写真は東京新聞転載ササ医師(詳細は色平先生の本文参照)
Le vent se leve, il faut tenter de vivre.
風が立つ 生きようと試みなければならない
The wind is rising, we must try to live.
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ササ医師
少数民族の武装組織と交渉しているのはササ医師です。彼は山岳地帯が多いチン族の出身で英語も堪能な優秀な方です(逆にミャンマー語は下手です)。
ササ医師の伝説は別の記事にまとめます。
写真はササ医師と少数民族武装組織とのミーティングの様子
ササ医師はCRPHからミャンマー代表の国連特別大使として任命されました。ササ医師は国連安保理などに出席してミャンマー国軍を圧力かけるように呼びかけています。またICCという国際刑事裁判所でミャンマー国軍最高司令官のMALを国民の虐殺の罪で訴えるために準備を進めています。
ササ医師の働きによってミャンマー国軍は相当に圧迫されています。ASEAN各国とも交渉してさらに国軍を追い詰めようとしています。国軍はササ医師の家族を血みどろになって探していますがチン州の武装組織に保護されて安全な場所にいます。ササ医師は日々の活動をSNSで発信することで国民は元気づけられています。彼は今やミャンマーの英雄です。いずれかはミャンマーの大統領になると信じています。 (続く)
https://bit.ly/3zHBMjY
日本在住17年目のミャンマー人が見たクーデター
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この留学地ブラゴヴェヒチェンスクが、清国市民大虐殺の惨劇地になり、これをきっかけに怒涛のようにロシア軍が全満洲に殺到して、ついに私自身もまた東亜の大戦乱に巻きこまれてしまった。 私はこの地に留学するについて、特別任務を志願したわけではなかった。 しかし歴史の流れ、時のゆきがかりは、疾風のように私を巻きこんでしまったのである。 私を馬賊の群に投げこみ、女郎衆を友として、ある時は苦力(クーリー)に、ある時は洗濯夫に、またある時はロシア軍の御用写真屋になって全満洲に辛酸の月日を送ろうとは、夢にも思わなかった。 それを考えると、歴史の起伏のうちに漂う身一つは、
黒龍江に流れる枯葉一葉にも当らない思いがするのである。
石光真清「城下の人」エンディングより
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加藤陽子の近代史の扉
学術会議問題の政治過程 世論が政府の姿勢「変えた」
毎日新聞2021/6/19
6月15日の衆院本会議で、枝野幸男立憲民主党代表が内閣不信任決議案の趣旨説明を行った。否決前提の演説は、実のところ、野党側の所信表明のような役割を果たす。演説を聞いて驚いたのは、幾多の政権構想中の1項目ではあったが、日本学術会議問題で菅義偉首相が任命を拒否した6人を任命し直すと述べた部分である。
早速、昔の友人から連絡が来た。
「14万筆超の署名も1000を超える学会声明も、結局何も変えられなかったね。まだこの問題やっていたんだ」。よほど(任命を拒否された一人である)私は打たれ強く見えるのだろう。平気でこう書いてくる。ただ、世の多数派の見方を教えてくれるのは助かる。今回は、昨年10月から現在までの学術会議問題の政治過程をまとめ、友人への答えとしたい。
「行動したのに何も変わらなかった」との嘆きは昔も今もある。だが多くの場合、「何も」の部分の考察不足が問題だ。運動と帰結の因果関係は意外にわかりにくい。一つ確実な例を挙げておこう。1960年の日米安全保障条約改定の一件だ。
広範な反対運動にいわば「譲歩」して、改定条約に第2条(経済条項)が新設された。日米両国が、政治経済社会の各分野で自由主義の立場から緊密な連携をするとの趣旨を書き込んだことで、国内外の緊張が緩和された。
そこで次に、学術会議問題をめぐる諸政治主体の動きを、自民党の動き、予算・人員、組織論の3項目を軸に跡づけてみたい。最初に動いたのは下村博文自民党政調会長だ。10月14日に学術会議の在り方を検討するプロジェクトチーム(PT)を党内に立ち上げた。下村氏の主張をまとめると
(1)学術会議の「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年)が問題
(2)学術会議は国の機関から外れるべきだ
(3)学術会議が大型施設計画・大規模研究計画を審議するのは問題――
の3点となる。
だが、12月9日のPTの提言は、(2)のみが書き込まれるにとどまった。
次に動いたのは河野太郎行政改革担当相だった。
10月下旬の各紙は河野氏が学術会議事務局費の大幅削減に意欲的だとし、「秋の行政事業レビュー」の対象とすると報じた。だが実際には対象とならず、12月21日、前年並み予算が組まれて終わった。
第三に、組織の在り方をめぐる攻防はいかなる経過をたどったのか。学術会議側は井上信治科学技術担当相と折衝を続け、本年4月「日本学術会議のより良い役割発揮に向けて」と題する検討結果をまとめた。これを受けて、今後の検討は、総合科学技術・イノベーション会議の有識者議員8人(梶田隆章学術会議会長を含む)に委ねられ、月1回の期限を切らない検討が5月から始まっている。
任命拒否の件で口火を切って以降、政府与党は息もつかせぬ勢いで3方向から学術会議を俎上(そじょう)に載せた。学術会議側はこれに正攻法で応じ、よくしのいだ。発足時は64%(毎日新聞)あった内閣支持率がすぐ落ちた一因は、任命拒否問題だったことは、記憶されてよい。さらに署名や声明の形でも明示された世論が、政府の姿勢を「変えた」と言えるのではないか。
先の友人はこうも言う。任命拒否は就職活動と同じで人事問題だから理由を説明できない、と。
だがこれも違う。会員選定の方法は日本学術会議法第7条2項で決まっている。本法は、首相の任命権を83年国会の中曽根康弘内閣の答弁(首相ができるのは学術会議側からの推薦者に対する形式的任命)の線で解釈されてきた。だが今回政府は、形式的に追認するだけでなく場合により拒絶しうる、との新解釈を立てた。
根拠とされた憲法15条1項
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」は、かつて、ある大学の評議会が推薦した学長候補を、例外的に文相が任命しなかった事案を説明するのに、69年当時の高辻正己内閣法制局長官が用いたものだ。だが、小西洋之参院議員が発見した法制局の文書(国立公文書館蔵)によれば、学術会議の人選について、この高辻発言を根拠とした政治介入の余地がない点については、83年段階で確認済みだったという。以上は憲法学の木村草太教授の知見を参考にした。
次の段階の議論へと進もう。
時に行政府が解釈を変更することもありうる。だがその場合、変更を必要とする情勢の変化について、立法府での説明が必須となる。この間の政府にとって、科学技術・イノベーション基本法の成立という日本の学術にとっての大きな変化が喫緊の課題だった。こうした重要な時期に学術会議の会員選考方法を変えた意味は重い。立法府がその妥当性を議論するのは国民の負託に応えるための責務である。
(東大教授、第3土曜日掲載)
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1882年(明治15年)、帝国大学(現・東京大学)医学部予備門に最年少(16歳)で合格する、、、
この頃玉井の下宿に出入りしていた人物には南方熊楠(玉井の1年後に予備門へ入学)などがいる。しかし、こうした生活によって交際費が増大する一方であった玉井は予備門の月謝を払えなくなってしまい、1年で除籍されてしまう。にもかかわらず玉井は予備門の授業に出席しつづけ、また教授もこれを黙認した。玉井のドイツ語は優秀であったし、また当時はこのようなモグリ学生の存在は珍しくなかったためである、、、
玉井は、医学の道に進むことに疑問を抱くようになり、、、
シベリア横断
玉井は下関から釜山を経由し、ロシアのウラジオストクへ向かった。 直接ドイツに向かわずウラジオストクに向かったのは、名目上は日露貿易の勉強
のためということであったが、 実際は、ドイツまで直接行く費用がなかったため、道中で資金を稼ぎながらシベリアを横断しようと考えたためであった、、、
厳寒期だったため過酷な道のりとなった。気温は氷点下40℃前後の日が多く、着ている毛皮の外套が凍りついて板のようになることさえあった、、、
このような30日間の道のりの末に辿り着いたトムスクでは、トムスク大学や、現地の新聞『シベリア報知』の人間から支援を受けることができた。
このため、以降は鉄道などを使って順調に進むことができ、1894年(明治27年)2月26日、当初の目的地であったベルリンに到着する。日本を発ってから467日目のことであった。
https://bit.ly/3gGTQU3
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BK Yoo@bk_yoo 2時間
拙著『日本再生のための「プランB」』に興味を持って頂いた、三木義一先生(専門は租税法、行政法、会計;青山学院大学前学長;民間税制調査会メンバー)とシリーズで対談を行いYouTubeで公開します。以下で第1弾(約1時間)をご紹介します。ご高覧頂ければ幸いです。
https://twitter.com/bk_yoo/status/1406475324813053953?s=20
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伊勢崎賢治@isezakikenji 4時間
九条ってね日本が戦争する主権を放棄しているように見えるけどアメリカの戦争をしない主権を放棄させているだけだからねなんと言おうと占領統治の中で生まれたものだから
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伊勢崎賢治@isezakikenji 4時間
日米地位協定と朝鮮国連軍地位協定ってね
日本に個別的自衛権を放棄して集団的自衛権だけで行けということだからね
安保法制に反対してみたところで全く意味ないよ
いい?
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伊勢崎賢治@isezakikenji 4時間
日本の地位協定
①日米地位協定 個別的自衛権の放棄
②朝鮮国連軍地位協定 「戦争しない主権」の放棄
③日ジブチ地位協定 単なる”詐欺”
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望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI 2時間
処遇部門の入管職員の言葉を取材で聞くたびに胸が痛い。罪のない彼らに入管はなぜ、こんな言葉掛けができるのか
20歳になった時に入管に呼び出され職員にこう告げられた。
「(成人なので)これからはいつ収容されてもおかしくない。学校に通っているとか関係ないからね」
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鳥井一平 Torii Ippei@IppeiTorii 6月18日
今日は、贈るよろこび、そのものの日。こんな瞬間を少しでも多くつくっていきたい。ガーナ人家族3人に在留特別許可が出た。10年少しかかった。
様々な支援をしていただいたみなさんに感謝。3人が普通に生きていく、普通にがんばるチャンスができた。
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m TAKANO@mt3678mt 9時間
ウガンダの選手団の1人が陽性。残る8人は濃厚接触者のはずだが、陰性だったためバスで泉佐野市に向かったという。水際対策はザルでしかないことが、この例からも明らかだ。一方で組織委は入場式の観客2万人案を検討しているという。実施すれば感染爆発の五輪となるだろう。
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安冨歩(やすとみ あゆみ)@anmintei 7時間
【パンデミック・オリンピック】
1 検査は抗原検査
2 結果が出ないという謎の事態でPCRやったら陽性
3 にも関わらず同乗者はスルーで入国
★これでは確実に続々と感染者が入国する。
>ウガンダ選手団、PCR検査1人陽性 成田空港で判明:朝日新聞デジタル
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本間 龍 ryu.homma@desler 2時間 #Tokyo本土決戦2020
G7が開催されたコーンウォールで、サミット終了後にコロナ感染急増、複数のホテルやレストランが休業に追い込まれている。英女王も出席したから厳しい感染対策をしたはずなのに、やはり人が集まればコロナは防げない。これこそ、五輪開催後の日本の姿だ。
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中野晃一 Koichi Nakano@knakano1970 4時間
G7共同声明のヤバい誤訳
安全(客観的状態)
安心(主観・気分の問題)
→「安全・安心」=気持ちの問題にトーンダウンして逃げてる
Safe(=安全・客観的)
Secure(=確実に安全・客観的)
→safe and secure=確実に安全なことを強調してる
「国際公約」って言うなら嘘つきはヤバいでしょ?
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中野晃一 Koichi Nakano@knakano1970 4時間
アクリル板つけさせて「安全・安心」って日本政府が言ってても、国際的に(科学的に)safe and secureとはとても言えないってこと。ワクチン接種のペースが上がるのは安心だけど、集団免疫を達成するレベルまでいかないと全くsafe and secureではない。
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masanorinaito@masanorinaito 1時間
コロナの感染はグローバルな現象だ。五輪はグローバルなイベントだ。なのに、日本の政治家もマスコミも、国内の観客の数や飲食店の時短と酒提供の話ばかりしている。それで、安全が保てると思うか?なぜ、世界の今と日本とを比べるぐらいのことができない?
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岩槻優佑@yuu_iwatsuki 6時間
中止かも、が無観客になって五千人になって一万人になって気づけば二万人…
もうめちゃくちゃ
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谷口正次『経済学が世界を殺す』@taniguchikeizai 57分
爆発的な人口増加と経済規模の拡大から、有限の地球で自然資本の消耗が目立ってきています。生物学的シンギュラリティも遠い未来のことではなくなったと言えましょう。人類の貴重な生命維持装置である自然資本を無制限に消耗して人工資本に変えてしまのではなく、賢く利用しなければなりません。
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孫崎 享@magosaki_ukeru 4時間
都議会:AERA:自民党が先週末行った世論調査、
自民:前回23議席→今回48~55議席、
前回は都民ファ、今回自民党と組む公明党14~23議席と横ばい、立憲8議席→20~26、共産18議席→17~23議席。
都民ファースト前回は55議席→6~19議席
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宮澤喜一bot@myzwbot 15時間
「戦後の日本で一番いいことは」と聞かれれば、私は「自由があること」と答える。これこそが社会の活力だからだ。ですから、これからの時代を生きていく人たちは、自由の制限につながるような芽を常に摘み取っていく―その努力を怠らないでほしい。
(『ハト派の伝言』p.126)
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中野晃一 Koichi Nakano@knakano1970 5時間
人の生き死や暮らしに影響をもたらす公権力の行使に深く関与する専門家や科学者が、市民やジャーナリズムの批判にさらされるのは当然で、むしろジャーナリストであるはずの人がそうしたジャーナリズムの批判を封じ込めようと風紀委員気質をむき出しにするほうがいかにも日本的で気味悪い。
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井垣孝之(起業家・弁護士・経営コンサルタント)@igaki 18時間
ここ数年私が守って、心穏やかにTwitterをしている方法です。
①議論はしない
②犯罪や不祥事のニュースに言及しない
③特定の人を攻撃しない(引用リツイートして批判しない)
④自分に関するツイートはすべてスルーする
これを守るだけで、TLが殺伐としてようが自分には関係なくなります。
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◆市場の混乱
各地の市場は大混乱だという。「市場には嘆息と怒号が飛び交い、阿鼻叫喚だといっていい。損をした人、高くて買えない人のすすり泣きも聞こえる」
と咸鏡北道の協力者は伝える。毎日みるみる食糧価格が上がっているが、今後も上り続けるのか、天井を打ったのか予測がつかず、値付けするにも購入にするも判断が難しい。中国元の急落で財産を激減させた人もいる。今回の混乱は、中国元の下落と食糧価格の上昇が同時に起こって発生した。
誰も対処と防衛の方法が分からず、今後の展開もまったく不透明だ。「生存の脅威を感じます。実際、食糧を買うお金のない独居老人が、あちこちで亡くなっています」
協力者の一人は、報告の最後をこう締めくくった。
(カン・ジウォン/石丸次郎)
※アジアプレスでは中国の携帯電話を北朝鮮に搬入して連絡を取り合っている。
https://bit.ly/3cTDJ3l
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「最も利益の高い五輪になる可能性がある」
「開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう」
「五輪が開催されることに自信を持っている」
「五輪に勝る番組はない。17日間、毎晩、(関心を)独占できるから」
https://bit.ly/3qgDggT
東京五輪の開会式始まれば「みんなすべて忘れて楽しむ」 アメリカ向け放送権持つNBCユニバーサルCEO
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私たちのめざす社会主義・共産主義は、資本主義のもとで獲得した価値あるものを全て引き継いで発展させる。後退させるものは何一つないということです。例えば労働時間短縮など暮らしを守るルールは、全部引き継いで発展させる。日本国憲法のもとでの自由と民主主義の諸制度も、全て豊かに発展的に引き継いでいく。せっかく社会主義になっても資本主義より窮屈でさみしい社会になったら意味がないわけです。
志位和夫「中央公論」21年7月号
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詩集『詩碑』
まだひとつになれないでいる ―― この地球の上で 丁章
前世紀の早朝に
新たに武装した隣国がやってきて
幼きハラボジのふるさとは
力ずくで奪われた
ふるさとを奪われてハラボジは
奪われたものを取り返しにゆくかのように
隣の新興帝国に渡り
家族を築き
人生を積み上げ
前世紀の真昼には
ふるさとを奪った帝国が敗れ
ようやく帰ろうとしたふるさとを
後ろ盾も新たに武装した同胞たちが
真っ二つにひき裂き占有した
国境を隔てて帰れないふるさとを
前世紀の夕暮れに
ハラボジは遠くに眺めながら
ひとつの尊い命を終えた
その傍らで共に夕暮れを眺めていた子や孫が
ふるさとを知らない在日として遺され
新世紀の朝になお
前世紀の苦しみを生きぬいている
奪われたふるさとが
百年経ってもまだ
ひとつになれないでいる
この地球の上で
誰もが殺し合いたくないはずなのに
人間は武装して立っている
国境を挟んで向き合っている
紛争が絶えない
虐殺が絶えない
今世紀の夕暮れまでに
はたしてハラボジのふるさとに
殺し合わない人間として
在日サラムは立てるだろうか
新たなひとつのふるさとに
ひとつのこの地球の上で
韓国併呑百年の年に
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ギュンター りつこ 6月18日 6:21
五輪中止の署名運動を学者にイニシアチブをとってやってもらったら、と提案したら、学者は政府に楯突くと研究費が打ち切られるから無理だろうと言われました。これメチャメチャ怖くないですか?1933年4月にナチス政府が制定した「職業公務員復権法」は、ユダヤ人を含めた政権に批判的な公務員の解雇を定めたもので、大学職員は約30%が解雇されました。ほとんどすべての研究分野から優秀な学者が排除されたことは、ドイツの科学の発展の大きな痛手となりました。研究費を打ち切られたくないから政府に物申せない。ナチス政府がやったことに近くないですか?
(写真は物理学者のマックス・プランク。
「職業公務員復権法」制定一ヶ月後、この法律が個々の科学分野に及ぼす悪影響について
ヒトラーに直接抗議しましたが、同僚たちを救うことは出来ませんでした)
https://bit.ly/3gLugw2
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Branco Milanovic
「『象グラフ』のポイントは三つです。
中国やベトナムなどアジア諸国の中間層が所得を増やしたこと。
日本を含む豊かな先進国の中間層の所得が増えなかったこと。
世界の上位1%にあたる超富裕層が巨額の利益を得たことです。
均一でないこの変化をもたらしたのが、グローバル化でした」
「レーガンやクリントン、サッチャーなどグローバル化を進めたリーダーは、国民に『大半の人は所得が伸びず、新興国で3分の1の給料で同じ仕事をする人々との競争になる』とは言いませんでしたが、結果的にそうなりました」
「コロナ禍でこの傾向が改善されるとは思えません。リモートワークが普及し、ITでその作業を低賃金でやれる労働者が東欧など世界中にいます。先進国の中間層はますます圧迫されるでしょう」
「1930年代、世界恐慌下でニューディール政策を進めたルーズベルト大統領を模範に、格差是正を進めようというバイデン氏の路線には同意します。
米国は80年代以降、市場放任の『レーガノミクス』の流れが続いてきましたが、行き詰まりは明らかでした。米国民の変革への要求は切実で、バイデン氏は成功するでしょう」
https://bit.ly/3j824GD
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Branco Milanovic
二つの資本主義が世界を覆っている。米国に代表されるリベラル能力資本主義と、中国に代表される政治的資本主義だ。この両者がはらむ、不平等の拡大と腐敗の進行という病弊の根本原因を喝破し、欧米の社会科学界を震撼させたベストセラー。
「理論、データ、歴史、批判的思考--社会科学の頂点のひとつがここにある。格差は誰かのせいでも、ましてや自分のせいもない。それは資本主義のシステムにあるのだ」吉田徹(同志社大学教授)
「北京に住むのか、ニューヨークに住むのか、決断のときは近づいている」エドワード・ルース(『フィナンシャル・タイムズ』紙)
「この二つの資本主義が世界情勢を支配している。両者の共進化が今後数十年の歴史を形成することになるだろう」
『エコノミスト』誌
「現存する(おそらく)唯一の社会経済システムへの理解を刷新しようとする、あらゆる読者、研究者にお薦めする」ロバート・ラコノ(LSEレビュー・オブ・ブックス)
「資本主義だけ残った――世界を制するシステムの未来」
ブランコ・ミラノヴィッチ
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ミャンマーより、つれづれなるままに(Japanese diary from Myanmar)
昨日 3:44
最近ミャンマーで、いろんなものが燃やされている。1週間ほど前には、避難民への支援物資であるお米や薬が燃やされた。3日前には、ミャンマー中央部の乾燥地帯にあるキンマ村が全焼した。焼け跡に座り込んで号泣する人たちの動画。柵の中で黒焦げになった家畜の写真。それにしても、なぜこの村が焼かれなければならなかったのだろう。ミャンマー人の同僚に「何か特別な村なの?」と聞くと、こんな事情を教えてくれた。
「数日前に別の村で、軍が交代させた村長(軍支持者)を PDF(反軍政の市民グループ)らしき人たちが襲撃に来たの。
結局それは未遂だったんだけど、そのうちの一人が乗ってたバイクのナンバーを軍が調べたら
バイクのオーナーとして登録されていたのが、キンマ村の人だったんだって」
はぁ? と、思わず耳を疑った。
そんな何の証拠もないようなことで、250軒あまりの家を灰にしたのか…。それに、そもそもバイクのオーナーの名義は、使用者とは違うことも多い。
だから仮に本当にオーナーの名義がキンマ村の住民だったとしても、実際そのバイクに乗っていた人がオーナー本人かどうかはわからない。というのは、ミャンマーではバイクは中国やタイからの輸入なので、まず輸入業者などが名義登録をし、買った人があとで名義変更の手続きをしなければならない。
でも、手続きにはお金がかかるし、名義を変えなくてもあまり問題にならないので、前の名義のまま使う場合が多いのだという。外国人の私でも知っているそんな事情を、まさか軍が知らないわけはないと思う。もちろん、もし本当にPDFの一員がキンマ村に住んでいたのだとしても、村をまるごと燃やす理由には到底ならない。それでも、こうして周囲の関係ない人を巻き込んで脅すのが軍のやり方だ。軍による見せしめを、この数ヶ月、いったいどれほど見ただろう。デモ隊をかくまっただけの人が殺されCDM参加者の家族が拘束され軍を攻撃した少数民族集団と、同じ民族の村々が空襲を受けた。本当に、卑劣。
==
キンマ村の住民たちは、村を離れた。ある人は市街地へ、ある人は近隣の村へ、ある人はジャングルの中へ逃げたという。連日しのつく雨のミャンマーで、無事に暮らしていけるだろうか。Facebookではすぐに、有志による寄付の呼びかけが始まった。キンマ村に心を寄せる人たちによって、投稿は次々にシェアされていく。ミャンマーはかつて、4年連続で世界寄付指数ランキング1位を誇った国。世帯調査には、支出の欄に「食費」「教育費」などと並んで「寄付」があるほどだ。きっとたくさんの人がお金を送ったのだろう、しばらくすると寄付を集めた近隣村の住民が、Facebookに写真を投稿した。
「みんなのおかげで○○村にこんなに物資が集まりました!」その投稿には、どんどんコメントがつき始めた。喜びや感謝のコメントではない。「村の名前は出さない方がいい」「早く投稿を消さないと軍が来る」…もはや寄付さえも危険行為になってしまったのだ、と改軍はミャンマー人の精神や文化をも攻撃している。
==
田舎で暮らす両親をもつ知人は、キンマ村の話をしながらふと「私の村も、いつ燃やされるかわからない」と言った。「えっ、どうして?何か特別な村なの?」と、私は同じ質問を繰り返す。彼女は「特別なことはないんだけどね…」と、村の事情を話してくれた。彼女の村は、500世帯ほどある大きな村で、小さな公立病院があるそうだ。その病院の医療者は、クーデター後にCDM(軍への不服従運動)で病院を去った。そこで、3月に近くの軍病院から軍医が派遣されてきたのだが、同時に兵士も病院に駐屯し始めたため、村における軍の拠点ができてしまったのだという。当然、ほとんどの村人はそれをよく思わない。良く思われていないことをわかっている軍は、警察官を動員し連日のように、夜中に村の人たちを逮捕して回るようになったという。
先手必勝とばかりに、疑わしきを罰しているわけだ。「もし村の人の怒りが頂点に達して、軍に対して何か行動に出れば 私の村も一気に焼かれてしまうかもしれない」と、彼女は不安げに言う。
ミャンマーの農村部は、竹でできた家が多い。一旦火がつけば、容赦なく燃え上がり、数分後にはすべて灰になるだろう。「私の両親は高齢だし、特に父親は持病があるでしょう。 もし村が焼かれたら、父はきっと逃げられないと思う」以前、お父さんが入院したときには、故郷に飛んで帰っていた彼女。
その不安を思うと、胸が締め付けられる。こういう思いをしている人が、ミャンマー中にいったいどのくらいいるんだろう。
==
こんなやり方で、軍はこれからも支配を続けるのか。これがこの国の政府だなんて、悪夢だ。そんなガックリした気分になっていたのだがその日、ミャンマー人の友達が元気をくれた。久しぶりに会った彼女は、少し疲れた顔をしていたけれど「今日は朝からお米と油を配ってきた」と笑顔で話してくれた。
(ミャンマーの食糧支援は、お米と油が基本です)軍に目をつけられないよう、軍がこなさそうな場所を知人に聞き、朝早くからトラックに食料を積みこんで、バレないように配ってきたのだという。彼女が見せてくれた写真には低所得であろう人たちが、長い列をつくって支援を待っていた。「量が足りなかったから、今度はもっとたくさん持っていく」そう話す彼女も、このクーデターのせいで、仕事に大きな損失が出ているはずだ。それでも「だって、この人たち可哀想でしょう。私は仕事があるから大丈夫」と言い翌日も、別の困っている人たちにお金を渡しに出かけて行った。その情の厚さと、見返りを求めない行動力に、ただすごいなぁと思う。ひとりひとりが、今持っているものを進んで差し出す。だから、困ったときは誰かが支えてくれる。ずっとそうやって生きてきたのだろう。
そして、これからもミャンマーの人たちは与え合い、支え合って、軍の弾圧下を生き抜いていくのだろう。この人たちが負けるはずはない。そう自分に言い聞かせて、前を向く。
https://bit.ly/2Uo6RJH
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Le vent se leve, il faut tenter de vivre.
風が立つ 生きようと試みなければならない
The wind is rising, we must try to live.
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ササ医師
少数民族の武装組織と交渉しているのはササ医師です。彼は山岳地帯が多いチン族の出身で英語も堪能な優秀な方です(逆にミャンマー語は下手です)。
ササ医師の伝説は別の記事にまとめます。
写真はササ医師と少数民族武装組織とのミーティングの様子
ササ医師はCRPHからミャンマー代表の国連特別大使として任命されました。ササ医師は国連安保理などに出席してミャンマー国軍を圧力かけるように呼びかけています。またICCという国際刑事裁判所でミャンマー国軍最高司令官のMALを国民の虐殺の罪で訴えるために準備を進めています。
ササ医師の働きによってミャンマー国軍は相当に圧迫されています。ASEAN各国とも交渉してさらに国軍を追い詰めようとしています。国軍はササ医師の家族を血みどろになって探していますがチン州の武装組織に保護されて安全な場所にいます。ササ医師は日々の活動をSNSで発信することで国民は元気づけられています。彼は今やミャンマーの英雄です。いずれかはミャンマーの大統領になると信じています。 (続く)
https://bit.ly/3zHBMjY
日本在住17年目のミャンマー人が見たクーデター
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この留学地ブラゴヴェヒチェンスクが、清国市民大虐殺の惨劇地になり、これをきっかけに怒涛のようにロシア軍が全満洲に殺到して、ついに私自身もまた東亜の大戦乱に巻きこまれてしまった。 私はこの地に留学するについて、特別任務を志願したわけではなかった。 しかし歴史の流れ、時のゆきがかりは、疾風のように私を巻きこんでしまったのである。 私を馬賊の群に投げこみ、女郎衆を友として、ある時は苦力(クーリー)に、ある時は洗濯夫に、またある時はロシア軍の御用写真屋になって全満洲に辛酸の月日を送ろうとは、夢にも思わなかった。 それを考えると、歴史の起伏のうちに漂う身一つは、
黒龍江に流れる枯葉一葉にも当らない思いがするのである。
石光真清「城下の人」エンディングより
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加藤陽子の近代史の扉
学術会議問題の政治過程 世論が政府の姿勢「変えた」
毎日新聞2021/6/19
6月15日の衆院本会議で、枝野幸男立憲民主党代表が内閣不信任決議案の趣旨説明を行った。否決前提の演説は、実のところ、野党側の所信表明のような役割を果たす。演説を聞いて驚いたのは、幾多の政権構想中の1項目ではあったが、日本学術会議問題で菅義偉首相が任命を拒否した6人を任命し直すと述べた部分である。
早速、昔の友人から連絡が来た。
「14万筆超の署名も1000を超える学会声明も、結局何も変えられなかったね。まだこの問題やっていたんだ」。よほど(任命を拒否された一人である)私は打たれ強く見えるのだろう。平気でこう書いてくる。ただ、世の多数派の見方を教えてくれるのは助かる。今回は、昨年10月から現在までの学術会議問題の政治過程をまとめ、友人への答えとしたい。
「行動したのに何も変わらなかった」との嘆きは昔も今もある。だが多くの場合、「何も」の部分の考察不足が問題だ。運動と帰結の因果関係は意外にわかりにくい。一つ確実な例を挙げておこう。1960年の日米安全保障条約改定の一件だ。
広範な反対運動にいわば「譲歩」して、改定条約に第2条(経済条項)が新設された。日米両国が、政治経済社会の各分野で自由主義の立場から緊密な連携をするとの趣旨を書き込んだことで、国内外の緊張が緩和された。
そこで次に、学術会議問題をめぐる諸政治主体の動きを、自民党の動き、予算・人員、組織論の3項目を軸に跡づけてみたい。最初に動いたのは下村博文自民党政調会長だ。10月14日に学術会議の在り方を検討するプロジェクトチーム(PT)を党内に立ち上げた。下村氏の主張をまとめると
(1)学術会議の「軍事的安全保障研究に関する声明」(2017年)が問題
(2)学術会議は国の機関から外れるべきだ
(3)学術会議が大型施設計画・大規模研究計画を審議するのは問題――
の3点となる。
だが、12月9日のPTの提言は、(2)のみが書き込まれるにとどまった。
次に動いたのは河野太郎行政改革担当相だった。
10月下旬の各紙は河野氏が学術会議事務局費の大幅削減に意欲的だとし、「秋の行政事業レビュー」の対象とすると報じた。だが実際には対象とならず、12月21日、前年並み予算が組まれて終わった。
第三に、組織の在り方をめぐる攻防はいかなる経過をたどったのか。学術会議側は井上信治科学技術担当相と折衝を続け、本年4月「日本学術会議のより良い役割発揮に向けて」と題する検討結果をまとめた。これを受けて、今後の検討は、総合科学技術・イノベーション会議の有識者議員8人(梶田隆章学術会議会長を含む)に委ねられ、月1回の期限を切らない検討が5月から始まっている。
任命拒否の件で口火を切って以降、政府与党は息もつかせぬ勢いで3方向から学術会議を俎上(そじょう)に載せた。学術会議側はこれに正攻法で応じ、よくしのいだ。発足時は64%(毎日新聞)あった内閣支持率がすぐ落ちた一因は、任命拒否問題だったことは、記憶されてよい。さらに署名や声明の形でも明示された世論が、政府の姿勢を「変えた」と言えるのではないか。
先の友人はこうも言う。任命拒否は就職活動と同じで人事問題だから理由を説明できない、と。
だがこれも違う。会員選定の方法は日本学術会議法第7条2項で決まっている。本法は、首相の任命権を83年国会の中曽根康弘内閣の答弁(首相ができるのは学術会議側からの推薦者に対する形式的任命)の線で解釈されてきた。だが今回政府は、形式的に追認するだけでなく場合により拒絶しうる、との新解釈を立てた。
根拠とされた憲法15条1項
「公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である」は、かつて、ある大学の評議会が推薦した学長候補を、例外的に文相が任命しなかった事案を説明するのに、69年当時の高辻正己内閣法制局長官が用いたものだ。だが、小西洋之参院議員が発見した法制局の文書(国立公文書館蔵)によれば、学術会議の人選について、この高辻発言を根拠とした政治介入の余地がない点については、83年段階で確認済みだったという。以上は憲法学の木村草太教授の知見を参考にした。
次の段階の議論へと進もう。
時に行政府が解釈を変更することもありうる。だがその場合、変更を必要とする情勢の変化について、立法府での説明が必須となる。この間の政府にとって、科学技術・イノベーション基本法の成立という日本の学術にとっての大きな変化が喫緊の課題だった。こうした重要な時期に学術会議の会員選考方法を変えた意味は重い。立法府がその妥当性を議論するのは国民の負託に応えるための責務である。
(東大教授、第3土曜日掲載)
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1882年(明治15年)、帝国大学(現・東京大学)医学部予備門に最年少(16歳)で合格する、、、
この頃玉井の下宿に出入りしていた人物には南方熊楠(玉井の1年後に予備門へ入学)などがいる。しかし、こうした生活によって交際費が増大する一方であった玉井は予備門の月謝を払えなくなってしまい、1年で除籍されてしまう。にもかかわらず玉井は予備門の授業に出席しつづけ、また教授もこれを黙認した。玉井のドイツ語は優秀であったし、また当時はこのようなモグリ学生の存在は珍しくなかったためである、、、
玉井は、医学の道に進むことに疑問を抱くようになり、、、
シベリア横断
玉井は下関から釜山を経由し、ロシアのウラジオストクへ向かった。 直接ドイツに向かわずウラジオストクに向かったのは、名目上は日露貿易の勉強
のためということであったが、 実際は、ドイツまで直接行く費用がなかったため、道中で資金を稼ぎながらシベリアを横断しようと考えたためであった、、、
厳寒期だったため過酷な道のりとなった。気温は氷点下40℃前後の日が多く、着ている毛皮の外套が凍りついて板のようになることさえあった、、、
このような30日間の道のりの末に辿り着いたトムスクでは、トムスク大学や、現地の新聞『シベリア報知』の人間から支援を受けることができた。
このため、以降は鉄道などを使って順調に進むことができ、1894年(明治27年)2月26日、当初の目的地であったベルリンに到着する。日本を発ってから467日目のことであった。
https://bit.ly/3gGTQU3
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BK Yoo@bk_yoo 2時間
拙著『日本再生のための「プランB」』に興味を持って頂いた、三木義一先生(専門は租税法、行政法、会計;青山学院大学前学長;民間税制調査会メンバー)とシリーズで対談を行いYouTubeで公開します。以下で第1弾(約1時間)をご紹介します。ご高覧頂ければ幸いです。
https://twitter.com/bk_yoo/status/1406475324813053953?s=20
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伊勢崎賢治@isezakikenji 4時間
九条ってね日本が戦争する主権を放棄しているように見えるけどアメリカの戦争をしない主権を放棄させているだけだからねなんと言おうと占領統治の中で生まれたものだから
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伊勢崎賢治@isezakikenji 4時間
日米地位協定と朝鮮国連軍地位協定ってね
日本に個別的自衛権を放棄して集団的自衛権だけで行けということだからね
安保法制に反対してみたところで全く意味ないよ
いい?
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伊勢崎賢治@isezakikenji 4時間
日本の地位協定
①日米地位協定 個別的自衛権の放棄
②朝鮮国連軍地位協定 「戦争しない主権」の放棄
③日ジブチ地位協定 単なる”詐欺”
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望月衣塑子@ISOKO_MOCHIZUKI 2時間
処遇部門の入管職員の言葉を取材で聞くたびに胸が痛い。罪のない彼らに入管はなぜ、こんな言葉掛けができるのか
20歳になった時に入管に呼び出され職員にこう告げられた。
「(成人なので)これからはいつ収容されてもおかしくない。学校に通っているとか関係ないからね」
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鳥井一平 Torii Ippei@IppeiTorii 6月18日
今日は、贈るよろこび、そのものの日。こんな瞬間を少しでも多くつくっていきたい。ガーナ人家族3人に在留特別許可が出た。10年少しかかった。
様々な支援をしていただいたみなさんに感謝。3人が普通に生きていく、普通にがんばるチャンスができた。
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m TAKANO@mt3678mt 9時間
ウガンダの選手団の1人が陽性。残る8人は濃厚接触者のはずだが、陰性だったためバスで泉佐野市に向かったという。水際対策はザルでしかないことが、この例からも明らかだ。一方で組織委は入場式の観客2万人案を検討しているという。実施すれば感染爆発の五輪となるだろう。
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安冨歩(やすとみ あゆみ)@anmintei 7時間
【パンデミック・オリンピック】
1 検査は抗原検査
2 結果が出ないという謎の事態でPCRやったら陽性
3 にも関わらず同乗者はスルーで入国
★これでは確実に続々と感染者が入国する。
>ウガンダ選手団、PCR検査1人陽性 成田空港で判明:朝日新聞デジタル
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本間 龍 ryu.homma@desler 2時間 #Tokyo本土決戦2020
G7が開催されたコーンウォールで、サミット終了後にコロナ感染急増、複数のホテルやレストランが休業に追い込まれている。英女王も出席したから厳しい感染対策をしたはずなのに、やはり人が集まればコロナは防げない。これこそ、五輪開催後の日本の姿だ。
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中野晃一 Koichi Nakano@knakano1970 4時間
G7共同声明のヤバい誤訳
安全(客観的状態)
安心(主観・気分の問題)
→「安全・安心」=気持ちの問題にトーンダウンして逃げてる
Safe(=安全・客観的)
Secure(=確実に安全・客観的)
→safe and secure=確実に安全なことを強調してる
「国際公約」って言うなら嘘つきはヤバいでしょ?
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中野晃一 Koichi Nakano@knakano1970 4時間
アクリル板つけさせて「安全・安心」って日本政府が言ってても、国際的に(科学的に)safe and secureとはとても言えないってこと。ワクチン接種のペースが上がるのは安心だけど、集団免疫を達成するレベルまでいかないと全くsafe and secureではない。
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masanorinaito@masanorinaito 1時間
コロナの感染はグローバルな現象だ。五輪はグローバルなイベントだ。なのに、日本の政治家もマスコミも、国内の観客の数や飲食店の時短と酒提供の話ばかりしている。それで、安全が保てると思うか?なぜ、世界の今と日本とを比べるぐらいのことができない?
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岩槻優佑@yuu_iwatsuki 6時間
中止かも、が無観客になって五千人になって一万人になって気づけば二万人…
もうめちゃくちゃ
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谷口正次『経済学が世界を殺す』@taniguchikeizai 57分
爆発的な人口増加と経済規模の拡大から、有限の地球で自然資本の消耗が目立ってきています。生物学的シンギュラリティも遠い未来のことではなくなったと言えましょう。人類の貴重な生命維持装置である自然資本を無制限に消耗して人工資本に変えてしまのではなく、賢く利用しなければなりません。
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孫崎 享@magosaki_ukeru 4時間
都議会:AERA:自民党が先週末行った世論調査、
自民:前回23議席→今回48~55議席、
前回は都民ファ、今回自民党と組む公明党14~23議席と横ばい、立憲8議席→20~26、共産18議席→17~23議席。
都民ファースト前回は55議席→6~19議席
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宮澤喜一bot@myzwbot 15時間
「戦後の日本で一番いいことは」と聞かれれば、私は「自由があること」と答える。これこそが社会の活力だからだ。ですから、これからの時代を生きていく人たちは、自由の制限につながるような芽を常に摘み取っていく―その努力を怠らないでほしい。
(『ハト派の伝言』p.126)
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中野晃一 Koichi Nakano@knakano1970 5時間
人の生き死や暮らしに影響をもたらす公権力の行使に深く関与する専門家や科学者が、市民やジャーナリズムの批判にさらされるのは当然で、むしろジャーナリストであるはずの人がそうしたジャーナリズムの批判を封じ込めようと風紀委員気質をむき出しにするほうがいかにも日本的で気味悪い。
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井垣孝之(起業家・弁護士・経営コンサルタント)@igaki 18時間
ここ数年私が守って、心穏やかにTwitterをしている方法です。
①議論はしない
②犯罪や不祥事のニュースに言及しない
③特定の人を攻撃しない(引用リツイートして批判しない)
④自分に関するツイートはすべてスルーする
これを守るだけで、TLが殺伐としてようが自分には関係なくなります。
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◆市場の混乱
各地の市場は大混乱だという。「市場には嘆息と怒号が飛び交い、阿鼻叫喚だといっていい。損をした人、高くて買えない人のすすり泣きも聞こえる」
と咸鏡北道の協力者は伝える。毎日みるみる食糧価格が上がっているが、今後も上り続けるのか、天井を打ったのか予測がつかず、値付けするにも購入にするも判断が難しい。中国元の急落で財産を激減させた人もいる。今回の混乱は、中国元の下落と食糧価格の上昇が同時に起こって発生した。
誰も対処と防衛の方法が分からず、今後の展開もまったく不透明だ。「生存の脅威を感じます。実際、食糧を買うお金のない独居老人が、あちこちで亡くなっています」
協力者の一人は、報告の最後をこう締めくくった。
(カン・ジウォン/石丸次郎)
※アジアプレスでは中国の携帯電話を北朝鮮に搬入して連絡を取り合っている。
https://bit.ly/3cTDJ3l
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「最も利益の高い五輪になる可能性がある」
「開会式が始まれば、みんなすべてを忘れて楽しむだろう」
「五輪が開催されることに自信を持っている」
「五輪に勝る番組はない。17日間、毎晩、(関心を)独占できるから」
https://bit.ly/3qgDggT
東京五輪の開会式始まれば「みんなすべて忘れて楽しむ」 アメリカ向け放送権持つNBCユニバーサルCEO
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私たちのめざす社会主義・共産主義は、資本主義のもとで獲得した価値あるものを全て引き継いで発展させる。後退させるものは何一つないということです。例えば労働時間短縮など暮らしを守るルールは、全部引き継いで発展させる。日本国憲法のもとでの自由と民主主義の諸制度も、全て豊かに発展的に引き継いでいく。せっかく社会主義になっても資本主義より窮屈でさみしい社会になったら意味がないわけです。
志位和夫「中央公論」21年7月号
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詩集『詩碑』
まだひとつになれないでいる ―― この地球の上で 丁章
前世紀の早朝に
新たに武装した隣国がやってきて
幼きハラボジのふるさとは
力ずくで奪われた
ふるさとを奪われてハラボジは
奪われたものを取り返しにゆくかのように
隣の新興帝国に渡り
家族を築き
人生を積み上げ
前世紀の真昼には
ふるさとを奪った帝国が敗れ
ようやく帰ろうとしたふるさとを
後ろ盾も新たに武装した同胞たちが
真っ二つにひき裂き占有した
国境を隔てて帰れないふるさとを
前世紀の夕暮れに
ハラボジは遠くに眺めながら
ひとつの尊い命を終えた
その傍らで共に夕暮れを眺めていた子や孫が
ふるさとを知らない在日として遺され
新世紀の朝になお
前世紀の苦しみを生きぬいている
奪われたふるさとが
百年経ってもまだ
ひとつになれないでいる
この地球の上で
誰もが殺し合いたくないはずなのに
人間は武装して立っている
国境を挟んで向き合っている
紛争が絶えない
虐殺が絶えない
今世紀の夕暮れまでに
はたしてハラボジのふるさとに
殺し合わない人間として
在日サラムは立てるだろうか
新たなひとつのふるさとに
ひとつのこの地球の上で
韓国併呑百年の年に
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ギュンター りつこ 6月18日 6:21
五輪中止の署名運動を学者にイニシアチブをとってやってもらったら、と提案したら、学者は政府に楯突くと研究費が打ち切られるから無理だろうと言われました。これメチャメチャ怖くないですか?1933年4月にナチス政府が制定した「職業公務員復権法」は、ユダヤ人を含めた政権に批判的な公務員の解雇を定めたもので、大学職員は約30%が解雇されました。ほとんどすべての研究分野から優秀な学者が排除されたことは、ドイツの科学の発展の大きな痛手となりました。研究費を打ち切られたくないから政府に物申せない。ナチス政府がやったことに近くないですか?
(写真は物理学者のマックス・プランク。
「職業公務員復権法」制定一ヶ月後、この法律が個々の科学分野に及ぼす悪影響について
ヒトラーに直接抗議しましたが、同僚たちを救うことは出来ませんでした)
https://bit.ly/3gLugw2
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Branco Milanovic
「『象グラフ』のポイントは三つです。
中国やベトナムなどアジア諸国の中間層が所得を増やしたこと。
日本を含む豊かな先進国の中間層の所得が増えなかったこと。
世界の上位1%にあたる超富裕層が巨額の利益を得たことです。
均一でないこの変化をもたらしたのが、グローバル化でした」
「レーガンやクリントン、サッチャーなどグローバル化を進めたリーダーは、国民に『大半の人は所得が伸びず、新興国で3分の1の給料で同じ仕事をする人々との競争になる』とは言いませんでしたが、結果的にそうなりました」
「コロナ禍でこの傾向が改善されるとは思えません。リモートワークが普及し、ITでその作業を低賃金でやれる労働者が東欧など世界中にいます。先進国の中間層はますます圧迫されるでしょう」
「1930年代、世界恐慌下でニューディール政策を進めたルーズベルト大統領を模範に、格差是正を進めようというバイデン氏の路線には同意します。
米国は80年代以降、市場放任の『レーガノミクス』の流れが続いてきましたが、行き詰まりは明らかでした。米国民の変革への要求は切実で、バイデン氏は成功するでしょう」
https://bit.ly/3j824GD
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Branco Milanovic
二つの資本主義が世界を覆っている。米国に代表されるリベラル能力資本主義と、中国に代表される政治的資本主義だ。この両者がはらむ、不平等の拡大と腐敗の進行という病弊の根本原因を喝破し、欧米の社会科学界を震撼させたベストセラー。
「理論、データ、歴史、批判的思考--社会科学の頂点のひとつがここにある。格差は誰かのせいでも、ましてや自分のせいもない。それは資本主義のシステムにあるのだ」吉田徹(同志社大学教授)
「北京に住むのか、ニューヨークに住むのか、決断のときは近づいている」エドワード・ルース(『フィナンシャル・タイムズ』紙)
「この二つの資本主義が世界情勢を支配している。両者の共進化が今後数十年の歴史を形成することになるだろう」
『エコノミスト』誌
「現存する(おそらく)唯一の社会経済システムへの理解を刷新しようとする、あらゆる読者、研究者にお薦めする」ロバート・ラコノ(LSEレビュー・オブ・ブックス)
「資本主義だけ残った――世界を制するシステムの未来」
ブランコ・ミラノヴィッチ
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ミャンマーより、つれづれなるままに(Japanese diary from Myanmar)
昨日 3:44
最近ミャンマーで、いろんなものが燃やされている。1週間ほど前には、避難民への支援物資であるお米や薬が燃やされた。3日前には、ミャンマー中央部の乾燥地帯にあるキンマ村が全焼した。焼け跡に座り込んで号泣する人たちの動画。柵の中で黒焦げになった家畜の写真。それにしても、なぜこの村が焼かれなければならなかったのだろう。ミャンマー人の同僚に「何か特別な村なの?」と聞くと、こんな事情を教えてくれた。
「数日前に別の村で、軍が交代させた村長(軍支持者)を PDF(反軍政の市民グループ)らしき人たちが襲撃に来たの。
結局それは未遂だったんだけど、そのうちの一人が乗ってたバイクのナンバーを軍が調べたら
バイクのオーナーとして登録されていたのが、キンマ村の人だったんだって」
はぁ? と、思わず耳を疑った。
そんな何の証拠もないようなことで、250軒あまりの家を灰にしたのか…。それに、そもそもバイクのオーナーの名義は、使用者とは違うことも多い。
だから仮に本当にオーナーの名義がキンマ村の住民だったとしても、実際そのバイクに乗っていた人がオーナー本人かどうかはわからない。というのは、ミャンマーではバイクは中国やタイからの輸入なので、まず輸入業者などが名義登録をし、買った人があとで名義変更の手続きをしなければならない。
でも、手続きにはお金がかかるし、名義を変えなくてもあまり問題にならないので、前の名義のまま使う場合が多いのだという。外国人の私でも知っているそんな事情を、まさか軍が知らないわけはないと思う。もちろん、もし本当にPDFの一員がキンマ村に住んでいたのだとしても、村をまるごと燃やす理由には到底ならない。それでも、こうして周囲の関係ない人を巻き込んで脅すのが軍のやり方だ。軍による見せしめを、この数ヶ月、いったいどれほど見ただろう。デモ隊をかくまっただけの人が殺されCDM参加者の家族が拘束され軍を攻撃した少数民族集団と、同じ民族の村々が空襲を受けた。本当に、卑劣。
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キンマ村の住民たちは、村を離れた。ある人は市街地へ、ある人は近隣の村へ、ある人はジャングルの中へ逃げたという。連日しのつく雨のミャンマーで、無事に暮らしていけるだろうか。Facebookではすぐに、有志による寄付の呼びかけが始まった。キンマ村に心を寄せる人たちによって、投稿は次々にシェアされていく。ミャンマーはかつて、4年連続で世界寄付指数ランキング1位を誇った国。世帯調査には、支出の欄に「食費」「教育費」などと並んで「寄付」があるほどだ。きっとたくさんの人がお金を送ったのだろう、しばらくすると寄付を集めた近隣村の住民が、Facebookに写真を投稿した。
「みんなのおかげで○○村にこんなに物資が集まりました!」その投稿には、どんどんコメントがつき始めた。喜びや感謝のコメントではない。「村の名前は出さない方がいい」「早く投稿を消さないと軍が来る」…もはや寄付さえも危険行為になってしまったのだ、と改軍はミャンマー人の精神や文化をも攻撃している。
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田舎で暮らす両親をもつ知人は、キンマ村の話をしながらふと「私の村も、いつ燃やされるかわからない」と言った。「えっ、どうして?何か特別な村なの?」と、私は同じ質問を繰り返す。彼女は「特別なことはないんだけどね…」と、村の事情を話してくれた。彼女の村は、500世帯ほどある大きな村で、小さな公立病院があるそうだ。その病院の医療者は、クーデター後にCDM(軍への不服従運動)で病院を去った。そこで、3月に近くの軍病院から軍医が派遣されてきたのだが、同時に兵士も病院に駐屯し始めたため、村における軍の拠点ができてしまったのだという。当然、ほとんどの村人はそれをよく思わない。良く思われていないことをわかっている軍は、警察官を動員し連日のように、夜中に村の人たちを逮捕して回るようになったという。
先手必勝とばかりに、疑わしきを罰しているわけだ。「もし村の人の怒りが頂点に達して、軍に対して何か行動に出れば 私の村も一気に焼かれてしまうかもしれない」と、彼女は不安げに言う。
ミャンマーの農村部は、竹でできた家が多い。一旦火がつけば、容赦なく燃え上がり、数分後にはすべて灰になるだろう。「私の両親は高齢だし、特に父親は持病があるでしょう。 もし村が焼かれたら、父はきっと逃げられないと思う」以前、お父さんが入院したときには、故郷に飛んで帰っていた彼女。
その不安を思うと、胸が締め付けられる。こういう思いをしている人が、ミャンマー中にいったいどのくらいいるんだろう。
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こんなやり方で、軍はこれからも支配を続けるのか。これがこの国の政府だなんて、悪夢だ。そんなガックリした気分になっていたのだがその日、ミャンマー人の友達が元気をくれた。久しぶりに会った彼女は、少し疲れた顔をしていたけれど「今日は朝からお米と油を配ってきた」と笑顔で話してくれた。
(ミャンマーの食糧支援は、お米と油が基本です)軍に目をつけられないよう、軍がこなさそうな場所を知人に聞き、朝早くからトラックに食料を積みこんで、バレないように配ってきたのだという。彼女が見せてくれた写真には低所得であろう人たちが、長い列をつくって支援を待っていた。「量が足りなかったから、今度はもっとたくさん持っていく」そう話す彼女も、このクーデターのせいで、仕事に大きな損失が出ているはずだ。それでも「だって、この人たち可哀想でしょう。私は仕事があるから大丈夫」と言い翌日も、別の困っている人たちにお金を渡しに出かけて行った。その情の厚さと、見返りを求めない行動力に、ただすごいなぁと思う。ひとりひとりが、今持っているものを進んで差し出す。だから、困ったときは誰かが支えてくれる。ずっとそうやって生きてきたのだろう。
そして、これからもミャンマーの人たちは与え合い、支え合って、軍の弾圧下を生き抜いていくのだろう。この人たちが負けるはずはない。そう自分に言い聞かせて、前を向く。
https://bit.ly/2Uo6RJH
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