【現代思想とジャーナリスト精神】

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第40周年 5·18民主化運動記念式演説(2020年5月18日)The New Stance転載

2020-05-21 22:01:49 | 転載

2020年5月18日、光州市の旧全南道庁前で演説する文在寅大統領。KTVよりキャプチャ。
第40周年 5・18民主化運動記念式演説(文在寅、2020年5月18日)



尊敬する国民の皆さん、
光州・全羅南道の市・道民の皆さん、

五月の光州から40周年になりました。
市民と共に過ごす5·18
生活の中で蘇る5·18を望み、
政府は初めて5·18民主化運動記念式を
望月洞の墓域ではない、
ここ全南道庁前の広場で挙行します。

5・18抗争の期間のあいだ、広場は
互いの安否を確認する空間であったし、
勇気を分け合う抗争の指導部でした。

私たちは広場で
決して忘れられない大同の世を見ました。
直接、デモに参加しなかった市民と幼い学生も
おにぎりを分け合い、負傷者を助け、
血が足りなければすすんで献血に臨みました。
私たちは独裁権力とは違う、私たちの隣人に出会い、
命までを賭けられる民主主義の真の姿を見ました。

道庁前の広場でばら撒かれた私たちの民主主義は
去る40年、全国の広場に広がり
互いの手をつながせました。
ついに5月の光州は全国に拡張され、
烈士たちが夢見た明日が私たちの今日になりました。

しかし、共に良く暮らす世の中は今なお遠くにあります。
今日、私たちには互いを信じ支え合う
より多くの広場が必要です。

私たちは今日5・18広場で
依然として冷めない五月の英霊の熱い想いに出会います。
常に分け合うことと連帯、共同体精神として蘇る
五月の英霊を悼み、
彼らの精神を民主主義の約束として見守ってきた
有功者、遺家族たちに深い慰労と尊敬の想いを捧げます。

'五月の精神'を育て分け合ってくれた光州市民と全南道民たち、
光州を記憶し、民主主義を守ってくれた国民たちにも
格別な感謝の言葉を捧げます。

国民の皆さん、

'五月の精神'は
平凡な人々の平凡な希望が
他人の苦痛に応えることで作られたものです。
家族を愛し、隣人を心配する想いが集まり
正義の精神となりました。

光州市民たちの互いを励ます想いと分かち合いが、
戒厳群の圧倒的な武力に立ち向かう力となりました。
光州は徹底して孤立しましたが、
ただ一件の略奪も窃盗も起きませんでした。
主人のいない店にお金を置いて品物を持っていきました。

その精神は今も
私たちの国民ひとりひとりの心に染みこんでいます。
'コロナ'克服の中で世界の模範となる底力となりました。
病床が不足し気を揉んだ大邱のために
光州が真っ先に病床を整え、
大邱の確診者たちは健康を回復し家に帰ることができました。
'五月の母'たちは大邱医療陣の献身に
真心で作ったおにぎりのお弁当で苦労を分け合いました。

'五月の精神'は歴史の呼び声に応え
今も生きている崇高な犠牲精神になりました。
1980年5月27日の明け方、
戒厳軍の銃剣によりここ、全南道庁で倒れていった市民達は
残った人々がより良い世の中を作っていくと信じました。
今日の敗北が明日の勝利になると確信しました。
生きている者は死んだ者たちの呼び声に応え、
民主主義を実践しました。
光州の真実を知らせることが民主化運動となり、
5・18は大韓民国民主主義の偉大な歴史になりました。

"私だったらあの日、道庁に残ることができたか?"
その答がなんであろうと、自身に聞く時間を持ったならば、
私たちはあの日の犠牲者に応えたことになります。

人と人が互いに共感し
痛みを分け合い希望を作り上げたように、
私たちは真実の歴史と共感し、
より強い勇気を得て、より大きい希望を作り出しました。
それが今日の私たち国民です。

'五月の精神'はより広く共感されなければならず
世代と世代をつなぎ、何度も新しく生まれなければなりません。

一人の青年が言いました。
”5・18について話すことができる資格があるとすれば、
それはまだ5・18精神が満開しなかったということです”

5・18を経験していない世代が生まれて育ち
一つの家庭の親となり、私たちの社会の主軸になりました。
あの日光州にいなかった人々もそれぞれの方式で
共に光州を経験しました。

そうです。
'五月の精神'は誰のものではなく、私たち皆のものです。
'五月の精神'はこの時代を生きる私たちと
未来を開いていく青年たちに
勇気の源泉として絶え間なく再発見されるとき、
はじめて生きている精神と言うことができます。

'五月の精神'が私たちの心に生きているとき、
5·18の真実も絶え間なく発掘されることでしょう。
'五月の精神'を分け合う行事が
5·18民主化運動40年を迎え全国で行われています。
困難な時期に意味のある行事を進めている
全ての方に心から感謝します。

私たちと政府も
’五月の精神'が私たち皆の自負心となり、
未来の世代の心と人生をより豊かにできるように
常に共にあるでしょう。

互いに助け分け合える時、危機は機会となります。
危機は常に弱い人々によい過酷です。
私たちの連帯が
私たちの社会の最も弱い人々にまで及び、
彼らが起き上がる時、
危機を克服する私たちの力もより強まるでしょう。

今日の'経過報告'と'決意'を朗読してくれた
チャ・ギョンテ、キム・リュンさんのような未来の世代が
正義が実現し公正な世の中で自身の夢を思い切り開くことができるように
私たちの社会の連帯の力をより強くしていきます。

国民の皆さん、

光州の市民たちは痛みを超える矜持を持って
5·18の名誉を大切に守ってきました。
光州の外でも数多くの人々が
光州の痛みに目をつぶらず光州の真実を世の中に知らせました。

政府も5·18の真相究明に最善を尽くします。
去る5月12日、本格的に活動を始めた'5·18真相究明調査委員会'が
残された真実を残らず明らかにできるよう支援を惜しみません。
真実が一つずつ世の中に明らかになるほど、心のわだかまりが一つずつ解け、
私たちはより許しと和解の道に近づくことができます。
歪曲と貶毁(けなすこと)はこれ以上、立場を無くすでしょう。
発砲命令者の究明と戒厳軍が行った民間人虐殺、
ヘリ射撃の真実と隠蔽・でっち上げ疑惑のような
国家暴力の真相は必ず明らかにならなければいけないものです。

処罰が目的ではありません。
歴史を正しく記録するころです。
今からでも勇気を出して真実を告白するならば
むしろ許しと和解の道が開かれるでしょう。

5·18の行方不明者の所在を把握し、
追加犠牲者の名誉回復と賠償・補償についても
ただ一人の無念も残らないようにします。

昨年、イ・ジュンギュ総警に対する罷免取り消しに次いで、
昨日、5·18民主化運動で懲戒を受けた
退職警察官21名に対する懲戒処分の職権取り消しが叶いました。
警察官だけでなく軍人、解雇記者のような
多様な犠牲者たちの名誉回復のためにも努力します。

真相究明の最も大きな動力は
光州の痛みに共感する国民たちです。
私たち国民は民主共和国の主権者として
4·19革命と釜馬民主抗争、5·18民主化運動、6月抗争とろうそく革命まで
民主主義の巨大な流れをかき分けてきました。
5·18の完全な真実に向けた国民の歩みも
決して逆に向けたり止めることはできません。

国民と共に明かし、共に記憶する真実は
私たちの社会をより正義が実現するものとする力になり、
国民の和合と統合の基盤になるでしょう。

憲法前文に'5·18民主化運動'を刻むことは
5·18を誰も毀損したり否定することができない
大韓民国の偉大な歴史として位置づけることです。
2018年、私は'5·18民主理念の継承'を含めた
改憲案を発議したことがあります。
いつか改憲が実現するならば、その意味を生かすことを望みます。
5·18民主化運動記念日を地方公休日として指定した
光州市の決定がとても意義深いです。

'五月の精神'は道庁と広場で絶え間なく蘇ることでしょう。
全南道庁の忠実な復元を通じ
光州の痛みと正義ある抗争の価値を
歴史に永く残せるよう政府も積極的に支援します。

尊敬する国民の皆さん、
光州・全羅南道の市民・道民の皆さん、

40年前光州は崇高な勇気と献身で
この国の主人が誰かを見せてくれました。

私たちは光州を思い起こしながら自らが正義と共にあるか問い返し
その問いにより互いの手を取り合い、
民主主義に向けた勇気を無くしませんでした。

世の中を変える力は常に国民にあります。
光州を通じ私たちは
互いの心をより多く集め、より多く分け合い、
より深く疎通することが民主主義であることを経験しました。
私たちに刻印されたその経験は
どんな困難の前でも
常にもっとも大きな力になってくれるでしょう。

いま私たちは政治・社会での民主主義を超え
家庭、職場、経済での民主主義を実現しなければならず、
分け合い協力する世界秩序のために
ふたたび五月の全南道庁前の広場を記憶しなければなりません。

それがあの日、
道庁を死守し死んだ人々の呼び声に
生きる者たちが真に応える道です。
ありがとうございます。



출처 : The New Stance(https://www.thenewstance.com)