干渉も弱かった。S型から変異したK型は、無症候性?軽症で、中国における感染症サーベイランスでは感知されず蔓延したが、日本のインフルエンザ流行曲線が大きく欠ける(kakeru,K)ほど、K型ウイルスの流入が認められたという。
武漢においてさらに変異した武漢G型(typeG,global)は、さらに重症の肺炎を起こすため、中国の感染症サーベイランスが感知し、1月23日に武漢は閉鎖された(武漢市長によるとむしろ閉鎖により約500万人が市街に流出したともいう)。一方、上海で変異したG型は、最初にイタリアに広がり、その後ヨーロッパ全体と米国で流行した(欧米G型)。
【・実は日本人は早期から新型コロナに感染していた】
日本政府が行っていた入国制限は、3月9日までは武漢からに限られていた。その結果、S型とK型が武漢以外の中国全土から日本に流入・蔓延し、多くの日本人が感染した。日本人は、武漢で猛威をふるったG型が日本に到来する前に、すでに新型コロナウイルスの免疫ができていたということなのだ。旧正月「春節」を含む昨年11月~今年2月末の間に、184万人以上の中国人が来日したともいわれている。
なお、G型ウイルスはK型より非常に感染力が高い。そのため、G型に集団免疫が成立するには、集団の80.9%の人が感染して免疫を持たなくてはならないという。
一方、K型で集団免疫が成立した段階では集団54.5%しか感染して免疫を持っていないため、80.9-54.5=26.4%に新たに感染が起こる。K型で集団免疫が成立していたにもかかわらず、日本に流行が起こったのはこのためだ。
https://president.jp/articles/-/35711
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1844年に最初のデンマーク・フォルケホイスコーレ(民衆学校)が創設された。かつてデンマークがドイツとの戦いに破れ、よい土地を取られどうにもならない状態に追い込まれた時に、グルンドヴィが「青年よ、外より内へよみがえれ」という大運動を展開した。そして、1900年代初頭から日本へも紹介され始め、流行と呼んでもいいような盛り上がりをみせた。1913 年に刊行されたホルマン著『国民高等学校と農民文明』は日本にも紹介され、志をもつ人びとに大きな影響を与えたようだ。1913 年、同書を読んで感銘を受けた杉山元治郎(1885 ~ 1964)が牧会していた福島県小高で小高農民高等学校を開設した。これが日本で最初のデンマーク・フォルケホイスコーレであり、農民福音学校の先駆けでもあった。農民福音学校の発展に杉山元次郎とともに尽力したのが賀川豊彦(1888 ~ 1960)である。
賀川豊彦は神戸市新川の貧民窟での伝道をはじめとして、徹底的に庶民とともにキリスト教を歩んだ牧師である。しかし、賀川豊彦は後に「私の14年間の貧民窟の社会事業が失敗したのは何故か? 自然を与える方法を付けなかったからである」という反省から、「自然」を前面に出す教育がとられる。賀川豊彦の自然への深い関心ゆえに、その目線は労働者教育ではなく、農民教育へと向かったのは当然であった。そんな中、杉山元次郎が本格的に賀川豊彦と共に農民福音学校を始めるきっかけになったのは、1924年に賀川豊彦のデンマーク・フォルケホイスコーレへの視察であった。賀川豊彦は杉山元次郎に宛てた手紙の中で、農村を改良するのは、矢張り、グルンドヴィ流にやらなくちゃいけないと思います。つまり私の云うのは、土から生えねばならぬということです。私は、日本に於いても、ロシアやドイツの真似をしないで、デンマーク流に、農村に於ける精神的改造から,はじめねばならないのではないかと思い
ます。
https://fukutake-foundation.jp/archives/archive_seto/650
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❸「人を排除しない、人を認める、仲間をつくる」
宮澤保夫<現代の肖像>
「教育界のならず者」が作るどんな子も学べる学校 山岡淳一郎
AERA (アエラ) 2020年 6/1号 朝日新聞出版
不登校だったり、学習障害だったり、プロを目指すアスリートだったり、学びたいのに、事情があって学べない子どもがいる。どんな子も学べる学校を作るために、宮澤保夫さんは奔走してきた。法律を学び、担当者を説得し、厚い壁に風穴を開けた。その道のりは決して平たんでなく、時には大きな借金も抱えた。「教育界のならず者」とも呼ばれた宮澤は、引き際を見つつも、次の学校作りを考えている。
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スポーツ界で「星槎」の名が高まっている。フィギュアスケートの鍵山優真(17)は、今年1月、冬季ユース五輪の男子シングルで金メダルに輝いた。女子フェンシングの上野優佳(18、現・中央大学)もユース五輪で優勝。ふたりとも星槎国際高校の学習センターで学び、上野は大学に進んだ。
10代のトップアスリートの多くは、学校ではなく、成人選手とトレーニングセンターなどで鍛錬する。国内外の試合や練習に時間を取られ、なかなか学校に行けない。そこで星槎は、発想転換し、練習場の近くに地域の学習センターを設け、登校しやすくした。「通える通信制高校」で海外遠征中も教材で学べる。世界レベルの選手が勉学の不安から解放された。それが好成績の背景にある。
星槎グループの総帥、宮澤保夫(70)は、不登校や学習障害、発達障害という言葉がなかった時代から、世間に爪はじきされる子どもと向き合い、「いつでも、どこでも、誰でも」学べる環境づくりに邁進してきた。その蓄積がトップアスリートの受け入れにもつながっている。宮澤は語る。
「優れた選手は小中学生のころから日の丸を背負わされて戦っています。年間登校日数が40日前後なんてザラですが、義務教育では卒業証書を与える。おかしい。能力も意欲もあって通学したいのに学習権が奪われている。大人の責任です。練習場の近くで学べれば、年間、100日以上通学できます」
宮澤が星槎の母体の学習塾「鶴ケ峰セミナー(愛称ツルセミ)」を開いてほぼ半世紀。いまや星槎グループは通える通信制の星槎国際高校、不登校の子どもに門戸を開いた星槎中学・高等学校を中心に幼稚園から大学まで約4万人の児童、生徒、学生が集う。ブータンやミャンマー、バングラデシュ、アフリカ諸国と交流し、留学生を受け入れている。組織はアメーバのように増殖しているが、全体を貫くのは「三つの約束」だ。
「人を排除しない、人を認める、仲間をつくる」。
ずっしりと腹にこたえる約束である。星槎は、さまざまな事情で学校に通えなくなった子どもに手を差し伸べ、工夫に工夫を重ねて社会と関わらせてきた。そのノウハウが脚光を浴びる。
いま新型コロナ禍で世界中の子どもが不登校のような状態だ。大多数の学校が遠隔授業に四苦八苦するが、数年前にオンライン会議システムZoom授業を導入した星槎は一歩も二歩も先をいく。
たとえば横浜の星槎中学・高等学校は、現在、毎日5時限のZoom授業を行っている。集中力を考慮して1時限30分余りとし、教材は教師の手作りだ。生活リズムを整えるために朝7時の体操から始まる。生徒の出席率は何と96~98%(5月15日時点)。生徒の約4割が小学校で不登校または保健室登校などの準不登校だったことを思えば驚異的な数字である。学校に行けなかった生徒たちが、「早く、授業に出たい」と待ちわびている。
宮澤と親交がある元文部科学事務次官で現代教育行政研究会代表の前川喜平(65)は、「不登校は学校側の子どもへの不適応」と言う。
「文科省が2005年に学校に来られない子に合わせて授業を工夫できる不登校特例制度を設けました。教科書どおりに授業しなくていい制度です。星槎中学が真っ先にこれを活用した。星槎は制度を上手く使って誰も気づかないニーズをとらえる。すき間産業的かな。宮澤さんは開拓者ですよ」
もっとも、学校はかくあるべしと信じる保守派は星槎を目の敵にする。いちいち気にしてはいられない。「あいつは教育界のならず者、人生の暴走族だといじめられたなぁ。はっはっは」と宮澤は笑い飛ばす。ときには泥水をすするような苦境に耐え、三つの約束を実践してきた。
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(文/山岡淳一郎)
記事の続きは「AERA 2020年6月1日」でご覧いただけます。
https://dot.asahi.com/aera/2020052500023.html?page=1
ブータン短期研修生の修了式。「人を排除しない。人を認める。仲間をつくる」で爆走してきた
いとこ同士の結婚は親に猛反対され、京都に「駆け落ち」して一緒になった。
「大変なことがあっても、いつもわたしには事後報告」と幸子。山あり谷あり、もうすぐ結婚生活46年
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❹
ーーパウロ・フレイレは有名なブラジルの教育者です。
彼の重要な本、『被抑圧者の教育学』が出版されて30周年が近づいています。
フレイレはこう言っていました。
「強い者と弱い者の争いから関係がないと手を引くのは、強い者に味方することを意味する、中立ではない」。
わたしはそれに同意しますし、それが自明の理とみなされるようになることを願っています。
だってそうなのですから。
フレイレは非常に重要な人物でした。
彼が書いていたのとほぼ同じ時期に、ブラジルとラテンアメリカ全体の教会は自分たちの過去を考え直し、教会が弾圧者の側に立っていたことを認め、手を引いて中立になるだけでは十分ではないと認めて「貧しい人たち優先」へと方針を転換しました。
彼らは住民の大半を占める貧しく弾圧された人々の努力と苦闘に
加わらなくてはならなかったのです。
その努力の一部は、人々の意識高揚でした。
フレイレが教育の場で興味深く論じていたような種類のものです。
司祭と尼僧、あるいは平信徒が拠点となる共同体を作り、ゴスペルをとなえ、自分の状況について何をするつもりかを考え直すのです。
そして彼らは組織しました。
こうしたことはみな同じ精神だったと思いますし、しかもまさに正しい道筋に沿っていたと思います、、、
ーー教育システムの大部分は成績、他の生徒をテストで打ち負かすこと、教室の前に出て先生から褒められることに基づいた報酬システムのまわりに築き上げられています。
そうです。
それは特別な種類の訓練です。
それは非常に反社会的な行動の訓練で、人間にとって非常に有害です。
それは教育には必要ありません。
ーーどんなふうに有害なのですか?
その人間を、他人の業績を喜ぶのではなく、他人の敗北を見て喜ぶような人間にしてしまいます。
偉大なヴァイオリニストを見たら、その人が偉大なヴァイオリニストでわたしはそうではないという事実を楽しむのではなく、その人のヴァイオリンを壊す方法を考え出そうとするような人間になるのです。
それは人間を怪物に変えます。
これは絶対に教育に必要ではありません。
教育に害を与えると思います。
わたしは個人的にこのような経験をしていますが、それは一般化できると思います。
日々の状況にどう対処するかというのは複雑な問題ですが、学校に関する限り、12歳まで行っていた学校には競争がありませんでした。
わたしは中学校に行くまで自分の成績がいいかどうかわかりませんでした。
わたしは飛び級して他の子はしませんでしたが、それに意味があるとは思っていませんでした。
ただ、そうなっていたのです。
全員が最善を尽くすように、そしてほかの人が最善を尽くすのを助けるように励まされました。
その通りにやれば褒められました。
成績のための競争などというのは、町の進学校に行くまで知りませんでした。
その時から教育のレベルは落ち始めたのです。
ちなみに、この45年の教育の経験は、それはMITでの経験ですが、競争的な環境ではありません。
科学の学部では、一応は成績をつけなくてはなりません。
形式としてそうせざるを得ないのです。
しかし、人々は一緒に学問をしています。
隣の人よりもうまくやろうなどとはしません。
共通の目標があるのです。
これを理解したいんだ、一緒に勉強しよう、となります。
教育あるいは研究を進めるにはそれがいちばんいいやり方でしょう。
ーー教育システムを通り抜けるあいだに、競争原理、ナンバーワンになること、
人より前に出ることを内面化してしまうと、職場にたどり着く頃にはほとんど元に戻せなくなってしまうような気がします。
そうかもしれません。
もしそうなら、気の毒なことです。
職場では手を取り合って働くべきなのに。
たとえば、すくなくとも学部の科学研究講座などでは、そんなふうになることもあり、そうなるとまったく破壊的です。
ましな講座ではそうはなりません。
反対にみんな一緒に勉強します。
共通の目的があるからです。
ほかの人の実験を失敗させようなどとはしません。
【ノーム・チョムスキー「グローバリズムは世界を破壊する」2003年 309ページ】
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【補論】 櫻井智志
色平哲郎氏は、医者であると同時に地域社会と医療との間に橋を架ける取り組みを続けるひとである。その知識は広く深い。なによりも実践をうらづけとしている。