こんにちは!鐡な皆様はもうすでに今年の撮り初め済まされましたでしょうか??
昨日にもアップさせていただいた通り、こと貨物列車については私は昨年12/20
頃以来とても不完全燃焼が続いております(爆)
そこで、先日の32Count様のカキコにもあったので、本日は1981年秋の八高線まで
タイムスリップいたします。
以前にも当ブログで表明しましたようにDD51に対する感情は最初から良好です。
というのも、私自体現役SL時代にギリギリ間に合うかというきわどい世代で、
実際に撮影できたのは数回のみです。このためDD51がSL廃止を速めた感が、
私の気持ちの中では少なく、むしろ新皮質の鐡(猛爆)のため、撮影地でDD51を
見つけるとひと世代前の鐡ファンがD51を撮るごとくせっせとシャッターを切っていました。
81年は私が東京に来た年です。4年間吉祥寺のオンボロ下宿に居ましたので、比較的
八高線は近所的な存在でした。
4月にクラブで知り合った同期の阿佐ヶ谷のM君の車で近郊の有名撮影地を良く案内
してもらいました。
うれしいことにこの友人も久しぶりにデジタル一眼を購入し鐡復帰を宣言されているので
今年は彼との撮影行も楽しみです。
その友人と東飯能駅を出てすぐに飯能狭山バイパス(現)をオーバークロスする大カーブ
で東飯能で組成されたホッパー列車を迎撃しました。
DD51689号機は黒煙に近いイグゾーストでツインターボフルパワー状態で急カーブの
レールを軋ませながらやってきました。
この時の興奮は今も脳裏に焼き付いています。
東飯能の町並みもすっかり変わっていることでしょうね。工場の4本オバケ煙突が懐かしい
です。⇒32Countさま(地元)からのご指摘をいただきました。道理で煙突が見当たらない
わけでした。東飯能ではなく高麗川発車でした。ということは県道262号線をオーバークロス
している大カーブですかね。ここからだとちょうどこんな感じで太平洋セメントの工場が後ろ
に入ります。(失礼いたしました。アラフィーの脳みその記憶力を露呈してしまいました。)
撮影;1981年秋(多分体育の日頃) NikonF2PhotomicSB 135㎜(?) TX